【3412】 ショック  (翠 2010-12-12 01:57:47)


 無印のパロディで、キャラ設定やら性格やらが作者に都合良く弄られています。なので、殆どの登場人物が、どこかしら変です。また、所々に妙なネタも紛れています。微妙にオリキャラも出ます。それでも構わない、という海どころか宇宙よりも広い心の持ち主な方以外は、読まれない方が良いかと思われます。
 【No:3409】→【No:これ】→【No:3416】→【No:3423】→【No:3428】→【No:3430】→【No:3433】→【No:3438】→【No:3440】→【No:3446】→【No:3449】




「ああ、私も舞踏会に行きたいわ……」
 意地悪な継母たちを乗せた馬車をシンデレラが悲しげに見送っていると、
「その願い、私が叶えてあげよう」
 という、しわがれ声が背後から聞こえてきました。
「誰っ!?」
 慌てて振り返ったシンデレラの目に映ったのは、黒いフードを目深に被った怪しげなお婆さんです。
「あなたは?」
 シンデレラの問いかけに、お婆さんは臆面もなく「魔法使い」と答えました。どうやらこのお婆さんは、とてもかわいそうなお婆さんのようです。身なりからすると、家族にも捨てられてしまったのかもしれません。
「かわいそうなシンデレラ。私はね、お前さんをずっと見ていたんだよ」
 シンデレラの脳裏に、「ストーカー」という言葉が浮かびました。けれど、奥ゆかしいシンデレラは曖昧に微笑むに留めます。お婆さんはきっと、家族に捨てられて寂しいのです。
「お前さんは、とても良い子だね。そんなお前さんを、私が舞踏会に行けるようにしてあげよう」
 お婆さんはそう言うと、「カボチャを持っておいで」と続けました。
 心優しいシンデレラとしては、このかわいそうなお婆さんにカボチャを恵んであげたいのですが、台所から勝手にカボチャを持ち出すと、意地悪な継母やムカつくお姉さまたちに何を言われるか分かりません。もしかしたら、今よりももっと激しく苛められるかもしれないのです。か弱いシンデレラにとって、それは恐怖でしかありませんでした。今までは、掃除に使う雑巾をギュッと絞った特製エキスをこっそり飲み物に混ぜてやる事で恨みを晴らしていましたが、今度はそんな生温い方法では満足できなくなるでしょう。だからといって食事に虫を混ぜたり、靴に画鋲を入れたりすると、いくら頭の緩い継母共であろうと見付かってしまう恐れがあります。そうなるとシンデレラは、ああっ、いったいどうやって恨みを晴らせば良いのでしょうか。
 シンデレラの表情が沈むと、お婆さんは言いました。
「仕方がないねぇ。では、私がカボチャを出してやろう」
 何と気前の良い魔法使いにしてストーカーでかわいそうなお婆さんでしょう。
「あ!」
 シンデレラの目の前で、お婆さんが懐から取り出したカボチャが馬車へと姿を変えます。何という事でしょう。お婆さんは、本物の魔法使いだったのです。ところで、お婆さんはなぜカボチャを持っていたのでしょうか。一生懸命考えてみたのですが、変質者の考えなんてシンデレラにはちっとも分かりませんでした。
「まあ、立派な馬車」
 シンデレラは、うっとりとします。けれど、せっかく立派な馬車なのに肝心の馬が見当たりません。
「ふむ。馬はハツカネズミで良いじゃろう」
 お婆さんはそう言って、都合良くその辺りにいた数匹のハツカネズミさんを捕まえて白馬へと変えました。
「凄い……」
 シンデレラの感嘆の声に気を良くしたお婆さんは、御者にお供と必要なものを次々と揃えていきます。
「さて、後はその服なのじゃが……」
 お婆さんが手を叩くと、ポムッと煙が上がって、シンデレラが身に付けていたみすぼらしい服が美しいドレスへと早変わりしました。
「ああ、何て素敵なドレス」
 感激したシンデレラは、お婆さんが変質者だという事も忘れて、その場でクルリと回ってみせました。そんなシンデレラの様子を見て、お婆さんは満足げに頷きます。
「うむ、完璧じゃの。これでお前さんは、ただのシンデレラから超シンデレラ――いや、超時空シンデレラとなったわけじゃ」
「えっ?」
 気が付けば、いつの間にかシンデレラの手にはマイクが収まっています。これには、さすがのシンデレラも困りました。
 超時空シンデレラとは、代役からチャンスを掴み、スターの座を駆け上がった、超時空的なとある少女の事です。裕福な家庭の生まれであるシンデレラは人並以上に歌って踊る事はできますが、超時空シンデレラの代名詞とも言える「キラッ!」だけは奥ゆかしいシンデレラには難度が高過ぎて、どうしても体得する事ができなかったのです。それに、お星さまだって飛ばせません。
「さあ、この老いぼれに、お前さんの可憐な『キラッ!』を見せておくれ」
 ちょっとばかし調子に乗っているらしいお婆さんは言いました。
「でも……」
「今のお前さんならできるはずじゃ。なぜなら今のお前さんは、超時空シンデレラなのじゃから」
 渋るシンデレラを、お婆さんはそう言って畳みかけてきます。
「……はい」
 心優しいシンデレラは、お世話になったお婆さんのために羞恥心を捨てる覚悟を決めると、顔の横でクイッと手首を返しながら、親指、人差し指、小指を立てて――、



「キラっ! って、あれ?」
 自室のベッドで星が飛んじゃいそうな「キラっ!」なポーズをしながら目を覚ました祐巳は、
「……早く起きないと遅刻するわよ」
 いつもの時間になっても起きてこない娘を心配して、わざわざ起こしに来てくれたらしいお母さんの口元が笑いを堪えようとしてピクピク痙攣しているのに気付き、
「ちっ、違うの! 私、寝惚けてた! もの凄く寝惚けてた!」
 慌てて言い訳するも、
「そうね。見事に寝惚けていたわね。ところで、『キラッ!』って何? ……ぷっ」
「……」
 もう既に色々と手遅れだったみたいで、仕方なしに布団に包まってシクシク泣いた。



 とある月曜日の翌日。
「毎回思うんだけど、意外よね」
「何が?」
 いつものように教室で昼食を摂っていると、桂さんが話しかけてきた。志摩子さんは、昨日言っていた通り、今日は薔薇の館に行っていて不在である。
「そのお弁当」
 祐巳のお弁当を、行儀悪く箸で指し示す桂さん。
「意外って言われても、普通のお弁当だよ? 変形したりしないし」
 変身もしなければ、合体もしない。
「それはそうでしょ」
「うん、そうだよね。だから、このお弁当は、意外でも何でもない普通のお弁当。そうでしょ?」
「え? そ、そうね」
 桂さんが納得した所で、何事もなかったかのように食事を続ける。
「って、そうじゃなーい!」
「うわぁっ!?」
 桂さんの声に驚き過ぎて、祐巳のお弁当箱から飛んだ卵焼きが床に不時着した。
「お゛お゛お゛お゛お゛、何てこった……」
 楽しみに取っておいたのに。
 落ちた卵焼きを見つめながら、悔しさに身を震わせていると、
「ご、ごめ――」
 先に謝られそうになったので、
「伝説の三秒ルールが本当に有効なのかどうか、桂さんで試してやるっ!」
 完全に謝られる前に、祐巳は落ちていた卵焼きを拾って報復を開始した。
「じょっ、冗談でしょ? ね、ねえ、祐巳さん。冗談よね? ね? ……やっ! やめてっ! それだけは……それだけは嫌ぁっ」



「本気で食べさせられるのかと思った……」
 拾った卵焼きで汚れた手を洗って帰ってくると、涙目になっている桂さんが言った。
「さすがの私も、そこまで非道じゃありません。で、桂さんは結局、何が言いたかったの?」
「祐巳さんが、自分でお弁当を作れるのが意外、って言いたかったのよ」
「何気に失礼な事言ってない? まあ、良いけど。んーっとね、一年くらい前に、お母さんたちが旅行で家を空けた事があったんだけど」
 その時の事を思い浮かべる。
 両親が旅行。祐巳と祐麒は家に残る。でも、祐巳と祐麒は料理を作れない。それならどうするか。一も二もなく、祐巳たちは二人の幼馴染を頼った。
 ところが、
「まさか、当てにしていた静ねーさまたちまで料理が下手だとは思ってなかったんだ」
 任せなさい、なんて言ってたので安心していたら、キッチンを破壊された挙句、何だか凄いのが出てきた。とても言葉では言い表せない、異様な何かだ。それでも無理に言い表すならば、世界中のあらゆる呪詛を詰め込んだような何か。いったい何を言いたいのか祐巳自身分からないが、とにかくそんな感じの何かだった。
「全部、祐麒に食べさせたけど」
「祐麒くん、大丈夫だったの?」
「んー? 大丈夫だったみたいだよ。『お腹の中で食べたものが雄叫び上げてる! ぐああああああッ!』って真っ青な顔してたけど」
「……」
「とまあ、そういう事があって必死に練習したわけ。こう見えても、なかなかの腕前なんだ」
「それは祐巳さんのお弁当を見れば分かるわ」
 そこに至るまでの経緯は聞きたくはなかったけど、と桂さんが呟いた。 



「静ねーさまは、今日は練習なし。つまり、ここには来ない。ああっ、何てツマラナイ掃除当番」
 掃除当番の音楽室で、祐巳が箒片手に何度も何度も世を呪うようにぼやいていると、
「祐巳さん。そろそろお終いにしましょう」
 同じ掃除グループのクラスメイトが、窓を閉めながら言った。
「え?」
 祐巳は目を見開いた後、視線を床に落とし、肩を小さく震わせながら尋ねた。
「……私を捨てるって言うの?」
「ごめんなさい。私、祐巳さんよりも好きな人ができてしまったの」
「――許さないっ!」
 祐巳は、手にしていた箒を彼女のお腹に突き刺した。
「う……ゆ、祐巳さ……」
 呻いて、その場に崩れるクラスメイトの少女。そんな彼女に、祐巳は声をかけた。
「付き合ってくれてどうもありがとう」
 少女は何事もなかったかのように立ち上がり、祐巳に箒を返しながら言った。
「演劇部だからかしら? ついノっちゃった。祐巳さんって、人を乗せるのが上手いわね。それに、演技の方も妙に上手く思えたのだけれど、演劇の経験があったりするの?」
「うんにゃ、ないよ」
 でも、物真似は得意だ。木の物真似なんて特に。
「もし良ければ、演劇部に入ってみない?」
「遠慮しとく。これでも忙しくなるんだ」
「不思議な日本語ね」
「うはははは」
 山百合会のお手伝いをする事を積極的に話すつもりはないので、祐巳は笑って誤魔化した。
「で、掃除は終わったんだよね? 掃除日誌は私が付けておくから、先に帰って良いよ」
「そう? それじゃあ、お言葉に甘えて、ごきげんよう」
「ん、ごきげんよう」
 クラスメイトたちが去っていき、祐巳は掃除日誌を広げた。



 静まり返った音楽室で、日誌を書き終えた祐巳は手持ち無沙汰になっていた。
(退屈だ、あー退屈だ、退屈だ。祥子さまが迎えにくるまで、まだ時間はある、と。それまで、どーしよっかなー)
 この音楽室に幽霊でも出れば、話相手にでもなってもらうのに……いや、心霊現象とかって苦手なんだけどねーあはは、なんてお馬鹿な事を考えながら、今は亡きお祖父ちゃんの事を思い出す。
 一年に数回しか会えない孫たちを、よく可愛がってくれたお祖父ちゃん。ホラー映画が三度の飯より好きだったお祖父ちゃん。
 本人はスキンシップだと思っていたらしい、半強制的なホラー映画鑑賞。断ろうとした時の、あの生きる力を全て失ってしまったかのような白い顔は、今でも忘れられない。あの顔を見て断れる人間がいるとしたら、そいつはきっと人間じゃなくて鬼だ。
(かくして、優しくて空気の読める私と祐麒は、狼に脅える子羊のようにガクガクブルブル震えながらもお祖父ちゃんに付き合ってあげたのでした、まる)
 そうしていつの間にか気が付けば、自分でも信じられないくらい怪奇現象やそれに近いものが苦手となっていた。今では、怪い話を少し聞いただけで、一人で眠る事ができなくなってしまうくらいだ。こんな事なら、無理して付き合うんじゃなかった、と今更後悔する。
(ま、お返しとして、眠ってるお祖父ちゃんの枕元に、本物そっくりの蜘蛛の玩具を置いておいたんだけど)
 目を覚ましてあれに気付いた時のお祖父ちゃん、「うおおおおっ!?」って、もの凄い悲鳴を上げていたなぁ、なんてクスクス笑いを零しながら部屋を見回していた祐巳は、教室の前に置かれてあるピアノの所で視線を止めた。
(ふむ)
 まるで吸い寄せられるかのように近付き、蓋を開ける。
(んーっと、どうだったっけ? たしか、こう――)
 ピアノに近寄っている最中は、弾いてみようと考えていたわけではなかったのだけれど。
 椅子に座って、思い出す。半年前、新入生の歓迎式で祥子さまが弾いていた曲。グノーのアヴェ・マリア。

 ミ――

 ピアノに触るのは、三年と半年ぶりだ。初等部の頃に週一のピアノ教室で習っていたのだが、中等部に上がると同時にやめた。
 栞ねーさまと静ねーさまの事を意識し始めたのも、ちょうどその頃だ。高等部に上がれば、姉妹(スール)制度がある。おそらく自分は、二人のうちどちらかを姉(スール)に選ぶだろう。同じくらい好きな二人のどちらと姉妹(スール)になるか。どちらを選んだとしても、二人のうちどちらかを傷付けてしまう事になるはずだ。
 当時の祐巳は悩んで悩んで悩み抜いた末、まだ中等部に入ったばかりなのに、今から高等部に入った時の事を考えても仕方がない、と答えを先送りにした。
 そうして、答えを先送りにしたまま高等部へ上がり、新入生歓迎式の日、ピアノを弾く祥子さまの美しい姿に心を奪われてしまったのだ。

 ファ――
 ソ――レミ――

 音が響く。
 決して上手くはないけれど。
(あはっ、うん、そーそー)
 目を細めて、音と戯れる。
 そんなに好きってわけでもないし、上手くもないので、進んで触ろうとはしなかったけれど。
 いざ触れてみると、懐かしくて。
 時間を忘れてしまうほど、楽しくて。
 これなら、続けていても良かったかな? なーんてらしくない事を考えていた祐巳は、視界の端に何かが侵入してきた事に気付いた。
「うん?」
 それを見て、「人の手」だと認識した祐巳は、
「ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
 それを「生きた人の手」だとは考えず、叫び声を上げながら椅子から転げ落ちた。
「ちょっと、祐巳?」
「あわあわあわ……出たっホントのホントにオバケが出たっ……お助けお助けっ……って、あれ?」
 這い蹲りながら逃げようとした祐巳は、自分が声をかけられた事に気付いて背後に振り返り、視線を上げた。
「……祥子さま?」
 そこには、顔を顰めながら祐巳を見下ろしている祥子さまがいた。
「まったく、何て声を出すの。耳がおかしくなりそうだったわ」
 これには、さすがにカチンときた。
「お、おおお音もなく背後から現れれば、誰だって驚きますっ!」
「演奏を邪魔してはいけない、という配慮からよ」
「む〜〜〜〜」
 それは、まあ分かる。分かるんだけど、納得できないのは何でだろう?
 祥子さまから差し出された手に自分の手を重ねて、祐巳は立ち上がった。そのまま祥子さまに導かれて、再びピアノの前の椅子へ。
「弾いて」
「へ?」
「もう一度、さっきの通り弾いてみて」
「ええっ!?」
 昨日もそうだったのだけれど、祥子さまって強引だ。
「リズムは……一、二、三、四、二、二、三、四」
「あの……」
「つべこべ言わない。はい、行くわよ」
(え〜ん、やっぱり肝心な所で人の話を聞いちゃくれない〜)
 心の中で号泣しながら、祐巳は右手でミの音を出していた。
 すると、それに合わせるように音が重なった。
(わ、連弾だぁ)
 祥子さまが、左手の部分を弾いていたのだ。
 それは、ほんの数分とはいえ、とても心地の良い演奏だった。連弾用に作曲された曲ではない上に、祐巳が右手、祥子さまが左手で演奏しているため、一人分のスペースに二人が身を寄せ合っているのだが、いつもの自分ならこんな美味しいシチュエーションでおかしな(エロい)事を考えないわけがないのに、そんなものはちっとも浮かんでこなかった。
 このまま、いつまでも弾けるような気がした。実際、そうする事ができただろう。けれど、美しいハーモニーは突然乱れた。祐巳がわざと音を外したからだ。
「……やっぱり駄目ですね。祥子さまには付いていけません」
 祐巳は小さく笑いながら、椅子から降りてピアノから離れた。
「そう? とても気持ち良く弾けていてよ」
 祥子さまがピアノの蓋を下ろして、祐巳へと振り向いた。
「じゃ、そろそろ行きましょうか」
「そうですね。……あっ、でもその前に、職員室に寄って良いですか?」
 言いながら掃除日誌を見せると、祥子さまは快く頷いてくれた。
 


「あら、福沢さん。どうしたの?」
 職員室に寄ると、祐巳のクラス担任である山村先生に迎えられた。
「日誌を持ってきました」
 言いながら日誌を差し出す。けれど先生は、祐巳の背後を見るだけで一向に受け取ろうとしない。視線を追ってみると、どうやら祐巳を待っている祥子さまの存在を気にしているようだった。
「生き別れの姉です」
「福沢さんはよく嘘を吐くので困ります、とご両親に伝えても良いかしら?」
「うぐぅ」
 唸る祐巳に、先生が苦笑いを浮かべる。
「で、実際の所どうなの? ひょっとして、姉妹(スール)になったとか?」
「えーっと、ですね」
 祐巳は唇の下に右手の人差し指を当てながら、にっこりと笑った。
「私たちの事はご想像にお任せします、このスカポンタン」
「……」
 凍り付いた先生に満足げな微笑を返すと、祐巳は無駄に美しく、そして優雅に祥子さまへと振り返った。
 目の前で起こった出来事に絶句している祥子さまに、とびっきりの笑顔を向ける。
「答えたくない事を聞かれた時は、こう言えば良いんでしたよね?」
「……え゛?」
 祥子さまの美しいお顔が、作画崩壊を起こした。
「小笠原さん。いったい、どういう事かしら?」
 もの凄く良い顔した山村先生が、祥子さまの肩に手を置く。
「ちっ、違います。私、この子が言ったような事は一言も――」
「私、祥子さまの言い付け通り頑張りました。褒めてください」
 祐巳は祥子さまの手を取り、キラキラした眼差しで上目遣いに媚びた。
「ちょ、ちょっと祐巳。あなた、さっきからいったいどういうつもりなの!」
「実は、困っている時の祥子さまって可愛いんだろうなぁ、と常日頃から妄想していたのですが、実際に見てみたくなりまして」
「は?」
「私の欲求を満たすため、実際に困ってもらった次第です。いやもう、想像以上に素敵なお顔を拝見できて、私は幸せ者ですわ」
 ごちそうさまでした、と手を合わせる。
「……祐巳」
 穏やかな微笑を浮かべながら、祥子さまが祐巳の頭に手を乗せた。
「あの、何を? って、何だか昨日と同じくお顔が怖……みぎゃ――――っっ!!」
 鷲掴みにされた頭が、ミシミシと軋んだ。
「砕ける! 砕けるって!」
「砕けろ」
「……冗談でしょ?」
 顔を蒼白にした祐巳の質問に、祥子さまの唇の端がニィっと釣り上がる。
「うぉぉっ!? 何か今、頭蓋骨が変な音立てたッ!」
「なるほど。福沢さんと小笠原さんが姉妹(スール)なのかどうかはともかく、とても仲良しだという事はよく分かりました」
 山村先生が感心するように言った。
「何感心してるんですか、このスカポンタン! 可愛い生徒が生命のピンチなんですよ! いつまでもアホ面晒して眺めてないで、さっさと助けろヘルプミー」
「さようなら福沢さん。あなたという可愛い教え子がいた事を、私は決して忘れない。地獄へ墜ちろ」
「うをいっ!?」
 親指を下向きに立てた先生の姿を最後に、祐巳の意識は遠い所に旅立った。



 数分後。
 祥子さまに襟首掴まれて運ばれている最中、目を覚ました祐巳は尋ねた。
「どこかの河原で、一生懸命積んだ石を亡くなった祖父に蹴飛ばされる夢を見たんですけど、これって何を暗示しているんですかね?」
「あなた、生前のお祖父さまに何したのよ?」

 ……ひょっとして、蜘蛛の玩具のせいかな?



 祥子さまに連れてこられたのは、校舎の裏手の少し離れた所にある第二体育館だった。
 ここは、高等部と中等部の生徒を合わせて全員収容できる第一体育館ほどの広さはないが、更衣室やトイレ、洗面所、休憩所といった設備が充実していて、体育や部活などで広く使用されている。
「う〜、頭痛い」
「自業自得よ」
「祥子さまって、意外と力持ちなんですね」
 意外と、とか、力持ち、なんてレベルではなかったような気もするけれど。
「お喋りはいいから、早く靴を履き替えなさい」
「はー、やれやれ。我侭お嬢さまに付き合うのも大変だわ」
 祐巳が肩を竦めると、祥子さまの美しい額に青筋が立った。
「いい加減にしてもらえるかしら?」
「はいは〜い」
 祐巳が珍しく素直に言う事を聞いて、来客用の棚に備えてあるスリッパに履き替えている間に、祥子さまは靴下のままさっさと中へ入って行く。
「あ、祥子が来た」
「遅いよ」
 薔薇さま方の声が響き渡る中、祐巳も体育館へと足を踏み入れた。
 感じたのは、痛いほどの視線。体育館の中には山百合会のメンバーの他に、二十人ほどの生徒の姿が確認できた。
 祥子さまは祐巳に端で見学するように言ってから、彼女たちの間に入っていく。
(たしか、ダンス部だったよね)
 集まっている人たちの中に、クラスメイトが一人いるのを見付けて、彼女の所属しているクラブ活動から答えを導き出す。
 どうやら今日は、劇中で使われるダンスの練習らしい。
「いらっしゃい、福沢祐巳ちゃん」
「こっちの方が、よく見えるわよ」
 薔薇さま方に呼ばれて、祐巳は勧められるまま紅薔薇さまの隣に立った。
「なるほど、確かによく見えます」
 優雅な音楽にのって、少女たちが踊る。
 同じ制服を着ているのに、祥子さまだけに目を奪われた。他の人たちには悪いのだが、やはり祥子さまは別格。志摩子さんなら祥子さまと良い勝負ができるのだが、彼女は着痩せするので、服を着て踊っているのを眺めても面白くないのだ。
 難しいステップも何のその、祥子さまがクルクルと華やかに回る。その度にポヨンポヨンと弾むお胸に、祐巳の視線は釘付けだった。
「凄い……」
 興奮気味の祐巳は、思わず声に出して唸っていた。
「なかなかのものでしょう?」
 顔を正面に向けたまま、紅薔薇さまが脇の祐巳に尋ねてくる。
「なかなかだなんて、あんなに素晴らしいのに」
 あれで満足できないなんて、紅薔薇さまってお人はなんて理想が高いのだろう、と驚きながら尊敬。
「それにしても、皆さん上手ですね」
 ダンス部の人たちは言うに及ばず。祥子さまや志摩子さん、黄薔薇のつぼみである支倉令さまも上手い。いったい、いつから練習していたのだろう? そう思って尋ねてみると、恐ろしい答えが返ってきた。 
「祐巳ちゃんたちが来るまで、三十分くらいかな? 志摩子と令がダンス部の生徒にステップを習って、今初めて合わせてみたのよ」
「初めて?」
 これには祐巳も本気で驚いた。初めてでこの出来って、凄いんじゃないだろうか? 祥子さまなんて、ついさっきダンスの輪に入ったばかりなのに。
「そう、初めて。でも、初歩は授業でやってるし、志摩子は」「日本舞踊をやってるから、振りを覚えるのは超得意!」
「令は」「剣道で鍛えた集中力で超覚えた!」
「祥子は」「正真正銘のスーパーお嬢さま。社交ダンスなんて踊れて超当然!」
「……あなた、エスパー? なんて、昨日と同じ事を繰り返すつもりはないわ。でも、これだけは聞かせて。どうして無駄に、『超』が付いているの?」
 細かい事を気にする性格なのか、紅薔薇さまが尋ねてくる。
「『超』が付いた方が、凄いように聞こえませんか?」
「ごめんなさい。祐巳ちゃんの感性に、私は付いていけないみたいなの」
 力なく首を振った紅薔薇さまに、祐巳は眉を吊り上げた。
「紅薔薇さまともあろうお方が、何もしないうちから諦めるなんて情けない。付いていけないのなら、付いていけるように努力すれば良いじゃないですか」
「それだったら、祐巳ちゃんが他人に合わせても良いんじゃない?」
 紅薔薇さまのもっともな意見に、祐巳は声を大にして笑った。
「あはははは、面白い冗談ですね。何で私が他人なんかに合わせなきゃならないんですか、馬鹿馬鹿しい」
「ええ、そうね、そうでしょうとも。祐巳ちゃんならきっと、そう言うと思っていたわ」
「なっ! 何ぃ――――っ!? まさか、先読みされたというの!? この私が!? そんな馬鹿な……」
 あまりの衝撃に、床に膝を突いた祐巳を見下ろしながら紅薔薇さまは言った。
「そんなにショックを受けるような事かしら?」
 祐巳は膝を突いたまま、キッと紅薔薇さまを睨み付けた。
「展開を先読みされる事が私みたいなお笑い芸人志望の人間にとってどんなに辛い事か、紅薔薇さまはちっとも分かっていない!」
 涙ながらの祐巳の訴えに、さしもの紅薔薇さまも怯んだ。もしかすると、祐巳の中で煌々と輝いている、熱き芸人魂を見たのかもしれない。
「そ、そうだったの。ごめんなさい。私、そういう事に疎くて……」
「まあ、知らなかったのなら仕方がありません。今度からは気を付けてくださいね」
「ええ、分かったわ。それにしても、祐巳ちゃんってお笑い芸人になりたかったのね」
「あ、それは嘘です」
 体育館のあちこちで、足を滑らせる音が響いた。



 一段落がついた所で、紅薔薇さまが立ち位置や向きなどを指示し始めた。先ほどまで祐巳と会話していたのに、見るべき所はちゃんと見ていたらしい。さすがである。
「祐巳ちゃん、ダンスは?」
 白薔薇さまが近付いてきて、二つに分けて結んでいる祐巳の癖っ毛を弄った。何でいきなり他人の髪を弄りだすのだろう。髪フェチ?
 それはともかく。
「ウッーウッーウマウマ(゜∀゜)なら超踊れます」 
 他にも踊れるものは幾つかあるが、一番得意なのがこれだ。
 しかし、インターネット上で有名なウマウマの事を白薔薇さまは知らなかったらしく、「は?」と首を傾げられてしまう。知らないのなら仕方がないし、いちいち説明するのも面倒なので、祐巳は首を振った。
「いえ、何でもないです。ダンスは習った事ありません」
「じゃ、教えてあげよう。手、出して」
「へ? わっ」
 白薔薇さまは無理やり祐巳の手を取ると、身体を密着させた。
「ダメです。こんな……皆が見てますよ。それに、私には祥子さまっていう心に決めた人がいるんです」
「ワルツだから三拍子ね。一、二、三、一、二、三」
「ほほう、完全に無視してくれやがるとは良い度胸だ」
「ほらほら、無駄口叩いている暇があるなら覚える事に集中して。足なら踏んでも良いから」
「分かりました。はっ! ふんっ! えいっ! えいっ! やっ!」
 祐巳の足が、白薔薇さまの足を鋭く狙う。けれど白薔薇さまは、タイミング良く足の位置を変える事によって、祐巳の攻撃をことごとく回避した。
「かけ声はいらない。下も見ちゃだめ。スリッパも脱いで。それから、どうしてわざと踏もうとするのよ?」
「お許しが出たので、一度くらいは踏んでおくべきだ、と思いまして」
 白薔薇さまのコメカミに青筋が立った。
「踏んだら怒るわよ」
「心の狭い方ですね」
 会話しながらも足は止まらない。いや、攻撃する足は止まっているのだけれど。
「そうそう、思ったよりもずっと上手いじゃない。本当に習った事ないの?」
「ですから、ウマウマで上達……」
「?」
「……もういいです」
 どうにか下を見ないで済むようになった頃、ようやく自分たちを取り囲む空気に気が付いた。振り付けの打ち合わせを済ませたダンス部の人たちが、祐巳と白薔薇さまのダンスを見つめていたのだ。
「おっと、マズイ。これじゃあ、祐巳ちゃんの二股説が広まっちゃうね」
「そんなのどうでもいいんで、白薔薇さまの身体の発育具合とか匂いとか堪能させてください」
「……」
 白薔薇さまは無言で祐巳から身体を離した。ああ、そんな。まだ全く堪能してないのに……。
「はーい、それでは皆さんに、今日から群舞に参加する新しいお友達を紹介します。福」「沢祐巳ですイエーイ!」
 真上に伸ばした手をブンブン振り回しながら、白薔薇さまの紹介を邪魔してやる。理由は、堪能させてくれなかったから。
「……空気を読めない所がありますが、基本的に良い子なので仲良くしてあげてくださーい」
「いきなり酷い事言った!」
「あら、何か違った?」
 挑発的な白薔薇さまの眼差しに、祐巳は頬を膨らませた。
「白薔薇さまは勘違いされています。私は、空気が読めないんじゃなくて、読まないんです。面倒だから!」
「えー、訂正します。性格は捻じ曲がっていますが、おそらく悪い子じゃないと思われるので、表面上だけでも良いから仲良くしてあげてくださーい」
「さっきより酷くなった!」
 衝撃を受ける祐巳を余所に、白薔薇さまの後を引き継いだ黄薔薇さまが、面々の顔を見ながら言った。
「誰か祐巳ちゃんと組んであげて」
「じゃ、私が」
 すぐに手を上げた人物を見ると、何と黄薔薇のつぼみ、支倉令さま。
「良いんですか? こんな……性格の捻じ曲がった、おそらく悪い子じゃない私と組んで」
「性格が曲がっていても、悪い子じゃないのなら問題ない。それとも、本当に何か問題でもあるの?」
 頭に問題があるかもしれない、と言ったら、この真面目が服着て歩いているような人はどうするだろうか、なんて思いながら応える。
「仕方がねーから組んでやってもいーです。足引っ張るなですよ」
「祐巳ちゃんて、時々変な喋り方するよね」
「おーほっほっほっ、淑女として当然の嗜みですわ。ところで――」
 祐巳は、視線を令さまの足元に向けた。
「足、踏んでも怒りません?」
「さすがに、わざと踏んだら怒るよ」
「ちぇーっ、ツマンナイの」
 苦笑いを零す令さまに、手を引かれる。
 再開される練習。
 一、二、三、一、二、三。
 わざとじゃないんだけれど、時に令さまの足を踏んで、時に踏まれる。踏んだ時は笑顔で謝って、踏まれた時は笑顔で踏み返してやった。令さまは、そんな祐巳を見て終始苦笑いを浮かべている。
 一、二、三、一、二、三。
 笑顔だろうが苦笑いだろうがお構いなしに音楽が続く中、祐巳の視線は祥子さまへと向けられていた。
「ほら、余所見しない」
「そいつは無理な相談だぜ。なぜなら私は、余所見なんてしていないからな」
 祐巳にとって、令さまを見る事の方が余所見だった。
「何で男口調なのかは聞かないけど、祥子の事そんなに気になる?」
「そりゃ私、祥子さまのファンですもん」
「だったら、どうして断ったの? 昨日、申し込まれた時点で姉妹(スール)になっても良かったんじゃない?」
 確かに、そうなのだけれど。
「最低限の演出は必要だと思ったんです。ほら、一度断ってからの方が、より強い絆で結ばれるような気がしません?」
「……」
 令さまの、呆れた、と言わんばかりの視線が非常に痛い。
「というのは冗談で、初対面でいきなり『妹(スール)にする』だなんて、何か裏があるとしか思えないじゃないですか。実際、裏があったわけですけど……。断っておいて良かったです。シンデレラ役が嫌だから、都合良くそこにいたから、なんて馬鹿げた理由で申し込まれたなんて笑い話にもなりません。確かに私は祥子さまのファンですが、それでも譲れない所はあるんです」
「なるほど。複雑な乙女心って所ね」
「なにしろ名前が複雑祐巳ですから」
「……」
「……」
「……」
「今のは忘れろ」
「う、うん。忘れる」
 祐巳の暗黒的な迫力に気圧されて、思わず頷いてしまった令さま。「太仲女子の田中さん以上の殺気だなんて……」と、大仲女子の田中さんってのがどういう人なのかは知らないが、必要以上に恐れ戦いている令さまのために祐巳は話題を変えた。
「ま、過ぎた事よりも現在の事です。さっきから気になっているんですけど、祥子さまっていったい誰と踊っているんですかね?」
「誰って、一人で踊っているようにしか見えないんだけど」
 確かに、祥子さまは一人でステップを刻み続けている。そこに相手などいない。けれど祐巳には、祥子さまが目に見えない誰かと踊っているように感じられたのだ。
(ううん、絶対に誰かを思い浮かべて踊ってる。女の勘ってやつね。となると問題は、それが誰なのか、って事なんだけど……紅薔薇さまかな?)
 そうかもしれないし、そうではないかもしれない。もしかすると、この場にいる他の誰かなのかもしれないし、全く祐巳の知らない人物なのかもしれない。
(誰にせよ、羨ましいな。祥子さまと踊れるんだもの)
 見えない誰かに嫉妬しながら、祐巳はそこに自分を重ねた。
 一、二、三、一、二、三。
(むぅ。相手が私だと、あんまり絵にならない)
 なんて考えて少しヘコんでいると、祥子さまの動きに変化があった。
(お、何だ何だ?)
 想像の中の祐巳に向かって、穏やかに微笑みながら釣り手を引き込み、間合いを詰める祥子さま。
(へ?)
 祐巳の足の外側へと軸足を素早く移動させた祥子さまが、軸足ではない方の足を大きく振り上げて、その足で祐巳の足を刈り上げる。
(ええっ?)
 想像上の祐巳は、背中から体育館の床に叩き付けられて悶絶した。
「投げられたっ!」
「な、何? 急にどうしたの?」
 突然叫んだ祐巳に、令さまが目を丸くする。祥子さまはというと、先ほどの事が幻だったかのように踊り続けている。
(ううん。私は確かに見た。あれは間違いなく、大外刈り……)
 さっきまでは羨ましかったのに、今はそうでもなくなった。
(……王子さま役は誰だったんだろう?)
 昨日口論していた、紅薔薇さまだろうか。それとも、男嫌いという事だし、未だ見ぬ花寺学院の生徒会長だろうか。
(まさか、私じゃないよね?)
 そう思いたいのだが、如何せん昨日今日と祥子さまをからかい過ぎた感があるので、違うとは言い切れない。というか、むしろ自分である可能性が高いような気がしてきた。
「祐巳ちゃん?」
「あははーっ、何でもないですよー」
 再度令さまに声をかけられた祐巳は、引き攣った笑顔で誤魔化したのだった。


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