【342】 白薔薇銀杏卓球  (水 2005-08-10 18:52:15)


「祐巳さん、今日も持ってるわよ。ほら、あれ」
 そう言って祐巳さんにも注意を向けさせる。
「あ、ほんとだ。ねえやっぱり部活に入ったんじゃない?」
「でも違うって言ってたわよ。最初に見かけてから十回ぐらいはきいたもん」
「由乃さん、三日で十回は多いよ……」
「そうかしら。でも気になるじゃない!」
 その、気になる彼女、『白薔薇さま』こと藤堂志摩子さんは最近ほんとによく持っている。『卓球のラケット』を。
 とても嬉しそうな顔で向こうを歩いている志摩子さんを捕まえることにする。やっぱり気になるし。
 これはなにかあると私のカンが、シックスセンスが、なによりおさげダウジングがびしびし反応するのだ。
「由乃さんどうしたの。ボーとして」
 あれ、志摩子さん居なくなってる。
「はっ、考えてる間に敵に逃げられたわ。祐巳さん、ちゃんと見張ってないとだめじゃない」
「えっ、あっ、ゴ、ゴメン……でも敵って……」
「急いで探すのよ、祐巳さんは向こう。ほら、索敵開始!」
「う、うん」
 祐巳さんがあわてて駆けて行く。プリーツを乱しながら。
「祐巳さんって本当に振り回しやすいわよね」
 まるで良く手になじんだ釘バットのよう。祐巳さんだからタヌバットかな。と、祐巳さんの愛称を決めたところで自分も探し始めた。


 5分ぐらいで見つけてきた祐巳さんと一緒に銀杏並木の外れに行くと、志摩子さんと乃梨子ちゃんの二人、『白薔薇姉妹』がいた。
「「ごきげんよう、志摩子さん乃梨子ちゃん」」
 祐巳さんと声をそろえる。
「ごきげんよう、お二人とも」
 乃梨子ちゃんをじっと見つめていた志摩子さんが、気づいて挨拶を返してくる。
「……」
 乃梨子ちゃんは無言だ。でも失礼とは思わない。
 なぜなら乃梨子ちゃんはずっと卓球のラケット持って激しく素振りを繰り返しているのだ。左右のフットワークも使って。
 体操服まで着て、息を切らせて汗だくで黙々と素振りをしている。
 剣道部所属の私には分かる、『ああ、この汗は青春の証なのだ』と。

 私が取るに足らない事を考えていると、祐巳さんが口を開いた。
「ねえねえ志摩子さん」
「なにかしら、祐巳さん」
「乃梨子ちゃんの格好、体操服は分かるとしてもなんでブルマなの? ゼッケンもひらがなで『のりこ』ってかいてあるし」
「乃梨子だからよ」
「そっかぁ」
 この二人は相変わらずだ。乃梨子ちゃん、今にも泣きそうな顔してる。あわれな……まあどうでも良いけども。
「志摩子さん、質問いい?」
「ええ。でもちょっとお待ちになってて」
「まあ良いけど」
 志摩子さんが、「乃梨子」と声をかける。
「乃梨子、ちょっとお二人と話しているから乃梨子は休まず続けていて。今までのにバックハンドと前後のフットワークも加えてやるのよ」
 声を掛けられ休めるかと思ったのだろうに乃梨子ちゃん。一瞬の笑顔が今は悲しい……まあどうでも良いけども。


「質問っていつもの?」
「そうだけど、今日はもうズバリと聞くわ。志摩子さん、卓球部にはいったの?」
「ふぇっ?由乃さん、十回聞いたって言ってたけどなんてきいてたの?」
 祐巳さんが口をはさんでくる。
「なにって「なんか部活に入ったの?」って聞いてたわよ。いきなりだと失礼じゃないの」
「そっかぁ」
 祐巳さんは相変わらずだ。それってなにか違うのかなぁ、とか呟いている。違う訳ないじゃないの。
「11回目も同じ答えになるけれど、入っていないわ。なぜそんなことを聞くのかしら」
「最近その卓球ラケット持っているじゃない。だからよ。卓球は趣味に留めておくの? それともラケットは単なるアクセサリー? あっでも待って、それじゃあの汗、青春の証の説明はつかないわよね」
 向こうでいまだに素振りをしている人影を見やる。
「ああこれ? これは卓球のではないの」
 志摩子さんが手に持っているラケットを見せてくる。どう見ても卓球ラケット。ペングリップの片面ラバーだ。
「この張ってある素材はNASAが開発した衝撃吸収素材なのよ」
 ニコニコと嬉しそうにして。
「ナさん、て誰かな? さん付けってことは親しいの? 志摩子さん」
「そうよ、祐巳さん」
「そうなんだぁ」
 祐巳さんは相変わらずだ。
「祐巳さんは置いといて、じゃあなんのラケットなのよ。教えてくれない」
「ええっ、なんでー」
「なんででもよ。ほら、志摩子さん。早くおしえてよ!」
 志摩子さんの襟元をつかんで乱暴に詰め寄ると。
「私はかまわないわ」
 定番の答えが返ってきた。
「そう、ありがと」
 そう言って手を離した瞬間には、志摩子さんの制服は一糸みだれぬ美しさを取り戻している。さすがは『白薔薇さま』ということか。
(あれだけ襟をグシャグシャにしてやったのに)
 なんかくやしい。


「こっちよ」
 そう言われて向かった先は一本のイチョウの木の下。志摩子さんはその木の下でラケットを手に静かに佇んでいる。
 祐巳さんは大きな袋を持たされ少し離れた場所へ。その袋はお米を入れるときに使う物なのだそうだ。一俵分入るらしい。
 私はというとその二人を脇から観察することになった。もう目的は分かるような気もするが、手段がいまいち予想できない。
「準備できたなら早速教えてくれない」
 そう声をかける。
「じゃあ祐巳さん、袋の口を開けてこちらへ向けていて」
「う、うん。これでいいかな」
 祐巳さん、かなり不安そうだ。代わって欲しそうな顔で私をチラチラと見ている。なんかかわいいい。
 まあ可愛かろうが絶対に代わってやらないけど。今回は特に。
「祐巳さん、それでいいわ。それでは始めましょう」
 ごくり、と、のどを鳴らす。同時に志摩子さんが素早く動く!
「白薔薇キック!!」

 轟音が辺りに鳴り響く。謎の掛け声とともに志摩子さんがイチョウの木に蹴りを入れたのだ。
 さすがの私もあっけに取られる。なんだこれ。
 とたんにイチョウに生り茂っていた銀杏が降り注ぐ。
「「うおおっ?」」
 その時の私と祐巳さんの驚きようといったら、リリアンの生徒にあるまじきレベルだった。でもそれも仕方ないってものよね。
「うふふふふふふ――」
 そこでは、志摩子さんが心底楽しそうに笑いながらラケットを振るっていたんだから。
 プリーツをみだし、セーラーカラーをはためかせ、フットワークを巧みに使い、すべてをフォアハンドで、祐巳さんの構える袋へ、一つも外さずラケットで打ち返している。
 落ちる銀杏を一つ残らず。
 瞬く間にたまった銀杏袋に祐巳さんが押しつぶされた。なんかかわいい。むぎょっ、とか言ってるよ。
 代わってやらなくて本当に良かったわね。
「た、たすけてよぅ……」
 祐巳さんは相変わらずだ。


 銀杏の収穫が終わった瞬間には、またもや志摩子さんの制服は一糸みだれぬ美しさを取り戻していた。やはり『白薔薇さま』はあなどれない。
「このラケットなら銀杏をつぶさずにすむの。つぶれては匂ってしまうでしょう」
 なんかいろいろ志摩子さんが言っている。私は呆けている。祐巳さんはまだつぶされている。
「た、たいへん良くわかりました……『白薔薇さま』……」
 私が剣道の段位持ちになっても、いや、志摩子さんには未来永劫勝てる気がしない。最後のほうは5人ぐらいに見えたし。残像で。
「そう言ってくれると嬉しいわ」
 そう言いつつ「由乃さんにも」と、志摩子さんが勧めてくるラケットをやんわりと、しかし断固として断りながら想う。
 遠くでいまだ汗する人影を見ながら。

 なんて悲しい青春の証なのだろう、と。


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