【3422】 あなたを追って彼女は涙をこらえて  (朝生行幸 2010-12-30 01:34:23)


「祐巳さん」
「わひゃぁ!?」

 紅薔薇のつぼみ福沢祐巳に、イキナリ背中から抱きついたのは、私、武嶋蔦子。
 相変わらず祐巳さんは、マヌ……妙な悲鳴をあげて、驚きを隠そうともしない。
 そりゃ、驚くのも無理は無いとは思う。
 と言うのも、突然背後から抱きつく人物なんて、とっくの昔にここから去っているのだから。
 ひょっとしたら、彼の人が去って以来初めてなんじゃないだろうか。
「な、ななな何? 蔦子さん」
 こちらの姿は見えていないハズだが、相手は正確にこちらの素性を言い当てた。
 まぁ声で分かるか、普通。
「いや、言っておきたいことがあって」
「ななな何?」
「おめでとう」
「はい? 何のこと?」
「薔薇様が信任されたこと」
「あぁ」
 ずっと前に決まっていたけれど、よくよく考えてみれば、一対一で祝福の言葉を贈った記憶がない。
 なので、今言ったわけだ。
 私に抱きつかれたまま、特に嫌がるわけでなく、特に振りほどこうともせず、祐巳さんはこちらの話に耳を傾ける。
「それと、もう一つ」
「何?」
「おめでとう」
「はい? 何のこと?」
「祐巳さんに妹が出来たこと」
「あぁ」
 紆余曲折の末、ようやく紅薔薇のつぼみにプチスールが出来た。
 随分と待たされたけれど、随分とヤキモキさせられたけれど。
 でもそれは、祐巳さんにとっても、その妹にとっても、そして私自身にとっても、とても素敵なことで。
「ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
 肩から回した私の両手に、自身の手を重ねて礼を言う祐巳さん。

「……私ね」

 ほんの少しの沈黙の後、私は、彼女に本当に伝えたかったことを口にした。
 いやもちろん、祝福の言葉も本当に伝えたかった言葉だけど、それ以上に伝えたかったこと。
 それは。
「……私、入学して間もない頃から、ずっと祐巳さんを追いかけてた」
「………?」
「そして、あなたの姿をカメラに収めつつも、ずっと思っていた。なぜ私は、祐巳さんと同級生なんだろうって」
「…………?」
 彼女の表情は全く見えないが、困惑している様が手に取るように分かる。
「もし私が祐巳さんより一つ年上だったなら、きっと祥子さまを敵に回してでも、あなたを妹にしたでしょうね」
「………!?」
「もし私が祐巳さんより一つ年下だったなら、きっとどんな手段を用いてでも、あなたの妹になったでしょうね」
「…………!?」
「でも、そんな想いも空しく、あなたと私は同級生。どうやったって、姉妹にはなれない」
 もちろん留年するという手もあるが、そんな手段でなる姉妹に、意味があるとは思えない。
「これは、私に対する後片付け、最後のけじめなの」
 いま腕の中にある、最初の、そして最後の、私の想いを込めた抱擁。
 姉も妹もいる彼女に、もはや叶うはずのない願望、見られるはずもない幻想を抱き続けるわけには行かないから。
「だから………」
 少しだけ力を入れて、祐巳さんの身体をギュッと抱きしめた。
「さようなら」
「!?」
 先程までの困惑が一瞬にして驚愕に変化し、彼女がビクッと身動ぎした。
 そのまま、小刻みに震えだす。
 私が言った『さようなら』。
 それをどう捉えたのか、彼女の反応が雄弁に語っている。
「そして………」
 次にどんな言葉が発せられるのか、相手の不安そうな気持ちがこちらにも伝わってくる。

「これからもよろしくね。祐巳」

 身体の震えが収まり、露骨に安堵のため息を漏らす彼女。
「………もう、ビックリさせないでよ。一瞬、どこか遠くに行っちゃうのかと思ったよ」
「そんなワケないでしょ? 私は、卒業する最後の日まで、祐巳を追いかけ続けてやるんだから」
「………うん、私は拒絶しないよ。だから、これからもよろしく、蔦子」
 『さようなら』は、別れの言葉。
 『祐巳さん』と呼んできた相手との別れ。
 『よろしく』は、新しい始まりの言葉。
 『祐巳』とこれから呼び続けることになる、相手との始まり。
 彼女は理解しているはず。
 何故なら、私を『蔦子』と呼んだから。
 私が彼女を祐巳と呼んだように、相手も私を蔦子と呼んだ。
 それは、これから始まる新しい関係。
 恐らくは、何年も、何十年も続くであろう関係の始まり。
 私は、そっと祐巳さんから離れると、そのまま相手に顔を見せないように立ち去った。
 だって、見られたくなかったから。
 写真部のエース武嶋蔦子さまは、涙で潤んだ瞳を見られるなんて、まったくもってガラじゃないのだから。


 部室棟階段の姿見で、普段の表情に戻っていることを確認し、写真部室の扉をくぐる。
 そこには、後輩の内藤笙子ちゃんがただ一人。
「ごきげんよう、笙子ちゃんだけ?」
「ごきげんよう蔦子さま。他の皆は、出払っているようです」
「そう。ところで笙子」
「はい?」
 私が、急に彼女を呼び捨てたことに、気付いているのかいないのか。
「随分と遅くなっちゃったけど……」
 今は部室で二人きり、邪魔する者はいない。
 私は、ポケットのある物を握り締めて、彼女に告げた。

「私の………」


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