かなり長いです。注意してください。
☆
島津由乃の大実験 〜もしも〜
Case1.「そこでムーンウォーク」
Case2.「私は神だ」
Case3.「大変な物を買ってしまった」
Case4.「さりげなく告白する」
Case5.「正体をあばく」
Case6.「鍋をやる。やってやる」
Case1.「そこでムーンウォーク」
Q.もしも薔薇の館でムーンウォークをやったら?
登校してきた私を見るなり、おさげのかわいい女の子が駆け寄ってきた。
「練習した!」
「……はい?」
二年生に進級したばかりの春、同じクラスになった島津由乃さんは、まあ、もう、とにかく元気だった。
あの頃の、優しくておしとやかで妹にしたいナンバー1と言われていた由乃さんは、どこへ行ってしまったのだろう。ふとそんな悲しい過去を思い出して、時々たそがれている支倉令さまの哀愁ある背中がなかなか忘れられずにいる昨今――いや、待て待て。朝から欝になっていてどうする。テンションを上げろ、福沢祐巳! これから一年間はきっと毎日こんなもんなんだ! 最初から負けるな! 慣れろ!!
「祐巳さん聞いて! 見て! そして触って!」
「さ、触るの?」
「おっと! まだ胸揉むのは早いからね! 胸は触るな!」
由乃さんは本当は激しい子である。
「じゃあ……手とか?」
「そうね。その辺から始めよう」
何が始まるのかさっぱりだが、私は由乃さんが差し出す右手をなんとなく握ってみた。ちょっとひんやりしてた。
「実は私、あのムーンウォークを習得したのよ!」
「え? ムーンウォーク? マイケル・ジャク○ンの?」
「そう、それ! 練習したら案外すんなりできてさ!」
まあ見てよ見てよ、と由乃さんは得意げに、素人目にも華麗なムーンウォークを披露した。
地上にある万物を縛り付ける重力を感じさせない足運びは、さながら無重力の月面を歩いているかのようだ。
「「おおー」」
私は、何気なく見ていたクラスメイト達と一緒に驚いた。これって普通に結構すごいと思う。由乃さん、案外多芸だ。これは私のあの芸の後継者が早くも見つかったか? 今後それとなく弟子入りと継承を勧めてみよう。
素直に感心している私を見て、由乃さんはターンして行った道を後ろ歩きで戻ってきてどこかで見たことがあるポーズをビシッと決めて「セーラー服に月……つまりそういうことよ」と若干意味のわからないことを言ったものの、次に繋がる言葉で更に驚かされた。
「でさ、せっかくだからコレで遊ぼうよ」
「遊ぶの? どうやって?」
「薔薇の館で、祐巳さんの合言葉で私がムーンウォーク」
「そ、それは……」
考えるだけでハラハラする。
というのも、由乃さんの提案は、私のお姉さまである祥子さまにそれを見せ付けるということだ。
これはあくまでも冗談である。ジョークである。でも真面目でお堅いお姉さまに果たして通じるだろうか――
「妹相手にあえて言う必要ないと思うけど一応言う。いくら祥子さまでも、冗談くらい理解できるからね」
「えっ」
「祐巳さんの顔に色々書いてあったからあえて言ったけど。もう少し自分のお姉さまのこと理解しようよ。そろそろ新米姉妹とは呼べなくなってきてるんだから」
「し、失礼な。ちゃんと理解してます。その上で心配を……ああ、でも、今回だけは由乃さんの言うことを尊重してあげてもいいけどね」
「……そりゃどうも」
由乃さんの目が若干痛いものの、私は我ながら気丈に無視し、由乃さんがやりたいという遊びを詰めつつ放課後を待った。
待ち遠しいんだかそうじゃないんだかよくわからない心境で、授業が進むたび、時計の短針が一周するたび、歯医者の順番を待っているかのように胸騒ぎというか、落ち着かない気持ちになっていった。いわゆるプレッシャーというやつだろうか。
それにしてもムーンウォークか……いったいどんな理由があってそんなの練習して習得するに至ったんだろうか。暇だったのかな? まあたぶん深い理由はないんだろうけど。でも、普通にすごいとは思う。習得できたことも。完成度も。
そして、待ちに待った……とは言いがたいものの、とにかく放課後になったので、私と由乃さんは薔薇の館へ向かう。
先に来ていた志摩子さんと一緒に、三人で簡単な掃除とお茶の準備をして、お姉さま方が来るのを待つ。
程なく全員が揃い、今日も地味に書類仕事が始まった。
麗しき三年生達が卒業してどうもスカスカな印象があるものの、そんなことは全員が思っていることだろう。特に志摩子さんは、お姉さまがいなくなったわけだから。
最近はどうも感傷に浸ってしまうものの、今日の私は朝から違う意味でそわそわしていた。
ムーンウォークのせいだ。
いや、由乃さんのせいだ。
打ち合わせした合図をすることで、由乃さんはムーンウォークを披露する。惜しげもなく。つまりスイッチは私が握っているということだ。ちなみにこれは、みんなの目が由乃さんに向くタイミングを狙って出すように、という配慮である。由乃さんがそういう機会を狙ったら、ずっと一緒にいる令さまにはすぐバレるらしいから。
このまま握りっぱなしでスイッチオフのまま終了、という選択肢も捨てがたい魅力があるけれど、それをやったら由乃さんに張り倒されそうなので、やるしかない。
しかしムーンウォークは立ち技だ。……表現的に変な気はするものの、とにかくこうして椅子に座っている状態でサインを出してやってもらっても不自然なだけ。
由乃さんには自然な形でムーンウォークをキメてもらいたい。
その後、さも得意げに、かつ自慢げに「え? 今の? 別に普通のムーンウォークじゃない。誰だってやってるよ? 日常的にやってるよ?」と言えるように。「確かに私今ムーンウォークやったけど別に全然意識してないし。ごく自然に出ちゃっただけだし。見てた? 今の見てたの? うわー見られたー恥ずかしー。ムーンウォークしてるとこ見られちゃった恥ずかしー」などと心底鬱陶しい感じのことを言ってもらいたい。得意げなり自慢げにやるのであれば、鬱陶しい返答までがワンセットなのだと私は思う。でも異論は認める。
まあとにかくそういうこだわりを持っている私は、そわそわしながらその時を待った。
大丈夫、チャンスはある。必ずやってくる。
「――そろそろ休憩にしましょうか」
来た!
お姉さまがペンを置くと、「じゃあ紅茶でも」と由乃さんが極々自然に立ち上がる。由乃さんも、ここが勝負所と読んでいたらしい。
「あ、私が」
「シャーーーーー!!」
由乃さんの蛇のような激しい威嚇攻撃を食らって、善意の人である志摩子さんはビクッとした。というか私もお姉さまも令さまもビクッとした。激しいよ由乃さん。すでにあやしいよ。何かやる気であることが漏れ出してるよ。台無しだよ。
流しに向かう由乃さんは、
「カッ!!」
通りすがりに更に威嚇した。志摩子さんを。今の二度目はただの悪ノリだろう。
志摩子さんは驚き固まり、由乃さんの背中を視線で追うことしかできなかった。相当びっくりしたに違いない。
しょうがない、ここは私がフォローしておこう。
「由乃さん、お昼に悪いモノでも食べたみたいで、ちょっと変なのよ」
「そ、そうなの……心配ね」
ふう、これでよし。完璧なフォローだ。これで由乃さんと志摩子さんの仲がこじれることはないだろう。
「ちょっと待った」
令さまは怖いくらいの真顔で、私を見ていた。
「それって私の作ったお弁当に変なモノが混入していたって意味?」
なんと。あらぬ方向に波風が立ってしまった。あと薄々そうなんじゃないかと思っていたが、由乃さんのお弁当は令さまが作っているようだ。かいがいしい姉だ。
チラッと流しを見れば、ちょうど由乃さんが紅茶を準備し終えて振り返ったところだった。話している時間はなさそうだ。しょうがないので「私の口からは、これ以上はちょっと」と言葉を濁して逃げることにした。
――この日の夜、令さまに問い詰められた由乃さんは、色々面倒になったので「祐巳さんがいつも通りドジやってお弁当落としちゃって泣き出したからしょうがなく令ちゃんのお弁当と交換してあげてもったいないから祐巳さんのお弁当の無事だった部分だけ食べたの私って優しいでしょ令ちゃんの自慢の妹でしょウフフアハハ」とさも面白おかしそうに笑いながら説明したらしい。そして私が捻じ曲げられた真実を知るのはかなり先の話である。
由乃さんは、それぞれに用意されているカップに香り立つ琥珀色を満たしていく。その最中に私と目が合い――お互いが「今」だと判断した。
「ごほっごほっ」
それのサインは、不自然に思われない咳払い二回。それだけでダンスマシーンと化した由乃さんが華麗な歩みを見せる。
「…?」
「お?」
「え?」
うわ、ほんとにやった! 由乃さんほんとにやった!
今朝見た時とは比べ物にならないような高速ムーンウォークで露骨にオカマっぽい内股と手振りで練り歩き、持っていたティーポットをまるで口に銜えた薔薇を恋人に差し出すかのようにドラマチックに流しに置き、わざわざ遠回りやらUターンやら見せ付けるようにやらかして、しかも三回転ほどの高速ターンでギュルギュル回ってスターン! 着席した!!
か、かっこいい! なんというキレのある動き! なんか無駄にかっこいい!
一同の視線を独り占めしている由乃さんは、肩に掛かっていたおさげを無造作に後ろに払った。その顔は先代黄薔薇さまである鳥居江利子さまを彷彿とさせる退屈の二文字が浮かび、さも「あー退屈。退屈だからムーンウォークとかしちゃった。でもやっぱり退屈だわ。今あなた達見てたの? ごめんなさいね退屈なムーンウォークを見せちゃって。あーほんと退屈。退屈だわー。誰か肩揉んで」と語っていた。
そして由乃さんは言い放つ。
「――何か?」
うっ、むかつく! かっこいいけどむかつく! でも全面的にかっこよかった! やはりその後のうっとーしいところまでがワンセットだ! それがあってこそツッコミどころが明確になり、触れる理由にもなるのだ! でも異論は認める!
が、しかし。
「……今のは何?」
冷たい言葉が投げかけられた――私のお姉さまから。
見れば、ものすごく冷めた目で、しかし怒りを込めて由乃さんを見詰めている。
やっぱり通じなかったんだ。
お姉さまには冗談が通じなかったんだ――
「随分と雑なムーンウォークね。あれではまだまだ人前で見せるレベルに到っていないわ」
と思ったけど…………ええと、まあ、その、恐れていた通り、冗談が通じていないのは確からしい。違う意味で怒っていらっしゃるようで。
「雑ですって?」
由乃さん、今の一言には引っかかった。
「いくら祥子さまでも、それはどうかと思いますが」
「どうかと?」
「そういうセリフは完璧にできる人が言うものです」
「――私ができないって、誰が言ったの?」
「え」
え。
「お、お姉さま……?」
なんだこの話の流れ。
戸惑う妹を置いて、姉はどんどん先へ行ってしまう。
「そのくらいできるに決まっているじゃない。志摩子だってできるでしょう?」
「え……ええ、やったことはありませんが、今のステップならたぶん再現できるかと……」
えっ。
「志摩子は日舞の名取よ。踊りはともかく、足運びに関して志摩子ができないはずがないじゃない」
あ、そういう事実もありましたね。
「そして私もクラシックバレエから日舞、社交ダンス、ヒップホップにタップにカポエラに太極拳にブレイクダンスをも習得している……マ○ケルのダンスなら六歳で全てコピーしたわ」
懐かしいわね、と目を細めるお姉さま。
……無駄にすごい人、ここにもいた。というかお姉さま、ブレイクダンスまで……
「なんなら見せてあげましょうか? 第二の○イケルとまで言われた本物のムーンウォークを」
「ぐ、ぐぬぬ……!」
由乃さんは悔しげに歯軋りしていた。
「じゃあやって見せてくださいよ! 当然私より完成度の高いやつをやってくれるんですよね!? あー楽しみ!」
Q.もしも薔薇の館でムーンウォークをやったら?
A.祥子が「ポゥ!!」だの「アァーォ!!」だのと嬉しそうにシャウトした。
すごかった。
これがプロか、と納得してしまうほど圧倒された。プロじゃないけど。でも息を吐くのも忘れるほど、もう私なんかからすればすごいとしか言いようがないようなものすごい完成度だった。
だがしかし。
私は、ますますお姉さまがわからなくなってしまった。
というか、あんまり知らなくてよかった事実が発覚してしまったような気がする。
Case2.「私は神だ」
Q.もしも由乃が神様になったら?
「私は神だ」
登校してきた私に、由乃さんはいきなり言い放った。
「……」
どういう反応を期待してるんだろう、由乃さんは。
でもきっと、今私が心に灯している「気の毒な人を見るような同情的な気持ち」というものは、きっと望んでいないに違いない。しかしこんな気持ちになるのは至極真っ当だと思う。
昨日から今日までの間に何があったのか、親友が神になってしまった。
私の立場からすれば、とりあえず心配するべきだろう。そして気の毒に思うしかないだろう。
「私は神だ」
気遣いの視線など気付くこともなく、由乃さんはもう一度、気の毒なセリフを繰り返した。
「だから祐巳さんの願い事を一つだけ聞いてあげよう。言ってみなされ」
それどんなキャラだ。……と私は思ったものの、この遊びは由乃さんの気が済むようにやらないと面倒そうだな、ということは理解できた。
というより、遊びなんだな、と判断できたところでほっとした。いろんな意味でほっとした。気の毒に思う必要もなかったようだ。
「願い事を一つ言えばいいの?」
「あーダメダメ。胸揉むのはまだ早いって」
いえ望んでませんが。
「でもまあ、腕組んで歩くくらいならいいけど。あとで一緒にトイレ行こう」
「あ、うん」
別に拒む理由もない。
「願い事ねぇ……別にないよ」
「そんなことないでしょ」
いや、断言されても困るけれど。
「多感な十代の女子高生として、現状に不満がないはずないじゃない。たとえ色々満たされていたとしても、一つくらいあるでしょう。ゼリー食べたいとかプリン食べたいとか」
ゼリーやプリンは自力でどうにかできるのでどうでもいい。お高いやつじゃなければお小遣いで買えるし。
「そう言われても……あ、そういえば」
思いついた私は手を打ったが、由乃さんは「あーわかってるわかってる」と言葉を遮った。
「あの憎き松平瞳子を、こうなんか……ヤッちゃいたいんでしょ?」
「いやそこまで黒いことは願ってないから!」
神の目は怖いくらいに本気だったので、私はブンブン首を横に振った。ヤッちゃうって何をどうする気だ。恐ろしい。
「それに私、恨むほど瞳子ちゃんのこと嫌いじゃないから」
「まあ祥子さまと元の鞘に納まった今ならそうかもね。でも少し前ならフフフ……」
「……由乃さん、今、すごい悪い顔してるよ?」
「失敬な」
神はやけに神々しい笑みを浮かべた。
「神はえこひいきする。だからえこひいきしてる人を優先的に助けようともするのだ」
「は、はあ」
「この世は平等じゃない。平等なことなど一つもない。そう考えるとこの世界がいかに残酷で、いかに欠点が多いのか……そんなことは数え切れない。でも、だからこそ、この世界は成り立っているのかもしれない。欠点だらけの人間がはびこる世界だから、欠点だらけの世の中だから、それを改善しようと、完璧に辿り着こうと、人間は果て無き道を歩み続けるのだろう。これまでも、これからも」
「……そう」
私はこの時点で「あ、これ結構面倒だわ」と悟った。真面目にやるのもバカバカしいが、これに付き合うのもバカバカしいことをようやく悟った。
「私の願い事はね、由乃さん」
「うむ。言うがよい」
「神様じゃない友達の由乃さんに傍にいてほしいかな」
うっとうしいから、と心の中で付け加える。さすがに言えないけれど。
「……何それつまんないの。はいはいわかったわよ。ほんと祐巳さんは私のこと好きね」
「へ?」
「というかちょっと好きすぎるんじゃない? そんなに好きすぎたらこれから大変なことになるんじゃない?」
「ちょっと言葉の意味がわかんないんだけど、好きすぎて時々本気で張り倒してやりたい時はあるよ」
「愛ゆえに?」
「今すごく張り倒したい気持ちになってるんだけど、いい?」
「押し倒すの? ちょっとー。ここではやめてよー。みんな見てるじゃないー」
みんな見てないところならいいのかよ。というかなんで照れてる。深追いして懇々と説明したい気もするが、全く話が噛み合ってないので諦めることにした。別に由乃さんのこと嫌いじゃないし、むしろ好きだし、それはそれでいいや、と。
「でもほんと夢がないね、祐巳さんは。令ちゃんも志摩子さんもノッてくれたのに。あの祥子さまも付き合ってくれたのに」
「えっ」
驚愕の事実が語られた。
「この遊び私が最後だったの!? というかお姉さまにも訊いたの!?」
「うん。令ちゃんには昨日の晩、思いついてすぐ。祥子さまと志摩子さんは今朝偶然会っちゃって」
何それ!? 何を平然と頷いてるんだ!
「こういうのは私が一番最初って相場が決まってるでしょ! 何やってるの由乃さん!」
「え……ご、ごめん。……え、なんで怒ってるの?」
「私は普通! 普通は基準! 基準に照らし合わせるからお姉さまや志摩子さんの珍妙な返答が際立って引き立つのよ! そこが面白いのよ! 何やってるのよ! そういうところでしょ!? 由乃さんがちゃんとしないといけないところ、そういうところでしょ!? ちょっとそこ正座しなさいよ! わかってると思ってたのに全然わかってない! 由乃さん全然ダメ! ノリと勢いだけでイケるのは幼稚園児まで! 無理やりねじ込んでも最悪中等部までよ!? もう高校生ともなればある程度のテクを駆使しないとダメ! 子供騙しじゃ見てる方がつらい! そんな押し付けがましいネタなんて見たくないのよ! 見たくないのよ! それに巻き込まれるなんてたまったものじゃないわ! ねえ由乃さん聞いてる!? 神様聞いてる!? 返事しなさいよ!」
Q.もしも由乃が神様になったら?
A.祐巳マジ切れ、ガチで説教。
後に由乃さんは、令さまにこう漏らしたという。
「怒った祐巳さんかなり怖い」と。
それと「祐巳さんは山百合会をお笑い集団に育て上げようとしているかもしれない。恐ろしい子だ」とも。
そして、それに対して私はノーコメントを通したのだった。
Case3.「大変な物を買ってしまった」
Q.もしも買った物に疑問を持ったら?
「こんな経験、祐巳さんもあると思う」
「……あの、どんな経験のこと?」
なんか時々あるなぁ、教室に来たとたん由乃さんがいきなり寄ってきて何か言ってくること。
まあ、話くらいいくらでも聞くけどさ。
「実は昨日、一人で買い物に出たのよ」
「へえ珍しい」
由乃さんと言えば。
お隣には従姉妹でお姉さまの令さまが住んでいるわけで。出かける時は家族ぐるみも含めて九割はセットで動いているほどの仲良しなわけで。
そんな由乃さんが一人で買い物なんて、本当に珍しい。
「いやね、聞いてよ」
去年、手術も終わって経過も順調、進級に当たってのごたごたも落ち着いてきて、令さまとの仲直りも果たして剣道を始めて、由乃さんはそろそろ補助なしで色々と経験しておきたいと思い始めたらしい。
そう考えた時、ふと「そういえば一人で買い物に出たことってなかったな」と思い立った。だからすぐに実行したそうだ。ちなみにバレンタインデートの時は買い物目的じゃなかったので除く、らしい。
そして人生初の一人ウインドウショッピングに出発した。
これまでいつも傍にいた令さまや家族の保護という安全な場所から、外へ一歩を踏み出す決心を固めた……というと重く感じるが、由乃さんが自然とそう思い行動したのであれば、それはもう自立への第一歩と言っていいのかもしれない。
私達が普通にしていることでも、由乃さんからすれば未経験のことなのである。由乃さんの中でそれがどれだけ大きなことなのかはわからないが、きっと大事なことだったに違いない。
「で、令さまを置いて一人で行ったと。令さま泣かなかった?」
「泣いた泣いた。もう号泣して『私を置いて行かないで由乃ぉ〜』って家の前の道路のど真ん中で泣き崩れてた。なっさけない姉よ本当に」
「ははは」
もちろん冗談である。
でも笑う私に対し、由乃さんは真顔である。
……え?
冗談だよね、由乃さん?
――なぜだか私は、真偽を確かめることができなかった。
「とにかく安心したわよ。普通に行って戻ってこれたからね。これで迷惑かけずに祐巳さんとデートする自信がついたわ」
「あ、そうなの?」
そんなこと想像もしていなかったが、由乃さんと遊びに行くという点では異論などない。毎日学校で会っているせいか、不思議と外で会いたいという気にはならなかったが。
思えば知り合って半年以上経っているんだし、たまには一緒に遊んだりしてみたい。
「でも胸揉むのはまだ早いと思う」
「……時々それ言うけど、私そんな気ないよ?」
「またまたー。まあそれはいいのよ。それより聞いてよ」
由乃さんは本題に入った。
「急に思い立ったから目的なんてなくて、とりあえず服とか雑貨とか見に行ったんだけど。……ほら、いつも令ちゃんが一緒だったからさ。あれはダメだのコレは由乃に似合わないだの、横から一々うるさいのよ。そもそも趣味嗜好が違うんだからわずらわしいったら」
それは想像がつく。
先手必勝が座右の銘である由乃さんと、家庭的で中身は乙女な令さま。
性格が大きく違うからこそ噛み合っている部分も大きいとは思うが、趣味嗜好に関しては話し合うとか妥協するとかとは別の話だ。
「でも昨日は違う。横から口出しされるわずらわしさから開放されて、それはもういろんなところを見て回ったわ」
そりゃあ、首輪をつけられ鎖で繋がれ窮屈な想いをしながら退屈していた猫は、自由を得れば好奇心の赴くまま走り出すわけで。これまでは保護者の許しが出なかった場所だって行ってしまったりしたのだ――といっても由乃さんも生粋のリリアンっ子。行っていい場所、悪い場所の分別くらいはつくので、危険な場所には一切近寄らなかったとか。
「それで?」
話を促すと、ふと由乃さんは遠い目をしてどこかを見上げた。
「……祐巳さんさ、一度も着たことがない服って持ってない?」
「え?」
「これかわいいー。これいいなー。そんな一時の衝動で買ってしまったけれど、家に帰って冷静になって見てみると、『これ、なんで買ったんだろう?』と疑問に思ってそれっきり……」
「…………」
「タンスの奥で眠ってない? そんな服」
「……ある」
今由乃さんが言った「そんな服」が、タンスの中やクローゼットで眠り続けている。
「ある!? やっぱりあるよね!?」
「あるよ。それどころか誰もが一度は通る道だと思うよ」
由乃さんはサッと右手を差し出した。私はガッとその手を握り締めた。
私達は心の中で熱く叫んでいた。
「同士よ!」と。
「まあ率直に言えば、そういう類のを買っちゃったわけ」
由乃さんは「浮かれてやらかしたわ。私の人生初のウインドウショッピングは大惨敗よ」と大いに嘆いた。
ウインドウショッピングで大惨敗。
それは誰もが通るだろう道である。
そのしょっぱい思い出、後悔の味、私だって当然知っている。
「大丈夫だよ、由乃さん」
私は力強くうなずいて見せた。
「そういう時は、似合いそうな友達にでも上げちゃえばいいのよ」
「おおっ! 捨てるに捨てられないブツを誰かに押し付けようってことね!?」
「言葉が悪いけどまあその通り!」
私も小さい頃はよく弟に押し付けたっけ! 服どころか、失敗やミスや後始末という名の貧乏くじを!
その他、フリーマーケットで売りに出したり古着屋に出してもいいと思う。タンスの肥やしにしているくらいなら、誰かに着てもらった方が服だって喜ぶはずだ。
「……でもそれはダメだわ祐巳さん」
「え? だめ?」
「誰にも似合いそうにない……いや、そんなこともないんだけど、好み的に誰ももらってくれないと思う。だって私が躊躇するくらいだからハードル高いんじゃないかな」
「ハードル高いって……何買ったの? 服でしょ? 由乃さんが躊躇するって、もしかして胸を強調した感じの服なの? こう、谷間が命みたいな」
「そんなの気が動転してても錯乱してても寝ぼけてても人生最大のハイテンション時でも買わないわよ! 私の胸をなんだと思ってるのよ! 祐巳さん私の胸をなんだと思ってるのよ!」
なんだと言われても困るが。正直に答えるのにも。普通の返答にも。
「とにかく見て! 持ってきたから!」
「あ、持ってきたんだ?」
「正直、話のネタにするくらいしか活用方法が見つからなかったのよ」
果たして、由乃さんがそこまで言ってしまう服とはいかなるモノなのか――
「あ、ないわ」
体操服用の指定バッグからバサッと出てきたそれを見て、私は即答した。「ないわ」と。
「やっぱり?」
「うん。難しい。かなり」
ツヤツヤした光沢ある見た目と、サラサラの手触りは決して悪くない。……いや、悪くないどころかこの手触りはなかなか……なかなかいいなこれ。
問題は、この凝った刺繍だろう。
ズバリ言えば、和である。
青い布地を泳ぐ鯉である。
鯉と桜である。
「これ、スカジャンだよね?」
「そういうのなの?」
「うん。横須賀ジャンパーの略。確か――」
起源は戦後、横須賀周辺に駐留したアメリカ兵がジャンパーに和風の刺繍を入れてもらったとかなんとか。あと落下傘……パラシュートの生地を持ち込んで作ってもらった、っていう説もあるみたい。
「詳しいね祐巳さん」
「結構前にテレビでやってたんだ。それにしてもこれは」
サラサラの手触りである。
「確か、サテンとか別珍で作るんだとか」
「サテンというと、織り方が特殊な生地だっけ? 別珍はビロードだよね?」
「そうじゃなかったかな? 私も詳しくないから……でも手触りはいいね」
「いいよね」
サラサラである。なんかずっと触っていたいサラサラ感だ。
「ちょっと着てみない?」
「え? いいよ私はー」
と一応遠慮してみたりするも、私は興味津々である。こういうのは、いわゆる不良っぽい人が着ているような印象があるので、普通のリリアン生には縁遠い一着である。
しかしだからこそ興味がある。
こういうモノが手の届く場所にあること自体が珍しいのだ。ほんのちょっと袖を通してみたいと思っても罰は当たらないだろう。
その証拠に、周囲にはいつの間にかクラスメイト達が集まってきているのだから。
「あ、そう? じゃあ美佐さん着てみる?」
「いいの?」
遠慮してしまった手前、今頃になって「やっぱり着てみたい」などと言えるわけもなく、スカジャンは興味深そうに見ていたクラスメイトの手に渡ってしまった。
「あれ? 似合ってない?」「あ、似合う」「手触りがいいわね」「ほんとだ」「伊達にツヤツヤしてないわね」「でもかなり薄くない?」「確か中に綿が詰めてあるのもあるらしいわよ。これはないやつね」「へー」「あっ、ちょっと胸揉まないでよージャンパーの上から胸揉まないでよー生地薄いんだからー」などと盛り上がる向こう側を、私は羨ましく見詰めることしかできなかった。
「何やってるの? 何の騒ぎ?」
「事件?」
今登校してきた蔦子さんと真美さんが騒ぎに合流し、記念撮影会まで始まってしまった。
記念撮影……もうダメだ。あとで「ついでついで」などと言いながら着てみて写真も撮ってもらおう。決めた。
「あれ、高かったんじゃないの?」
「ううん。初めて入った古着屋で見つけて二千円。だから衝動買いしたのよ」
「なるほど」
三千円と言われると悩むところだが、二千円ならがんばれば女子高生でもすぐ出せる額だ。古着屋で見つけたならほとんど一点ものだし、即決した由乃さんの気持ちはわからなくもない。ほら、由乃さんって和柄好きそうだし。武士好きだし。
「それより祐巳さん……実はさ、もう一つあるんだ」
「え!? スカジャンが!?」
「いやあれじゃない。さすがに二着は買わないよ」
由乃さんは、スカジャンを入れていたバッグの底から、問題のブツを出した。
「これ」
肌色のボールだった。
よく見ると、一部にピンク色の突起が…………っておい!!
「何買ったの由乃さん!」
「おっぱいボールよ! 見ての通りのおっぱいボールよ!!」
私の激しいツッコミに、由乃さんは遠慮のない逆ギレで返してきた。むう、さすが由乃さん。私の反応くらい先読みしていたか。
「雑貨屋で見つけて『これは!』と思って買ったはいいけど、そんなのどうしろってのよ!」
「揉みなさいよ! それが買った人の責任よ!」
「もう揉んだわ! 心置きなく揉んだわ! ええもう時間にして一時間以上は揉みしだいたわよ! おかげで握力が変になったわよ!」
「揉んだの!? 揉んでどうするのよ! ちょっと貸して!」
私は由乃さんの手から問題のボールを奪い取った。奪い取った、という表現が的確であるほどの勢いで奪い取った。
ひんやりしていて、ふにふにしていた。
「……これがおっぱいの感触なの?」
「わからん」
至極無念そうな顔で由乃さんは首を振る。
「なぜなら、これほどのチチを私は持っていないから……そんな巨乳揉んだことがないから、それが本物のおっぱいの触感かはわからないのよ」
「……それを言われると私もヘコむ」
同じく、である。こんな片手に納まりきれないような巨大なモノ、私だって持っていない。これは何気にお姉さまクラスのサイズなのではなかろうか。
「感触は面白いね」
「でしょ? 感触は面白いのよ」
だが由乃さんは思ったらしい。
「おっぱいを模したボールを嬉々として揉みしだく女子高生ってどうよ。……そう思ったら空しくなっちゃって……」
「それはわかる気がする」
ふにふに。
「あ、祐巳さん。壊れるから。私のおっぱいそんなに強く揉んじゃダメだって」
「いやそっちこそ『ボール』を略しちゃダメだよ! そこが一番大事な部分なのに!」
だいたい由乃さん揉めるほどないじゃない、という禁句は喉の奥の方にしまっておいた。言ったら大変なことになる。
それにしてもこのボール。
とてもやわらかいゴム製でずっしり重い。もしかしたら中身は何かしらの液体が入っているのかもしれない。
これが巨乳の揉み心地……本当なのかなぁ。
「とりあえず私、それが本当におっぱい的な感触なのかどうか、確かめようとは思ってるんだけど」
「え? 確かめる? まさかうちのお姉さまの胸を狙って……」
「祥子さまに手を出すなんてそんな怖いことできないわよ。志摩子さんよ、志摩子さん」
「ああ……」
志摩子さんも相当大きいもんね。ふにふに。
「じゃあ私も行こうかな」
「祐巳さんも?」
「ついでついで」
Q.もしも買った物に疑問を持ったら?
A.巨乳とあらば揉みに行く。後の「紅と黄のおっぱいハンター」の誕生である。
「おっぱいボールは聖さまに上げようかなって思ってる。たぶん喜ぶだろうし」
「喜ぶだろうね、すごく。スカジャンは?」
「やっぱりフリマか古着屋に売るかなぁ……捨てるのはもったいないしね」
などと言っていた由乃さんだが、その後、部屋着としてカーディガン代わりに羽織るようになるとか。
Case4.「さりげなく告白する」
Q.もしもさりげなく告白してみたら?
その日はとても不思議だった。
いや、不思議というか……うん、まあ、不思議な日だった。
というかいつも通りの日だったと言えなくもない。
だって由乃さんが変な日なんて、大して珍しくもないから。
夏休みも終わって新学期が始まって、毎日毎日暑い日は続いていた。
だから由乃さんが少々変でも、あまり不思議には思わなかった――のは私だけだったみたいだが。
ふと聞こえてしまった会話が、暑さでぼんやりしている私の脳細胞を動かした。
「由乃さん、悪いけれど英語のノート貸してくれない?」
「え? ああ、いいわよ。昨日休んだものね」
「ごめんなさいね。すぐ返すから」
「ゆっくりでいいわよ。――がんばるあなたが好きだから、ずっと見ていたいの」
「えっ」
えっ。
暑さに負けている私でさえ、その言葉は脳天を直撃した。
振り返ると、次の授業の準備をしている由乃さんと、その隣の席で由乃さんからノートを受け取った体制のままストップし、見る見るうちに赤面していくクラスメイトがいた。
……気のせいだろうか。今ものすごーく重大な発言があったような気がするけれど……
…………
気のせいか。
そういえば、今日は挨拶以外、由乃さんと話してなかったな。ちょっとトイレにでも誘ってみようかな。
私は立ち上がり、由乃さんの席に歩み寄る。
「由乃さん、トイレ行かない?」
「あ、行く? 行こうか」
由乃さんと連れ立って廊下に出る。
「祐巳さん、腕を組んでもいいよ」
「いや、暑いから接触はちょっと……」
「暑いからなんなのよ。私達の愛の方が熱いでしょ」
「それとこれとは違う種類の暑さだから」
「もう……この前胸まで揉んだくせに、ちょっと身体を許すと冷たくなっちゃって。一度揉んだくらいでモノにしただなんて思わないでよね」
「はいはい」
「でもそんなところも好きよ、祐巳さん」
「私も好きだよ由乃さん。食べちゃいたいくらい。もうこの際ほんとに食べていい? 氷を浮かべて麺つゆかけてずるるっと……」
「それはまだ早いわよ。一つずつステップを上ってよ。大切にしてくれないと由乃イヤなんだからね」
「面倒な女」
「それでも私のこと大好きな祐巳さんは私から離れられないのでした」
「ははは。それにしてもほんと暑いね」
「そーねー。夜なんかはだいぶ過ごしやすいけど、昼はまだまだ暑いよねー」
こう暑いと、みんなどこかしら変にもなるってものだ。
私もよくわからないテンションになっているし、正直自分で何言ってるのかもよくわかっていない。たぶん由乃さんも似たようなものだろう。
その後特に何事もなく午前中が過ぎ、昼休みには「あっついから薔薇の館パス!」と言い切ってグズる私を由乃さんと志摩子さんが捕獲された宇宙人のごとく強制連行するという珍事もあったりなかったりしたものの、今日も無事に放課後を迎えた。
これから修学旅行や体育祭、そして私にとっては思い出深い学園祭と、行事は目白押しである。今のうちに仕事を片付けておかないと大変なことになってしまう。
「ほんと暑いですねお姉さま。ふー暑い」
「……祐巳」
額に浮かぶ汗をハンカチで拭うお姉さまは、背筋に寒いものを感じさせる視線を私に向ける。
「さすがにしつこいわ、そのセリフ」
「だって暑いんですもの」
「もう。わかったから何度も言わないで。余計暑くなるじゃない」
暑さのせいで、お姉さまはイライラしているようだ。お美しい顔が蒸し暑さのせいで歪んでしまっている。
「まあまあ、祥子さま」
と由乃さんがなだめる。
「怒った祥子さまも愛しいですけど、やはり笑っていた方が魅力的ですよ」
「……は?」
「でも確かにこう暑いとやる気が出ませんね。早く仕事を片付けて帰りましょうよ」
「え……ええ、そうね。そうしましょうか」
おお、お姉さまが笑っている。こんなに暑いのに。アイス食べたい。
それから書類仕事は何事もなく進んでいく。
「志摩子さん、ここ間違ってない?」
「え? ……あ、ごめんなさい。計算ミスしてしまったみたい」
「わかった。直しとくね」
「ごめんなさいね」
「こういうミスやめてよね。ただでさえ可愛いミスなのに。ますます好きになっちゃうわよ」
「え……」
おお、志摩子さんが赤面してる。かわいいなぁ。フラッペ食べたい。
「ちょっと由乃さま、さっきからなんなんですか! 愛しいだの好きだの!」
「大丈夫。今一番気になっているのは乃梨子ちゃん、あなたよ」
「気にしなくていいです!」
「そんなの無理よ。だってそんなに魅力的なんだから。気にせずにはいられないわ」
「あ、あのですね」
「乃梨子ちゃんが魅力的だから志摩子さんもあなたを選んだのよ。だったら私がそう思っても不思議はないじゃない。というかさ、志摩子さんばかり見てないで、時々でいいから私のことも見てよ。気まぐれでもいいから相手してよ。乃梨子ちゃんが相手してくれないとすごく寂しいんだから。本当はちょっと視線が合っただけでも一喜一憂してるんだから」
「…………け、検討しておきます……」
おお、いつもクールな乃梨子ちゃんが照れている。珍しいなぁ。メロンソーダでもいい。
「…………」
「何令ちゃ……何ですかお姉さま? 私の顔に何かついてます?」
「え? いや、私には何か言うことない?」
「言うこと?」
「令さんの優しくて凛々しいところが何、とか。かっこいいところが何とか。す……なんとか、とか。あ……なんとか、とか。ラブラブとか」
「別にないですけど。……いや、一つだけ」
「え? 何? 私のどこが好き?」
「この時期に素足にスニーカーとか履くと、やっぱり臭いが気になりますよね。気をつけて!」
「……なんの話よ」
おお、令さまががっかりしてる。いつも通りだ。やっぱりアイス食べたい。
「……やはりこう暑いと仕事にならないわね。今日は解散しましょうか」
「さ、賛成です」
お姉さまの提案に、珍しく志摩子が真っ先に同意した。よっぽど暑いらしく顔が真っ赤だ。
Q.もしもさりげなく告白してみたら?
A.暑さゆえの過ちとして処理される。
「ねえ由乃さん、帰りにおうちに寄っていい?」
「え? 祐巳さんうち来るの?」
「アイス食べたらすぐ帰るから、アイスだけ食べさせて」
「ふーんそう。じゃあ来れば? 最愛の人が来たいっていうなら、私は拒まないわ」
「ありがとう。私も大好きだよ」
「「…………」」
後にお姉さまと令さまと志摩子さんは、今後のことについて三人で話し合ったらしいが、暑さゆえの過ちということで結論を出し、不思議なくらい暑い今日のことは忘却の彼方へと捨て去られることになる。
由乃さんも暑さでおかしかった。
つまりそういうことである。
しかし真意は違った。
由乃さんは暇だった。
だからさらりと告白していた。
それだけだった。
そしてその真意さえ、誰に知られることもなく忘れ去られたのだった。
ほんのちょっぴり由乃さんと、志摩子さん乃梨子ちゃんの白薔薇姉妹とが仲が良くなった、という爪痕だけを残して。
Case5.「正体をあばく」
Q.もしも祥子さまをハーレムに突っ込んだら?
「そろそろ正体をあばこうと思う」
学園祭も無事終わり、ようやく山百合会の仕事も落ち着いてきた今日この頃、由乃さんはそんなことを言い出した。
「何? 志摩子さんが本当は黒いんじゃないかって現山百合会最大の疑惑を確かめる気になったの?」
「それは知らずにおきたいからノータッチよ。残り一年あるんだから、まだ知らない方がいいじゃない。今知ったら今後一年間どんな顔して付き合っていけばいいのよ」
「……確かに。知らない方がいいね」
なんとなく口走ってしまった冗談だが、本当だった時こそ恐ろしいではないか。
第一志摩子さんが黒くないってことは私達が一番良く知っていることだ。確かめるまでもない。……という建前の方が真実より大事な気もするし。
「じゃあ誰の正体をあばくのか? ふふふ、気になるでしょ?」
「いやあんまり」
「わかってるわかってる。だからそんなにせっつかないの」
「いやせっついてもないけど」
「なら早くせっつきなさいよ! 私がどんな反応を欲してるかくらいわかるでしょ!? ほら、ご褒美あげるから私の欲しい言葉を言ってみなさい!」
「ご褒美?――あーキスは勘弁! みんな見てるって!」
「この前は祐巳さんからしたじゃない!」
「してないよ!」
したのはスプーンでアイス食べてた時に「私にも一口」って由乃さんが言い出したから間接キスしたくらいだ。
「言うから言うから! 誰の正体あばこうって!? すごい気になるなぁ! 由乃さんの考え、すごい気になるなぁ!!」
「え? そう? しょうがないなぁ。そこまで言うなら教えてしんぜよう」
まったくめんどくさい由乃さんだ。まあなんだかんだで慣れちゃった自分もアレだけど。
「そろそろ祥子さまの正体を見てみたい」
「おい島津、私のお姉さまに何する気だ」
「ごめん聞いてごめん。とにかく聞いて。無表情で私を見ないで。あと苗字で呼ぶことで距離を取った感を出さないで」
一応降伏の意を示したものの、この提案だけは聞き捨てならない。
「お姉さまに手を出す奴は許さない。何人たりとも許さない」
「だからこそよ!」
冷や汗が滲んできた親友は、力強い言葉を紡ぐ。
「祐巳さんは祥子さまが好きだ。当然祥子さまも祐巳さんが好きだ。ここまでは異論はないはずよ」
「それで?」
「でもさ、いくらお姉さまだからって、それでも人間なわけじゃない。聖人君子なんかじゃない、妹と同じ生身の人間だわ。気丈に振る舞ってはいても、それでもちゃんと人間じゃない」
「だから?」
「私は夢を見たことがある。そして祐巳さんも同じ夢を見たことがあるはずだ」
「どんな?」
「――ハーレム」
「っ!」
それは……確かに、夢見たことがある。
祥子さまがいて、先代三薔薇がいて、由乃さんがいて、志摩子さんがいて、乃梨子ちゃんがいて。
そんなまばゆいばかりの美貌溢れる身近な人達が、なぜか私なんかをチヤホヤしてくれるというありえない夢を、私も見たことがある。分不相応にモテモテな学園生活というものを夢見たことがある。
しかし思う。
「ありえないとわかっているから夢見るんだよ」
「別にそれ自体は悪いことだとは思わないわ。リリアン生なら誰だって一度はピチピチの水着ギャルをプールにぎゅうぎゅう詰めにしてその中に飛び込んでみたいものよ」
したり顔の由乃さん。
それはどうかと思うが、言わんとしていることはちゃんと理解できる。イメージ的にはそれと大差ない夢を見たことがあるから。
「ただね」
「ただ?」
「私、祥子さまだけは、そういう夢を見たことがあるのかどうか断言できない。祐巳さんなんかは絶対あるだろうって確信してたんだけどね」
「……まあ実際その通りだったから、どうして私ならそうだと確信したかは聞かないでおくけど」
でも確かに、あのお姉さまが、あの小笠原祥子さまが、天下の小笠原グループの一人娘が、世が世ならお姫様のあの人が、庶民感丸出しで俗物感溢れる欲望のハーレムを夢見るだなんて到底考えられない。
「果たして祥子さまはハーレムを望むのか? 望まないのか? 妹として気にならない?」
「……」
気にならない、と言うと嘘になるが。でもどうしても確かめたいとは思わない。だって知ると傷つく未来もありそうだし、どんな結果であれ怒られそうだ。
「お姉さまはそうかもしれないけれど、志摩子さんもそんなイメージないよね?」
「そうね。でも望む望まない以前に、ハーレムくらいすんなり受け入れそうだけどね」
「うん。受け入れるというか、拒む理由がないって感じだね」
人類皆兄弟。隣人を愛するべし。一線を越えない限りは、志摩子さんはどれだけ周りに数がいようと平然としていそうな気がする。一線を越えない限りはいっくらでもウェルカム状態な気がする。乃梨子ちゃんの気も知らないで。
「令ちゃんなんかは余裕で夢見てるだろうし、乃梨子ちゃんも案外そろそろ染まってきた頃だから夢見てそうな気はする。
でも祥子さまだけは、ピンと来ない」
だから正体をあばこう、と。由乃さんは思い至ったわけだ。
「祥子さまは謎が多い。一言で言えばお嬢様だけど、決して一言で片付けられるほど薄っぺらくはない。でも私達……いや祐巳さんは違うか。私は祥子さまの薄っぺらい上辺しか知らないわけよ。普段どんなこと考えてるとか、家で何してるとか、気軽に遊びに行こうって誘っていいものなのかとか。そういうの全然わかんないのよ」
そんなこと……
「私も知らない、かも」
「祐巳さんも?」
「深いところとか、性格や本質はわかるつもりなんだけど。でも浅い部分は全然」
瞳子ちゃんみたいに「祥子お姉さま」と呼ぶ遠縁の子がいるとか、夏に行った別荘でお金持ち連合みたいな付き合いがあるとか、その時になって知った。
お姉さまは語らない。
大事なことも、どうでもいいような些細なことも。
聞かれたことには答えてくれるだろうけれど、由乃さんが知りたいのはそういう流れで知るようなことではなく、ただの日常会話で漏れ出してくるような、重要さのかけらもない私生活面だろう。
でもお姉さまが語らない理由は、私はちょっとわかる。
「ギャップがね」
「ギャップ?」
「家ではサンドイッチをナイフとフォークで食べてるとか。昔からよく一般家庭とのギャップを指摘されてたみたい。だから」
「家のことを話さなくなった、と。まあわかる話だわね。子供の頃なんて、人と違うとか、あなたのおうちってヘンーとか言われると気にしちゃうもんね」
「そうだね。でも妹としては、由乃さんの言うようなどうでもいいことも聞きたいかな」
夏休みの前の擦れ違いとか、もしかしたら、お姉さまの態度や行動とかの問題そのものよりも、それまでの、そしてその時のコミュニケーション不足の方がよっぽど問題だったのかもしれない。
お姉さまのことを知っておけば、物の考え方を知っておけば、普段どんなことをしていてどんな風に過ごしているか知っておけば、「普段と違う」という様々な点を繋げて、紡がれた線が描き出す真相に近付くことができていたかもしれない。全てはわからなくてもお姉さまの心労を理解できたかもしれない。自分だけが苦しいだなんて思わなかったかもしれない。瞳子ちゃんに嫉妬なんてする必要もなかったのかもしれない。
もちろん、あの一件があったから今があり、あの時のことが今は確かな絆となったわけだけれど。でもそれは結果論だ。あわや姉妹解消なんて事態、二度と起こって欲しくない。
違う選択肢を選べば、違う未来が訪れる。
言葉にしてみれば普通であり、当たり前のことだが、それはとてもとても大事なことである。人生そのものと言ってもいいくらいに。
「だからどうでもいいことを確かめようってわけよ。私達が普通に考えるようなハーレムを、祥子さまが望んでいるのかどうかをねっ」
「……よし、やろう!」
「やった! 祐巳さんの協力があるとなれば、こりゃー面白くなるわよ!」
「ええ、バッチリ面白く……えっ!? どうでもいいことを知りたいだけなんじゃないの!? 面白重視なの!? ねえ由乃さん、根本が間違ってない!?」
由乃さんは私の疑問に答えず、「おーい真美さん蔦子さん、ちょっと来てー!」と二年松組の報道コンビを呼びつけた――といっても、特ダネの匂いでもしていたのかその辺で興味津々な顔して出番を待っていたわけけれど。
何せいきなり、
「ホステス?」
「それとも記録係?」
などと、悪巧みをする悪代官のようなわっるい顔をして、己の役割分担を冷静に分析している蔦子さんと真美さんだ。どこから聞いていたかって最初から聞いていたのだろう。
「まず祥子さまの好みについて、お二人の意見を伺いたいわね」
「ちょっと待ってちょっと待って」
三人は当然のようにわかっているようだが、私にはこの流れがわからない。
「まず……え? ホステスとかって何?」
「何って、祥子さまをゆうわ……おもてなしする人を選出しようって段階よ。てっとり早く擬似ハーレムを作ってそこに祥子さまを入れてみようってわけ」
「今『誘惑』って言いかけなかった? 『誘惑』って言いかけたよね?」
「はは、まさか。――それでどう思う?」
軽く流したっ。笑い飛ばしながら軽く流した私の質問をっ。
「率直に考えるなら、祐巳さんタイプか水野蓉子さまタイプかしら」
「天然系の童顔と、知的なお姉さま方面ね」
……ちょっと気になるところなので、黙って見守ってみることにした。
お姉さまの好み、か……
わらしべ長者風に出会ってしまった妹としては、ちょっと微妙な話だ。私の場合はお姉さまの好み云々にクリティカルヒットしたわけではなく、こうなんというか、性格上の相性が良かったとか、そういう感じだろうから。こっちは一目惚れだったけどね!
「じゃあ私はダメね?」
自分を指差す由乃さんに、蔦子さんと真美さんは同時にうなずいた。
「由乃さんはどっちのタイプでもないからね。同じく令さまも除外。乃梨子ちゃんもボツ。天然系の一点のみ志摩子さんが該当するかな」
「だから山百合会では志摩子さんだけイケるかも」
真意はわからないが、お姉さまは過去、志摩子さんを妹にしようとしたことがありますから。決して嫌いではないでしょう。
「でも知的なお姉さま方面は難しいよね」
「祥子さま自身が最上級生だからね。そっちはもう探さない方向でいいんじゃない? 誰あてがっても年上にはなれないんだから」
「そうね。とりあえず校内で有名な美少女っぽいのを掻き集めてみる?」
「いや待って。個々のクオリティが高いのであれば、逆に大人数に囲まれるよりは少数精鋭の方がいいかも。いきなり大人数のところに放り込まれても、祥子さまだって困るわ。数で圧倒しちゃうと警戒心が強くなるだけよ」
「ふむ……まあ、そうね。あの祥子さまが大人数に囲まれて萎縮するとは思えないけれど、収集がつかなくなって混乱はするかもしれないわね」
「同感。初心者には優しいハーレム作りを心がけましょう」
「んー……三人か四人くらい?」
「いいんじゃない?」
「いいわね」
「あとそれなりに親しい相手だと、祥子さまも見栄を張ると思うわ。だから山百合会のメンバーや個人的に親しい人も排除した方が無難かも」
「逆じゃない? 親しくないと楽しめない、っていうのもあるんじゃない?」
「相手は見栄っ張りの祥子さまだから、明日からどんな顔して会えばいいのかわからなくなるような、よく会う相手はどうかなーって思うんだけど」
「……そうね。祥子さまが知らなそうな子でいいのかも」
「迷いどころだけれどそっちで行きましょ。妥協点がなさそうだし」
「わかった。じゃあ、祥子さまと接点のない美少女っぽい二年生以下を探せばいいのね?」
「あとノリの良い子ね。この話に乗ってくれそうな」
そこは顔の広い真美さんが、「任せなさい」と胸を叩いた。
「もうすでに私の頭の中に該当者がいるわ。昼休みまでに話を通しておくから」
「おお」
「頼もしいぞ7・3」
真美さんは調子に乗って胸を張った。
「惜しみない賛辞を送るがいい。この私に。この山口真美さまに人類史上最大の賛辞を送るがいい」
まーみ! まーみ! まーみ!
たった二人による真美コールは、なぜだか何も知らない事情もわからないクラスメイト達を巻き込み、陸上部の逸絵さんがテンション上がりすぎて机の上に昇って全身全霊のコールをしているのを通りすがりのシスターに見つかってクラスぐるみで軽く説教をされたりと朝から一悶着あったりしたものの、昼休みには約束通りホステス役の四名が集められていた。
廊下に並ぶ四人を、真美さんから紹介してくれた。
「右から、内藤笙子さん。立浪繭さん。久我コハクさんと久我メノウさん姉妹」
「初めまして」と、笙子ちゃん以外の三人が声を揃えた。
それにしても、すごい。
あの志摩子さんにさえ負けないような、目がくらみそうな美少女達が四人も……圧巻だ。ものすごい迫力だ。ただ廊下に立っているだけなのに、誰かが反射板で光を当てているかのように光り輝いて見える。
「うわー問題児ばっか……」
露骨に嫌そうな顔をする蔦子さんの呟きに、笙子ちゃん以外の三人が反応した。
「生憎、一年の末から随分大人しくしてるつもりだけど?」
言ったのは繭さんだ。人の名前や顔をすぐ忘れる私でさえ、繭さんの、お姉さまと同じく華のある顔立ちに見覚えがある。
「「何より問題なのは、あなたが私達の見分けがつくことよ」」
寸分違わぬ口調と仕草と視線と言葉を繰るのは久我姉妹、コハクさんとメノウさんだ。一卵性双生児ということで見分けがつかないほどそっくり。こんな美少女が同じ顔して二人もいるんだからとても目立つので、こちらも見覚えがあった。
真美さんがポンと手を売った。
「そうそう。コハクさんとメノウさん、蔦子さんの名前出したら一発OKだったのよ。見分けつくんでしょ?」
これの見分けがつくのか蔦子さん……すごいな。遠目で見てすごく似てるな、と思ったことはあるが、近くで見ても見分けがつかないくらいそっくりなのだ。髪の毛の本数や指紋まで同じじゃないかとさえ思えるのに。
「よく見れば結構違うわよ? コハクさんの方が若干胸が大きいとか、腰回りがセクシーとか。メノウさんの方が500グラムくらい軽いとか」
「わかるでしょ?」という蔦子さんに、私達は双子ともども「わかんないわかんない」と声を揃えた。わかんないって。体型の出づらいリリアンの制服なのに、見ただけでわかるわけがない。久我姉妹でさえ見ただけじゃお互いの体重までは把握できないらしいのに。
「え、そう? じゃあ一番簡単な見分け方を教えてあげるわ――コハクさんの太股の内側に小さいほくろがあって、メノウさんにはないのよ。股下三センチくらいの場所だから普段は見えないけどね」
「「…………」」
コハクさん(左側)は赤面して俯き、それ以外の者達は性犯罪者でも見るかのようなさげずみと軽蔑の目で蔦子さんを凝視する。
なぜ太股の内側にほくろがあることを知っているんだ蔦子さん。股下三センチなんて体育の時でもスパッツで見えないようなところにあるほくろをなぜ知っているんだ。あと恥ずかしそうなコハクさんが異常な可愛さを放っている。
「……蔦子さんが男性だったらよかったのに」
恥じらいながらもそんなことを呟くコハクさんに、蔦子さんを含む全員で「「男だったら犯罪者じゃない!!」と全力で突っ込んだ。というか蔦子さんまでって……あなたは、あなたはなんかダメすぎる……すごくダメすぎる……
それと例外で、笙子ちゃんだけコハクさんを真顔で見ていた。心中お察しします。
「はいはい、注目注目!」
パンパンと手を叩いて、由乃さんは注意を促す。
「四人とも、どういう趣旨で声掛けられたか聞いてる?」
「「ええ」」
「ここに来たってことは、話に乗るってことでいい?」
「「もちろん」」
「なら結構。それじゃ最後に確認するけど、この中で本気で祥子さまが好き、って人は?」
しーん
……今をときめく紅薔薇さまなのに、あの小笠原祥子さまなのに、この人気のなさ……「私のお姉さまは世界一なんじゃいー!」などと叫びながら大暴れしてやりたい気持ちになったが、やめておいた。いくらなんでも妹ばかすぎる。
それに、お姉さまの本当の魅力なんて、妹だけが知っていればいいのだ。
――ちなみに、空いた時間にチラチラっと話してみたところ、四人全員が心に決めた人がいるらしい。だから祥子さまに心奪われることはないのだとか。
「よし、じゃあ、お昼食べながら一緒に企画を詰めましょう!」
「「おー!」」
こうして、
「「――はい、どっちがどっちだ?」」
「え、えっと……こっちがメノウさま……?」
「「ブブー不正解でーす。卵焼き没収ー」」
「嘘はよくないわね。笙子ちゃん、そこの性悪姉妹のミニハンバーグとエビシュウマイ食べていいわよ」
「「あん、バラしちゃダメよ蔦子さん」」
「蔦子さまってすごい……」
対小笠原祥子専用ハーレム作りは、
「祐巳さんを見る限りでは、胸を押し付けてのセクシーアピールは通用しないと思っていいわね」
「さすがお姉さまキラー、見るところが違うわね」
「……真美さん、それやめてよ。もう引退してるようなものなんだから」
「貧乳を売り出す方法ってどんなのがある?」
「んー……令ちゃんは大きさよりも形が重要って言ってたなぁ」
「あんまり露骨な露出とかは逆効果よ。予想外のチラリズムの方が食いつきがいいわ」
「そ、そうなの? さすがによくわからないし、その辺の指導はもう繭さんに任せるわ」
「さすがお姉さまキラー、テクニックが違うわね」
「だから真美さんそれやめて」
順調に、
「私、実は胸よりお尻派なんだけど」
「お尻と言えば、祐巳さんのお尻ってすごく綺麗よね」
「へっ!? な、何言ってるの由乃さん!?」
「そうそう、程よい肉付きと筋肉の対比がすばらしいのよね。この体系にしてあくまでも標準的で、大きすぎず小さすぎず。何気に学年で一、二を争う黄金比のお尻だと思うわ」
「さすが盗撮魔、よく見てるわね」
「ふっ、全てはこの蔦子さまがみてる、ってわけよ。ええ、このマリア様のお庭は、私の庭でもある」
「じゃあ祥子さまはお尻が好きなの?」
「さ、触られたことないですけど! というか祥子さまの前で脱いだこともないですけど!」
「「触ってもいい?」」
「ちょ、姉妹二人して何言ってるの!? だめだめ! 絶対だめ!」
「いいじゃない減るものじゃなし」
「ぎゃあ!? 繭さんもう触ってる! 撫で回してる!」
「あ、ずるい。私も私もー」
「私もー」
「私もいいですか?」
「「祐巳さんって面白い」」
「いやぁー! 助けてぇー! マリアさまぁー!」
計画は進められていった。
「うっうっ……」
私がお嫁に行けなくなったことを除けば、問題など一つもありはしなかった。
怖いくらいに順調に企画は詰められ、余計な横槍が入ることもなく、翌日の放課後には対お姉さま用ハーレムは完成していた。
無理を言って放課後の二年松組の教室を空けてもらい、ここを舞台に選んだ。
ホステス達は、髪のセット、リップクリーム、爪の手入れからブレスケアまで完璧で、校則で化粧はできないが、同性の目から見ても並々ならない気合が入っていることがよくわかった。もう目がチカチカするほど眩しく美しくかわいらしいのだ。蔦子さん的には「ガチガチに作りすぎてて私はあんまり」とのことだが(聞いていた笙子ちゃんがガッカリしていた)、努力して可愛く見せることは、決していけないことではないと思う。
髪をセットしたりマニキュアを塗ったりと裏方に徹していた由乃さんが、完璧に作り上げたホステス達を誇らしげに見詰めた後、振り返る。
「じゃあ、祐巳さん」
準備は整った。
あとはお姉さまをここに招くだけ。
その最も重要な役目を、妹の私が請け負うことになっている――私が誘えば、よっぽどのことがない限り、お姉さまは嫌とは言わないから。
私は全員を見回す。
そこにはわずかの不安もない、作戦の成功を確信する自信にみなぎる顔があった。
そして、恐らく、私も同じように自信に満ちた顔をしていることだろう。
「行ってきます!」
美しき少女達のエールを背に、私は歩き出した。
お姉さまのことを、もっとよく知るために――
Q.もしも祥子さまをハーレムに突っ込んだら?
A.ホステス玉砕。
結論から言うと、かの美少女達の心が折られた。
私は見ていないので何があったのかはわからないが、ただ報告では、立浪繭さんも、久我姉妹も、内藤笙子ちゃんも、作り上げた美貌の全てにダメ出しをされたらしい。
繭さんはシャンプーの香りを嗅がれて「安物ね。私の隣に座るのであれば最低でも一本二万円以上のものを使って欲しいわ。安物の下品な香りが移るから近寄らないでくれる?」と言われて撃沈。
久我姉妹は「あら、双子なのね。でも近くで見るとあなたの方が肌が荒れているわ。髪型まで似せているのにご苦労なこと」とファーストコンタクトで見分けられて撃沈。
そして笙子ちゃんは、お姉さま方が瞬殺される様を見て怖気づき、一瞥されただけで撃沈。
――たったの2分さえ相手にしてもらえなかった四人曰く、「祥子さまは本物のハーレムを知っている。というか今持っているかも」と漏らしたそうだが、その言葉が私の耳に入ることは一生ない。
親友である由乃さんが、「これはなしにする!」と宣言し、この件に関する全てを自分の秘密にして、お墓まで持っていく覚悟を決めたからである。
私がお嫁に行けなくなったことを除けば、私にとってこの遊びは、何もなかったようなものだった。
その翌日。
「それで、あの集まりはなんだったの?」
「あ、全員お姉さまのファンで、卒業前に何か一つでも思い出が欲しいって……」
「そうなの。ふうん。それなら大丈夫よ」
「大丈夫?」
「絶対に忘れられないような思い出、作ってあげたから」
二人で銀杏並木を歩み、薔薇の館へ向かう道中、お姉さまの横顔を見詰める。
小笠原祥子さま……本当に謎の多い人だ。
Case6.「鍋をやる。やってやる」
Q.もしも薔薇の館で鍋をやったら?
「祐巳さん!」
下駄箱で靴を履き替えていると、背後からやってきた由乃の声に振り返り、
「あ、由乃さんごきげうわぁネギ……」
由乃さんは深ネギを持っていた。
裸のままむき出しで持っていた。
にこやかな笑顔で白い息を弾ませて深ネギ握り締める親友を見て、私はなんとも言えない気持ちになった。
由乃さんと付き合っていると、時々こういう気持ちになる。なんだろうこの気持ち。名前のないまま放置しておきたい気もするが、答えを知りたい気もしないでもない。
「鍋やろうよ、鍋!」
悩むのも考えるのも後回しで、とりあえず由乃さんを落ち着かせることが先決だろう。ネギ持ってるし。テンション高いし。下手したらネギでしばかれそうだ。
「まあまあ、まあまあ」
とにかく落ち着けと両手で制し、まず靴を履き替えることを勧める。私、随分と由乃さんの扱いに慣れてきたように思います。
上履きに履き替える頃には、由乃さんも若干落ち着きを取り戻していた。
「鍋をやるの?」
「そう、鍋をやるの!」
「……うん、それ自体はいいんだけどね」
寒いし。こんな日は鍋とこたつが恋しいのは確かだし。
「で……まさか学校でやる気なの?」
「そうじゃなければネギなんて持ってこないわよ! ……思いついたらちょっと興奮しちゃって握り締めたまま来ちゃったけどさ」
「もうすぐ三年生になるんだから、もう少し落ち着こうね」
「あら。大人なご意見ですこと」
「あのさ、由乃さん。ネギ握ったままじゃどんな態度で何言おうが変だからね」
「……祐巳さんネギいる?」
「いらない」
「でもこれ、本物じゃないよ?」
「え? あ、ほんとだ」
よーく見るとフェルト地の、察するにぬいぐるみのようなもののようだ。パッと見は青々とした深ネギだが、よーく見ると案外チープだった。
ははは、と由乃さんは豪快に笑った。
「いくら私でも本物は持ってこないわよ」
そりゃそうか。どこぞのデジタルディーバでもあるまいし。
「それ、令さまが?」
「うん、令ちゃんが。さすがに市販してないでしょ、こんな変なの」
由乃さんは重く溜息を吐き、「これが受験勉強のしすぎで令ちゃんが逃避した結果よ」と嘆いた。
逃避か。
テスト勉強や部屋の掃除を始めると、よくマンガや文庫本に逃げたりするのと似たようなものだろうか。縫い物に逃げる、っていうのは令さまらしいとは思うが。でも対象にネギを選ぶ辺りに精神的な疲労が伺えて不憫だ。
正直、むき出しのネギ(ぬいぐるみ)を握った由乃さんと一緒に歩くのも嫌だったが、私達は教室へと歩き出した。
そういえば、だ。
「バレンタインの企画が上がってから、三年生は薔薇の館に来なくなったね」
まあ、その前からもあまり来ていなかったが。だから私は令さまの受験を意識していなかった。まあ、しようがしまいが私にできることなんてないけれど。
「祐巳さんも、また薔薇の館で祥子さまに会いたいでしょ?」
「でも今はバレンタイン企画があるから」
呼ぶのも筋違いだし、でも呼ばなければ絶対来ないだろうし。だから結局薔薇の館では会えない、ということになってしまう。
またお姉さまも令さまも交えてお茶したいなぁとは思うのだが。三年生はもうすぐ卒業してしまう。それまでに少しでも会っておきたいと思う。思い出深い薔薇の館で。
でも、時期的に非常に難しいだろう。受験生を「お茶したい」という理由だけで呼び出すのもどうかと思うし、普通に断られそうだし。
「あ、志摩子さんだ」
途中で、同じく教室へ向かおうとしていた志摩子さんを発見、合流した。
「ごきげんよう、祐巳さん由乃さん。二人も今?」
「うん」
「いいところで会えた。志摩子さん鍋やろうよ」
「え?」
おいおい由乃さん、話が早すぎるよ。挨拶さえ飛び越えて。志摩子さんだってきょとんとするわ。でもネギを振り上げて言うと、たとえ顔はにこやかでも脅迫しているように見えるんですが。
「鍋を、やるの?」
「そう! 鍋をやるの!」
「薔薇の館で?」
「そう! 薔薇の館で!」
力の入りまくっている由乃さんを前に、志摩子さんは思案げに視線を漂わせる。
「……可能ではあると思うけれど、常識的に考えるとできないと思うわ」
志摩子さんは正確に的を射抜いた。
完璧な反論だった。
しかしそれで引き下がるような由乃さんではない。
「これを見てよ」
これ、とは、手に持っているブツのことである。ある意味凶器の。
「ネギね」
「そう、ネギなのよ」
由乃さんは、朝っぱらから本日二度目の重苦しい溜息を吐いた。
「令ちゃんがさ、受験勉強の逃避で作ったんだけどね」
生まれた時から付き合っているような由乃さんは、これを見て、令さまがどれだけ精神的に参っているかを、本人以上に的確に見抜いてしまったらしい。
かなりの末期だ、と。
受験本番まであとわずか。このまま逃げ切れるか、それとも刻々と迫る期限というプレッシャーに精神をやられて体調を崩して満足に受験できないか――由乃さんはそんな心配をしてしまった。
精神面がもろいのが令さまだ。
それをよーく知っている由乃さんは、最愛の従姉妹としても、支えるべき立場の妹としても、看過できかねた。
「だから鍋やりたいのよ」
今更、私達にできることはない。気休めの言葉など逆にプレッシャーになるだけだろう。
しかし何もせずにはいられない。
だから、鍋をやろう、と。
「あくまでも私達が食べたいってことで話を進めて、せっかくの鍋だから三年生も呼ぼう、って感じで話を進めたいのよ。そして」
妹達の愛情たっぷりの鍋を食べてもらって英気を養ってもらおう、と。そういう考えに至ったらしい。今朝。「寒い!」と思いつつ。
「あ、でも、寒いから私が食べたいってことじゃないのよ? そこは誤解しないでね?」
それはあえて言わなくていいと思う。本心だろうがそうじゃなかろうが。
「つまり、令さまや祥子さまのために鍋をしたいのね?」
志摩子さんが確認すると、「まあ率直に言うとね」と由乃さんは苦笑した。
「祥子さまは……進路どうするか聞いてないけど、うちのお姉さまは外部受験だから、結構大変そうなんだよね」
リリアンは受験体制が整っていないので、外部受験組は大変なのだ。
「そういうことなら」
志摩子さんは手を伸ばした。ネギに。
「由乃さんの気持ちを、形にして伝えてもいいと思うわ。私も協力する」
「え、ほんと? いい?」
「ええ。祐巳さんは?」
「そういう理由なら構わないよ」
無理だろうとは思ったが、やると言うなら強いて反対する気はない。反対する理由もないし。お姉さまと鍋つっつきたいし。……というかお姉さまの進路ってどうなってるんだろう。なんか聞くに聞けないんだよなぁ。
とにかく、事情を聞いた今、もしもお姉さまが外部受験組だった場合に備えて、この話に便乗しておきたいとは思う。お姉さまと鍋つっつきたいし。
「それじゃあ、詳しい話は乃梨子も交えてお昼休みに」
「うん。ありがとね」
志摩子さんはにっこり笑って、「お先に」と自分の教室へ行ってしまった。
――ネギを持って。
「……ねえ祐巳さん、私ネギ奪われたんだけど」
「……うん……」
背中を向けている志摩子さんの手には、由乃さんが握り締めていたネギ(ぬいぐるみ)があった。
なぜだ志摩子さん。
なぜそれを持っていく。無言のままで。断りもなく。
「気に入ったのかな?」
「どうだろうね。志摩子さんも不思議なところ多いから……」
そういった事情で、バレンタイン企画の裏で「薔薇の館で鍋パーティー」企画が静かに動き出したのだった。
由乃さん並に、とはとても言えないが、私だって令さまの心配はしている。疲れているのならどうにか癒してあげたいと思う。うちのお姉さまはわからないが。
だがデリケートな時期である。
何気ない一言がプレッシャーになったり、心配や不安のタネになってしまうかもしれない。だから触れ方がわからないのだ。たぶんずっと一緒の由乃さんにもわからないに違いない。
そこで今回の鍋企画だ。
心配するでもなく言葉を掛けるでもなく、ただ「鍋やるから食べに来て」と誘うのは、私はありだと思う。
気心の知れた仲間内で鍋パーティー。
一時的にでも受験から開放される時間となって、「さあまたがんばろう」と明日の活力になってくれれば、この企画は成功である。
まあ、きっとお姉さま方は、妹達の考えることなどお見通しだろうけれど。声を掛ければ気持ちまで読み取ってしまうに違いない。
あっと言う間に昼休みになり、お弁当を持って校舎を出るなり身が縮むような寒気が全身を撫で付ける。由乃さんが「うわー寒い! 祐巳さん体温貸して!」と私の手を握ってきたりして、手を繋いで身を寄せ合って薔薇の館へ向かう。由乃さんじゃないが本当に寒い。こんな日は鍋が恋しい。
先に来ていた白薔薇姉妹と合流し、お茶の準備をして、お弁当を広げて作戦会議に入った。
――当然のように、バレンタイン企画で出入りする山口真美さんには秘密ということで話がついた。「薔薇の館で鍋パーティー」なんて記事が学園内を騒がせる可能性もなくはないから。真美さんは大丈夫だとは思うが、築山三奈子さまが卒業するまでは色々警戒するべきだろう。
「鍋、と言っても、色々ありますよね」
大方の話はすでに聞いているらしく、乃梨子ちゃんがそう切り出した。
「水炊き、湯豆腐、しゃぶしゃぶ、ちゃんこ鍋、もつ鍋」
「あんこう鍋にキムチ鍋」
「鴨鍋に、おでんもそうかしら」
乃梨子ちゃん、由乃さん、志摩子さんの順で、よく聞く鍋の名前が挙がった。私も後に続けとばかりに口を開いたものの、残念なことに何も思いつかなかったので声は出なかった。
三人は後に続かなかった私を見て「ああ何も思いつかなかったのね」と察したらしく、私には触れずに話を進めてくれた。
「えっと、ここでやるんですよね? なら色々と制限がつくと思うんですが」
乃梨子ちゃんは言った。
「この時期ですから大丈夫だとは思いますが、万が一にも朝の通学の間に素材が痛む可能性があります。だから生の魚介や肉の持ち込みはやめた方がいいと思います」
確かに、「この寒い時期なら大丈夫でしょう」と言ってしまいたいところだが、万が一にもそれを食べた受験生がお腹でも下ったら最悪である。なので乃梨子ちゃんの意見には同意だ。暖房が効きすぎたバスや電車に乗ったりするかもしれないし、ラッシュに巻き込まれてすし詰め状態になって局地的に周囲の温度が上がったりする可能性もなくはない。
大事を取って万が一に備えるべきだろう。英気を養ってもらうために招待するのに、足を引っ張るわけにはいかない。
「でも魚介とお肉のダシが」
由乃さんの抗議の声が上がるも、乃梨子ちゃんの死角はなかった。
「家で先に火を通してくればいいと思います。煮汁ごと持ってくればどうでしょう?」
「ああ、そうね。それでいこう」
これでひとまず、素材の方はいいとして。
「で、何の鍋やろうか?」
そう、問題はそこだ。具にも関係してくるメイン部分を始めの内に決めるべきだろう。
「味噌の持ち込みも難しいんじゃないですか? ほら、臭いが」
「なら、ちゃんこはなしね。もつ鍋とキムチも厳しいか」
うーん……
「水炊きが現実的じゃない?」
私が漏らすと、三人は「まあね」みたいな反応だった。
「現実的よね」
「素材を買い揃えるにしても安価で済みますし」
「ひとまずそれでいいのではないかしら」
よし、水炊きにけっ……ん?
「あの、志摩子さん? ひとまず、ってどういう意味?」
「え?」
志摩子さんはとても意外そうな顔をした。
「ここで本当に作れるのか、先に試さないの? いきなり本番で祥子さまや令さまを呼ぶより、何度か試行した方が安全だし、返って効率的だと思うのだけれど」
「あ、そうか」
そりゃそうだ。リハーサルをやろうってことね。
「じゃあとりあえずやってみようか。何度かやってみれば問題点もわかるでしょう」
由乃さんの声に従い、明日から鍋の試行に入ることになった。ひとまず水炊きということになったが、何の鍋にするかも追々決まっていくだろう。
で、だ。
「火はどうするの?」
薔薇の館は、電気と水道はあってもガスはない。
「一階の倉庫に煮物用のホットプレートがありましたよ」
「そんなのあるの?」
「あるのよ、それが。だから私もやろうと言ってみたわけ」
そうなのか……過去、この薔薇の館で何があったのかちょっと気になるな。
「早速明日からやってみましょう! 食材はとりあえず冷蔵庫にあった適当なモノを各自持ってくるように! ここ包丁ないから家で切ってきてね!」
手早く昼食を終え、一階のあの部屋からくだんのホットプレートをえっちらおっちら引っ張り出して、かぶっていた埃を洗い流して電源を確認。年季は入っているがちゃんと使えるようだ。日当たりの良い場所に置いて、放課後に回収してどこかにしまうのだ。
あと、食器やおたまは、家の近い由乃さんが持ってくることになった。お箸は各自持参だ。
鍋は昼食に食べることとし、朝の内に仕込みだけはしておこうということで、第一次試行鍋の打ち合わせは終了した。
残った時間で書類仕事を片付ける。
「お先に」
昼休みも残りわずかとなった頃、志摩子さんと乃梨子ちゃんは、私達を置いて一足お先に薔薇の館を後にした。
彼女らを見送った私と由乃さんは、微妙な顔で視線を交わす。
「……志摩子さん、私のネギ、首に巻いてたね」
「巻いてたね……」
あまりにあからさますぎて、私も由乃さんも触れなかったが。
まさかあれで授業に出ていたりするのだろうか。いやそれはないか。アクセサリーじゃないんだから。というかリリアンではアクセサリーとかダメだし。
「でも不思議と違和感はなかったね」
「そうだね」
不思議と、そう不自然ではなかった。志摩子さんだからだろうか。
そんなこんながあって翌日。
朝から私達四人は薔薇の館に集まっていた。もちろん仕事があるからで、鍋はあくまでもついでである。
「持ってきた?」
結構楽しみにしていた私は、当然持ってきている。今朝はわくわくしながら冷蔵庫を漁ってみたものだ。
志摩子さんや乃梨子ちゃんも同様にそれなりに乗り気らしく、ちゃんと持ってきているようだ。
私達はなぜか横並びになり、リーダー的立ち位置にいる由乃さんにタッパーを差し出す。
私から。
「深ネギとにんじん」
乃梨子ちゃんが。
「鶏肉」
最後に志摩子さんで。
「白菜とお豆腐」
おお、見事にバラけた! 「イエェーイ!」などと言いながらハイタッチでもしたくなったが――
「私はえのきと白菜!」
……遅れてきたリーダー的立ち位置の由乃さんのタッパーが、一気にテンションを盛り下げた。
「由乃さんって案外空気読めないよね」
「頼みますよ由乃さま。ちゃんとしてください」
「……(溜息)」
「え、何その反応!? 白菜ダブってたから!? というか志摩子さんまでがっかりっておかしくない!? 私が先に申告してれば志摩子さんがダブ……聞きなさいよ! 鍋の準備なんかいいから聞きなさいよ私の話を!」
私達は早速鍋の準備に掛かる。
食材を入れたタッパーは一時私が預かりテーブルで蓋を開け、乃梨子ちゃんは力仕事は任せろとばかりにホットプレートの鍋部分を掴み上げて流しで水を汲み入れ、志摩子さんはグズる由乃さんをあやした。
「もう、志摩子さんったら……」
「うふふ……可愛いわよ由乃さん」
なんで抱き合ってるのかはわからないが、由乃さんは落ち着いたらしい。志摩子さんも由乃さんの扱いに慣れてきているようだ。
「ねえ、私のどこが好き?」「飾らない性格、好きよ」「私も志摩子さんのそういうところが好き」などと熱の入ったやり取りを繰り広げる二人を私がぼんやり眺めていると、流しで「あっ」と乃梨子ちゃんが声を上げた。
二人はいけないものを見られたかのようにパッと離れる。視線だけは名残惜しそうに互いを追って。
「いや、今更いいですよ。その程度」
だが乃梨子ちゃんは構わなかった――あの余裕は「私の方がもっと先に進んでるけどね!」という裏づけから来るのだろうか。もしかしたら知らない間にちょっぴり大人の階段を登ってしまったのかもしれない。
しかし、逆に「やっていいよ」と言われるとやりづらいもので、由乃さんと志摩子さんは興ざめしたようだ。
「それより、どなたか昆布持ってきました?」
「「あっ」」
――私達は、誰一人として、ダシを持ってきていなかった。
しょうがないので、食材は一時冷蔵庫に保管しておくことにし、鍋試作第一号は翌日に持ち越されることになった。
多少がっかりはしたものの、これはこれでよかった。由乃さんが「そういえばポン酢もないわね」と、二つ目の大事なところに気付いたから。そう、タレ的なものがないのも水炊きは苦しい。
こうしてお昼は学食やパンで空腹を満たすという肩透かしを食らった一日が過ぎ、翌日。
「じゃーん! しいたけ!」
「鶏肉追加分を持ってきました」
「私はまいたけを」
「うむ、ごくろう!」
翌日に流れたおかげで、更に具が追加されたのは喜ばしい誤算というものである。私はしいたけを持参し、乃梨子ちゃんは更に鶏肉を加え、志摩子さんは私とややかぶりのまいたけを持ってきた。由乃さんは持ってきていないが、代わりにダシの根昆布とポン酢を持ち込んだ。
「ポピュラーな奴ですね」
由乃の持ってきた未開封のポン酢を見て、乃梨子ちゃんは言った。
「うちはいつもこれ。乃梨子ちゃんのところは違うの?」
「ええ、うちは……というか叔母の家ですが、こだわりがあるようで、ゆず入りのポン酢が常備されています」
「いいよね、ゆず入りも。志摩子さんのところは?」
「由乃さんのおうちと同じよ」
「ふうん。祐巳さんのところは?」
「ゴマ入りの甘口」
「祐巳さんらしいわね。……いや、ここは福沢家が甘党一家と言うべき?」
「まあ、否定はしないけどね」
それにしても、ポン酢だけ見ても各家庭で違うものである。鍋の作り方もきっと違うんだろうな……と思ったところで、はたと気付いた。
私、鍋作ったこと、ない。
お料理はお母さん任せで、時々手伝ったりはするものの、基本的に料理はしない。お弁当も作ってくれるし至れり尽くせりだ。それは由乃さんも同じらしく、水を張ったホットプレートの底に寝かされた昆布をじっと見詰めていた――「で、こっからどうすれば?」という問題と睨み合っているようだ。
「えっと……」
私は頼りになる後輩・乃梨子ちゃんを見る。すると、
「お姉さま、お願いします」
乃梨子ちゃんは、志摩子さんに菜箸を差し出すところだった。
「じゃあ、僭越ながら私が」
志摩子さんが菜箸を握る。
目つきが変わった。
「――私が鍋奉行を務めさせていただきます」
ギラリと輝く瞳。
志摩子さんの本性が垣間見えるような、穏やかだが隙のない横顔。
その時感じた寒気のようなものは果たして何だったのか……私はついに答えを見出すことができなかった。
ただし。
「うわ、ほんとに鍋だ」
「薔薇の館で鍋……冷静に見ると異物感丸出しだわ」
煮えたぎる昆布ダシの湯に、きっちり仕分けられた色と味。
それはどこまでも上品であり、どこまでも互いが互いを引き立てる、全を個、個を全とする一体感でもってそこに在る。
完璧としか言いようのない鍋の見た目に、私はプロの息吹のようなものを感じずにはいられなかった。志摩子さんの箸さばきに、こだわりに、繊細さと大胆さに、逆立ちしても勝てないような熟練の技を見た気がする。
「あ、おいしい」
そして当然のように、おいしかった。
綺麗さっぱり鍋が私達のお腹の中に消え、身体がポカポカ温かくなってきて、そんな昼食が終わって後片付けをしているその時。
「志摩子さん」
由乃さんはおもむろに両手を広げた。
「――来いよ。今日は私が抱いてやる」
それが由乃さんの、鍋奉行・藤堂志摩子に対する評価だった。
「由乃さん……」
抱き合う二人。
微笑ましい光景である。
「由乃さんっていつも強引……そうやって自分の都合の良い時だけ利用して……」「でもそこが好きなんでしょ? 私はそれを口にする素直な志摩子さんが好きよ」「……ばか」「今度うちに泊まりにおいで」「でも令さまが……」「関係ないよ。私が志摩子さんと過ごしたいんだから」「由乃さん……もっと強く。もっと強く抱きしめて」などというあまーいトークを耳元で囁き合う二人を見て、私は思った。
(志摩子さんも随分俗っぽくなったな)
一年生の頃には考えられないようなことを口にし、実行している。
明るくて面白いから私はこっちの方が好きだが、果たして志摩子さんを「憧れの白薔薇さま」として見ている下級生的にはどうなんだろうと考えると感慨深いものがある。というか志摩子さんがああいう感じのこと言うと妙に生々しいな。冗談に聞こえないというか。率直に言うとエロいというか。
まあ、仲が良いのは大変結構。
だがこの際、それは二の次にして欲しい。
「提案があります!」
私は挙手した。授業中では決して見られないようなハキハキした口調で。「祐巳さんの気持ちはわかってるって。そろそろうちに泊まりに来なさいよ。私はいつだってOKよ」と由乃さんが寝ぼけたことを言ったが、特に構う気にはなれなかった。
「明日の試作二号はどうする!?」
――おいしかったのも当然あるが、というかそれメインだが、それに加えて思ったより楽しかった。家で素材を切ってきて朝仕込んでお昼には温めるだけで食べられるという気楽さもいい。皆でわいわい持ち寄って、普通なら考えられないような薔薇の館で作って食べて。寒い日に染みたのだ。心にも身体にも。
だから次を要求したくなった。
「うちに」
流しで食器を洗い、拭いている乃梨子ちゃんが、手を止めずに言った。
「――カニがありますけど?」
「「カニ!?」」
テンション上がっている私も、抱き合っている由乃さん志摩子さんも驚いた。
カニって。
カニってっ。
カニって!!
乃梨子ちゃんは思いっきりクールに言ったが、そんなローテンションで言うことでは断じてない! ないはずだ! だってカニだし! カニだよ!? カニと言えば高いカニならトラック一台分あれば家が買えるっていう高級な食べ物がカニなのに! なんて太っ腹な!
「それは乃梨子ちゃんの独断で食べていいものなの!?」
「独断……というのともちょっと違うんですが。お中元に叔母が貰ったんですが、今回の鍋企画のことを話したら『持っていっていいよ』と許可は下りていたんです」
しかし、いくらなんでも学校でカニはないだろうってことで、乃梨子ちゃんは避けたそうだが。
「でも意外とちゃんと鍋ができるようなので、今は持ってきてもいいと思っています」
確かに、それは私も驚いていた。ここでも普通に鍋ができたことは。おいしかった。
「よし、じゃあ明日はカニ鍋ね!」
「「おー!」」
Q.もしも薔薇の館で鍋をやったら?
A.姉そっちのけになる。
薔薇の館で鍋パーティーが開かれるようになって数日。
ここでの調理も準備も慣れてきた頃、そろそろお姉さま方をパーティー会場の方へとご案内を、と考え始めた時、それが叶わなくなる事件が起こったのだ。
ついに新聞部にバレたのだ。
「――なんかこそこそしてると思えばそんなことを……鍋? 薔薇の館で鍋やってるの? お昼に? すごいことやるわね、由乃さん……え、だって由乃さん発信でしょ? 違うの? ほら違わないじゃない。それで? 友達の真美さんはいつご招待してくれるのかしら? …………次のかわら版の見出しは……あっそう、呼んでくれるの。ありがとう。具を持ち寄るのね? うちはなんかあるかなー。鮭の切り身があったかなー。あ、日出美も誘っていい?」
予想外だったのは、仲間に入ったことだった。
新たな仲間が加わって、新たな食材が加わって、違う鍋も楽しみだして。
その傍らで慌しくもバレンタインイベントを詰めていきつつ、無理やり時間を捻出して鍋やって食べて、そうこうしている内に……
うん、まあ……忘れちゃった、っていうか、ね。
忙しすぎて気が回らなくなっていた、というか、ね。
「令ちゃん合格おめでとう!! 私、受かるって信じてた!!」
……なんて、さすがの由乃さんも言えなかったらしい。
この企画で唯一残ったのは、由乃さんのネギ(ぬいぐるみ)を志摩子さんはどうしたのか、という謎である。
志摩子さんがあれをどうしたのか、って?
どうでもいいので知らない。