無印のパロディで、キャラ設定やら性格やらが作者に都合良く弄られています。なので、殆どの登場人物が、どこかしら変です。また、所々に妙なネタも紛れています。微妙にオリキャラも出ます。それでも構わない、という海どころか宇宙よりも広い心の持ち主な方以外は、読まれない方が良いかと思われます。
【No:3409】→【No:3412】→【No:3416】→【No:3423】→【No:3428】→【No:3430】→【No:3433】→【No:3438】→【No:これ】→【No:3446】→【No:3449】
「くぅっ……」
夜の帳が下りたリリアン女学園。その敷地内で、地面に膝を突いて荒い呼吸を上げる祐巳を、時代劇に出てくるような浪人の格好をした怪人が冷めた眼差しで見下ろしていた。
怪人の名はヨッシー。その正体は、シオリ博士によって悪の怪人へと改造されてしまった島津由乃さんだ。間違っても、「でっていう」恐竜とは関係ない。
「どうして攻撃してこないの? ひょっとして、死にたいの?」
祐巳の身体を覆う真紅の全身タイツは、ヨッシーさんの攻撃でボロボロになっていた。刀による攻撃を受けた箇所は綻び、薄っすらと血が滲んでいる。本来なら刀で斬られてそれだけで済むはずがないのだが、祐巳の纏っている真紅の全身タイツはシオリ博士の手による特別製。見た目に反して、恐ろしく頑丈なのだった。ちなみに、由乃さん同様に祐巳もシオリ博士によって改造、洗脳された怪人だったのだが、任務途中の事故により洗脳が解けて現在に至る。
「友達に攻撃なんて……」
ここリリアン女学園では、悪の怪人を倒す役割を持った存在をヒーローと呼ぶ。となると祐巳は、ヒーローと呼ばれる資格はないのかもしれない。でも由乃さんは、祐巳にとって掛け替えのない友人なのだ。彼女を傷付ける事なんて、祐巳にはできなかった。
「馬鹿ね。私は、あなたの知る島津由乃ではないのに」
残念な事に、祐巳の友達への想いは改造されてしまった彼女には届かなかったらしい。ヨッシーさんは刀を握り直し、這い蹲った祐巳を嘲りながら近付いてくる。
くそう、シオリ博士め。病弱だった由乃さんが元気になったのは喜ばしい事だが、元気になり過ぎだ、なーんて心の中で愚痴ってみても事態は好転しない。今の祐巳にできる事と言えば、ヨッシーさんの持つ刀の錆になるのを待つ事だけだった。
しかし、そんな最早これまで的な絶体絶命の危機に、
「あら、確かに祐巳さんは馬鹿だけれど、そういう所が祐巳さんらしくて良いのではなくて?」
突如割り込んでくる謎の声。
「それ、フォローになってない!」
「っていうか、むしろ馬鹿にしているんじゃ……」
思わずツッコミを入れる祐巳たちが声の主の姿を見付けるより早く、ヨッシーさんに向かって紫電が疾った。
「くっ!」
慌てて飛び退り、それをギリギリの所で回避するヨッシーさん。目標を失った紫電はそのまま直進して、二年ほど前に教材用として購入された最新型の温室を粉砕した。
「……なっ、何て事するの由乃さん!」
その光景に一瞬呆けるも、ここで戦闘を行ってはいたが、温室の破壊について自分は全くの無関係であるとしっかり主張しておく。温室の中には様々な花や種、苗などがあり、それらも含めて弁償するとなると結構な額になるだろうからだ。ヒーローとは基本的に無償奉仕。月々のお小遣いは、曲がりなりにも社長令嬢という事もあり一般家庭の同年代の人たちより多くもらっているが、それでも常識の範囲内の金額だ。温室を丸々一つ弁償できるほどのお金なんて、たとえ貯金を崩しても出てこない。
「ちょっ、何言ってるのよ!? 私のせいじゃないわよ!?」
馬鹿に見えるほど必死に手と首を振るヨッシーさん。
懐事情は怪人であろうと変わりはないんだなぁ、なんて微笑ましく思っていると、
「二人とも馬鹿ね」
闇の中から滲み出るように、一人の少女が姿を現した。
「誰っ!?」
少女の事を知らないヨッシーさんが声を荒げる一方、彼女の事を知っている祐巳は目を見開いていた。
「魔法少女シマコ……」
純白のドレスに身を包み、凛と佇む見目麗しい少女。それは、リリアン女学園に存在する、もう一人のヒーローだった。
彼女は慈愛の微笑を浮かべながら、人の心を落ち着かせる柔らかな声で言う。
「誰が温室を破壊したかで争うなんて時間の無駄だわ。ここは三人同時に戦って、一番最初に敗れた人のせいにしましょう」
「……」
「……」
魔法少女と浪人少女。二人の少女が祐巳へと目を向けてくる。
「……何で二人してこっち見ンの?」
話の流れ的に尋ねてはみたが、理由は説明されるまでもなく分かっていた。今この場にいる三人が戦えば、ボロボロになって地面に這い蹲っている祐巳が一番に負けるだろうから。しかし、怪人ヨッシー。ちょいと思い出して欲しい。妙な提案をして有耶無耶にしようとしているが、あなたに向かって紫電を放ったのはその魔法少女なのだという事を。
「まさか、魔法少女シマコとはね。実在していたとは思わなかったわ」
姿は知らなくても、噂は耳にした事があったらしい。ヨッシーさんが薄ら笑いを浮かべてシマコさんを睨み付ける。直接向けられたわけでもないのに死を覚悟させられるほどに凄絶なその笑みは、ほんの三十秒ほど前に祐巳の指摘によって自分が騙されかけていた事を知り、顔を真っ赤にして地団太を踏んでいた人物のものとは到底思えない。
「なかなか強いらしいけれど、本当かしら?」
「あら、試してみる?」
ヨッシーさんの挑発的な言葉に、シマコさんが赤い宝石の輝く杖の先端を彼女へと向ける事で応える。そんな、今にも魔法を放ってしまいそうな様子のシマコさんに、祐巳は思わず叫んでいた。
「駄目っ! 彼女は由乃さんなの! 私たちの友達なんだよ!」
「知っているわ」
「知ってるって……だったら、どうして戦おうとするの? 友達でしょう?」
尚も食い下がる祐巳に、シマコさんは寂しそうに目を伏せた。
「……私だって本当は、友人を傷付けるような真似なんてしたくないわ」
不意に吹いた一陣の風が、ヨッシーさんと対峙するシマコさんの纏う純白のドレスの裾を揺らす。
「けれど、それが大切な友人だとしても」
島津由乃さんは、魔法少女シマコの正体である藤堂志摩子さんにとっても友人なのだ。
「彼女が人に害を成す存在である以上、私は彼女を滅ぼさなければならない」
シマコさんは目を開き、ヨッシーさんを睨み付ける。
「なぜならそれが、私に与えられた役割だから」
「ふうん。どうやらあなたは、そこの腑抜けたタイツ・ザ・フクザワとは一味違うみたいね?」
そう言ってヨッシーさんは、鈍い光を放つ刀を上段に構えた。
「それでこそ私も張り合いがあるというもの」
ヨッシーさんは刀を上段に構えたまま、眼光鋭くシマコさんを見据えている。その眼差しから、防御の事など全く考えていない事が窺い知れた。
(まずい! 由乃さんは、魔法少女の弱点を知っている!)
自身の勝利を確信してか、ニヤリと嗤うヨッシーさんに祐巳は息を呑んだ。
「いざ」
彼女の狙いは、至極単純。一直線にシマコに近付き、刀を振り下ろす。ただ、それだけだ。しかしそれは、魔法少女相手には非常に有効な手段となる。なぜなら、魔法少女の魔法は確かに強力だが、魔法を行使するために「ロサロサ・ギガギガ・ギガンティア♪ 桂さんよ、真っ二つにな〜れ☆」みたいな長い詠唱が必要となるからだ。そして、その詠唱によって生じる時間的な隙が、そのまま強力無比な魔法を操る魔法少女の弱点となる。つまりヨッシーさんは、魔法を行使される前に、一撃でシマコさんを倒すつもりなのだ。
「尋常に」
それを分かっているのだろう、シマコさんの杖を握る手に力が込められる。その細い杖で、ヨッシーさんの攻撃を受け止めるつもりなのかもしれない。だとしたら、それは無謀でしかない。ヨッシーさんの腕力は見た目よりもずっと強く、その風貌通り接近戦を得意としているのだ。
「駄目っ! 志摩子さんっ! 避けてっ!」
祐巳の悲鳴も空しく――、
「勝負っ!」
「勝負っ!」
二人の声が重なった。
「ロサギガ♪ フレイム・アロー☆」
詠唱を短縮する事によって、本来ならば「ロサロサ・ギガギガ・ギガンティア〜♪ ヨッシーさんよ、勢い良く燃え上がっちゃえ〜☆」という感じのアホらしい上に長い詠唱をスっ飛ばして、杖の先端から炎の矢を放つシマコさん。
「ほえ?」
とんでもない速度で一直線に飛んだそれは、あれ? あの長ったらしい詠唱は? と祐巳と同じように呆けた反応を見せたヨッシーさんに突き刺さると、オーバーキル上等とばかりに激しく燃え上がった。
「峰打ちよ。安心すると良いわ」
火達磨となって転げ回るヨッシーさんに目を向けながら、純白の魔法少女が呟く。
「いや、峰打ちって……」
何がどう峰打ちだったのだろうか、と疑問に思う。シマコさんの杖から放たれた炎の矢はヨッシーさんに直撃したようにしか見えなかったし、今現在も火達磨となっているヨッシーさんは、悲鳴を上げながら悶え苦しんでいるのだ。それに、そもそも矢に峰と呼ばれる部分は存在しない。
もしかすると、魔法少女たちの間では一撃必殺的な技を峰打ちと言うのかもしれない、と祐巳が思い始めた頃、転げ回っていたヨッシーさんに変化があった。
「死ぬかと思ったわ」
何と、間違いなく死んだな、と思われていたヨッシーさんが、見事火を消し止めて立ち上がったのだ。
「峰打ちだなんて、舐めた真似してくれるじゃない」
しかも不思議な事に、短時間とはいえあれほどの炎に包まれていたにも関わらず火傷は一切なく、全身煤塗れ、顔面蒼白、足腰フラフラ状態で済んでいるのだ。しかし、何よりも祐巳が不思議に思ったのは、ヨッシーさんもあれを峰打ちと認識している事だった。シマコさんの方がおかしいのだと思っていたのだけれど、ひょっとすると自分の方が間違っているのではないかと不安になってくる。
「今度はこちらの番ね」
鞘に収めた刀を腰溜めに構えながら、ヨッシーさんが言った。
「いいえ、今度も私の番よ。ロサギガ♪ フレイム・アロー☆」
「それはもう見切った」
不意打ち気味にシマコさんが放った炎の矢を、ヨッシーさんは目にも留まらぬ速さで刀を抜き放ち、一撃の下に断ち切った。へっぽこ剣士だった彼女は、怪人に改造された事で腕力だけでなく剣の腕も格段に上がっていたのだ。おそらく、今後シマコさんがどのような攻撃を放ったとしても、先ほどのように全て断ち切られてしまうだろう。
しかし、アニメや漫画のヒーローは、どんな苦境に立たされようと決して諦めない。それはシマコさんも例外ではなく、彼女は無駄と分かっているのに、杖の先端をヨッシーさんへと向けたのだ。
「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「はへ?」
迎撃体勢を取っていたヨッシーさんの足元の地面が膨れ上がり、大地を揺るがすほどの大爆発が起こった。まるで紙で作られた人形のように空中を舞ったヨッシーさんは、五秒ほどの空中遊泳を楽しんだ後、引力に引かれるまま地面に激しく叩き付けられる。
なるほど。目視可能な矢として放つのではなく、一定の範囲内に存在するもの全てにダメージを与える範囲魔法に変更したのか。これなら魔法少女でもない限り防ぐ手立てがない。
今度こそ死んだだろう、と手を合わせる祐巳に、シマコさんは微笑みながら言った。
「勿論、峰打ちよ」
「……」
倒れ伏しているヨッシーさんを見ていると、シマコさんの言葉を裏付けるかのように、むくりと起き上がった。服はボロボロ、目の焦点も合っていないように見えるが、あれだけ激しく叩き付けられたにも関わらず自力で起き上がったのは最早奇跡としか言いようがない。峰打ちって奥が深い。ひょっとすると、その単語を口にすれば、如何に凶悪な攻撃を受けようと生存が可能となるのかもしれない。
砂埃やら煤やらを振り払い、大地にしっかりと両の足を立ててヨッシーさんは言う。
「甘過ぎて反吐が出るわ。峰打ちごときで私を倒」「ロサギガ♪ インフェルノ☆」
ヨッシーさんを中心に、辺り一帯が火の海と化した。大地はマグマに支配され、灼熱の炎が大気を焦がし、黒煙が立ち昇る。まるで、お祖父ちゃんが話してくれた御伽噺に出てきた地獄のような様相だ。
「心配しなくても、ちゃんと手加減はしておいたわ」
「……どの辺りを?」
ヨッシーさんの姿を探そうとしたが、炎と黒煙の壁に阻まれて確認することができない。探すのを早々に諦めた祐巳は笑顔のシマコさんに目をやりながら、今後一切彼女にケンカを売るのはやめよう、と思うのだった。
「あら、思っていたよりも早く復活したわね」
シマコさんの言葉に、する事がないので立ち昇る煙の本数を数えていた祐巳は、彼女の視線を辿った。
揺らめく炎をかき分けて、祐巳たちに無事な姿を見せるヨッシーさん。本当に手加減されていたらしく、所々服が焦げている事と擦り傷があるくらいで大した怪我は見当たらないが、どうやら彼女は酷く怒っているようだった。
「人が喋っている最中に攻撃するだなんて、ヒーローの風上にも置」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
再び、紙で作られた人形のように宙を舞うヨッシーさん。
ずべしゃあっ、と音を立てて顔から着地するものの、負けてなるものかと気力を振り絞って立ち上がり、先ほどと同じように炎と煙の中から現れる。
「最近のヒーローは、お約束も知らないのかしら? 人の話は最後まで」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
再三、紙で作られた人形のように宙を舞うヨッシーさん。
あれだけ景気良く何度も吹っ飛ばされていると、いい加減気力も萎えそうなものだが、負けるものかと歯を食い縛り立ち上がる。ボロクズのようになりながらも絶対的な王者に立ち向かうその姿には、祐巳も感動を覚えずにはいられなかった。
「そろそろ私の話を聞く気になっ」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
二度ある事は三度あり、三度目もあったなら四度目もきっとある。って事で、本日四度目となる空中遊泳を楽しむヨッシーさん。着地後、気力が尽きかけているのか、刀を収めた鞘を杖代わりに炎の中から出てくる。
「何でも力で解決できると思っ」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「どうやら、私の話なんて聞」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「分かったわ。私が悪かっ」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「やめて。もう飛びたく」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「お願い。酷い事しな」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「死ぬ。死んでしま」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「ああ。ああああ」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「……」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「……」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「……」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「……」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
幾つものクレーターを作って気が済んだのか、純白の魔法少女はとても爽やかな笑顔を浮かべながら言った。
「全て峰打ちよ」
「峰打ちって、完膚無きにまで叩きのめす事だっけ?」
地形を変えるほどの威力を持つ魔法をあれだけ連発されて、よくもまあ原型を留めていたなぁ、と思いながら、死の淵を彷徨っているらしいヨッシーさんへと目をやる。
「うぅ……悪魔が…………来ないで……」
纏っていた服が破れ、際どい格好となったヨッシーさんは大地に横たわり、煤に塗れた顔を苦悶に歪めながらうわ言を繰り返していた。うわ言に出てくるその悪魔とやらは、きっと純白のドレスを纏った魔法少女の格好をしているに違いない。
ヒーロースーツ(全身タイツ)をボロボロにされた仕返し(基本的にヒーローは無償奉仕なので、修繕費は自腹となる)と、ちょっとした悪戯心から、魘されている彼女の耳元に唇を寄せて優しく囁いてみる。
「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
その効果は絶大で、ヨッシーさんはカッと目を見開くと虚空に手を伸ばし、
「いいぃぃぃぁあああ……ぁ………………」
と絶望の声を上げた後、糸の切れた操り人形のようにピクリとも動かなくなってしまった。
「え、あの、由乃さん? わああっ! ダメぇっ! 呼吸止めちゃダメぇっ!」
「悪の手先として改造されてしまった愛する友人を、せめて魂だけは救おうと、涙を呑んでその手にかけるとは……」
「ほ、ほら、落ち着いて呼吸しよう? はい、吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー……って、心臓も止まってる!?」
「あなたこそ真のヒーローよ。タイツ・ザ・フクザワユミさん」
「さっきから煩い上に何か名前長いよ!?」
そんな名前で呼ばれたら、一発で正体がバレてしまうじゃないか。しつこいようだが、ヒーローにとって正体がバレるという事は、死を意味するのだ。特に祐巳の場合、真っ赤な全身タイツって所が最悪で、正体がバレようものなら社会的に死ぬ。
「い、いや、今はそんな事よりも、私がトドメを刺しちゃったみたいな感じの由乃さんをどうにかする方が先決だわ」
とは言ったものの、いったいどうすれば良いのか、良い考えがちっとも浮かんでこない。普通なら心臓マッサージとか人工呼吸とか、そういう蘇生法を行う所なのだけれど、由乃さんは悪の怪人なのだ。友人を助けたいという気持ちは勿論あるが、蘇生が成功したとしても再び暴れ回られるのでは意味がない。
祐巳が頭を悩ませていると、シマコさんが提案してきた。
「いっその事、ヒーローに付き物の尊い犠牲という事にして埋めてしまってはどうかしら?」
都合の良い事に、埋めるための穴ならそこら中にある。シマコさんが作ったクレーターだ。深さも大きさも申し分ない。由乃さんもきっと満足してくれる事だろう。
しかし祐巳は、
「由乃さんは、私の大切な友人。それはできない」
鋼鉄の意思を以ってその提案を断ったのだった。
「どうしても彼女を救いたいのね?」
「うん」
シマコさんの問いかけに、由乃さんにトドメを刺したのが祐巳だという事を忘れさせてしまうほど、力強く頷いてみせる。
「それなら、良い方法があるわ。しかも、この方法を使うと、由乃さんを救うだけでなく、由乃さんにトドメを刺した祐巳さんも罪の意識から解放される事になるの。ただし、祐巳さんの協力が必要不可欠よ」
ちっ、そう簡単には忘れてくれないか、と表情には欠片も出さずに内心で舌打ちする。
「私の協力って?」
「薄々気付いているとは思うのだけれど、ここは祐巳さんの夢の中なの」
何を馬鹿な、と思ったが、そうとしか考えられない事があった。普通なら死んでいるであろう、高威力の魔法を連発されても生きていた(既に過去形なのは気にしてはならない)由乃さんの事だ。現実なら、あれで生存は有り得ない。そして、たった今気付いたのだが、現実では魔法自体が有り得なかった。
「現実の祐巳さんが目を覚ませば、ここであった事は全て、夢の中の出来事として処理されるわ」
「なるほど。それなら確かに、全ての問題が解決されるね。でも、いったいどうやって現実の私を目覚めさせるつもりなの?」
今ここで「起きろー」ってシマコさんと二人並んで叫んでみても、絶対に起こせないという自信がある。なにしろ相手は福沢祐巳(自分)。他人の期待を裏切るのは、超得意なのだ。
「そこで、祐巳さんの出番よ」
「何か嫌な予感がするんだけど、私の出番って?」
「今ここにいる祐巳さんが何かしら衝撃的な体験をすれば、現実の祐巳さんも驚いて目を覚ますわ」
「嫌な予感しかしないんだけど、例えばどんな衝撃体験?」
「先ほどの由乃さんと同じような目に遭えば良いと思うの」
「うん。やっぱり、由乃さんを埋める方向で考える事にしよう」
「それでは、早速始めるわね」
「おいおい。私の話、ちゃんと聞いてた? 由乃さんを埋め」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
足元の地面が膨れ上がったかと思うと、次の瞬間には宙を舞っていた。笑顔のシマコさんから夜空へと景色が切り替わり、次に見えたのが硬い大地だ。そして、それが見えたと思った時には、顔面から着地していた。
「ぶっ」
顔面を支点にしての逆立ち。その状態を三秒ほどキープした後、祐巳は母なる大地に大の字となって横たわった。
闇色のキャンバスに浮かぶ無数の星々が煌き、瞬く。白銀に輝く真ん丸な月は、静かに大地を照らし付けている。月の光と夜の闇が織り成す、モノクロの世界。こんなにも美しい世界で、こんな所に横たわっている自分の何と惨めな事か。
「世界はいつだって、こんなはずじゃない事ばっかりだ……」
どこかで聞いたような名台詞を口にしながら恐る恐る立ち上がり、自分の状態を確認してみる。
「おおっ、ホントに痛くない」
打ち身や擦り傷はできているが、見た目だけで痛みなど全くない。この事がいったい何を意味するのか、それに気付いて歓喜に身を震わせる祐巳に、シマコさんが声をかけてくる。
「こんな感じなのだけれど、大丈夫かしら?」
ここで「大丈夫じゃない」と祐巳が答えても、無視した挙句躊躇いなく吹っ飛ばすだろう。彼女はそういう人だ。この魔法少女、きっと笑いながら人を殺せる。
しかし今の祐巳は、傷付ける事はできても死なないどころか痛みすら感じない。つまり、目の前の凶悪魔法少女シマコさんと対決しても勝てる――かもしれないのだ。
「ふふん。温いわね。そんな攻撃、この私にはちっとも効か」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
私にもう怖いものなんてない、と良い気になりながら挑発していた祐巳は、いきなり吹っ飛ばされた。綺麗な放物線を描いて宙を舞った後、着地先で二、三回ほどバウンドして、ようやく止まる。
うん、あのね。確かに痛くはないんだけど、怖いの。すっごく怖いの。特に地面がもの凄い勢いで近付いてくる時は、死の恐怖を感じるの。由乃さんの気持ちが、少し分かった気がするの。だから祐巳、恥ずかしいけど土下座しちゃうっ!
「ごめんなさい。嘘吐いてまし」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「土下座中に攻撃とか有り得」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「あなたには人の血が流れ」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「死ぬ。マジで死んじゃ」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「もうゴールしても良」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「永遠はあるよ、こ」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「私を殺した責任」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「……」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「……」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「……」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「……」「ロサギガ♪ エクスプロージョン☆」
「というわけで、今日から由乃さんの渾名はヨッシーとなりました」
夢の内容を語り終えた祐巳は、そう締め括って鶏の唐揚げを口に放り入れた。
「……随分と長い前フリだったわね」
うん、美味い。さすがは私だ、と自分で作ったお弁当を食して自らを褒め称えている祐巳の前で、可愛い顔を精一杯引き攣らせているのは、黄薔薇のつぼみの妹こと島津由乃さん。
お昼休みに一年菊組の教室を訪ねた祐巳は、由乃さんの前の席の人に場所を借りて、由乃さんと昼食を摂っているのだった。ちなみにこの由乃さん、いつもはクラスの人たちと食事を摂っているらしい。てっきり令さまと一緒だと思っていたので驚いた。
「ひょっとして、ヨッシーが気に入らない?」
「逆に聞きたいんだけれど、どこに気に入る要素があるって言うのよ?」
「見た目で渾名を付けられるより、ずっと良いと思うよ? 例えば私だと、タヌキ。蔦子さんなら、カメラちゃん。由乃さんは、仕返しが恐ろしくて口には出せない」
祐巳は、由乃さんの遠慮がちで控えめな胸元に視線をやりながら言った。
「どんな渾名を考えたのか、何となく想像が付いたわ」
「ぺったん娘(こ)が想像付くとは凄いね。ひょっとしてエスパー?」
「……へえ、私が想像していたよりもずっと素敵な渾名じゃない」
蕩けるような笑顔を浮かべる由乃さん。しかし、周囲から見え難い机の下では、祐巳の足をグリグリと踏み躙っている。病弱で大人しそうに見える由乃さんだが、見た目通りの性格ではないのだ。その事を知っているくらいには、祐巳は彼女と仲が良かった。祥子さまとの賭けを始めて一週間と三日。その間、親しくなる機会は幾らでもあったのだ。要するに、由乃さんの祐巳に対するこの行為は親愛の証……だと良いなぁ。
「ところで話は変わるけど、手術は受けないの?」
由乃さんの心臓は、中の壁の一部に穴が開いているらしい。そのせいで、別々の場所に送られるはずの血液が混ざり、動機や息切れが起き易くなっているそうだ。しかし、手術を受ければ治るし、成功率もほぼ百パーセント。受けようとしない理由が祐巳には分からない。
「令ちゃんのね、目が怖いの」
由乃さんは、祐巳の質問に対して不可思議な答えを返した。令さまの目が怖い事と由乃さんが手術を受けない事と、いったいどう結び付くのか皆目見当も付かない。令さまと言えば、真面目で優しく格好良い、「リリアンの頼れるお兄ちゃん」なのだ。ちなみに、令さまは間違いなく女性である。
「私を見るあの目、あれは飢えた獣の目だわ。手術なんか受けて健康になってしまったら、間違いなく襲われるわね」
令ちゃんの事は好きだけど、だからといって身体を許せるかと言えば、そうじゃないのよ、と由乃さんは続けた。
「は、ははは。由乃さんってば、冗談きっついなぁ。令さまがそんな……」
「令ちゃん、外面は良いからね。付き合いの浅い祐巳さんが騙されるのも無理ないわ」
「……」
淡々と告げる由乃さんに、嘘を吐いている様子はない。信じたくはないけれど、どうやら本当の事らしい。
そういえば、祥子さまと紅薔薇さまもそうだった。何より、目の前で溜息を吐いている由乃さんもそうだし、身近な所では栞ねーさまがそうだ。
人を見た目で判断してはいけない。祐巳は、その事を改めて思い知ったのだった。
*
時間は、あっという間に過ぎていく。
祥子さまとの賭けの期限まで、今日を含めて三日。
残された休み時間、放課後、帰宅後。その殆どの時間を、祐巳はシンデレラの台詞を覚える事に費やした。しかし、代わりに姉Bの台詞を忘れてしまう。
休み時間は、志摩子さんに付き合ってもらって中庭でダンスの練習。男性パートに益々磨きがかかった。
「というわけで、このままじゃ期限までに間に合わないと思うんだ」
「仕方がないわね。手伝ってあげるわ」
「ズルい静! 私だって、祐巳ちゃんのお手伝いしたい!」
思うように行かなくて祐巳が落ち込んでいると、静、栞、両ねーさまがお手伝いを申し出てくれた。驚くべき事に、祐巳よりも早く台詞を覚えた二人は、祐巳よりも上手くダンスを踊れた。
自分の才能のなさを思い知り、本気で床に「の」の字を書くほど落ち込んだ、十六歳の秋。
そうこうしているうちに、タイムリミットであるその日を迎えた。
*
「今の私が笑っていられるのは、祐巳のお陰よ」
マリア様の前で、祥子さまは言った。月明かりの下で微笑む祥子さまは、神話に出てくる女神様のように美しかった。
「私は別に、何も……」
「してくれたのよ。自分では分からないかもしれないけれど、確かに。だから、あなたにこれを受け取って欲しいの」
祥子さまが差し出したそれは、祐巳の目に眩く煌いた。
それは、祐巳のために差し出されたものだ。けれど、それを受け取る資格が自分にあるのだろうか、と考える。
「私……」
祥子さまの事は好きだ。大好きだ。胸を張って言える。でも、自分が彼女の隣に立つに相応しいとは到底思えない。だって、自分は祥子さまの隣に立つに相応しいものを、何一つ持っていない。勉強は苦手。運動も苦手。誇れるものと言えば、他人をからかった回数と迷惑をかけた回数くらいで、他には何もない。そんな人間が祥子さまに隣に立つなど、許される事ではない。
断ろう。断るべきだ。祥子さまには、自分よりもずっと相応しい人がいるはずだ。そう思いながら祥子さまを見て、祐巳は息を呑んだ。
祥子さまは、真っ直ぐに祐巳を見ていた。祐巳に向かってそれを差し出している自分を誇るかのように、真っ直ぐに祐巳を見て微笑んでいたのだ。
(ああ、そうか。そうなんだ)
資格がどうだなんて、そんなの関係ない。だって、祥子さまはもう、それを受け取るに相応しい人物として、祐巳を選んでいるのだ。祐巳の出さなければならない答えなんて、最初から決まっていたのだ。
この人には、きっと一生敵わない。
「お受けします」
そうして祐巳は、祥子さまの差し出している真っ赤な全身タイツを受け取ったのだった。
「って、えええええっ!? 何でここで全身タイツ!? って、あれ? ……何だ、夢か。あー、びっくりした」
布団を跳ね除けながら飛び起きた祐巳は、それが夢だったと気付いて胸を撫で下ろした。
しかし、
(まさか、正夢って事はないでしょうね?)
有り得ない、とは思うのだが、どうにも不安の残る夢だった。
*
とある月曜日から一週間と五日後、土曜日。
本番前日、最後となる練習を、祐巳たちは体育館に集まって行っていた。
体育館は二時から四時までしか借りられなくて、四時になれば落語同好会の人たちと交代しなければならない。祐巳たちは先ほど一回五十分の通し稽古を終えた所で、今は余った時間を使って、演じていて気になった箇所を確認、修正している所だった。
「ビビデ・バビデ・ブー」
指揮棒みたいなスティックを振り回して令さまが呪文を唱えると、ドライアイスで作られたスモークが祐巳の身を包んだ。
ここからは、時間との勝負。今現在祐巳が纏っているのは、一見すると下働き用のみすぼらしいドレスだが、幾つかある紐を引くと豪華なドレスに一瞬で変わるという、発明部と手芸部が共同で制作した、早変わり用のドレスなのだ。ちなみに、このドレスも祥子さまの体型に合わせて作られたものなので、祐巳ではやっぱりサイズが合わず、胸元には悔しかったり悲しかったりするものが多々詰め込まれている。
(うぐぐ、ちくしょう。今はまだ小さいけど、いつかきっと私だって――っと、危ない危ない。今はこっちに集中しないと)
お手伝いとして、スモークに紛れて四つん這いでやって来た由乃さんが、祐巳のドレスのウエスト部分にある紐に手をかける。それを確認してから、祐巳は袖に付いている紐に手をかけた。ゴクリ、と唾を飲み込む。背後の由乃さんからも、緊張が伝わってきた。
ある意味、劇の肝の部分とはいえ、どうしてここまで緊張する必要があるのか。それは、素早く、且つタイミング良く紐を引かなければ、
「ぐえええっ」
「あ、また祐巳さんの首が絞まった」
このようになるからだ。しかし、こっちは首が絞まって苦しんでいるというのに、何でそんなに冷静なの由乃さん?
「はい、OK! 完璧よ。本番も、この調子でやってちょうだい」
紅薔薇さまが、丸めた台本をメガホンにして叫んだ。
「ずっと思っていたんですが、何で失敗してるのにOKなんですか?」
実は、失敗したのは先ほどの一回だけではないのだ。通し稽古の時は成功したけれど、その前には何度か同じ失敗を繰り返している。にも関わらず、紅薔薇さまは満足げなご様子。
祐巳の疑問も当然と言えよう。紅薔薇さまは、首を傾げる祐巳に、非常に分かり易く答えてくれた。
「祥子は正統派シンデレラ。祐巳ちゃんはコメディー」
そういう意味では、先ほどのは失敗ではなく成功なんだそうだ。ふざけンな、ちくしょう。
祐巳は紅薔薇さまの胸を睨み付けた。その柔らかで張りのある羨ましいおっぱいを、後で思う存分揉みしだいてやる――そんな想いを込めながら。
「じゃあ、そろそろ交代の時間だし、各自片付けを――な、何? 急に寒気が……」
紅薔薇さまが身震いした。
「あ、祐巳ちゃん。祥子を知らない?」
ドライアイスを入れていたタライを運んでいると、折り畳み式の椅子を抱えた白薔薇さまに呼び止められる。どうやら祥子さまを探しているらしい。
「祥子さまですか? いえ、舞台の方では見ていませんね」
舞台の脇に、祐巳の運んでいるタライが設置してあったのだ。その関係で、つい先ほどまで祐巳は舞台上にいたのだけれど、そこでは祥子さまの姿を見ていない。
振り返って体育館内を見回してみるが、見える範囲に姿はなかった。近くを通りかかった志摩子さんに聞いても、知らないと言われる。
「どうしたの?」
祐巳たちが一箇所に固まっているのを不思議に思ったのか、黄薔薇さまが近付いてきた。せっかくなので祥子さまを見ていないかどうかを尋ねてみると、何と知っていると言う。
「祥子なら少し前に、気分が悪いって外に出て行ったわよ」
そういえば、今日も顔色が悪かった。きっと以前みたいに、体育座りで休んでいるんだろう。制服が汚れないように、しっかりとハンカチを敷いて。
「元気付けに行っても良いですか?」
「そのタライを、ちゃんと片付けてからならね」
何という情け容赦ないお言葉。白薔薇さまには、青色の血が流れているに違いない。
「か弱い女の子にこんな重いものを運ばせるなんて」
「いったい誰が、か弱いのよ? だいたい、そこまで重くはないでしょ」
それはそうなのだが、祐巳としては一刻も早く祥子さまの所に向かいたいのだ。
「あ、そうだ。こういう時こそ、男の人の出番です。さてさて、柏木さんはどこかなーっと……あれ?」
「こらこら。あなたはゲストに何をさせようとしているのよ」
白薔薇さまが窘めてくるが、祐巳はそれどころではない。だって、いるはずの人が見当たらないのだ。
「おかしい。柏木さんがいない」
「え?」
祐巳が呟くと、皆は確認するように周囲を見回した。
「ちょ、ちょっと、本当にいないわよ?」
「まさか、お二人は……」
「一緒って事?」
白薔薇さま、志摩子さん、黄薔薇さまの三人が揃って顔を青くする。
「それって、マズくない?」
「何か間違いがあったら、ものすごくマズイわね」
黄薔薇さまの「間違い」という単語が何を指すのか、鈍い祐巳にも分かる。それは、祐巳よりも鋭い人たちしかいないこの場で、それが分からない人間は存在しない事を示していた。
「ですが、祥子さまは男嫌いでは?」
「甘いよ志摩子さん。祥子さまにその気はなくても、男なんて皆飢えたケダモノ。彼らは私たちが隙を見せれば、鋭い牙を剥き出しにして容赦なく襲いかかってくるの」
「それはちょっと、極端過ぎると思うのだけれど?」
「何言っているんですか黄薔薇さま。女にだってケダモノがいるくらいなんですよ」
つい勢いに任せて言ってしまい、何を馬鹿な事言っているんだ私は! と思ったものの、三人は祐巳を見て、「あー」とか「なるほど」とか「確かに」と納得顔で頷いている。
そんな三人の様子に、今度からもう少し理性的に行動するように改めよう、と祐巳は顔を引き攣らせながら思ったのだった。
真面目に片付けをしていた紅薔薇さま、由乃さん、令さまの三人に事情を話して、祥子さまの捜索が行われる事になった。
片付けられなかった荷物は、落語同好会の人たちに頼んで体育館の隅に置かせてもらっている。勿論、捜索が終わった後に片付けるつもりだ。
体力に不安のある由乃さんは体育館前に残る事になり、残りのメンバーは二人一組に分けられた。三つのグループは高等部の敷地を囲むように捜索し、最後に分かれ道にあるマリア様の小さな庭の前で落ち合う事になる。二人一組となったのは、何かあった場合、一人が連絡係として走るためだ。
祐巳は白薔薇さまと組んで、第一体育館、グラウンド、テニスコートなどを回り、図書館の脇の道を通ってマリア様の前に出るルートを割り当てられた。
「いないとは思っていたけど、やっぱり体育館にはいないね」
出発前に、留守番役の由乃さんと一緒に三人で舞台裏、更衣室、倉庫を見回ってみたのだけれど、二人の姿はなかった。となれば、ここにいても仕方がない。急ぎ足で次の場所へと向かう。本当はドレスから制服に着替えたかったのだが、その間に祥子さまにもしもの事があっていけない、と涙を呑んで諦めた。くそっ、こんな格好で外を走り回るだなんて、どんな羞恥プレイだ……。
「じゃ、由乃さん。後は任せた」
「ええ、任せて。行ってらっしゃい」
由乃さんと別れて白薔薇さまと二人、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下へと出る。
「祥子さまと柏木さんのどちらか一人でも劇の衣装のままなら、相当目立つはずです」
柏木さんには薔薇の館の一階にある部屋で着替えてもらったので、そこまで確認に行かないと分からないが、祥子さまの制服は体育館の更衣室にそのまま残されていた。つまり祥子さまは、シンデレラのドレスのままでいる可能性が極めて高いのだ。
「きっと、誰かが見かけていると思います」
「そうね。幸いな事に、今日は山ほど生徒が残っているんだから」
本日は学園祭前日。明日のために、まだ沢山の生徒が居残っているのだ。そこで、道中出会った人に、手当たり次第尋ねてみる事にした。
祐巳の友人、桂さん。
「紅薔薇のつぼみなら、王子さまと一緒にいるのを見かけたけど……ごめん。どこに向かったかまでは分からないわ。ところでそのドレス、胸元が不自然に膨らんでない?」
「……キサマの事は、たった今からKさんと呼ぶ事にした。なお、苦情は一切受け付けない。それにしてもあの二人、やっぱり一緒にいるのか。情報ありがとう、Kさん」
祥子さま、及び栞ねーさまのクラスメイト。
「祥子さんなら、十分くらい前にここを通って図書館の方に行ったわ。男の人と一緒にいたけれど、あんまり良い雰囲気には見えなかったわね。ところでそのドレス、胸元が――」
「こっちですね? ありがとうございました」
猫耳カチューシャの上級生。
「ちょっと前に擦れ違ったニャン。多分、銀杏並木の方に向かえば、会えるんじゃないかニャ?」
「いっ、今の見ました白薔薇さま!? あの耳、間違いなく動いてましたよね!?」
影のある上級生。
「死んじゃえ……」
「……」
ランチ。またはメリーさん。或いはゴロンタという名前の猫。
「ニャ? フ――――ッ!」
「祐巳ちゃん。本物の猫にまで話しかけてどうするのよ?」
道行く人たちから得られた情報を元に、祐巳たちは銀杏並木を目指す事にした。幸いな事に、現在祐巳たちがいる図書館脇の道は捜索ルートに入っているので、何の気兼ねもなくこのまま進む事ができる。
「多分だけど、あの子、王子さまの事が好きなんじゃないかな」
図書館に沿って道を進んでいると、白薔薇さまが唐突にそんな事を言った。あの子、というのは祥子さまの事だろう。ここで、わざわざ祐巳の知らない人物の事を話す理由がない。
「祥子さまの様子がここ最近おかしかった理由が、『恋煩い』だと?」
「そういう事」
「それにしては、窓辺で物思いに耽ったり、溜息吐いたり、ちっとも幸せそうに見えなかったんですけど」
むしろ苦しんでいるように見えた。恋煩いってのは、もっと幸せそうにしているものなのではないだろうか。
「恋が全て幸せなものだなんて限らないでしょ? 悲恋って言葉があるくらいだし」
「そうですね」
いつの間にか、祐巳は足を止めていた。それは、祥子さまが恋をしているという事に驚いたからではなく、自分と同じような事を白薔薇さまが考えていた事に驚いたからだ。
白薔薇さまはそんな祐巳に合わせてくれたらしく、数歩先で足を止めて祐巳へと振り返っている。ちょうど良い機会なので、祐巳は自分の考えを打ち明ける事にした。
「実は私、ずっと考えていたんです。ひょっとしたら、祥子さまと柏木さんは元々知り合いなのではないか、って」
これは、自分自身の例があるから、割とすぐに思い付いた。実は、祐巳と柏木さんが元々知り合いだとは、静、栞ねーさまと蔦子さんの三人を除いてまだ誰にも知られていない。というのも、静ねーさまたちの過剰で過激な反応で懲りた祐巳が、妙な噂が立つのを恐れて柏木さんに近付かなかったからだ。
「なるほど。そこまでは考えてなかったけれど、可能性としては十分有り得るわね」
「ええ。それに、たしか祥子さまのお父さまには、お妾さんがいるんでしたよね?」
これは、柏木さんが薔薇の館に初めて訪れた日に、目の前にいる白薔薇さまから聞いた話だ。
「それがどうしたの?」
「あの二人、実は腹違いの兄妹なのではないか、と私は疑っています」
「兄妹!?」
白薔薇さまが目を丸くする。さすがにこれは、予想よりずっと外れた所にあったらしい。
「そう、兄妹なんです。しかも祥子さまは、その事をごく最近まで知らなかったんじゃないでしょうか。好きになった相手が兄とは知らず、日々想いを募らせていく祥子さま。ある日、お父さまから衝撃の事実を告げられてしまうんです。『彼はお前の兄なんだ』、と。ああっ、何という悲劇。できる事なら今すぐお側に駆け付けて、身も心も慰めて差し上げたい……」
「たしかに、それが本当なら悩むわね」
「ええ、そりゃもう。なにしろ禁断の恋ですから」
「でも、それは」
「勿論これらは、ただの推測に過ぎません。ですが私は、まるっきりの見当違いとも思っていません」
「どうして?」
「目元がそっくりなんです。あの二人。顔の作りも似てますし、何となくですが雰囲気も似ていると思いませんか?」
「それだけじゃ理由としてちょっと弱いかな……」
「ま、そうでしょうね。結局の所、こうして推測だけ並べていてもどうにもなりません。はっきりさせたいのなら、当人たちに聞くのが一番です。もっとも、素直に答えてくれるとは限りませんが」
「そうね。立ち止まって考えるより、先に進むべきよね」
この道を真っ直ぐ進めばいずれ二又の分かれ道に出て、マリア様の小さなお庭が現れる。そこが、他の二組と合流する予定の場所でもあった。銀杏並木は、その少し先にある。ここからそんなに遠くない。
じゃあ行くか、と二人揃って足を一歩前に進めたその時、
「やめてったら、離して!」
前方から悲鳴が聞こえてきた。
「あの声って……」
「祥子さまだと思います」
祐巳と白薔薇さまは顔を見合わせると、我先にと走り出した。
銀杏並木を過ぎてマリア様のお庭の前に辿り着いた所で、柏木さんに手首を掴まれている祥子さまを発見。
「祥子から手を離せ!」
白薔薇さまは、相当頭に血が上っているらしい。言葉遣いが乱れに乱れている。そんな白薔薇さまとは対照的に、祐巳は随分と落ち着いていた。
「白薔薇さま、そんな事は言うだけ無駄です。ここは強行手段に出ましょう」
冷静に自分の拳ほどの大きさの石を拾うと、そのまま柏木さんに殴りかかろうとして、白薔薇さまに羽交い絞めにされる。
「離してくださいっ! あの男だけはっ! あの男だけは、私の手で血祭りに上げてやらないとっ!」
「落ち着いて! とにかく落ち着いて祐巳ちゃん! そんなもので殴ったら、下手すりゃ死んじゃうって!」
「ありがとう白薔薇君。できれば、祐巳ちゃんの事はそのまま抑えていてくれると助かる」
王子さまは、こんな時でも王子さまだった。爽やかな笑顔が実に憎らしい。
「えっと……どういう状況?」
祐巳たちと同じように悲鳴を聞いたらしく、紅薔薇さまと令さま、志摩子さんと黄薔薇さまも駆け付けてきた。しかし、祐巳たち四人を見て首を傾げている。しかし、それも無理のない事だろう。祥子さまは柏木さんに手首を掴まれ、それに対峙するようにして、祐巳が白薔薇さまに羽交い絞めにされているのだから。
そこで祐巳は、状況を説明しようと口を開いた。しかし、タイミング良く(悪く?)他の三人も同時に説明しようとしたらしい。
その結果、
「祥子が柏木に襲われて」
「柏木さんが祥子さまを襲って」
「祐巳ちゃんが僕を襲おうとして」
「白薔薇さまが祐巳を止めようとして」
「……いっぺんに喋らないでちょうだい」
紅薔薇さまが大きく息を吐き出しながら、額に手をやる事となった。こんな時まで苦労人。不幸の星の下に生まれたとしか思えない。後で労ってあげようと思う。この件が片付いて、その時にまだ覚えていれば。
「とりあえず、祥子から手を離してください」
紅薔薇さまが有無を言わさぬ口調で言うと、柏木さんは観念したのか、随分あっさりと祥子さまから手を離した。
「祥子、大丈夫?」
祥子さまが小さく頷き、それを確認した紅薔薇さまは再度柏木さんへと目をやる。
「それでは、なぜ祥子の手を掴んでいたのか、その事について説明していただけますか」
「そうですね。確かに、説明は必要だ。でも、僕が説明したからといって、それを本当の事だと信じてもらえるのかな?」
皆が答えに詰まる。それは勿論、柏木さんの言った通り、彼に説明されても信じなかっただろうからだ。柏木さんは、それをちゃんと見抜いていたのだった。ちなみに祐巳は、最初から柏木さんの事なんて信じていない。
柏木さんは、答えに詰まってしまった皆から祥子さまへと目を向けた。
「君から話してやれよ。その方が、皆も信じ易いだろう?」
「……そうね」
祥子さまは、柏木さんを見て頷いた。
「その方が、お互いのためかもしれないわ」
何かを諦めたような、大切な何かを失ってしまったような、悲しい目。そんな目が、祐巳たちに向けられた。
「最初は、落ち着いて話をしていたんです。でも途中から言い争いになってしまって、そこに皆さまがいらしたんです」
「話? どうして人目を忍んで、こんな所で話をしなければならないの?」
紅薔薇さまは眉間に皺を寄せた。苦労人の証はああやって刻まれるのか、などと恐ろしく失礼な事を考えている祐巳を他所に、祥子さまの説明は続く。
「実は彼――柏木優さんは、私の従兄なんです」
「ええっ!」
その言葉に、皆が驚きの声を上げた。例外は、祐巳と白薔薇さまの二人だけだ。
「何だ、従兄か」
「期待して損した」
「どうしてそっちの二人は、そんなにガッカリしているんだい?」
柏木さんが首を傾げているが、実は腹違いの兄妹だと期待していました、てへっ、なんて間違っても口にできない。もし知られる事になれば、柏木さんはともかく祥子さまには間違いなく酷い目に遭わされるであろう。目を閉じると、頭を鷲掴みにされて宙吊りとなっている自分の姿がやたらと生々しく(だって体験済みだもん)思い浮かんだ。
「私の父の姉の息子が彼――優さんなんです」
祥子さまが詳しく説明してくれたので、二人が本当に親戚なのだという事はよく理解できた。しかし、その事をわざわざ隠していた理由が分からない。祐巳と同じように、妙な噂が立つのを避けたかったから? それとも、他に理由があるのだろうか。
「しかも、それだけじゃなくて――」
祥子さまが俯く。一瞬言葉が途切れたが、彼女は搾り出すように言った。
「私の婚約者でもあるんです」
「えええ――――っ!」
これには祐巳も、大声を上げて驚く事となった。お互い、まだ高校生なのに婚約者。ゲームとかドラマの中での設定ならともかく、まさか現実にあるとは思わなかった。
「というわけで、僕たちは結婚を言い交わした仲なんだ。だから、手ぐらい握るし」
完全に俯いてしまった祥子さまの後を引き継ぎながら、柏木さんは祥子さまの手を取った。
「肩だって抱くし」
言葉をなぞるように、肩に手をかける。そして、逆の手を俯いている祥子さまの顎に添えて、ゆっくりと上を向かせた。
(ちょっ、ちょっと待てオイ。あなたは私の祥子さまに何をしようと……)
その態勢はまずい。何がまずいって、見つめ合う二人の顔が近い。近過ぎる。つまり柏木さんが何をしようとしているのかというと、彼は祐巳たちの前で、祥子さまにキスをしようとしているのだった。
やめてっ! そう叫びたいのに声が出なかった。何とかやめさせようと手を伸ばすが、もう遅い。
「それに、キ」「調子に乗るのっ! おやめになったら!」「ックだって……」
柏木さんはきっと、「キックだって」じゃなくて、「キスだって」と言いたかったに違いない。
油断していた彼の脇腹に肘打ちを一発。一歩下がって間合いを取り、そこから放たれた、それはもう見事な祥子さまのハイキックは、思いがけない展開に思考を停止させてしまった祐巳たちの前で、綺麗な弧を描いて柏木さんの側頭部に突き刺さったのだった。