【3465】 嵐の試食コーナーでこだぬきのなく頃に  (星灯 2011-03-02 17:49:04)


放課後の日が落ちて辺りが暗くなってきた時刻。
そういえば忘れ物が有ったなと踵を返して薔薇の館へと向かう途中、そんな島津由乃の物語。

「はぁーっ。きっと誰も居ないんだろうなぁ」

冬の寒さの所為か、はたまた家庭の明るさに惹かれる所為か、この時期のこの時間、この場所に人影が殆ど見当たらない。
凍える両手に息を吹きかけて、多少の不安を憶えながらも由乃は、こつこつと周りに鳴り響く足音を頼りに暗闇の中を一歩一歩進んでいく。

「あれ? 明かりが点いてる」

目的地まであともう少し。視界が広がって辺り一面を見渡せる場所に立ってみると、一箇所だけ、暗闇の中に浮かぶ光を見つける。
その方向にあるのは薔薇の館だけ。だけど放課後の定例会議は先程終わり、鍵を閉めるところまで確かに確認した筈。

「むむ、いったい誰だろう。あ、もしかして祐巳さんだったりして」

忘れ物でもしたのかな? まぁ祐巳さんてばおっちょこちょいだもんねと自分の事を棚に上げてくすくすと笑う由乃。
ふいに祐巳の怒った顔が脳裏に浮かび上がり、ちょぴりの反省とその可愛らしいふくれっつらを突いてみたくなる気持ちが胸の中に湧き上がる。

今度会ったらどんな風にいぢめてみようかしら? 次は志摩子さんでも誘ってみようかしら?
次々と浮かんでは消える祐巳の顔が、由乃の心から不安を取り除くのだった。

「けどやっぱり」

薔薇の館を見上げて由乃は呟く。

「そう。祐巳さんが見せるどんな表情よりも笑顔が素敵だわ」

まるで万華鏡みたいにくるりくるりとひかり輝きながら変化し続ける祐巳の百面相。それに何時の間にか心を惹きつけられていた由乃。

「……ふふ。なんだか私、彼女の事ばっか考えてるな」

由乃と祐巳、ふたりが出逢ってからまだ日は浅い。それでも祐巳の笑顔を見ると楽しくなる。祐巳の泣き顔を見ると悲しくなる。
姉であり、従姉でもある支倉令と二人きりで過ごしてきた日々では得難かった新しい感情の数々。

「令ちゃんが知ったらなんて言うかな? ……うん。きっと泣きながら抱きついてくる」

簡単に思い浮かぶ光景に多少の苦笑いを交えながら、それでも愛されていると実感できて照れくさく感じてしまう。
そして、自分も同じくらい愛を与える事ができる、いや与えたいと思える相手がこんなに近くにいるとは入学当時には考えもしなかっただろう。

しかも相手はあの福沢祐巳なのだから。

胸に抱えているその感情が恋なのかどうかは由乃にも分からない。しかし相手はみんなのアイドル、考えている暇は無い。
特に彼女を狙ってるという輩は両手で数え切れないくらいに居ると評判だ。

「ま、後ろ向きな考えなんて私にゃ似合わないしね」

いけいけゴーゴー! 当たって砕いてみせるぞ!と自分自身を鼓舞しながら、暗闇の中階段を上っていく。

―――ギシッ ギシッ ギシッ

「(明かりが)」

―――ギシッ ギシッ ギシッ

「(ビスケット扉。鍵は……)」

扉に手をかけると静電気のぴりっとした感触が体中を駆け巡る。

「……っつぅ!」

ちょんちょんと一二度触ってみる。今度は大丈夫みたいだ。

「よし、それじゃあ」

ドアをノックして由乃は扉をおもいっきり開いた。するとそこには……

「ごきげんよ…… う!?」
「あら、ごきげんよう」

そこには、所謂ゴスロリという奴を身に纏った黄薔薇さまこと鳥居江利子が居たのだった。



『嵐の試食コーナーでこだぬきのなく頃に』



十分経った? 一時間経った? それでも実際には一分しか経っていない、そんな時間の流れの中にて。

「「…………」」

由乃と江利子、ふたりの間にとてつもなく気まずい沈黙がどすんと居座っている。
会話を楽しむ気なんか毛頭無い。だけど今、この状態を脱する為の方法が無理やりにでも会話をする事しか思いつかない。

「……おばあさま、その格好はいったいナニ?」

だから心の中で覚悟を決めて、どう考えても普通じゃない格好に対してツッコミを入れてみる。

「どうよ、コレ? 可愛いでしょ♪」

フリフリのスカートを翻しながらそんな事を言う黄薔薇さまに対して、お前の頭こそどうよと言いそうになるのをすんでのところで留まる。

「どうよと言われましても…… こんな時間にそんな格好しているのは、一言で言ってクレイジーだとしか」
「あら、由乃ちゃんてば。随分と口汚い事を言うわね」

みんなの憧れ、黄薔薇さまに向かって言う言葉でない事は重々承知している。

「本当の事を言われて怒るようでは、黄薔薇さまもまだまだ修行が足りませんねぇ」

それでも由乃の口から勝手に溢れてしまう。

姉の姉、リリアンのスール制度において所謂おばあちゃんに当たる江利子を由乃は苦手としている。
嫌っている訳では無いのだが色々あって好きにもなれない、そんな微妙な関係を江利子に対して築いていた。

理由は簡単。嫉妬しているからだ。

小さい頃から一緒に過ごしてきた従姉、支倉令。自分が一番彼女の事を知っている筈だった。
なのに、江利子だけに見せる自分の知らない笑顔。……盗られたと思った。

それが甘えだとは気づいている。だけどどうしようもない。

「ふっふーん。由乃ちゃんもまだまだ甘いわねえ」
「な、なにがですか?」
「この服を作ったのが誰だか、どうせ気づいていて知らん振りしているんでしょ?」

そう、江利子は知ってか知らずか由乃の痛いところを的確に突いてくる。

「くっ…… ええ、もちろん分かっていましたとも。それを作ったのが令ちゃんだって事を」
「ふふ。まったく、嫉妬なんかしちゃって可愛いんだから」

そんな一枚上手な江利子に対抗する為、生来の気質も合わせてどうしても激情的な対応してしまうのだ。

「別に嫉妬なんかしてません!!」
「あらそう? それじゃあ私の勘違いかしら」

感情的な由乃とは対照的に笑顔を絶やす事の無い江利子。
それはいつもと同じ光景だった。しかし江利子の口から飛び出した言葉はいつもとは違い、由乃の事を心底驚かせるのだった。

「……私と由乃ちゃんはね、とても良く似ているのよ」

急に真顔になる江利子。それでも格好は可愛らしいままだからミスマッチもはなはだしい。


「我侭な私達の根っこに在るものはきっと同じ。だから嫉妬もするし、羨ましくも思う」
「江利子さまが私に嫉妬……? 羨ましい……?」

そんな理解の範疇を超えた江利子の言葉と格好に由乃は戸惑う。

「由乃ちゃんは令を盗られたと思っているんでしょうけどね、私だってそう思っているの」
「……どういう事ですか?」
「令ってば由乃ちゃんが入学した途端、私の手元からするりと飛び出していっちゃったんだもの。寂しいったらありゃしないわ」

だから令に関してはおあいこよと、そう口にする江利子の表情はそれでもまだなにか言いたげで。

「令ちゃんに関しては?」
「ふふ、まぁね。……っと、誰か来たわ」

まるで話の腰を折るかのように響き渡る足音。ギシギシと階段を軋ませながら誰かが薔薇の館にやって来た。

「ふむ、この歩き方は祐巳ちゃんかしら」
「……足音で分かるんですか?」
「そのとおりと言いたいんだけどね」

ほらっとなにかを差し出す江利子。それには福沢祐巳と書かれている。

「祐巳ちゃんの忘れ物。きっと取りに戻ってくると思っていたから今まで待っていたのよ」
「でもその格好は……」
「これ? うふふ、これはね」

祐巳ちゃんに着せる為に作ってもらったの。その言葉を聴いた由乃は誰に言われるでもなく死角、祐巳から見えないようにドアの後ろに隠れた。

「江利子さまの魂胆は十分過ぎる程良く分かりました」
「それは素敵」
「……そして、他に言いたかった事も」

我侭な私達。そっくりな私達。根っこに在るものが同じなら、きっと好きになる人も同じ。

「競争率高いなぁ」
「あら、なんのことかしら」

そうやって微笑む江利子は悔しい事にやっぱり綺麗だなと思ってしまう由乃。だから嫌いになる事ができないのだと。

「ライバルが多くて本当に困っているんですから。まぁ負ける気はしませんが」
「凄い自信だこと」
「ええ。親友という立場を存分に使わせて貰いますから」

江利子の笑顔が薄く歪む。それこそ、本人にしか気づかない変化に由乃は気づいてしまう。

「どうやら図星だったみたいですね」
「さぁ……」
「私が江利子さまだったらきっと同じ考えをしたと思います」

江利子がなにかを言おうとしたその時、ドアをノックする音が。祐巳だ。

「失礼しまーす」

間延びした祐巳の挨拶と共に開かれる扉。すかさず祐巳の後ろに回り込み羽交い絞めにする由乃。

「うわっ!? なに! なんなの!!」
「ふっふっふ。黄薔薇の園へようこそ、祐巳さん」
「よ、由乃さん!?」
「はい、忘れ物。祐巳ちゃんったらそそっかしいんだから」
「黄薔薇さまもいらっしゃったんですか!?」

いらっしゃったんですと笑顔の江利子に、言い知れぬ不安を覚える祐巳。

「というか、その格好はいったい……?」
「これ? これはねぇ……」
「祐巳さんに来てもらう為に待ってたんですって。黄薔薇さま」
「えぇっっっ!!」

羽交い絞めされた祐巳に一歩また一歩と近づく。

「こういうフリフリとしたドレスはやっぱり祐巳ちゃんみたいに可愛い子が着たほうが栄えるのよね」
「い、イヤです! 第一サイズが違うじゃないですか(主に胸)!!」
「私はね、祐巳ちゃん。ピッチリ派ではなくブカブカ派なの。そっちのほうが萌えるのよ」
「だからイヤですってば! そんな悲しい思いをするのは文化祭の時の衣装だけで十分なんですから!!」

当然といえば当然だが頑なに拒む祐巳。そんな祐巳の耳元に由乃は呟く。

「親友の私からのお願いでも?」

これはけん制。祐巳に一番近いのは親友である自分だと。祐巳は誰にも渡さないと。

「そうね。先輩からもお願いしようかしら」

それに負けじと江利子も自分の立場を強調する。年の差が生み出す関係もあるのだという事を由乃に教える為に。

「うっ……」
「さぁ祐巳さん!」
「楽しい楽しいお着替えの時間よ」
「い、イヤーーーっ!!!」

日が沈み辺りが暗く染まる時刻、薔薇の館に少女の悲鳴が鳴り響く。
此処、山百合会では良く見かけるいつもの光景。それでもいつもとは少し変わった黄薔薇さまとの関係。

そんな島津由乃のおはなしなのでした―――


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