【347】 名探偵真っ黒になる  (柊雅史 2005-08-11 02:29:03)


※このお話は【No:338】新証言ゲット 【No:332】お嬢様探偵 の続きです。


「つまり私たちは、大きな勘違いをしていたのですわ」
日が暮れ始め、朱に染まりつつある中庭を望む茂みの中に身を隠しながら、瞳子は集まった面々に説明を始めた。
志摩子さまを部屋に残し、今回の騒動に巻き込まれた祐巳さま、由乃さま、乃梨子さんが瞳子の背後に控えている。
「その勘違いが発端で、様々な場面での『仮定』が間違っていたため、なんでもない状況を大きな『謎』として誤認してしまったのです」
「勘違いって?」
祐巳さまが声を潜めて聞いてくる。
「それは『数珠リオが盗まれた』という点です」
「どういうこと? だって現に、数珠リオはなくなってるんでしょう?」
由乃さまが身を乗り出して言う。
「そうです。数珠リオが消えた。それを聞いて私たちは数珠リオが盗まれた、と思ってしまったわけですわ。数珠リオを盗むのは、当然祐巳さまか私に何らかの犯行動機を抱く人だと、考えたわけです。けれど、数珠リオと一緒になくなっているものがもう一つあることを、私たちは忘れていました」
「え? 数珠リオ以外に何かなくなってたっけ?」
「もちろんですわ。祐巳さまはこうおっしゃいました。数珠リオを入れていた巾着がなくなっている、と。つまり数珠リオと一緒に、巾着が消えているのですわ。そう――今回盗まれたのは、巾着だったのです。数珠リオが主で、巾着が従。祐巳さまにとって数珠リオがどれだけ大切なのかを知る私たちは、当然そう考えました。けれどどちらが主で、どちらが従なのかを決めるのは、私たちではありませんわ。数珠リオは、たまたま巾着の中に入っていたから持ち去られたのです」
「巾着って……だって、そんなもの盗んで何になるのよ!」
由乃さまが反論する。それは確かにその通りだ。巾着なんて盗んで何になるだろうか。
けれどそう考えるのは、私たちが『人間』だからである。
「祐巳さま、覚えていますか? 今日に限って、いつもとは異なる態度で私たちに接した相手がおりました」
「え? そうだっけ?」
祐巳さまがうーん、と首を捻る。
「そうかなぁ。結局、真美さんもいつも通りだったし」
「もっと前に出会った相手ですわ」
「えーと……由乃さんたちの中の誰か?」
「いえ、もっと前の話ですわ。そう……私たちが、薔薇の館に向かう途中で出会った相手です」
瞳子の指摘に、祐巳さまが「あ!」と声を上げた。
「ゴロンタ!」
「その通りですわ。いつもは愛想のないセイさま――いえ、ゴロンタの方が分かりやすいですわね、祐巳さまや由乃さまには。そのゴロンタが、今日に限って祐巳さまの呼びかけに応え、愛想が良かったのです」
「あのね、瞳子ちゃん。ランチがどうして出てくるのよ」
「――ランチ?」
「ゴロンタのもう一つの呼び名。他にもメリーさんとか」
「はぁ、そうなのですか」
祐巳さまが得意げに教えてくださるけれど、正直どうでも良い知識だった。
「ゴロンタが出て来たのは、もちろん理由がありますわ。何故、ゴロンタが祐巳さまに愛想が良かったのか。それこそが、今回の動機なのですわ」
「――って、ちょっと待って、瞳子。その言い方だと、まるで」
「その通りですわ、乃梨子さん。今回の事件の犯人は、ゴロンタだったのですわ」
頷いた瞳子に、集まった一同は思わず顔を見合わせた。


「――で、動機ってのは何なのよ?」
由乃さまがまだ半信半疑の様子で聞いてくる。
「それにはまず、明かさなければならないことが一つあります。祐巳さまは今日、薔薇の館で鞄と鞄の中身を乾かしていました。だからこそ、数珠リオの入った巾着は、薔薇の館に放置されていたわけです。祐巳さま、それは何故ですか?」
「えっと……今日ちょっと、家庭科の実習で」
あはは、と祐巳さまが照れ笑いを浮かべる。
「零しちゃったんだよね……味噌汁」
「ああ、そういえば。祐巳さん、豪快に転んでたよね」
由乃さまが思い出したように笑う。
「今日、家庭科の授業があると聞いて、しかも鞄の中身を乾かしている――まさかとは思いましたけど、そこまで間が抜けているとは、思いませんでしたわ」
瞳子がほうと溜息を吐くと、祐巳さまが「だってぇ……」と口を尖らせた。
「しかもその間抜けっぷりが原因で、こんな騒動に発展したのですから、祐巳さまには是非とも反省して頂きたいところです」
瞳子に睨まれて、祐巳さまがしゅん、と小さくなる。
「とにかく、味噌汁を零してしまった祐巳さまは、薔薇の館で鞄の中身を乾かすことにしたわけです。その中の一つに、巾着が含まれていたわけです。そして――」
「そうか、その巾着自体が目当てで、ゴロンタは巾着を持っていったわけか」
乃梨子さんが真相に気付いた様子で頷く。
「その通りですわ。巾着を盗んで何をするのか、と考えること自体が間違いなのです。巾着を盗むこと自体が、目的だったわけですから。ゴロンタは巾着に染み付いた味噌汁の香りに誘われて、巾着を持ち帰ったわけです。同じように、祐巳さまの袖に染み付いた味噌汁の香りに惹かれて、ゴロンタは祐巳さまの呼びかけに応え、その袖口の香りを嗅いでいたわけです」
「そういえば、ゴロンタ、ずっと袖口をふんふん嗅いでたっけ」
「祐巳さまも水洗いしたのでしょうけど、ゴロンタにはしっかり味噌汁の香りがしたのだと思いますわ」
「なるほどねー。盗んだのがリリアンの生徒じゃないとなれば、窓から侵入することは出来ない、ってところも崩れるわけね」
由乃さまが納得したように頷く。
正にその通り、侵入したのが人間ではなく猫ならば、誰の目にも留まらない可能性は高い。仮に誰かが気付いたとしても、もちろん騒ぐことはないだろう。
盗まれたのが巾着で、何故巾着を盗んだのか。そう視点を変えるだけで、色々な前提が崩れてしまう。誰も入れない薔薇の館という開かれた密室は、犯人=人間という、私たちの思い込みが生み出した幻想だったのだ。
「犯人はゴロンタ。だとすれば、ゴロンタの後を追えば、数珠リオの――数珠リオ入りの巾着に、辿り着くはずですわ」
瞳子がそう断言したところで、にゃあと泣き声が聞こえ。
ゴロンタが、軽いステップで目の前を横切った。


「ゆっくり、静かに、気配を悟られないように、参りますわよ!」
『おー!』
ひそひそ声で気合いを入れ、一行はゴロンタの後を追った。
ゴロンタは身軽に茂みの中に身を躍らせ、一行はその後を追う。
「――ってか、制服が汚れるー!」
最初に脱落したのは由乃さまだった。ぐっと祐巳さまの手を握り、
「祐巳さん、私思うの! あまり大勢で後を追っても、ゴロンタを警戒させるだけよね? だから私は一足先に薔薇の館に戻って、美味しい紅茶でも淹れて待ってるわ!」
早口にそういって、そそくさと由乃さまが姿を消した。
呆然とその背中を見送る瞳子だが、祐巳さまは「ここまで付き合ってくれただけでもありがたいよ、由乃さん」と、どこまでも人が好い。
更に追跡を続けた瞳子たちだが、途中で乃梨子さんが立ち木にスカートを引っ掛け、脱落した。残るは瞳子と祐巳さまの二人である。
「瞳子ちゃん、無理しなくて良いよ」
「いいえ、祐巳さま。ここまで来た以上、これは瞳子の意地ですわ。絶対に真相を暴いてみせます!」
そう言った瞳子だが、正直なところあの数珠リオを取り戻したいという想いの大きさでは、祐巳さまにも負けていない。せっかく瞳子が一生懸命作った数珠リオなのだ。
「それにしても……やはり、猫の通る道は、厳しいですわ……」
茂みの下を四つんばいになって進みながら、瞳子もボヤキが漏れる。スカートが酷いことになっているような気もするが、気にしないことにした。今はスカートよりも数珠リオである。
「――祐巳さま、ストップですわ!」
ゴロンタが足を止めたところで、瞳子と祐巳さまは茂みの中で身を固め、じっとゴロンタの様子を見守った。
瞳子の隣では、祐巳さまが寄り添うようにして、息を殺している。祐巳さまの息遣いが瞳子の耳をくすぐって、瞳子はちょっと頬を染めた。とんだ役得ですわ、と心の中で呟く。
ゴロンタはしばらく周囲を警戒すると、傍らの茂みに顔を突っ込み――そして、巾着をがさがさと引っ張り出した。
「ゴロンタ、そこまでですわ!」
瞬間、瞳子が勢い良く飛び出す。
「にゃ!?」
ゴロンタが驚いたように振り返り、巾着を取り落とし、素早く茂みに逃げ込んだ。
ゴロンタの慌てぶりにごめんなさいと手を合わせつつ、瞳子と祐巳さまは地面に転がった数珠リオを拾い上げる。
「――あった!」
巾着を開いた祐巳さまが、満面の笑みで瞳子を見詰め、巾着の中から数珠リオを取り出した。
「良かった〜」
へなへなと祐巳さまがその場に座り込み、えへへ、と瞳子に笑みを向けた。
「瞳子ちゃんのお陰だね」
「まぁ、その……元々、私が作ったものですし。別に祐巳さまのために頑張ったわけではありませんわ」
ぷい、とそっぽを向く瞳子に、祐巳さまがくすくすと笑い声を漏らす。そんな祐巳さまに瞳子はちょっと頬を膨らませた。
「――ね、瞳子ちゃん。もう一度、瞳子ちゃんがつけてくれる?」
祐巳さまが数珠リオを瞳子に差し出してそんなことを言い出す。
「瞳子ちゃんが見つけてくれた数珠リオ。瞳子ちゃんにつけて欲しいな」
お願い、と視線で言う祐巳さまに、瞳子はしばし迷った後、数珠リオを受け取った。
それから、祐巳さまの手首に数珠リオを掛ける。
「ありがとう、瞳子ちゃん」
「――どういたしまして、ですわ」
少しの間見詰め合い、瞳子と祐巳さまはふふ、と笑いを漏らした。
「それにしても、凄い格好ですわ。もう泥だらけです」
「本当だ。ああ、どうしよう。お母さん、怒るかなぁ」
「自業自得ですわ。そもそも、祐巳さまが味噌汁を零したことが、事の発端なのですから」
「あはは……それを言われると、弱いなぁ……」
祐巳さまが困ったように言う。
「さしずめ、今回の事件はあれですわね。タイトル、味噌汁と数珠リオの謎」
「うわー……つまんなそうなタイトル」
祐巳さまの素直な感想には、瞳子も大賛成だった。


そんなくだらない話をしながら。
宝物を取り返した瞳子と祐巳さまは、泥だらけの手を繋ぎながら、みんなの待つ薔薇の館へと戻るのだった。



PS
後日、巾着を取り上げてしまったゴロンタことセイさまには、にぼしをごっそりお返ししておいた。
その誠意が通じたのか。最近は、祐巳さまと瞳子にだけ、時々頭を撫でさせてくれるようになった。


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