【3474】 いつまでも心の中に  (ex 2011-03-12 22:22:23)


「マホ☆ユミ」シリーズ 第2弾 「祐巳の山百合会物語」

第1部 「マリアさまのこころ」
【No:3404】【No:3408】【No:3411】【No:3413】【No:3414】【No:3415】【No:3417】【No:3418】【No:3419】【No:3426】

第2部 「魔杖の名前」
【No:3448】【No:3452】【No:3456】【No:3459】【No:3460】【No:3466】【No:3473】【No:これ】(第2部最終回)

第3部
【No:3506】【No:3508】【No:3510】【No:3513】【No:3516】【No:3517】【No:3519】【No:3521】第3部終了(長い間ありがとうございました)


※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。(カレンダーとはリンクしません)
※ 設定は 第1弾【No:3258】〜【No:3401】 → 番外編【No:3431】〜【No:3445】 → 第2弾【No:3404】〜【No:3426】から継続しています。 お読みになっていない方はご参照ください。


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〜 7月3日(日) 早朝 K駅前 〜

(瞳子ちゃん、まだかなぁ)
 腕時計を確認しながら周りを見渡しているのは祐巳。
 約束の時間までまだ時間があるが、緊張して早めに駅についてしまったのだ。

 久しぶりに髪を茶褐色に染めている。
 まぁ、きちんと染まっている時間は2,3時間しかないのだが混雑する駅の改札口付近で銀白色の髪の少女が立っていたら目立ちすぎる。
 さらに大き目の茶色のサングラス。
 この変身グッズ一式は以前祥子から手渡されたもの。
 銀白色の髪に金眼の女の子が周囲を騒がせないように、との配慮だった。

 と、祐巳の目に改札を抜けるチョココロネ・・・。 いや、瞳子の姿があった。

「ごきげんよう」 と穏やかに微笑みながら瞳子が祐巳の前に立つ。

「こきげんよう」 と返しながら 「よかった・・・」 と呟く祐巳。

「ん?」 と怪訝そうな顔になる瞳子に、
「だって、髪の色を変えているしサングラスだし。 わたしだってわかってもらえなかったらどうしようか、って思ってたの」

 ふふっ、と瞳子が笑う。
 どんなに変装しても目立つ人は目立つんです、と言ってあげたかったが、完璧な変装だと思い込んでいる祐巳にそれを言うのは野暮というものだろう。
 だって祐巳自身が気付いていないだけで祐巳は注目の的になっていたのだから。

「じゃあ行きましょうか」
「うん」
 祐巳を先導して歩く瞳子。 だが瞳子は駅を出て行く。
「え? あれ?」 と、瞳子の背を見送りながら改札を指差す祐巳。

 K駅で待ち合わせをしたのだからここから電車に乗っていくものだ、と祐巳は思っていたのだ。

 今日、祐巳と瞳子の二人が向かう先は瞳子の祖父、松平医師の経営する ”山の麓の松平病院” である。
 祐巳も何回もその病院へ行っているのであるが、行くときは小笠原家の車を使っていたので公共交通機関を使ったことが無い。

 二人はまずバスに乗って、私鉄の駅に出てそこから電車に乗ってまた別の駅で乗り換えて。

「どうぞ」
 途中の駅で、瞳子が水筒に準備してきたお茶を祐巳に差し出す。
「ありがとう」

 グリーンの水筒から暖かい湯気が出ている。 
「暑い時期に熱いお茶で申し訳ないですけど」 と、瞳子は言うが、とても美味しいお茶だったので祐巳は満足だった。

 電車はどんどん東京から離れていく。 でもその間瞳子はずっと無口だった。
 静かな二人の距離。
(こんなに遠かったんだ・・・) と祐巳は思っていた。

「・・・私が病院を継ぐ、というと祖父がとても喜んだんです」 と、無口だった瞳子がポツリと呟く。
「へ?」
「昔の話ですけれど。 父は一人っ子だったのに医者にならなかったので」
「それで瞳子ちゃんが?」
「はい」

 と、それだけ話すとまたじっと窓の外に視線を移す瞳子。

「祖父は幼い私の言葉を覚えていてくれたんです。 
 中等部のときにあるできごとがあって・・・。 それで祖父に泣きついた私を祖父は優しく包み込んでくれました。
 それからです。 わたしが祖父に医療魔術を教わり始めたのは」

「ふ〜ん」
 瞳子が何か重いものを抱え込んでいる、というのは祐巳も気付いてはいた。
 だがそれを無理に聞き出すことは出来ないし、聞く立場にも無かった。
 
 その瞳子が何かを祐巳に伝えようとしている。
 すこしずつ瞳子に近づいているのを祐巳は感じていた。



 通常の医療呪文は、”ヒーリング” 系である。
 魔法を使わない場合の傷薬の強力版、と考えても差し支えない。

 一般的な怪我であれば傷薬を使っても ”ヒーリング” の呪文を使ってもさほど差がなく治療できる。
 ただし、魔障による障害は傷薬では長期間の療養を必要とするが、ヒーリングを使用すれば短期間で治療できるため、対魔物との戦闘をすることが多い魔法・魔術騎士団にとっては医療呪文が必須である。

 ヒーリングの呪文を精製し固形物にしたものがヒールベリー。
 このヒールベリーを最も効率よく精製する技術を確立したのは松平医師であり、この功績で表彰されたこともある。
 松平医師はさらに研究を進め、液状の ”ソーマの雫” を完成させた医療チームの主任研究員も務めていた。

 祐巳の使用する ”癒しの光” は、ヒーリング系呪文の最高峰に位置する。
 近世に至るまで、発動する方法は確立されていたものの、通常の魔法使いであれば一生かかっても解けるかどうか、というほど難解な魔導式、寸分の狂いも許されない詠唱のタイミング、そしてなにより使用者の膨大な魔力を使用しなければ発動しないものであり、あまりの強力さゆえこの呪文に耐えられる魔法使いと魔杖は存在しない、と考えられていた。

 これを打ち崩したのが代々エルダーワンドを受け継いできた祝部一族。
 しかし、祝部一族でもこの呪文を完成させた者は少なく、現在は白杖を使用する山梨のおばば一人のみ。
 いや、今はおばばですらこの魔法を使う事はない。
 この呪文はあまりにも体力と魔力の消費が著しすぎるのだ。

 その呪文を祐巳は身に付けた。

 自らを破壊したいとさえ望んだ祐巳だから。
 どんなにつらい時にでも笑顔でいることを義務づけられた祐巳だから。
 この世界の希望を託されたフォーチュンに選ばれた祐巳だから。
 自らの罪を購うすべが ”癒しの光” 習得であると知った祐巳だから。
 幼児期からマカンダの呪文で魔力を抑制され、ランダマイザの呪文で体力を飛躍的に向上させた祐巳だからこそ身につけ、使用できる呪文。

 だからこそ、この癒しの光を受け継ぐことは困難を極める。

 しかし、その僅かな可能性を祐巳は見つけることができた。
 だからこそ、祐巳は改めてリリアンの素晴らしさを知る。



 通常の医療呪文がヒーリング系であるのに対し、緊急にして強力な医療呪文がある。
 それが、松平医師の使用する ”ディア” 系の呪文。

 これは妖精の真言呪文であり、当然のことながら使用できる人間はほとんどいない。
 使用者の魔力を糧とし、精霊の力を借りて行うこの呪文はその魔導式を妖精の真言で唱えなければならない。

 祥子と祐巳の使用する攻撃呪文、”アギダイン” や ”ジオンガ” も妖精の真言呪文である。
 祥子は、妖精王から薔薇十字 ”ノーブル・レッド” を与えられたときに、同時に真言呪文を授けられている。
 このときに医療呪文である ”ディア” 系の呪文も攻撃呪文と同時に授けられたのだが、祥子には相性があまり良くなかった。

 爆炎をその身に宿す祥子は、攻撃呪文にその力を注いできた。
 医療呪文は攻撃呪文とその性格を全く異にしているため、いかに天才・祥子といえど、どちらかに特化する必要があったのだ。
 さかさま言葉を言うように詠唱を唱え、違う公式の魔導式を構築するようなもの、と思えばいいだろうか。
 祐巳も祥子から妖精の真言攻撃呪文を教わっているので、真言医療呪文を習得するのは無理がある。

 それにしても、真言呪文を身につけることが出来るとすれば薔薇十字所有者だけではないのか?
 なぜ妖精の真言呪文である ”ディア” 系の医療魔法を松平医師が使用することが出来るのか?

 祐巳と瞳子が ”山の麓の松平病院” を訪れた理由は、その秘密を聞くため。
 そして、できることなら、妖精の真言医療呪文を瞳子に授けてもらうため、という目的があったのだ。
 もちろん祐巳には両親と清子の介護を行ってくれた松平医師にお礼の言葉を言う、という大きな目的もあった。



 電車が目的の駅に着き、瞳子を先頭に、二人は駅前広場に出る。

 駅には、『ようこそ札所めぐりの旅へ』 と、横断幕が張られている。
 駅前広場の真ん中にあるのは大きなヒノキと巨石を囲う木のベンチ。

 ベンチには夏登山の格好をした登山客の姿がちらほらと見える。
 祐巳の目の前には雄大にそびえる山々。

 身の引き締まるほどの霊力を肌で感じる。 あらためて、ここは関東一の霊山なのだ、と祐巳は思った。

「祐巳さま〜、祐巳さま〜!」 と、遠くで手を振り大声で祐巳を呼ぶ瞳子の声。
「ん?」
「こちらです!」

 祐巳の視線の先には、白いマイクロバス。
 バスの横と後ろに、さわやかなグリーンの文字で ”山の麓の松平病院” と書かれている。

「送迎バスなんです。 祖父の病院は駅から離れているので」
 どうやら、松平病院の所有するバスらしい。 電車の到着時間に合わせて駅前で待機しているのだと言う。

 瞳子と共にバスに乗り込んだ祐巳は、先客が10数人乗っていることを確認する。
「ほら、お靴脱いで」 と、幼稚園児をたしなめる母親の姿。
 老人から小さな子供まで。
 地元の人だけでなく、遠方から松平医師を頼ってくる患者も多いようだ。
 日曜日だと言うのに、休診もせず患者を受け入れている松平病院は魔障に悩む人の最後の拠り所にもなっている。

 駅前を出たバスは市街地を離れて田舎道へと向かう。 大きな橋を渡るとどんどん風景が変わってきた。
 ビルは姿を消し、青々と緑の葉が生い茂る木立を抜けていく。

 ちょうどお昼時。 建物の姿が見えなくなってきたことで少々祐巳は不安になる。
 お弁当は持ってきていない。
 小笠原の車で病院に向かう時には、昼食をとってから出発するか、途中のレストランで食事をしてから伺っていたので食事の心配をする必要がなかったのだ。

(病院の近くにコンビニとかあったかなぁ?・・・) と思っていると、

「おなか空きました?」 と、面白そうに笑う瞳子の声。
「え? い、いやその・・・」

 どうやらここでも百面相をしてたらしい。 祐巳は真っ赤になってうつむく。
「もう少し待ってくださいね」

(わたしってば、こんなときになに考えてるの・・・) と、がっくりと落ち込む祐巳。

 そんな祐巳を横目に、瞳子は水筒の入っていたバックに忍ばせてていたもう一つのもの。
 茶色い革表紙のメモ帳のようなものを取り出し、その中ほどに挟んであった写真を大事そうに抜き出す。

 写真に写っていたのはリリアンの制服を着た5人の乙女。
 裏庭だろうか。 写真の背景、端のほうに映っているのは薔薇の館のようだ。
 もしかしたら昔の薔薇さまたちの写真なのかもしれない。

 その写真を祐巳の見えやすい位置に差し出した瞳子は、
「私の母がいます」
 と、祐巳を見つめる。 どうやら5人の乙女の中から瞳子の母親を当てなければならないらしい。

 祐巳は5人の少女を順々に見ていく。 そして特徴的な縦ロールの優しげな乙女を見つけ、
「この人?」 と、指差した。

「えぇ、そうです」
 瞳子は写真に視線を落とし、
「これが母です」
 と、少し嬉しそうに呟いた。

 優しい母。 大好きな松平の母。 自分を本当の娘として血の繋がっていないことを気付かれまいと育ててくれた母。

 この写真は瞳子のお守りだった。
 写真に写る母は綺麗に結った縦ロールをしている。
 その母と血が繋がっていないことを知った瞳子は、それ以降、髪を伸ばし縦ロールをトレードマークとした。

 水泳がある日やお芝居での出演があるときなどは仕方ないが、中等部の3年間、体育祭でも縦ロールで通した。
 そんな一途な瞳子の努力。

 祐巳でさえ、写真に写る縦ロールの乙女を瞳子の母親だ、と見てくれた。

 だが瞳子はまだ知らない。
 その写真に瞳子を産んでくれた女性が写っていることに。



 やがて行く手に、時代を感じさせる立派な外観の病院が見えてきた。 木造の二階建て。 広い敷地を所有している。

 まず受付で松平医師の所在を聞いたが、あいにく往診に出かけた、とのこと。
 ちょうどお昼時だし、松平医師の帰りを待つ時間に祐巳と瞳子は病院の1階にある食堂で昼食をとる。
 4人がけのテーブルが12セット。 かなり広い食堂は明るい日差しに満ち溢れ清潔感でいっぱいだった。

 仲良くオムライスを頼んだ二人は
「美味しいねぇ!」 「よかった! お口にあって」 と微笑みあう。

 ほんの一口食べたところで、後ろから
「おぅ、瞳子! あ〜っはっは」 と、白衣に身を包み、髭を蓄えた細身で優しげな老人が登場。

「おじいさま!」 と、無邪気な子供のように飛び上がり、祖父にしがみつく瞳子。

「来るとは聞いていたんだが・・・、往診に行っててな。 元気そうじゃないか!」
 瞳子のかわいいほっぺたをぷにぷにとしながら松平医師は笑う。
 孫娘が可愛くて仕方がないようだ。

「松平先生、その節は大変お世話になりました」 と、瞳子の後ろで頭を下げる祐巳。

「おぅ、祐巳さん。 久しぶりじゃな。 ご両親はお元気か?」
「はい! おかげさまで。 清子様も元気いっぱいで、先生によろしく、と託ってきました」

「そうか、そうか。 みんな元気で何よりじゃ」 と、松平医師は祐巳に近づくと両肩にポン、と手を置く。

「瞳子をよろしくお願いしますよ。 ビシビシしごいてやってください」 と、楽しそうな笑顔。

「はい!」 と、祐巳も元気よく笑顔で返すのだった。


☆★☆

 病院の2階の窓から中庭を眺めている祐巳と瞳子。

 中庭には小さな子供を連れた母親と話をしている松平医師の姿。

「お祖父さまにあんな過去があったなんて・・・」 と、小さく瞳子が呟く。
 その横で祐巳も不思議な因縁を感じながら松平医師を見ていた。

 松平医師の語った過去の物語。 妖精の真言呪文を習得することになった若き日のドラマ。

 それは、松平医師がまだ花寺学園大学の医学部に通っていた頃。
 隣のリリアン女学園高等部に、”雪の女王” と呼ばれた美しい女生徒がいた。
 薄い髪色。 抜けるように白い肌。 か細い彼女は体力には恵まれていなかったが有り余る魔力をその身に宿していた。

 彼女は、当時のロサ・ギガンティア。
 白薔薇の薔薇十字、”聖なる息吹” ホーリー・ブレスを授けられた気高き存在。
 顕現する薔薇十字は純白の魔杖。

 奇しくも、現在の白薔薇の薔薇十字所有者、藤堂志摩子の所有するホーリー・ブレスの数代前の所有者だった。
 その力は医療呪文に特化し、傷ついたものを癒し、邪気を祓う能力があったという。
 妖精の真言医療呪文を身につけたロサ・ギガンティアは、”聖母” とも呼ばれた。

 当時は今と違い、それほど魔界の脅威が大きいわけではなかった。
 当時のリリアンにあった薔薇十字は、紅、白、黄にそれぞれ一本ずつ、3つの薔薇十字があった。
 
 紅薔薇の七支剣セブン・スターズ、白薔薇の魔杖ホーリー・ブレス、黄薔薇の剛剣エリマエルシュ。

 強力な攻撃力を持つロサ・キネンシスとロサ・フェティダを支え、癒したのが ”リリアンの聖母” ロサ・ギガンティアだった。

 彼女はリリアン卒業後、医療の道を志す。
 そして大学院生のときに新進気鋭の魔術医師として頭角を現し始めていた松平医師と知り合い、ほどなく恋に落ちた。

 だが、その頃にはすでに彼女の体を病魔が冒し始めていた。
 体力の無い体に、有り余る魔力を有していたため、魔力を使用しすぎた反動で体内の細胞組織まで弱らせてしまっていたのだ。

 自分の命が後数年もないことを自覚した彼女に松平医師はプロポーズをする。

 残された時間が短いからこそ、僅かな時間さえ離れていることができなかったのだ。
 そして、彼女が亡くなるまでの3年間に多くの妖精の真言医療呪文のすべてを託された。

 さらに嬉しいことに願うべくも無かった大事な命まで授かった。 それが瞳子の父親である。

 松平医師は父親の手ひとつで息子を育てながら妖精の真言呪文を研究し、一つ一つ習得して行った。
 習得する途中で度々魔杖を破壊してしまうので、真言呪文に耐えられる杖を探して世界中を飛び回ったこともある。

 そして30年近く前にイギリスの魔法医師、当時世界最高の医療魔術師として名を馳せていたニコ・フラメル師から目をかけられ、彼が亡くなる間際に愛用していた彼の魔杖を授けられた。
 今後の世界の医療の発展を託された松平医師はこの杖を使い、最終的に高難度の真言医療呪文 ”ディアラハン” まで到達したのだ。

 ディアラハンを習得したとき、松平医師はうら若くしてなくなった妻の墓前に
「君が ”リリアンの聖母” と呼ばれていたときに使っていた呪文、 ”ディアラハン” に遂に僕も到達したよ。
 君より20年も遅くなってしまったけどね。 君に託されたこの呪文、そしてフラメル師に託されたこの杖。 世界のために使っていくよ。 見守っておくれ」
 と、報告し、涙に暮れた、と言う。

「その大事な杖を瞳子に授けてくださったんですね」
 瞳子の瞳に、強い光が宿っていた。

 中庭の母子を前に、松平医師が魔杖を振るっている。
 暖かな白い光が幼い子を包み込んでいる。

 その杖は純白に輝く細く長い美しい魔杖だった。

「あの杖・・・。 お祖母さまの形見だそうです。 正式な名前は知らないのですが、お祖父さまは、”スノー・クイーン” と呼んでいます。
 お祖父さまはずっとお祖母さまの杖を大事にお持ちになっていました」

「瞳子ちゃんのお祖母さまも、強い魔力を持ちながらいっさい攻撃呪文を使わなかった、と言ってたね。 松平先生、それで攻撃魔法は使わなかったのかなぁ?」

「そうかもしれませんね」
 瞳子は力強く、そして嬉しそうに頷くのだった。



 午後の診療を終えた松平医師の前に座る瞳子と祐巳。

「昼間は恥ずかしい話をしてしまったなぁ。 でもわしも懐かしい気持ちになれた。 それで・・・。 頼み、というのは何かな?」

 穏やかに二人を見つめる松平医師。 昼間、昔語りを話した後、是非お願いしたいことがあるので時間を取ってくださいませんか? と頼まれた松平医師は二人の決意に満ちた顔を見てすぐに承諾してくれたのだ。

 祐巳は瞳子と顔を見合わせると一気に話を始める。

「先生、あの、わたし ”癒しの光” を使うことが出来ます。 お姉さまの話だと、癒しの光は最高の医療呪文だってことなんですけど、わたし、ヒーリングが使えないんです。
 覚えたのがいきなり、”癒しの光” だったので基礎が無いんです。 瞳子ちゃんにヒーリングを教えてくださっている、ということなので、その授業に私も参加させてください」

「「えっ!?」」
 これには松平医師も瞳子も飛び上がって驚いた。

 人間、教えられないと出来ない、というのは当然だ。 しかし、癒しの光が出来てヒーリングが出来ない、なんて順序が逆すぎるではないか。

 でも、そんなことはおかまいなしに必死の形相で頭を下げる祐巳に、
「そんなに深刻な顔をするんじゃないよ。 癒しの光なんてわしでも使用する気になれん呪文じゃ。
 癒しの光が出来るならすぐにでも習得できる。 教えることは簡単じゃよ」
 と、笑いながら答える。

 その声に安心したのか、ほーっ、と安堵のため息をつく祐巳。

「あの、それからもう一つお願いなんですが、瞳子ちゃんに ”ディア” の呪文を授けていただけませんでしょうか?
 とっても難しい真言呪文だと知っています。 でも、瞳子ちゃんなら必ず習得できる。 そう信じてるんです。
 わたしも精一杯お手伝いします。 よろしくお願いいたします」

「ふむ・・・。 瞳子に、真言医療呪文を身につけることが出来る資質がある、と祐巳さんは言うのじゃな?
 ほかならぬ祝部の孫娘の言うことじゃ。 信頼は出来る。 なにより、わしが瞳子の素質を認めておる。
 だが、祐巳さんは ”ディア” を習得する気はないのか?」

「わたしは、多分ダメです。 お姉さまから真言攻撃呪文をたくさん教えていただきました。
 だからヒーリングを習得したいんです。 あと、その上位魔法も。
 でも、瞳子ちゃんなら ”ディア” を身につけることが出来る。 医療呪文の力でリリアンを守ってくれる。 そう信じてます。
 もちろん、男性並の体力も必要となると思います。 そっちのほうは、わたしがビシビシ鍛えますのでお任せください」

「あっはっは。 祐巳さんの魔界のピラミッドの映像はわしも見ておる。
 ほんとに、あの幼かった子が良くここまで成長した、と感激したものじゃ。
 わかった。 毎週日曜日にここに来なさい。 午後の2時間だけじゃが空けておこう」

「ありがとうございます!」
 と、自分の事のように嬉しそうに松平医師に頭を下げる祐巳。

「それにしても・・・」
 と、先ほどまでにこやかに笑っていた松平医師が急に真面目な顔になる。

「祐巳さん、あなた、”ディア” の呪文と、ヒーリング系の呪文の違いが良くわかっているようじゃな」

 その言葉に意外そうな顔をしたのは瞳子。

 ”ディア” は妖精の真言呪文。 ヒーリング系の呪文は過去から連綿と受け継がれてきた医療呪文。
 その違いはあるにせよ、人を治療する魔法であればそれほど差がないのではないか、と思っていたのだ。

 だが、祐巳は松平医師の言葉にゆっくりと頷く。
「やっぱりそうだったんですね。 炎熱の呪文でも ”アギ” 系の魔法と ”ファイヤー” 系の魔法では大きな違いがありました。
 医療呪文でも大きく違うのではないか、って思っていました」

「うむ。 ヒーリング系の魔法はいわゆる 『治癒呪文』 。 人体に備わる自然治癒力を高める働きをする。
 極めれば人体再構築までできる。 まぁそこまで出来るようになるには ”癒しの光” まで到達せねばならぬが、のぅ。
 わかりやすく言えば、疲れを癒す時にはヒーリングの呪文が効果的じゃ。
 それに対し、”ディア”系の魔法は 『治療呪文』 。 治癒の力もあるが、本質は精霊の力を借りることにより、ウィルスやばい菌そのものを退治するもの。
 攻撃的な治療をする呪文が ”ディア” 系なのじゃ」

「はい」

「ヒーリングの魔法を使って魔障を癒すには、まず身体の機能を高め、瘴気に耐えられるように体の組織を構築していかなければならぬ。
 それに対し、ディアは、病気の原因や瘴気そのものを追い出すのじゃから即効性が高い。
 二つの魔法にはそれぞれ、一長一短がある。 場面によって使い分けることが出来なければ一流の魔術医師とはなれん」

 松平医師の言葉に祐巳と瞳子は、なるほど、と頷く。

「精霊の力を借りる呪文・・・。 それがゆえに、”ディア” 系の呪文を極めればさらに別ルートの魔法の道が開ける」

「それは、どういうことでしょうか?」

「それこそ、人間の能力を高めることが出来る呪文、”カジャ” 系の習得につながっていくのじゃよ。
 祐巳さんのアカシャアーツがわかりやすいか・・・。
 拳闘士の纏う ”アカシャアーツ” は、人体の覇気を細胞隅々にまで行き渡らせることで爆発的な力を生むじゃろう?
 ところが、”アカジャアーツ” のような高度な技は、格闘家などの訓練された人間しか使うことが出来ぬ。
 ところが、”タクカジャ (攻撃力強化)” 、”スクカジャ (スピードアップ)” のようなカジャ系魔法を習得すれば、拳闘士でなくてもそれに近い動きを生み出すことが出来る。
 人間と精霊の力を合わせた、超人の域に達することが出来る呪文が ”カジャ” 系なのじゃ。 この習得は ”ディア” 系の魔法習得の先にある」

「では、瞳子ちゃんが ”ディア” を使うことが出来るようになれば、そんなにすごい魔法も使うことが出来るようになるんですね!」
 祐巳は感激したように松平医師を見つめる。

「あっはっは。 実はわしもその構築は知っておるのじゃが、使ったことはない。
 一緒に研究して行こうか? のぅ、瞳子」

「はい! お祖父さま!」
 瞳子も、松平医師の言葉に力強く頷く。
 『一緒に研究して行こうか』、と、同等の魔術医師として扱ってくれるように言葉をかけてくれたことがとても嬉しい。

「ディアもヒーリングも聖なる力、光の力を持っていることに変わりはない。 心正しく修練することが必要じゃ。
 それと・・・。 何度も言うが、”ディア” は攻撃的な魔法。 悪しき者を払う力も持っておる。 不浄なものを退治する。
 ゾンビ、死霊系の魔物が現れたときには、その聖なる力で撃退できるだろう。
 昔・・・。 その力を存分に使った美しい女性が居たのじゃよ」

「お祖母さま・・・、ですね」 と、瞳子がつぶやく。

「そうじゃ。 瞳子がその力を引き継ぐことが出来ることを願っておるよ」

 その祖母と瞳子は血が繋がってはいない。
 だがそんなことはお構い無しに、力を引き継ぐことが出来る、と松平医師は瞳子に告げる。

「よかったね! 瞳子ちゃん。 松平先生も瞳子ちゃんの素質を認めてくれているんだもの。
 わたしも一生懸命手伝うね! 先生、ありがとうございます!」

 祐巳は本当に嬉しそうに瞳子と松平医師をかわるがわる見ながら笑顔を浮かべ、お礼を言う。

 ほんとうにどうしてこの人は他人のことにここまで一生懸命になれるのか・・・。
 でも、それがとても嬉しい。

 瞳子は (なんておめでたい人なんだろう) と思っていた事を少し後悔する。



「お祖父さま」
 と、松平医師に声をかけた瞳子は、胸のポケットからマホガニーの杖を取り出す。

 これこそ、ニコ・フラメル師から松平医師に託され、さらに瞳子のものとなった医療においては世界最高の魔杖。

「お祖父さまからいただいたこの杖・・・。 名前があるのでしたら教えてくださいまし」
 
 これまで瞳子は杖の名前はあまり気にしてこなかった。 小笠原家に伝わる名杖も名前があるとは聞いたことがない。
 杖に名前をつける行為自体、珍しいものだと思っていた。

 だが、祐巳の愛杖だったという世界の希望を託す杖、”フォーチュン” 
 そして新たに祐巳のものとなった慈愛を表す ”シェリール”
 正式には杖としての名前ではないかもしれないが、祥子のパートナー ”ノーブル・レッド”
 そして松平医師が現在使っている愛妻のものだった杖、”スノー・クイーン”

 このマホガニーの杖も有名な人物が愛用していた杖だったのなら名前があるのかもしれない。

「杖の名前を呼ぶことで、より一層、この杖と瞳子との絆を深めることができるのではないか、と思いましたの。
 瞳子は、もっともっとこの杖に信頼されるようになりたいのです」

 瞳子は真っ直ぐに松平医師を見つめるが、松平医師は髭に手を当てて考え込む素振り。

「ふむ・・・。 この杖の名前か。 昔はあったのかも知れぬが、わしは名前を聞いておらんのじゃよ。
 心の中で呼んでいた名前はあるがのぅ。 
 それより、瞳子がこの杖の名付け親になればよかろう。 この杖に心を通わせて見てはどうじゃ?」

「瞳子がこの杖の名付け親、ですか?」

 一瞬、きょとん、とした瞳子だったが、
「瞳子ちゃん、心を込めて杖に語りかけてみて」
 という祐巳の言葉に頷き、じっと目を閉じて瞑想に入る。

 しかし、杖に集中しようとすればするほど、自分の未来の願望が次々に浮かんできた。

 この杖を使い、魔障に悩む人を救う自分。
 大舞台に立ち、多くの観客を魅了する女優となった自分。
 ・・・ そんな大きな夢と同時に、
 大好きな松平の両親に愛され、幸せに暮らす自分。
 お祖父さまに、身につけた医療呪文を褒めてもらっている自分。
 ・・・ そんな可愛い夢。
 そして、最後に・・・。 祐巳と楽しそうに笑い会っている自分の姿を見る。

 瞳子は、やがてそっと眼を開ける。
 大好きなフランスの小説を思い出していた。
 それは、当時17歳だった女の子の書いた本で、『Quant au riche avenir (豊かな未来のために)』

 瞳子は、ほうっ、と軽く息をつくと、
「お祖父さま、祐巳さま。 この杖の名前、決めました」 と、告げる。

「この杖の名前は、”アヴェニール” 。 未来を約束してくれる杖です」

「ほぅ! 素晴らしい名前じゃないか。 瞳子に似合いの杖になりそうじゃ」
「うんうん! ほんとにいい名前! さぁ、瞳子ちゃん、その杖の名前、しっかり呼んであげて」

 松平医師が大きく頷く。 祐巳の笑顔が瞳子に力をくれる。

 瞳子は、祐巳に向かって頷くと、松平医師の前に立ち、力強い声で告げる。

「祐巳さまにこの一週間、この杖の力を引き出す特訓を受けてきました。 ご覧ください」

 瞳子は、静かに覇気を練り自らの魔力をゆっくりとアメジストに注ぎ込み始める。

「アヴェニール! あなたの力をお祖父さまにも見せて!」

 そこには、高貴な紫の光を放つ紫水晶(アメジスト)。
 周囲の光を反射して光っていただけのアメジストは次第に強い光を放ち始める。
 そしてマホガニーの杖の先端にまでその光は満ち溢れ、琥珀色の杖全体が輝き始めていた。

「おぉ!」
 と、松平医師の目が大きく見開かれる。

「なんと・・・。 わしでもここまでの明るい光は作れなかった。
 まさか、瞳子・・・。 お前?」

「はい、お祖父さま。 この光は瞳子の魔力を体内で精製した覇気を使って紫水晶に流し込み、さらに光の精霊の力を借りています」

「松平先生。 瞳子ちゃんは光の精霊にとても愛されてるんです。 この子達は ”ウィスプ” って言います。 可愛い子達でしょ?」

「い・・・いや、わしには精霊の姿は見えないんじゃ。 そうか・・・、そうか。 その杖は瞳子を選んでくれたのか・・・」

 血の繋がっていない孫娘。 しかし誰よりも可愛がってきた孫娘の瞳子。
 心に大きな傷を負い、自分の胸に飛び込んできた幼い小鳥。

 その瞳子が光の精霊に愛されているという。 そして自分よりも強くこの魔杖、”アヴェニール” を輝かせる。
 松平医師は、いつまでも心の中に生きている愛妻と同じ光を瞳子に見る。

「祐巳さん、ほんとうにありがとう。 あなたのおかげじゃ・・・」

 世界最高の魔術医師の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。






〜 あとがき 〜

 東北から関東にかけ、大きな地震、津波。
 大変な災害にあわれた方々に心からお見舞いを申し上げます。
 このような時にSSを投稿することを躊躇いたしましたが、わたしに出来ることはこれくらいしかないので。
 捜索活動や救助活動に参加されている方に心からの感謝を。
 また、被爆された方も多数おられているとのこと。
 国には十分な対策をお願いしたいと思います。

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