【3493】 あなたの夢を現実に  (ものくろめ 2011-04-20 22:30:48)


薔薇の館の扉を開けると紅茶の香りが鼻をくすぐった気がした。
頭に浮かんだのは、寝る前に読んだ小説に出てきた、変わったお茶を出すお店。
風のお茶や静寂のお茶、雪のお茶はさすがに無理だろうけど、ホウレンソウのお茶やニンジンのお茶なら探せばきっと見つかるだろう。
今度の休日にはお茶のお店に行って、変わったお茶を探してみるのもいいかもしれない。

そんなことを考えていたせいだろうか。
音を奏でる階段を上り、ビスケットの扉を開けるとそこは喫茶店だった。

「ようこそ、ローズティーショップ・山百合へ」

ウエイトレスの格好をした瞳子が、喫茶店の店員のように祐巳を出迎えてくれた。

部屋の中を見るといつもの会議室の光景は消え、こじゃれた喫茶店といった感じの内装に変わっていた。
いつもある大きなテーブルのかわりに、薔薇の花が刺繍されたテーブルクロスのかかった丸い小さなテーブルが部屋の中心に。
あんなにたくさんあった椅子も姿を消し、背もたれのある木の丸い椅子がひとつだけテーブルに備えられている。
窓には薄いレースのカーテンがかかっていて、そこから柔らかな日差しが室内に注ぎこまれていた。

「こちらのお席にどうぞ」

入口に立ったままの祐巳を見かねたのか、瞳子が声をかけてきた。
はあ、と半分呆けながら返事をして、瞳子に勧められるまま部屋の中に入る。
そして気がつくと祐巳は椅子に座っていた。

「ご注文が決まりましたら、お声をおかけください」

目をテーブルの上に向けると、いつのまにかメニューが置かれていた。
いつも使っているノートよりも一回り大きな紙に、可愛らしい文字が並んでいる。
そのすべてが紅茶、しかも薔薇の紅茶のようだった。
それぞれの紅茶の名前の横に括弧書きでお茶の説明が書かれていた。


ロサ・フェティダ・ティー (いけいけゴーゴー青信号な方のための紅茶)
ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン・ティー (面白いことに目がないアドベンチャー好きな方のための紅茶)
ロサ・ギガンティア・ティー (ふんわりおっとりとした方のための紅茶。銀杏は入っておりません)
ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン・ティー (クールでしっかりもので頼りになる方のための紅茶。この紅茶のみ特製のカップにお入れいたします)


……薔薇の紅茶は薔薇の紅茶でも、ローズティーではなく薔薇さまのための紅茶という意味なのだろうか?
ここまでメニューを読んだ祐巳の頭の中に、三つ編みをした親友やふわっとした髪の親友、その妹たちの顔が浮かんだ。
その次に目を移すと、予想に反して自分の薔薇の名前ではなく、聞いたことのない薔薇の名前の紅茶が書かれていた。
あれ?と思い、メニューの中からロサ・キネンシスの名前を探す。
ロサ・カニーナ・ティー、名のない薔薇の紅茶などを通り越した一番下。
上の行とは少し離れて、それだけが特別であるかのように赤い文字で探していた紅茶の名前が書かれていた。


ロサ・キネンシス・ティー (かわいい妹による紅茶)


目的のものを見つけたからか、括弧書きの説明を読んだからか、自然と顔がにやけてしまう。

「この紅茶をください」

いつのまにか目の前で注文を待っていた瞳子へ、メニューの一番下を指さして言った。

「かしこまりました、少々お待ち下さい」

そう言ってテーブルから離れていく瞳子の後ろ姿を見つめて、ウエイトレス姿の瞳子もいいなと祐巳は思った。

事前に準備をしていたのか、さほど時間が立っていないのに丸いトレイにカップを載せてどこからか瞳子が戻ってきた。
祐巳のいるテーブルに香りを届けるように、トレイの上のカップからはゆっくりと白い湯気が上がっている。
テーブルを間に挟んだ祐巳の正面で瞳子が足をとめる。

「少々熱いですので、少し冷ましましょうか?」
「ええ、お願い」

瞳子は紅茶をこぼさないよう慎重にトレイを持ち上げて、ふーふーとカップに向かって息を吹きかける。

思わず笑みがこぼれた。

「どうかしましたか?」
「いや、紅茶が楽しみだなって思って」
「そうですか。こちらがご注文のお姉さまのための紅茶になります」

紅茶の入ったカップが目の前に置かれる。
カップの中には透き通った紅色の液体が、こぼれないのが不思議なくらいなみなみと注がれていた。

祐巳は紅茶がこぼれないようにそーっとカップの持ち手をつまむ。
カップを口に近づけながら、薔薇の館に入った時からのことを考えて祐巳は思った。

(なんだか夢みたい――夢?)

しまった、と思ったときにはもう遅かった。
目の前の紅茶は跡形もなく消えてなくなり、顔を上げると瞳子の残念そうな顔が目に入る。
きっと自分も同じような顔をしているのだろう。

どこからかジリリリリという音が聞こえてくる。
少しずつ周りのものがあやふやになっていき、だんだんと音が大きくなっていく。
音が大きくなるのに比例して、祐巳のまぶたが少しずつ閉じていく。
狭くなっていく視界から瞳子の口元が動くのが見えた。



目を開けると見慣れた天井が眼に入る。
目覚ましを止めようと右手を頭の上に持っていく。
枕元に置いてあったペーパーバックを通り越し、その少し先にある目覚まし時計の頭を押さえる。

(やっぱり夢か……)

紅茶が飲めなかったのは残念だったけど、夢だったのだからしょうがない。
それよりも気になるのは夢の最後に瞳子が何を話そうとしていたのか?
当然祐巳の夢の中の話なので、現実の瞳子に聞くわけにはいかない。
そう考えると、祐巳自身があの時瞳子に言って欲しかったことが正解なのかもしれない。
夢の中の自分の気持ちを思い出す。
そして、あの時瞳子に口にして欲しかった言葉を考えて――。

今日はいい日になりそうだなと祐巳は思った。




放課後。
スカートのプリーツを乱さないように、セーラーカラーを翻さないように気をつけながら、瞳子は少し早足で歩いていた。
今日は演劇部は休みだったのだが、掃除に時間がかかってしまい薔薇の館に向かうのが少し遅くなってしまった。
演劇部の活動がある時はそちらを優先させてもらっているのだから、それがないときくらいは山百合会の雑用をしたいというのに。
乃梨子が先に行っているはずだけれど、同じつぼみの菜々ちゃんは黄薔薇さまと剣道部に行っていないだろうし、乃梨子一人に任せっぱなしというのは心苦しい。

薔薇の館に入って音を鳴らす階段を上り、ビスケット型の扉を開けるとお姉さまが空のお盆を持っているのが目に入った。

「あ、ごきげんよう、瞳子。ちょうどよかった。今紅茶をいれたところだから座ってて」
「ごきげんよう、お姉さま。紅茶でしたら私がいれますから、お姉さまが座っていてくだされば」
「いいから、いいから。たまには私に入れさせてくれたっていいでしょう」
「でも、お姉さまに任せて座って待ってるだけなのは悪いですし」

瞳子が渋っていると、いいからいいから、とお姉さまはおっしゃって瞳子を無理やり椅子に座らせた。

「ごきげんよう、瞳子ちゃん」
「ごきげんよう、瞳子」
「ごきげんよう、志摩子さま、乃梨子」

椅子に座った瞳子の前で白薔薇さまと乃梨子が紅茶の入ったカップを持ちながら談笑していた。

「ああ、この紅茶? そう、祐巳さまが入れてくれたの。いや、もちろん最初は私がやろうとしたんだけど、祐巳さまがどうしてもっていうから」

瞳子の視線がカップに注がれているのを感じて、乃梨子が説明をする。
その説明に瞳子がいまいち納得がいっていないのをみて、志摩子さまが助け舟を出した。

「私たちのは予行練習なんですって」
「予行練習…ですか?」

そうそう、と乃梨子が相槌をうつ。
志摩子さまの言葉に瞳子が首を傾げていると、ちょうどそこにお姉さまが紅茶の入ったカップをお盆に載せてやってきた。

「そんなことないよ、志摩子さん。ちゃんと志摩子さんたちにいれた紅茶も心を込めていれましたから」
「あら。でも、さっきよりも丁寧にいれてる気がしたのだけれど」
「それは否定しないかも。どうぞお待たせいたしました、お客様」

楽しそうに微笑みながら、お姉さまはまるで喫茶店のウエイトレスのような仕草で紅茶を目の前に置いた。

「……どうしたんですか、お姉さま?」
「うん? まあ、たまにはこういうのもいいかなと思って。さあ、お姉さまによる紅薔薇のつぼみのための紅茶、お召し上がりください」


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