今日は珍しく私と、志摩子さまと二人きり。
お姉さまと乃梨子は用事があるとかで帰宅し、黄薔薇姉妹は部活動。
かりかりとペンを走らせる音、パラリと紙をめくる音、時計の秒を刻む音だけが、館のサロンの中に響く。
ふと手を休め顔を上げると、志摩子さまが作業の手を止め、じっと私のことを見つめていた。
「どうかされました?」
「え? あ、うん。ちょっと考え事をしていて」
「そうですか」
特に問題もなさそうだったので、私はすぐ横に置いてある書類を手にし、作業を続ける。
かりかりとペンを走らせる音、パラリと紙をめくる音、時計の秒を刻む音だけが、館のサロンの中に響く。
だが、その音は先ほどとは違い一人分だけ。そして、先ほどからとぎれることなく感じる視線。
私は小さくため息をついて、志摩子さまに問いかけた。
「何か私に話したいことがあるんですか?」
「ええ、まあ、あるといえばあるし、ないといえばないわね」
志摩子さまのその言葉に私は少し眉をひそめる。あまりにらしくない言い方だなと思ったのだ。
「何か悩み事ですか? 私でよければ、相談に乗りますけど。お姉さまたちには相談しにくいこともあるでしょうし」
「……そうね。……じゃあ、話してしまおうかしら」
志摩子さまは少し眉をひそめ考えた後、そう言い立ち上がった。
そして、対面に座っていた私のすぐ横に立つと言った。
「ちょっとお願いがあるのだけど。立って、私に背中を向けてほしいのだけど、いいかしら」
「何するんですか? 別にかまいませんけど」
私は言われるままに椅子から立ち上がり、志摩子さまに背中を向けた。
「これで、いいですか?」
志摩子さまはその言葉に何も言わず、そっと、私のことを抱きしめた。
「し、志摩子さま?」
使っているシャンプーの香りなのか、ストロベリーの甘い香りが私の鼻をくすぐる。そして、背中に感じる志摩子さまの大きな胸の弾力。思わず声がうわずった。
「ねえ、瞳子ちゃん。私のこと嫌い?」
「ちょっ、え? え??」
突然の問いは、想定もしなかった問いで、思わず思考が止まる。
訪れる沈黙。ぎゅっと、抱きしめられる私。背中に感じられる志摩子さまは、なんだか迷える子羊のようで。
そんな志摩子さまを感じた瞬間。私の思考は動き出した。
「何で急にそんなことを?」
「瞳子ちゃんて、祐巳さんや由乃さんの言動には、容赦なく口を挟むのに、私の時にはそういうことないし、一歩引いているところがあるように思えるから……」
「あー」
言われてみれば確かに。でも、それは、別に志摩子さまのことを嫌いだからではない。あの二人のつっこみどころが多すぎるのだ。
由乃さまは時々ねじが切れているんじゃないかと言うくらい突飛な意見を出すし、お姉さまは、もう少し頭使った方が良いのではないという位役に立たない意見を出す。
志摩子さまは、いつもまっすぐでまとも。さすがは二年白薔薇さまを務めただけあるなといつも感心しているくらいだ。
なのに、それを嫌いと取られてもちょっと困ってしまう。
だから、私は、ありのままのことを志摩子さまに告げる。
「そんなこと無いですよ。私は志摩子さまのこと、尊敬しています。志摩子さまの意見は、他の薔薇さま方に比べて、いつもしっかりしたものじゃないですか。だから、口の挟む余地がないんですよ。いつも的確な意見で感心してます。それに比べて、あの二人方ときたら、使えない意見の方が多いじゃないですか。口も挟みたくなるというものですよ。あと……」
「それ。それなのよ」
私の話を志摩子さまが少し不満そうに遮る。
「え?」
「いつも思うの。瞳子ちゃんて、祐巳さんと由乃さんのことに対して、なにか言うのすっごく楽しそうなの。なんて言うのかな。楽しそうに怒っているというか」
「そ、そうですか? そんなこと無いと思うんですけど……」
思ってもみなかったことを言われて首を傾げる。まあ少し、あの二人に何か言うことでストレスの解消を図っているところが少しはあるけれど、楽しんでいるということはないと思うんだけど。
「じゃあ、改めて聞くけど……」
そう言って、志摩子さまは、私を解放するとくるりと回転させた。
そして、私の目をじっと見つめ、言った。
「私のこと、好き?」
少し上目遣いで私の目をのぞき込みながら、そう聴いてくる志摩子さま。
「も、もちろん好きですよ」
西洋人形のような美人な志摩子さまに儚げにそんな風に聴かれると、何でもないことなのに、ちょっとどぎまぎしてしまい、思わず口ごもってしまう。
「じゃあ、キスして?」
「はぁ!?」
私が驚いている間に志摩子さまは目をそっと閉じ、動きを止めた。
私の思考は再び静止し、ただただ、キスを待ちわびる志摩子さまを見つめていた。
心臓がどくどくと脈打ち、うるさいくらいになっている。
「ちょっ、え? え??」
思わず泳いだ視線が、知らず知らず志摩子さまの口元に吸い寄せられる。
小さい桜色の唇。柔らかそう。それを見たときにはそうとしかもう思えなかった。
「志摩子さま?」
「早く」
私は、こくりとのどを鳴らし、志摩子さまにキスをするために一歩近づいた。
次の瞬間。志摩子さまはぱちりと目を開け、一歩下がりいたずらに成功した子供のような顔をして、言った。
「もちろん、冗談よ」
その突然の変わり身に、私はかなり長い間、ぽかんと志摩子さまを見つめていた。
「瞳子ちゃん?」
「じ、冗談もほどほどにしてください!!!!」
固まってしまった私を心配そうにのぞき込む志摩子さまの声で我に返った私は、気がつくとそう、叫んでいた。
「ごめんなさ〜いっ」
私の叫び声に、志摩子さまはなぜかとても嬉しそうに、首をすくめながら謝ったのだった。