【3516】 総てを司る絆を信じて  (ex 2011-05-19 23:50:13)


「マホ☆ユミ」シリーズ 第2弾 「祐巳の山百合会物語」

第1部 「マリアさまのこころ」
【No:3404】【No:3408】【No:3411】【No:3413】【No:3414】【No:3415】【No:3417】【No:3418】【No:3419】【No:3426】

第2部 「魔杖の名前」
【No:3448】【No:3452】【No:3456】【No:3459】【No:3460】【No:3466】【No:3473】【No:3474】

第3部
【No:3506】【No:3508】【No:3510】【No:3513】【No:これ】【No:3517】【No:3519】【No:3521】第3部終了(長い間ありがとうございました)

※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。(カレンダーとはリンクしません)
※ 設定は 第1弾【No:3258】〜【No:3401】 → 番外編【No:3431】〜【No:3445】 から継続しています。 お読みになっていない方はご参照ください。


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〜 7月9日(土) 午後 小笠原研究所 戦闘訓練場〜



 まず最初のエリアは通常の武道場と同じく障害物の全く無いだだっ広い訓練場。

 ただし、足元はぬかるみや砂地などが配置されており、注意していないと足元をすくわれる。
 戦闘においてバランスを崩すことは即。敗北を意味する。

 無闇に対戦相手だけを見て突っ込んでいくことなどできない。
 自分の置かれた立場、戦場を十分に把握し、大胆かつ繊細に周囲に気を配りながら戦うことが求められるエリアだ。

 足元は不安だが、障害物の全く無いこのエリアで行った戦闘訓練。

 これはさすがに祥子・祐巳・瞳子のチームが抜きん出ていた。
 祥子の魔法と祐巳の攻撃力で他の2チームを圧倒したのだ。

 最も威力の低い炎熱魔法=ファイヤーであっても、祥子の杖から放たれる魔法はスピードも範囲も桁違いだった。
 行動範囲を絞られた対戦相手は、防御に徹する瞳子を攻撃する暇もなく、神速の祐巳の攻撃に沈む。

 江利子でさえ、久々の実戦で勘が狂っていたのか、ファイヤーの爆風でさらに加速した風身に乗った祐巳の超速の震天紅刺で一撃入れられてしまったのだ。

 逃げ場のない訓練場。
 しかも周りを祥子の魔法で取り囲まれてしまっては、祐巳のスピードに可南子や乃梨子は手も足も出なかった。


 次点で江利子と可南子のチーム。
 江利子の必中の矢を回避することは障害物のない場ではさすがに厳しい。
 瞬駆のスピードで対戦相手から逃げ続けながらも放たれる江利子の矢は、どんなに相手が早く逃げても必ず命中する。
 江利子に勝つためには、江利子の矢のスピードを凌駕する体術が必要なのだ。
 しかも、江利子の矢を防いでいれば、その隙に可南子の必殺の突きが襲い来る。
 この二人、即席なのに素晴らしいコンビネーションを見せていた。

 志摩子と乃梨子は江利子の矢に翻弄され、受け切れなくなったところを可南子に攻撃されてしまう。
 この可南子の突きもまた驚異的に早い。
 なにせ、10mほどの距離を一瞬で埋める突きをもつ存在。
 志摩子も、そして乃梨子も、「一度だけしか見たことの無い技であってもその距離感さえあればかわせる」、と言えほどの武力を持つ。
 しかし、可南子の攻撃は一連の戦闘の流れの中ではかわしきれるものではない。
 それでもなんとか可南子の突きを回避していく乃梨子と志摩子だったが、突きを回避した次の瞬間、背に江利子の放った矢が当たってしまうのだ。

 結果は、
 祥子・祐巳・瞳子チーム 6戦全勝。    対江利子 3−0、 対志摩子 3−0
 江利子・可南子チーム 3勝2敗1分。   対祥子 0−3、 対志摩子 2−0 引き分け 1
 志摩子・乃梨子チームは 6戦5敗1分。 対祥子 0−3、 対江利子 0−2 引き分け 1

 (引き分けは、10分経過するまで勝負が付かなかった場合)



 しかし、第2のエリア。 起伏に富んだ竹林を配置し杉山を模して作られた障害物だらけの訓練場になるとこの力関係はまったく同じ、と言うわけには行かなかった。

 このエリアで全員を驚愕させたのは細川可南子。

 リリアンでは広い武道場での訓練となるため、可南子の得意とする 「身を隠しておいてからの一撃離脱」 という攻撃は封印していたのだが、こういった障害物だらけの訓練場こそ、可南子の最も得意とする戦場だ。

 まずは、祥子・祐巳・瞳子チームと、江利子&可南子チームの3連戦。

 この障害物エリア。 どこに相手が潜み、どこから攻撃が来るかわからない場所では、祐巳のチームは苦戦した。

 瞳子と祥子の二人はこういった場所では動きようがない。
 そしてその二人を守るため、祐巳も一歩も動けないでいた。
 祥子の魔法は障害物に邪魔され、相手に届かない。
 対戦相手は祐巳の位置を把握し、そこを避けながら祥子と瞳子を狙う。

 防御に徹するように指示された瞳子を置いて攻撃に転じなければ祐巳のチームに勝機はない。
 開かれた場所では絶対的な強さを誇る紅薔薇姉妹も、身を隠す場所が多いこのエリアでは祥子の援護無しに祐巳が突っ込んで行ったとして逃げに徹した相手を追い詰めるのは困難だ。

 それに対し、江利子の矢は自動追尾のようにどこから放たれても正確に目標を射抜く。
 可南子は完全に気配を消す手段を身につけている。
 そのうえ江利子の矢に集中力を持っていかれてしまっては、さしもの祐巳の目すら可南子を捉えきることが出来なかった。

 可南子は障害物の間を隠形の技で駆け巡る。
 しかも無音で。 呼吸音まで消して。
 江利子の恐るべき戦闘能力をすぐさま理解した可南子は、江利子を防御する必要など全く無いことがすぐにわかった。
 このため、自分自身の得意とする技を十分に発揮することが出来た。
 
 江利子の矢が祥子に迫り、それを祐巳が叩き落す間に瞳子を倒す。
 瞳子に江利子が狙いを定めた場合は祥子に狙いを変える。

 祥子と瞳子を狙う江利子の矢を叩き落す祐巳だが、その隙を可南子が狙う作戦。

 祥子は、自分の魔法攻撃が役に立たない、と判断すると、次善の策として時間切れ引き分けを狙った。
 つまり、瞳子と二人で逃げ回る作戦を取ったのだ。
 しかし、さすがに10分もの間トップスピードで逃げ続けることはかなわない。
 祥子と瞳子は代わるがわるセーフティーワールドを展開させて身を護るのだが、全方位を護れるわけではない。
 江利子の矢が・・・いや、可南子もセーフティーワールドが展開する絶対防御障壁の端をかいくぐって攻撃してきた。

 江利子の遠隔攻撃で敵の行動を制限し、動けなくなった相手を可南子が仕留めていく。

 さすがに祐巳に一撃を入れることはかなわなかったが、祥子と瞳子には制限時間の10分以内に3回とも穂先につけたペイント弾をあてることに成功。

 この二人、仮に同学年であったなら最強のパートナーとなったかもしれない。


 そして、江利子&可南子チームvs志摩子&乃梨子チームの3連戦。

 いくら志摩子が風身を使えたとしても矢を放ちながら逃げる江利子には届かない。
 勝つためには可南子を仕留めるしかない。

 このため、志摩子と乃梨子の二人はできるだけ開けた場所を探して背中合わせに立つ。
 影からの可南子の刺突を避けるため。
 時間いっぱい江利子の矢を叩き落し続け、その間に止めを刺しに来るであろう可南子を倒す作戦。

 しかし、この戦い・・・。 まるで勝機が見出せない。

 「刹那五月雨撃ちは使わないわ」 と言った江利子なのだが、動かない相手に連続して浴びせかけられる矢は想像を絶する素早さ。 
 しかし、その矢をことごとく撃ち落す志摩子の剣技。

 360度から浴びせられる江利子の矢を90度分だけ乃梨子に任せ、270度の角度まで防ぎきる。
 だが、乃梨子はたった90度分だけ、自分の正面から攻撃される江利子の矢に対応するだけでも必死だった。

 志摩子から 「江利子さまの矢は避けてはダメ。 すべて叩き落しなさい」 とアドバイスを受けている。
 江利子の矢は避けたつもりでも自動追尾のようにかならず狙った的に命中するからだ。

 たった一本だけ持った小太刀はすぐにペイント弾で真っ赤に汚れてしまう。
 その乃梨子にゆっくりと可南子が近づく。
 もちろん、勝利を確信して。

 危機を察知した志摩子が乃梨子を守ろうと可南子に襲い掛かる。
 しかし、その瞬間にも志摩子の背に必中の江利子の矢が迫る。
 その矢から身を挺して志摩子を護ろうとした乃梨子の背を、一旦志摩子から距離をとって逃げた可南子の槍が一撃の突きで弾き飛ばした。


 次いで、祥子・祐巳・瞳子チームと志摩子&乃梨子チーム。

 この戦いは、祐巳が志摩子を倒すのが早いか、乃梨子が祥子、または瞳子を倒すのが早いか。
 この一点に勝敗の帰結がかかっている。

 祐巳からしてみれば祥子と瞳子を守り抜きたいところなのだが、志摩子には矢手甲がある。
 すでに一月以上矢手甲の修練を積んだ志摩子の連射は脅威以外の何ものでもない。

 勝利への僅かな賭け。 その賭けに勝つために祐巳は親友に襲い掛かる。
 だが、志摩子とて簡単に祐巳に負けるわけにはいかない。

 ここまで志摩子と乃梨子のチームは9戦して8敗1分。 さすがにこれ以上の負け星は乃梨子の心の負担になってしまう。
(祐巳さんに勝たなくても良い。 乃梨子が戦いを終わらせるまで粘りきる!)
 そう決意し、祐巳との戦いで絶対防御の力を発揮する志摩子。

 さらに、祐巳の得物である杖は長さ150cm。 細かな障害物となる竹林に誘い込めばそう簡単に負けるわけには行かなかった。
 一刻も早く志摩子を倒して勝敗を決しなければならない祐巳にとって、防御に徹した志摩子はさすがに難敵。

 一方、志摩子に勝利を託された乃梨子はセーフティーワールドを展開させながら逃げ続ける祥子と瞳子を追う。
 可南子ほどではないが、乃梨子とてその実態は忍びの者。

 足元が悪く障害物だらけのこのエリアであっても乃梨子の移動速度を阻むものではない。
 その一方、この前の戦いで走り回った祥子と瞳子のスピードは眼に見えて落ちてきている。

 瞳子の動きを先読みした乃梨子は、瞳子の背中から小太刀を投げつける。
 それは古来お庭番衆の使用していた小太刀投擲技 ”陰陽撥止”。
 本来の ”陰陽撥止” は2刀の小太刀を相手に投げつける技なのだが、それを一本の小太刀で行っているので威力は多少落ちている。

 瞳子に迫る小太刀に気付いた祥子が、高速で飛んでくる小太刀の前に仁王立ちし、ファイヤーウォールの魔法で叩き落す。
 が、次の瞬間、間合いを詰めた乃梨子の正拳が祥子の腹にあてがわれた。

 勝てさえすれば無防備な祥子の腹を殴り飛ばすこともない。 
 しかも、祥子は瞳子の危機を察知して乃梨子の放った小太刀の速度に匹敵する魔法展開のスピードを目の前で披露したのだ。

 これがファイヤー以外の攻撃魔法を封印されている祥子でなければ、先に強大な魔法で吹き飛ばされていたのは自分であったろう、と乃梨子は思いながら祥子に敬意を込めて頭を下げた。


 結局、障害物エリアでは、江利子・可南子チームの圧勝。 次点で志摩子・乃梨子チーム。
 祥子・祐巳・瞳子のチームはついに一勝も上げることができなかった。

 結果は、
 祥子・祐巳・瞳子チーム 6戦全敗。 対江利子 0−3、 対志摩子 0−3
 江利子・可南子チーム 6戦全勝。  対祥子 3−0、 対志摩子 3−0
 志摩子・乃梨子チームは 3勝3敗。 対祥子 3−0、 対江利子 0−3




 さらに次の第3エリアでの戦闘は、砂漠の中の巨大なオアシスを模したエリアでの訓練。

 ここでは志摩子と乃梨子のチームの独断場だった。
 遮蔽物の無い砂漠での戦闘を避け、水中に対戦相手を誘い込む。
 オアシスに近寄ってこない敵には水中から上半身だけ浮かせた志摩子の矢手甲からのペイント弾が雨あられと降ってくる。

 江利子の矢は水中では本来のスピード・威力を発揮できない。
 体を隠せない水中や砂漠では可南子の隠形も役に立たない。
 もちろん祥子の魔法が届くことも無い。

 ところが、志摩子と乃梨子は水中でもその戦闘能力をまったく衰えさせること無く他のチームを圧倒する。
 基礎的な戦闘能力を最も必要とする苛酷な環境でこそ、乃梨子の武術は輝きを見せた。

 どんなシチュエーションであっても護る、と指示された対象は何が何でも護り抜く。

 さすがに、乃梨子の想像をはるかに越えるスピードの祐巳の攻撃だけはすべて防ぐことはかなわなかったが、志摩子を守り抜くことだけは果たせた。

 このエリアで乃梨子は、護衛術を駆使し対戦相手の攻撃を何度も防いで見せた。 
 水中と言う特殊な環境の中で、祐巳の震雷ですら、たった一撃だけだったがかわして見せた。
 初撃さえかわせば、あとは志摩子が祐巳に立ち向かうことで、乃梨子が祥子と瞳子を攻撃することが出来る。
 移動速度の落ちた可南子の突きはすべて乃梨子が手にした小太刀に阻まれる。
 さらに水中で威力が落ちている、とはいえ必中の江利子の矢さえすべて叩き落して見せた乃梨子だった。

 そして志摩子の圧倒的腕力で振るわれる模擬剣は水中であっても抜群のスピードを持っていた。
 祐巳との対戦においても一歩も引くことなく攻撃を防ぎきる。

「志摩子さん、まるで人魚だね〜」 と、祐巳が感心するくらい水中の志摩子は優雅で力強かった。
 陸上でこそ祐巳に一歩及ばない志摩子だったが、水中ではほぼ互角の戦いをして見せた。

 結果は、
 祥子・祐巳・瞳子チーム 3勝3敗。 対江利子 3−0、 対志摩子 0−3
 江利子・可南子チーム 1分5敗。  対祥子 0−3、 対志摩子 0−2 引き分け 1
 志摩子・乃梨子チームは 5勝1分。 対祥子 3−0、 対江利子 2−0 引き分け 1




 やはり、どんなに力の差があったとしても、それを生かせるかどうかはシチュエーションによって変わるのだ。
 江利子の行ったこの訓練はそれぞれのチームの特性、個人の力量を見るには最適だった、と参加者全員が感じていた。


 結局、3つのエリア、それぞれ異なったシチュエーションでの訓練は、江利子・可南子チームが9勝7敗2分で一位。 次点は9勝9敗の祥子・祐巳・瞳子チーム。
 志摩子・乃梨子のチームが8勝8敗2分で最下位となった。


 この訓練でも、さすがに志摩子と祐巳だけは体にペイントの後が無かった。
 江利子も祐巳の攻撃による一度きりの被弾。
 可南子は、無障害物エリアと砂漠・水中エリアで祐巳から2度ずつ、砂漠・水中エリアで志摩子から2度攻撃を受けていた。
 そして・・・。 乃梨子は祐巳からも、江利子から何度も回避不能の攻撃を受けた。
 祥子の魔法でも一回、そして可南子からも障害物エリアで一撃もらっている。

(わたしは可南子さんよりも弱い・・・。 今回の訓練でよくわかった。
 小太刀1本じゃ太刀打ちできない・・・。 やはり、二刀と苦無がないと苦しい・・・) 

 ついに乃梨子は、本来の得物を手に志摩子の前に立つ決心を固めていた。


☆★☆

〜 7月10日(日) 午後 小笠原家 〜

 じりじりと太陽が照りつける真夏の昼下がり。

 広大な面積を持つ小笠原家の中庭を疾走する美しい女鹿。

 額には珠のような汗が浮かびあごから滴り落ちている。
 体感温度は40度を軽く超えているだろう。

 この灼熱の中庭を既に10km以上走り続けている祥子は今にも倒れそうになりながらも精神力だけで駆け続けていた。

 祐巳に、 「わたくしも戦闘訓練をするわ」 と言ってから祥子は毎朝・毎夕のジョギングを欠かしていない。
 朝に弱い祥子が、毎朝5kmのジョギングをこなしてから登校する様になって一週間以上。
 しかも、下校後には中庭を10km走るので、毎日15km走っていることになる。

 だが、昨日の戦闘訓練を行った祥子は、いかに自分に持久力がないか、ということを思い知らされた。

 ランダマイザの呪文を練りこんだミサンガで基礎体力の向上をした祐巳と志摩子にかなわないのは当然として・・・。
 一年生の可南子や乃梨子にも全く及ばなかった持久力。

 訓練の途中、何本もソーマの雫を口にしなければとんでもない醜態を晒していただろう、と青くなる。

 そもそも、長時間の戦闘など、これまで全く祥子には経験のないことだった。

 強力な魔法を駆使し、一瞬で敵を葬る祥子。
 仮に不意打ちを受けたとしても、最強の薔薇剣士=水野蓉子や、鉄の防御力を誇る支倉令がその身を盾に自分を守ってくれた。
 はじめて魔界のB級魔物と対したとき、あのフラロウスの強襲も祐巳の手で間一髪危機から守られた。

 最強の魔王・ベルゼブブと対戦したときは、体の中に魔王・ブエルが潜んでいたため、無尽の体力を持って戦えたのだが、今は生身だ。

 だからといって、どんな魔物が現れても研ぎ澄まされた自身の最強の魔法で瞬殺する自信はある。
 しかしその自信も 「絶対」 などということは無い。 これから先、祥子自身の体力のなさが山百合会全体の足かせになるかもしれない。
 自分の自信と矛盾することだとしても、そんな事態に陥ることだけは祥子のプライドが許さない。

 だから祥子は目標を立てた。
 炎天下でも1時間以内に20km以上の距離を走り続けることの出来る持久力を身につける、と。

 祥子の目の前に、給水ポイントが見えてきた。 ソーマの雫を10%水に溶かした特別なドリンク。
 祥子はドリンク剤を取ると、左手につけたストップウォッチつきの時計を確認する。

(あと20分で8km! まだまだ遅い・・・。 時速24kmまで上げなければ!)

 祥子は歯を食いしばって駆け続ける。
 持久力だけではなく、マラソンランナーをはるかに凌駕するスピードを身につけるために。


☆★☆

〜 7月10日(日) 東京都郊外 午後 〜

 少々異様な風景に人々は非難するような視線を向ける。
 電車の椅子に座ったサングラスの少女。
 その少女の前に瞳を閉じ、爪先立ちで立ったまま額に汗を浮かべる縦ロールの小柄な少女。
 二人はお互いの両手を握り合っている。

 それは電車が揺れるたびにふらつきそうになる立った少女を座った少女が支えているようにも見える。

 辛そうなのは立ったままの少女なのだから席を替わってあげればいいのに・・・
 サングラスの少女はそんな視線を受けていることに気付いている。

 もし、この場に祐巳と同様、覇気の流れを見ることが出来る人がいれば、二人の間を膨大な量の覇気が流れていることに気付くのだろうが。

 正直、最初は恐ろしい・・・、と瞳子は思っていた。
 人々の好奇の視線が・・・ではない。 このような視線を向けられても平然としている祐巳が、だ。
 このような悪意を込められた視線に自分は耐えることなど出来そうもない。

 だが、祐巳は全くそのようなことには無頓着だった。

 どんなに蔑まれようが大事なことは他にある。
 大きな目的のためには他人の非難の視線などいくらでも受けて立とう。

 そんな祐巳の覚悟。

 瞳子が爪先立ちをしているのは、覇気を爪先一点に集中する訓練のため。
 瞬駆を使う際に最も覇気を集中させるポイントを体に覚えこませることが目的だった。
 揺れる電車の中、というのはこの訓練には最適であることに瞳子は気付き始めていた。



 昨日、初めて戦闘訓練の場に投げ出されたばかりの瞳子は、武術における基本的な覇気の流し方がまだ上手くできない。

 瞳子の覇気は基本的に魔法を完璧にこなすためのものとして魔力集中のために磨き上げられたもので、格闘するためのものではない。

 それは瞳子と同様、いやそれ以上に魔法に特化した祥子にも言えることなのだが、祥子は社交ダンスなどの素養がありその応用として瞬駆を身につけている。

 それにしても、いくら瞳子が実戦初心者だといっても同じ高等部一年生。
 中等部時代にはちゃんと剣術や体術の必須授業もあったので他校の生徒よりはずっと強いと思っていたのに。

 昨日の小笠原研究所での細川可南子と二条乃梨子の動きは何なのだ、と思わざるを得ない。

 だいたい、あのような実戦訓練の場にいきなり素人の瞳子を放り投げる江利子もひどい。
 だが、まったく反論もせずにそれを受け入れた祐巳と祥子。

 泳げない子供をいきなり海に突き落とすような・・・。 いや、プライドさえもずたずたに引き裂くような訓練。
 しかし、何度も可南子や乃梨子に一撃を入れられそうになっても必死で自分を守ってくれた祐巳の姿。
 
 そして、二方向から同時攻撃を受け、祐巳が庇いきれなくなった瞳子の身代わりに何度もその一撃を受けた祥子の姿を見るたび、この祥子と祐巳の固い絆がヒシヒシと伝わってきた。

 つまり、体術・剣術・弓道それぞれの最強クラスといきなり対戦訓練をさせることで、まずそのレベルの高さを体感すること。
 体に最強の遺伝子を植えつけること。

 それが昨日の訓練の目的であったことは間違いない。
 その証拠に、負けることが何より嫌いな祥子が下級生の乃梨子や可南子に一撃をいれられても平然と受けて立ったことでも明らかだった。

 あまりの悔しさに俯いてしまった瞳子に祐巳は、

「瞳子ちゃん、初めての訓練で負けることなんて悔しがることは無いの。
 だいたい、江利子さまや志摩子さんがどれだけ強いか、なんて知らなかったでしょう?
 瞳子ちゃんはこれから鍛えていけばいの。 そのために私がいるんだよ。
 これからきつい訓練が続くけど、瞳子ちゃんなら乗り越えられる。 わたしともそう約束したじゃない。
 まずは、基本からやっていくね。 家でも出来る柔軟運動を教えるから。
 それと、二人一緒のときは、覇気のオンオフ訓練をするからね!」

 と、励ましの声をかけたのだ。



 覇気の集中とオンオフの練習。 それだけなら場所を選ばず行うことが出来る。

 祐巳と瞳子は毎週日曜日に ”山の麓の松平病院” へ通うことになっている。
 瞳子の祖父である松平医師に医療呪文を習うためである。

 祐巳はこの病院に通う時間すべて、瞳子の覇気集中の訓練にあてることにしたのだ。

 K駅で待ち合わせをしたときから祐巳と瞳子はずっと手を握り合っている。

 その点だけを見れば、端で見ている分には仲良しの女の子どおしが手を繋いでいるだけのように見えるのだが・・・。

 二人の間は膨大にして静かな覇気が流れているのだ。
 それも、一秒間に16回以上も覇気のオンオフをしながら。

 瞳子の体は、覇気の振動により熱さえもってしまう。
 まるで電子レンジに入れられた肉が電子の振動で熱が発生するようなもの。
 冷房の効いた電車内とはいえ、一年で最も暑い時期にこれはかなりこたえる。

 祐巳は一秒間に100回を越える覇気のオンオフができるのだが、さすがに初心者の瞳子にいきなり3桁はきついだろう。
 まずは体に覇気のオンオフを覚えこませること。 それも最も体術で必要となる爪先に。

 それが瞳子が爪先立ちで立ち続ける理由だった。

 そしてもう一つ。 じっと眼を閉じている理由。

 それは、”癒しの光” を発現させるための呪文詠唱と魔導構築の訓練に集中するため。
 祐巳ですら、山梨のおばばのスパルタ訓練を受けてなお3ヶ月も習得に時間を要した超難解な呪文。

 この高度な呪文を身につけるためにはいくら時間があっても足りはしない。
 さらに瞳子は、この後松平病院でヒーリング系とディア系、まったく別の系統の医療呪文を習得する訓練を行うのだ。

 冷静に考えればこんなことできる、と思うほうがどうかしてる。
 まだ高等部一年生の自分に、そこまでのことが出来る、とは考えてもいなかった。

 だが、瞳子には祐巳がいる。 世界最高の医療用魔杖 ”アヴェニール” がこの手にある。
 どんなに無理難題だとしても、瞳子なら出来る、と信じてくれる人がいる。

 この暖かい手・・・。 自分と同じ高等部一年に ”癒しの光” でこの世界を救った祐巳の手。
 この手を信じ、導かれていこう。 絶対にこの手は離さない、と誓ったではないか。

 総てを司る絆を信じぬくこと。 それがこの先に進む道標になるのだ。

(祐巳さまができた事、瞳子に出来ないはずがございません!)
 ふらつく体を抑えながら瞳子の覇気がまた強まる。

「ダメ、瞳子ちゃん。 心を落ち着けて覇気は一定に。 焦らなくていいから・・・」
 瞳子の両手を握っている祐巳が小さな声で叱咤する。

「はい、すみません。 余計なことを考えてしまいました」
 と、小さな声で謝罪した瞳子は、ふ〜っと一回深呼吸をする。

 ちょうどその時、乗り換えの駅に着くアナウンスが流れた。



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