【3517】 それは危ない  (ex 2011-05-22 17:44:52)


「マホ☆ユミ」シリーズ 第2弾 「祐巳の山百合会物語」

第1部 「マリアさまのこころ」
【No:3404】【No:3408】【No:3411】【No:3413】【No:3414】【No:3415】【No:3417】【No:3418】【No:3419】【No:3426】

第2部 「魔杖の名前」
【No:3448】【No:3452】【No:3456】【No:3459】【No:3460】【No:3466】【No:3473】【No:3474】

第3部 「進化する乙女たち」
【No:3506】【No:3508】【No:3510】【No:3513】【No:3516】【No:これ】【No:3519】【No:3521】第3部終了(長い間ありがとうございました)

※ 4月10日(日)がリリアン女学園入学式の設定としています。(カレンダーとはリンクしません)
※ 設定は 第1弾【No:3258】〜【No:3401】 → 番外編【No:3431】〜【No:3445】 から継続しています。 お読みになっていない方はご参照ください。


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〜 7月10日(日) 午前 小寓寺 〜

「いらっしゃい。 乃梨子。 可南子ちゃん」

 小寓寺の山門前で二人の一年生を迎えたのはロサ・ギガンティア=藤堂志摩子。

「ごきげんよう」 と、可南子は志摩子に頭を下げる。

 乃梨子は姉である志摩子に会ったと言うのに無言で礼をしただけ。

 乃梨子と可南子は昨日の小笠原研究所での訓練の後の話し合いで、日曜日に乃梨子と可南子を小寓寺に呼び寄せ、3人で訓練をすることになった。

 志摩子は、日曜日ごとに実家である小寓寺に帰ることになっている。
 日曜日は祐巳が瞳子と 「山の麓の松平病院」 に行くようになったので、この3人で訓練を行うことはかえって都合が良かった。

 可南子は昨日と同様、先端に球体の付けられた ”鍼ヶ音” を和弓用の弓袋に入れて持ってきている。

 一方、乃梨子は大きめのバッグに数々の得物を持ってきていた。

 まず見たことも無い形状の小太刀の特殊刀を2本。 長さ約55cm、反りは無い両刃の直刀。
 鍔はなく、柄から切っ先まで総てが一体構造になっている。 色はカーボンで出来たようにすべてが漆黒。 
 柄から細い2本の刀身が真っ直ぐに伸び、その中ほどと、先端部分だけが繋がっている。

 さらに、長さ6寸5分もある畳針のようなものを16本。 そして刀と同じ素材で出来た苦無を4本持ってきている。

 持ってきた武器も、それを携行するための道具も総てが黒。 闇の世界に生きる忍びの道具。

 これを見せれば自分の素性を晒すことになる。
 どうみても忍者道具一式なのだから。
 
 もう言い訳は効かない。 
 だが、これでいいんだ、と言う思いも乃梨子にはあった。

 志摩子はすでに自分の素性に気付いている。
 それは先日からのやり取りでも明らかだったし、祐巳や江利子には最初から筒抜けだったのだと思う。
 きっと一度でも手合わせをしたなら、支倉令=ロサ・フェティダも見抜くのだろう。

 志摩子と可南子の目の前でバッグを開いて得物を見せた乃梨子は大きなため息をつきながら少しだけ俯く。

 覚悟は決めてきたはずだった。 だが、最後に自分自身を奮い立たせるためだけのため息。
(里長、ごめんなさい。 結局ばれてしまいました。 でも、わたしはこの判断に自分で責任を取る覚悟があります)

 ふっ、と柔らかなものに包まれる乃梨子。

「言えなくて辛かったのね。 でもあなたの覚悟は無駄にしないわ。
 わたしが必ずあなたを護って見せるから」

 耳元で囁かれる志摩子の優しい声。 思わず志摩子の体にすがりつくように乃梨子が抱きつく。

 その様子をただじっと見ている可南子。

(わたくしだけじゃない。 乃梨子さんも人に言えない大きな秘密があるんですね・・・)

 可南子にとって、リリアンで ”親友” と呼べるものがいるとしたらそれは二条乃梨子だけだ。
 それになんだ。 たかが ”忍者” というだけではないか。
 自分なんて ”暗殺者” なんだぞ、と思わないでもない。
 それに、乃梨子の秘密を知ったところで自分が他人にその事を話すはずも無いじゃないか。

「安心していいわ、乃梨子さん」
 
 可南子は、ぼそっとそう呟いた。



☆★☆

 昨日の小笠原研究所での訓練のあと、鳥居江利子はまだ息が上がっているメンバーを前に 『重大なことよ』、と宣言し、今後の展開についての私見を述べた。

 江利子が現在研究中の ”魔界から現れたタナトス生命体” の脅威について。
 そして、精霊と心を通わせる祐巳が漠然と感じている不安感について。

 今は平和な時間が過ぎているが、これは近い将来覆されるに違いない、というのが江利子の意見だ。
 だが、はっきりとした根拠があるわけではない。
 いまはまだ、”万が一に備えて” というレベルでしか警鐘を鳴らせない、と。

「”その時”、が何時来るのかわからないわ。 まだ ”タナトス生命体” という脅威の本来の目的も特定できてないから。
 でも、もし来たとしたら恐ろしい厄災になることは間違いないの。
 だって、魔王レベルの力を持ったものが既に一回現れたのよ。
 魔法・魔術騎士団だけでは対応が出来ない。 あなたたち ”リリアンの戦女神” の力が絶対に必要となるの。
 今の山百合会の力をさらに強化する必要がある。
 そして、それを担うことができるのは・・・」

 と、3人の一年生に視線を向ける江利子。

「松平瞳子さん、二条乃梨子さん、細川可南子さん。 あなたたち3人は ”この世の希望を託された” 祐巳ちゃんに見出されたのよ。
 そしてきっとこれは偶然ではなく必然。 運命と言ってもいいのかもしれない」

 いつもは飄々としている鳥居江利子の本気。
 その雰囲気は、まさに一年前に 『本気になった江利子がどこまですごいかわからないわ』 と水野蓉子に言わしめたほどの覇気により視線を向けられた一年生3人を押しつぶしてしまうほどのもの。

「これは、あなたたち3人にしか出来ないこと。 でもね、逃げ出したい、と思うほどの過酷な試練になるかもしれないわ。
 だからわたくしは全力であなたたちのサポートをする。
 もちろん祥子も。 ね、そうでしょ?」

「はい、もちろんです。 江利子さま」
 と、祥子も頷く。

「じゃ、全員シャワーを浴びていらっしゃい。 気分を変えて、そのあとわたくしの研究室に集合。
 時間は30分後。 最終の意思確認をするわ。 祥子は悪いのだけれど一緒にわたくしの研究室に来て頂戴。
 ここから先はわたくしとあなたの二人だけで十分だから」

 そう訓練場で言い残すと、江利子はメンバーの返事も待たず背を向け祥子と共に自身の研究室に向かった。



 30分後、江利子の研究室に全員が集合。

 もちろん瞳子をはじめ一年生3人は、江利子の言う 『逃げ出したい、と思うほどの過酷な試練』 に真っ向から立ち向かう決意は出来ている。

 3人の決意を聞き、嬉しそうな、それでいて少し困ったような顔をする祐巳。

 祐巳が感じている ”漠然とした不安” は、自分自身でもよく説明できないものなのだ。
 だから、3人の一年生が潜在能力を開花させ、これまで以上に自分自身を輝かせることが出来る手伝いが出来ることはとても嬉しい。
 でも、そのことで過酷な試練を課してしまうかもしれない。
 それが少しだけ心苦しい、と感じていた。


 祐巳の考えていることは祥子には手に取るようにわかる。
 そして、祐巳の感じている ”漠然とした不安” を祥子はとても危険なことだ、と推測している。
 祥子は祐巳が感じている以上の脅威を祐巳の表情から読み取っていた。

 精霊の声を、白杖 ”エルダー・ワンド” の力を借りて聞くことの出来る山梨のおばばさまの曾孫である祐巳。
 そして、妖精界の女王=ティターニアの厚い加護を受け、精霊に愛されている祐巳だから。

 祥子は、祐巳だけではなく、きっとこの世界の精霊たちが不安を感じ、それを祐巳が受信しているのだ、と確信している。

 もちろん、このことは祐巳には伝えていない。
 なぜだか伝えることで祐巳がどこか遠くに行ってしまうのではないか、という不安が祥子にはあった。
 祐巳と別れるようなことになる危機があるのなら、どんなことがあってもそれを阻止するのが祥子クオリティ。



 一年生3人の意志を確認したあと、祥子は江利子と立てた今後の方針について全員に説明をした。

「祐巳ちゃんは、瞳子ちゃんの修行の手伝いに専念しなさい。
 祥子とも相談したのだけれど、この作戦の要はやはり瞳子ちゃんになるわ」

「はい」

「祐巳ちゃんが付きっ切りで修行したとして、何ヶ月かかる?」

「えっと・・・。 それはわからないです。 私が癒しの光を使えるようになるまで3ヶ月かかりました。
 瞳子ちゃんがそれよりも早いのか遅いのか・・・。
 でも、瞳子ちゃんはすごく飲込みが早いんです。 杖に魔力を集中する訓練なんてたった3日でできるようになりました。
 もともと、魔法に関してはすごいセンスを持ってますから、当然、と思われるかもしれませんけど」

「そんなにすごいの?」 と、祥子が聞く。

「はい、お姉さま。 リリアンの生徒でもあれだけの集中力、多分数えるほどしか居ません。
 もちろん、”アヴェニール” と瞳子ちゃんの相性が抜群なのと、瞳子ちゃんが光の精霊に愛されているからだと思うんです」

「あぁ、瞳子ちゃんが光の精霊に愛されている、って言ってたわね。 それで、瞳子ちゃんは光の精霊の力を自由に使えるの?」

「はい! 今はまだ光の精霊が手伝ってくれているだけなんですけど、近いうちに自由に使いこなせるようになります。
 えっと、使いこなすには覇気の集中も必要になってくるし、体力もいるのでまだ時間はかかるんですけど」

「そう・・・。 まずは基本から、ね? 瞳子ちゃんは自分の周りに光の精霊が居る感覚はわかるの?」

 もちろん、祥子にも ”光の精霊”、の姿は見えない。 祐巳の言うことだから信用しているのだが。
 祐巳は祝部の一族なので、光の精霊が見えているのだろう。
 だが、瞳子が光の精霊の存在を感じたり見ることは出来ないのではないか、と思っている。

「『精霊が見えるか?』、と言われれば瞳子にはその姿は見えません。
 でも、”アヴェニール” を握って魔力を流し込むとき、体の中から光が湧いてくる気はしています」

「そう・・・。 わたくしが爆炎の呪文を使うときに体の中に炎がたぎる感じがする感覚に似ているのかしら?」

「そうかもしれません」
 と、瞳子は答えるが、やはり眼に見えないものの存在を証明することは難しい。

「まぁ、そっち系の話は祐巳ちゃんに任せましょう。
 祐巳ちゃんが 『出来る』 って言って出来なかったことはないもの。 そこは信頼しているわ。
 でも、おおよそでいいから時期がわかるといいわね。 なるべく近いうちに進捗状況と見込みを教えて頂戴。
 こっちの二人は、それほど時間がかからないわよ。
 去年、志摩子の力を見たときにも驚いたけれど、二条乃梨子さんと細川可南子さん。
 あなたたち、とんでもない逸材だわ。 
 初見で私の矢を叩き落したり、祥子の魔法から逃げ切れる一年生がいたとはねぇ」

「「ありがとうございます」」
 と、乃梨子と可南子は自分たちの力を認めてくれた偉大な先輩に頭を下げる。

「可南子ちゃんはまだ誰の妹にもなっていないのよね?
 もし令がいなかったとして、私が二年生、あなたが一年生だったらきっと妹にしていたわ。
 本当に、黄薔薇ファミリーに欲しい人材だわ」
 と、可南子に笑顔を向け、すぐに視線を乃梨子に移す。

「乃梨子ちゃんはまだ全然本気を出していないわね。 そろそろいいんじゃないの?」

「う・・・。 あの・・・。 もう少し時間をください」
 本当に、この先代ロサ・フェティダ。 どこまで鋭いのか・・・。

「祥子は自主練が中心になってしまうわね。 とにかく基礎メニューを組んで持久力をつけなさい。
 それが出来たら私が瞬発力向上の特訓に付き合ってあげるわ。
 私の矢から逃げ切ることが出来れば合格よ」

「そうですね。 今のメニューをさらに追加します。 近距離の防御は令に付き合ってもらうことにします」

「そうね、令よりも由乃ちゃんのほうがいいかもしれないわ。 まぁあの二人なら喜んで協力してくれるでしょう」

「はい」

「それと、二条乃梨子さんと細川可南子さんの特訓は志摩子が最適よ。
 乃梨子さんの可能性を引き出すことと、可南子さんの精神修養を兼ねて。
 もっとも重要なことは、可南子さんの覇気と乃梨子さんの覇気を合体させるための基礎訓練なんだから、それを中心に鍛えること」

「わかりました。 さっそく明日から特訓に入りたいと思います」

「あ、明日から?」
 と、乃梨子が驚いた声を出す。
 今日、これだけ死にそうなほどの特訓をして、さらに明日も特訓をするのか? と。

 志摩子の鋭い剣戟、水中での優雅でしなやかな動き、中距離からの矢手甲での連射・・・。
 ほんとうに、志摩子の華奢な体のどこにそれだけのことをこなす体力があると言うのか・・・。

「乃梨子、可南子ちゃん、明日小寓寺にいらっしゃい。 わたくし、そこで待っていますから」

 にっこり微笑んで二人を誘う志摩子に、乃梨子と可南子は素直に頷いた。

「じゃ、今日は解散。 わたしはしばらくコマンダードレスや武器開発に忙しいから、今日みたいな訓練に付き合えるのはもう少し先になるわ。
 でも次回は令と由乃ちゃんも連れてきてね」
 と、笑みを深める江利子。

「それと祐巳ちゃん、志摩子、ちょっとだけ付き合って。 祥子はシャワーを浴びてきなさい。 一年生は玄関前のロビーで待っていなさい」

 そう言うと、江利子は怪訝そうな顔の祐巳と志摩子を連れて、自分の研究室の隣にある会議室のドアを開けた。


☆★☆

 昨夜の決定方針に従い、日曜日のこの時間、乃梨子と可南子は志摩子の前にいる。

 小寓寺の裏山は、志摩子が幼いころから剣の修行をした場所。
 起伏に富んだ杉山だが、一部には原生林や竹林も広がっている。

 昨日の小笠原研究所での模擬戦闘訓練が終わった後、江利子は志摩子に具体的にどのように一年生二人に修行をつけていけばよいか、を教えた。
 この二人は力を合わせれば、防御において鉄壁を誇る最強の盾になることが求められる。
 しかも、その最強の盾は最強の矛に瞬時に能力を変えることが出来るようにしなければならない。

 志摩子vs乃梨子&可南子のチームで模擬戦闘を繰り返すこと。
 そのなかで、志摩子の戦闘力を超える力を二人が力を合わせることで手に入れなければならない、と。
 それができなければ、この先には進めない。
 二人がかりでも志摩子に太刀打ちできないようでは覇気合成など試すまでも無く失敗するに決まっている。

 志摩子は矢手甲を装備したことで中距離の攻撃力が以前よりも増している。
 もともと近距離戦においては、祐巳と戦闘訓練を繰り返し、あの水野蓉子の薫陶を受けたことで最強に近い強さを持っている。
 さらに白薔薇の薔薇十字を顕現させ、ホーリー・ブレストを身に纏えば最強の防御力を手に入れる志摩子。

 最終的に、薔薇十字を顕現させた志摩子に勝つこと、それが乃梨子と可南子のペアに与えられた試練だった。

 ・・・どう考えてもそんなことは無理だ、としか思えない。
 しかし、その試練を乗り越えなければ、今後のリリアンの未来は・・・、いや世界の未来が閉ざされてしまうかもしれない。
 そして、この二人なら乗り越えて超えてくれるだろう。 そう後押しする希望の女神の視線があった。

 時期はわからない。
 しかし、それは確実に近づいている。
 いまは、大規模な厄災が降りかかる前のほんの一時の平和でしかない。

 祐巳が受け取る不可思議な不安に祥子が気付き、それを江利子も信じている。
 だからこそ、平和な時間を大事にしながらも危機に備え万全の体制を一刻も早く確立したいのだ。

 新たなるリリアンの戦女神が、その真価を発揮できる力を身につけさせるため、江利子は万全のサポート体制をとることを現山百合会のメンバーに宣言した。

☆★☆

 ”山の麓の松平病院” の最寄り駅に着き、病院の送迎バスに乗り込む祐巳と瞳子。

「あともうちょっとだね、瞳子ちゃん。 疲れたでしょ? ちょっと休憩しようか」
 仲良く二人がけのシートに座って祐巳が瞳子に微笑みかける。

 覇気を治めながらすっと手を離そうと力を抜いた祐巳の左手を瞳子の右手がぐっと引き寄せる。

「祐巳さまがお疲れでないのなら、このままでお願いします。 瞳子は昨日祐巳さまの足を引っ張ってしまいました。
 ロサ・キネンシスにもご迷惑をおかけしました。 あのような辛い思いをしないように早く乃梨子さんや可南子さんに追いつきたいんです」

 ”癒しの光” を構築するための脳が茹で上がるような演算を続けることは放棄したが、覇気のオンオフの訓練だけは続けたい、そう瞳子の瞳は語っていた。

「ううん。 わたしのほうこそごめんね。 絶対に二人を護ろうと思ってたんだけど、さすがに江利子さまと志摩子さんが相手じゃきつくって。
 でも、可南子ちゃんと乃梨子ちゃん、二人ともわたしの想像以上だったよ。
 特に可南子ちゃん、ものすごく上達してたなぁ。 令さまの指導を受けてるし、もともとの覇気の量が桁違いだもん。
 それに・・・。 乃梨子ちゃんもこれまでにすごく修行してきたのが良くわかる。
 あれは、多分子供の頃からずっと剣術も体術もしてきたのは間違いないわ。 それも普通の場所じゃない。
 多分来週には乃梨子ちゃんの ”本気” が見れると思う」

 祐巳は、再び瞳子の手も握り返しながら覇気のオンオフを再開する。

「瞳子ちゃんは、あの二人とスタート地点が違うんだからまだまだ追いつくのは無理があると思うの。
 でも、すぐに追いつけないからと言ってずっと置いてけぼり、にはならないわ。
 わたしがそうはさせないもの。 絶対に。 瞳子ちゃんはそれをこなすことが出来るだけの素質がある。
 なによりも強い心がある。 絶対に負けない心が、ね。 わたしよりも・・・。 ううん。 お姉さまよりもずっと強い心があるのがわかるよ」

 落ち込んでいる瞳子に優しく話しかけながら祐巳が瞳子に覇気を送る。

 それは瞳子に絶対の信頼を寄せている、とわかる暖かな覇気。
 その暖かな覇気が瞳子の凍てつきそうになっている心を溶かす。

 ・・・。 と、その時、祐巳の体に瞳子から覇気が逆流してきた。

 え・・・?! と、驚きに満ちた顔で祐巳が瞳子を見つめる。

「瞳子ちゃん・・・。 今・・・。 わたしに覇気を返してきた?!」

「え? え、えぇ。 祐巳さまの覇気のリズムに合わせてオンオフをしてただけですけど?
 さっきまでと何も変わっていないと思うのですか?」

「じゃ、じゃぁ、今のリズムを続けて」 と、祐巳は驚いた顔のまま瞳子に命じる。

「はい」 と、小さく答えはしたものの、祐巳が何に驚いているかわからない瞳子は言われたままに覇気のオンオフのリズムを正確に刻み始める。

 だが、その強さは先ほどまでの半分しかない。

(え? どうして・・・。 さっきまではもっと強かったのに・・・。 あぁ・・・ 祐巳さまを失望させてしまったのかしら?)

 不安になった瞳子だが、目の前で瞳を閉じている祐巳の顔には笑みが浮かんでいる。

 わけがわからなくなった瞳子だが、少しでも祐巳をがっかりさせないためにも、さらに覇気を強める。 ただしなるべく一定の強さを保つようにして。

 何分そうしていただろうか。

 片手だけ繋いで覇気を流していた瞳子の手は、今は両手とも祐巳の手に包み込まれている。

(あぁ・・・。 暖かい。 祐巳さまが包み込んでくださっている。 笑ってくださっている。 失望させたわけではありませんのね?)

 次第に心が落ち着いてきた瞳子は正確なリズムで、強さを一定に、と念じながら覇気を送り続ける。
 次第にその覇気は強さを増し、また元どおりの強さに戻る。
 いや、最初に電車に乗って手を繋いだときよりもその覇気の流れの強さは何割か増されている。

 そして、眼を瞑ったまま祐巳は笑みを浮かべ続け、この奇妙な行動はバスが病院に到着するまで終わることは無かった。

 だが、瞳子は覇気を送り続けることに集中しすぎて不思議な現象に気付かなかった。
 それは、きっと重大なことだと言うのに。


☆★☆

〜 7月10日(日) 夕方 支倉道場 〜

 支倉道場の門下生たちが帰ったあとの道場では、あいかわらず支倉令と島津由乃の二人が修行の準備をしている。
 だが、普段とは全く違うことがあった。

 道場には由乃の父親による法力結界が3重に張り巡らされ、令と由乃の他には誰の姿もない。


 昨夜、いや日曜日の未明となったのだが、妖精界から帰った由乃を迎えたのは令一人だけ。

 当然他のメンバーは全員小笠原研究所で訓練を行い、それぞれの自宅に引き上げた後だ。

 令はなかなか帰ってこない由乃のことが心配でなんども妖精界に行こうかと悩んだ。
 だが、そんなことをすれば由乃の怒りを買うことは眼に見えている。

 ここは由乃を信じて待つしかない。 例え何時間待たされようと・・・。
 きっと、由乃はもっと辛い試練を受けているに違いないのだから。
 令は、樹木妖精エルダーの傍らの横にずっと仁王立ちで立ち続けたのだ。

 一方由乃は一刻も早く温室で待ってくれているであろう令や、祐巳や志摩子に自身の顕現させた薔薇十字を見てほしかった。
 これまで、長い間待たせた姉と親友に、嬉しい報告をしたかった。

 だが、妖精界に行き、オベロン王に謁見し、またリリアンの古い温室まで帰る行程は半日以上を要する。

 しかも、薔薇十字は受け取ったばかりで使い方も上手く出来ていない。
 ダメもとで、送迎役のクー・フーリンに薔薇十字を顕現させてからの修行を見てもらえないか、と頼んだらなんとあっさりと了承してくれた。

 クー・フーリンは昨年、妖精王が自分に化けて祐巳、志摩子、由乃の3人を送迎したとき、実はすぐ傍で3人を見ていた。
 いくら妖精王とはいえ、クー・フーリンの戦車(チャリオット)をクー・フーリンの命令無く動かすことは出来ないからだ。

 その場で由乃が 「クー・フーリンといえば侍の中の侍、かっこいい!」 と言っていたのを忘れていなかったのだ。
 その由乃が珍しい武器を手にし、自分を頼ってくれた。 

 ”侍の中の侍” であるクー・フーリンが自分を頼ってくれたものに否を言う事はない。
 覇気全開で一直線に突き進む由乃は、かつての自分に相通じるものがある。
 クー・フーリンはとても由乃を気に入っていた。

 こうして、由乃とクー・フーリンは妖精界のとある湖畔の広場で数時間にわたり修行に励んだ。

 修行に時間を取られたせいで由乃が人間界に帰ってきたのは日曜日の明け方のことだった。
 さすがにこんなに遅くなっては他のメンバーに薔薇十字が顕現する姿を披露できるわけもない。
 それに日曜日は祐巳は朝から瞳子と ”山の麓の松平病院” へ修行に行っているし、志摩子は小寓寺へ帰っている。

 由乃は間に合わなかったことに少々がっかりしたが、すぐに思考を切り替えた。

 日曜日の夜に令と薔薇十字を顕現させた姿で互角稽古を行おう、と。
 どうせなら折角授かった薔薇十字を使いこなせる姿で祐巳と志摩子に見てもらおう、と。

 そのため、門下生たちが全員帰った後の道場で、支倉令とたった二人きり、互角稽古を納得するまで続けよう、と思っていた。

 もちろん、令も一刻も早く由乃の薔薇十字を顕現した姿を見たかったし、顕現させた由乃がどこまで進化するのか確認したくもあった。
 そこで、支倉、島津両家の父親に頼んで普段よりも強力な結界で道場を覆ってもらい、一晩の間道場を使用する許可をもらった。



「令ちゃん、長い間待たせてごめんね。 見て、これがわたしの顕現した薔薇十字の姿」

 由乃が黄金の薔薇十字を高々と掲げる。

「出よ、わが薔薇十字。 閃光を放て、エクレール!」

 バチィィィイ! と耳を劈くような音がし、閃光が迸る。

 そして現れた3本の卍釵。 由乃はその中の一本、漆黒の卍釵を道着の帯に挟み込み、銀色の卍釵2本を左右の手に持って令に相対する。

「へぇ〜っ!」
 令の眼がまん丸に見開かれた。 
 由乃の薔薇十字を顕現する姿。 それを何度夢見たことだろう。 由乃がどんな薔薇十字を顕現するのかとても楽しみだった。
 それに、顕現する前に見せてもらった豪華な細工の薔薇十字 ”エクレール” は本当に由乃によく似合っていた。
 可憐な由乃に似合う武器とは・・・。
 この豪華な薔薇十字がどのように顕現するのか、大きな期待を持っていたのだが・・・。

 由乃の手にあるそれは、形状こそ珍しいものだが何の変哲も無い鉄の卍釵に見える。 とても黄薔薇の薔薇十字、とは見えない。

 令の驚いた顔を見ると由乃は不適に笑う。
「ふっふっふ〜。 令ちゃんもこれが普通の鉄の棒に見えるでしょ〜」

「あ・・・あぁ。 それは琉球空手で使う卍釵。 わたしも写真を見たり話には聞いたことがあるけど実際に見るのは初めてだよ。
 でも、何て言うか・・・。 とても薔薇十字には見えない」
 さすがに、気を使わなくてもいい従姉妹どおし。 思ったままを口にする令。 

「だよね〜。 でもよく見てて」

 由乃は白銀の卍釵の中央部分を握るとクルクルと回し始める。 その回転が眼にもとまらぬ速度となると、次第に卍釵が黄金に輝き始める。
 いや、バチバチと弾ける金色の覇気が白銀の卍釵を覆い尽くし、黄金に見えるのだ。

「覇気の可視化・・・!? いや、覇気の具現化なのか?!」

 令もめったに見ることができない覇気の具現化。 それをいきなり薔薇十字を顕現させたとたんやってのける由乃に度肝を抜かれた。
 白銀の卍釵が黄金に見えるところまでは可視化なのだろう。
 だが、そこから迸り出る雷光のようなものは具現化、としか思えない。

 覇気の可視化、はもちろん令も星皇刀エリマエルシュを振るい魔物を切り裂くときにはそうなる。
 薔薇十字を所有していない者、たとえば高位の拳闘士がアカシャ・アーツを身に纏ったときには体が真っ赤に燃え上がるように見えるのも可視化の一種だ。

 ホーリーブレストを身に纏った志摩子の覇気が急上昇したときには、天使の羽として覇気が具現化する。
 祐巳がセブンスターズを振るうときに七星昆が真っ赤に燃え上がるようになるのも可視化を通り越した具現化なのだろう。

 ・・・まったく驚かせてくれる。 わが妹ながらその隠されていた才は計り知れないな、と令は思う。
 たしかに、その眼で覇気をみることのできる祐巳が 「由乃さんの覇気は山百合会で一番強い」 とは言っていたが・・・。

「驚いたでしょ〜」 と由乃は目を丸くした令を見て満足そうに笑う。

「あ、あぁ。 予想以上だよ、由乃。 ほんとうに由乃にぴったりの武器だ、と思えてくる」

 うんうん、とさらに笑みを深くする由乃は今度は右手の卍釵を左手に移し、片手で2本の卍釵を操りながら道着の帯に差した漆黒の卍釵を引き抜く。

「こっちはもっとすごいんだよ」
 と、言いながら漆黒の卍釵を回転させ始める。

 だが、今度の黒い卍釵は光を放たない。 それどころか回転が早まるほど色が薄れ、その場にあるのかどうかさえわからなくなってきた。
 しかも回転させていると言うのに風切音すらしていない。

「令ちゃん、竹刀を真っ直ぐに立てて。 動かさないでね」

「ん? あぁ、いいけど」

 由乃のリクエストどおり令が竹刀を左右の手でしっかり持ってそのまま天井を突き刺すように高く掲げる。

「見てて・・・。 いけ、黒鋸雷 (こっきょらい)!」

 由乃が右手を前に差し出す・・・。 と、次の瞬間、令の持った竹刀の先端に僅かな衝撃が。

 えっ? と令が身構えたときには既に由乃の右手には黒い卍釵。

 何が起こったのか? と令が思ったとき、竹刀の先端部分が視線を覆った。
 コーォォン。 と軽い音が道場に響き、5cmほどの長さで切り取られた竹刀の先端が床に転がる。

 ツーッと令の頬を冷や汗が流れ落ちる。
 
「参った。 この攻撃は避けようがない。 これが真剣勝負だったら、わたしの首が今頃こうなってたんだね」

「あはは。 まだ薔薇十字を顕現する前ならさすがの令ちゃんでも今の攻撃見えないのね? 
 でも、まだまだなんだ〜。 動かない的にしか当てることができないし、狙いも微妙にぶれるのよ。 今のももっと下を狙ったんだけどね」

 え・・・? とさらに顔面を真っ青にする令。

「ひょ、ひょっとして、手元が狂ってたらほんとにわたしの首、落ちてたんじゃないの?」

「え? 大丈夫だよ、そうならないように狙いより上にいくように投げたんだもん」

 いやいや、それは危なすぎるでしょう、由乃さん。

 床に落ちた令の冷や汗がポタリと音を立てた。



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