【3531】 砂糖をまぶした素晴らしいテクニック  (琴吹 邑 2011-07-03 03:55:21)


体育祭の振り替え休日の翌日のことだった
薔薇さま方は文化祭について、学園と交渉があるとかで職員室に。瞳子さまは演劇部に。
よって、今薔薇の館には乃梨子さまと私しかいなかった。

文化祭も間近なので仕事はいっぱいあるのだが、薔薇さまがいない今は決裁できない書類が多く、作業にならなかった。
「お茶でも入れますね」
しかたなく手を止め、お茶を入れる。その間なぜか乃梨子さまはじっと私のことを見つめていた。
「何かついてますか?」
乃梨子さまにお茶を出し自分の席に座ったあと、私は乃梨子さまに尋ねた。
「え?」
「いや、じっと私のこと見つめているから、何かあるのかなって思って」
「え? うん。いや、うん」
明らかに何かを迷っている乃梨子さま。
「何かあったんですか? 私で良ければ、相談に乗りますけど?」
「……じゃあ、一つ菜々ちゃんにお願いしても良いかな?」
乃梨子さまは私の言葉を聞いてしばらく迷ったあと、私にそう言った。
「いいですよ。何でも言ってください。ただし、お金に関することはお断りです」
「大丈夫そんなんじゃないから」
乃梨子さまは、そう言って立ち上がった。
そして、対面に座っていた私のすぐ横に立つと言った。
「ちょっとお願いがあるのだけど。立って、私に背中を向けてほしいのだけど、いい?」
「何するんですか? 別にかまいませんけど」
私は言われるままに椅子から立ち上がり、乃梨子さまに背中を向けた。
「これで、いいですか?」
乃梨子さまはその言葉に何も言わず、そっと、私のことを抱きしめた。
「の、乃梨子さま?」
私は乃梨子さまの行動に面食らい固まった。普段こういう事をする人じゃないと思っていただけに、びっくりしたのだ。
ただごとではない。私は心の底からそう思った。
「一体何があったんです?」
「みんなに内緒にしていてもらえる? 後、笑わないでね」
乃梨子さまのその言葉に即答する。
「もちろんですよ。笑うかどうかは話を聞いてから考えます。」
心の中でこの状況を誰かににみられたら、さすがに内緒にするのは無理だろうけどとこっそり付け加えて。
「ちょっと色々重なっちゃってね。ほら、一昨日、体育祭だったじゃない」
「はい」
今年は赤チームが優勝した。私は緑チームで三位だったけど。
「今年は菫子さんが、ちょうど旅行に行っててね。だから、家族の応援なかったの。千葉からわざわざ出てくるには遠いしね。別に去年も家族の応援なんて無かったし、だからどうこうというわけではないんだよ。去年のことを知っていたからか瞳子と可南子は、お昼休みに誘ってくれたし」
その話に小さく頷きながら、そのまま耳を傾ける。
「瞳子のところって家庭の事情が色々あるんだけど、そのときはすごく仲良さそうでさ。良かったなって思ったりさ、可南子のところは可南子のことで次子ちゃんつれてきててさ、次子ちゃんちっちゃくてかわいくてさ。可南子が何度も何度も次子は可愛いって、目尻を下げて言うんだよ。あの可南子が。 あとさ、菜々ちゃんも」
「え? 私ですか? 別に何もしてませんよ」
「うん。だから状況がいろいろ重なちゃっただけなんだよね。自分にもね、菜々ちゃんと同じ年の妹がいてね。菜々ちゃん見てたら、夏休み以来話していないなあとかとか思ったり」
そう言って、乃梨子さまは私のことをぎゅっと抱きしめる。
「わかりました。ホームシックなんですね」
「やっぱり菜々ちゃんもそう思う?」
「はい」
というか、そうとしか考えられないというのが正しいかも。
「だよねえ。そうは思いたくないんだけど。そうなんだろうな。やっぱり」
そう言って小さくため息をつく乃梨子さま。
その言葉に思わず私はくすっとわらってしまった。そのぼやきがあまりに乃梨子さまらしくて。
「なによ。笑うことないでしょ?」
「すみません。可愛いなと思っちゃったので」
「私なんか別に可愛くなんか無いでしょ?」
「そんなことないですよ。志摩子さまとらぶらぶしているときの乃梨子さまはすごく可愛いですよ。乃梨子さまの事カッコイイっていってる人たちに教えてあげたいくらいです」
まあ、実際には、可愛い乃梨子さまを見られるのは薔薇の館のいるものの特権だとおもうので言わないけど。
「そ、そうかな? 自分だとよくわからないけど」
「ええ、乃梨子さまは可愛いです」
「そう、ありがと」
それからしばらく、私たちは何もしゃべらず、そのままの格好でじっとしていた。
私は何度か何か話をしなくちゃなとは思ったのだけど、乃梨子さまに抱きしめられるのが、すごく気持ちよくて。乃梨子さまの鼓動を聴いているのが、すごく心地よくて。
館の外から聞こえる部活動の練習の声以外は、お互いの息づかいと、鼓動だけしか聞こえなかった。
この時間が長く続けばいいのに。そのときの私はそう思っていた。
でも、そうは思っても、時間には限りがある。
階下で扉が開閉する音とお姉さま達の声が聞こえた。
「お姉さま方戻ってきましたね」
「そうだね」
「なんですかね。ちょっと残念です」
「そう? それは良かった」
「なんで、『良かった』なんですか?」
「私も少しそう思っていたから。なんでかわからないけど」
そう言っあと、乃梨子さまは少し名残惜しそうにもう一度ぎゅっと私のことを抱きしめた後、その手をゆるめた。
「そうだ、元気の出るおまじないがあるんですよ。乃梨子さまにしてあげたいので、目をつぶってもらえますか?」
私はくるりと乃梨子さまのほうを元気よくそう言う。
「そうなの。じゃあ、お願いしようかな」
「じゃあ、目閉じてて下さいね」
「わかった」
乃梨子さまが目を閉じたのを確認し、耳を澄ます。
階下からはぎしぎしと階段を上る音が聞こえてくる。
その音を聞いてまだ大丈夫と判断した私は、そっと、乃梨子さまのほっぺにキスをした。
「え!?」
その感触にびっくりしたのか乃梨子さまは目を開けてまじまじと見つめる。
「本で読んだんです。元気が出るおまじないって。私で足りなかったら志摩子さまにもしてもらってください」
私はそう言って、ばちこーんと乃梨子さまにウインクをした。

翌日、乃梨子さまの機嫌がすごく良かったのは、きっと……。


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