【3545】 私のどこが好きですか学園祭の思い出お姉さまをやめないで  (bqex 2011-09-17 01:24:17)


【短編祭り参加作品】



 一年松組の教室で祥子は一人になった。
 学園祭の真っ最中だがお客さまが途絶え、当番のクラスメイトも席を外している。そこで思いを巡らせる。
 お姉さまはどうしているだろう。

 昨日、山百合会の手話劇の最終リハーサルをやると言われた。不意打ちだった。
 最終リハーサルには彼が来る。
 祥子が逃げ回っていることにお姉さまは納得していないようで逃げられないようにと直前に告げたのだろう。
 それなのに祥子は逃げた。
 お姉さまは追って来なかった。
 今までひどく叱られたこともあった。激しくぶつかったこともあった。だが、全く無視されてしまったのは初めてだった。
 今朝は薔薇の館にはいかなかった。
 このままどんどんお姉さまと離れていってしまうのか。それとも役に立たない妹に愛想を尽かしてロザリオを返せというのだろうか。

「ごきげんよう。あら、お休み?」

 聞いたことのある声に我に返る。紅薔薇さまだった。

「ごきげんよう、紅薔薇さま。今はたまたまお客さまが途切れただけです」

 ご案内しましょう、という祥子を紅薔薇さまは微笑みで制した。

「ちょっと話がしたくって。ああ、そんな顔しないで。劇のことでも男の人のことでもないから」

 安心させるように紅薔薇さまは言う。

「表にいたこちらのクラスの子にお願いしておいたから、ここは大丈夫」

 もう根回しが終わっているとは。ここは腹をくくろう。

「わかりました。それでお話とは」

「漫研の展示。ほら、絵師さんが私たちの似顔絵を展示しているでしょう」

 絵師さんとは漫研の有名部員の通称である。
 彼女から山百合会の面々を含む生徒の似顔絵をイラストコレクションと称して展示したいと許可を求められ、気が乗らなかったが、劇にでないならせめてこちらは、と紅薔薇さまに言われて渋々許可したのだった。

「祥子ちゃんの絵がとってもいい出来で見た人が次々と欲しがっちゃって。それで、絵師さんってば本人の許可があれば譲ってもいいって言い出して、争奪戦になっているの」

「それでしたら、誰にも渡さないように言って参ります」

 一歩踏み出した祥子に、「そうじゃないの」と紅薔薇さまが笑顔で首を振る。

「もうすぐここに蓉子が来ると思うけど、その件だからってお知らせ」

「お姉さまが」

 悪戯っ子のように微笑んでから紅薔薇さまが耳打ちしてきた。

「蓉子はね、ずっとあなたの似顔絵を欲しがっているのよ。今も争奪戦の仲介と称してチャンスを狙っているわ」

 まさか、と否定するが、紅薔薇さまは真顔だった。

「本当は黙っているつもりだったのだけど、最近あなたが逃げ回るから蓉子は調子が出なくてイライラしたり、落ち込んだりしてるの」

「それは別の原因があったのかもしれませんし、劇に出ない私がいたところで――」

「いいえ。何もしなくなって妹がそこにいてくれないと駄目なのよ」

「何もしなくても、ですか?」

 祥子は聞き返す。

「ええ。姉が包んで守るように、妹は支えなの」

「妹は、支え」

 そろそろかしら、と紅薔薇さまが立ち去ってまもなく。

「祥子」

 聞いていなければ誤解して逃げていたかもしれない。それぐらいの勢いでお姉さまが教室に飛び込んできた。

「来て」

 祥子の手を捕まえるとお姉さまは引っ張るように速足で歩きだす。

「お姉さま」

「劇のことも花寺のこともそれほど嫌なら今は言わないわ。それとは別件で――」

「あの、今は逃げませんし、似顔絵でしたらお姉さま以外には渡さないようにとお願いするつもりですから、もう少しゆっくり歩いていただけませんか」

 立ち止まると同時にびっくりしたような表情で振り向いて、三秒の間。
 そして。

「お姉さまがいらしたのね」

「はい」

 ふう、と一つ息をしてから、お姉さまはつかんでいた手を握り直した。

「わかったわ。では、一緒に行きましょう」

「はい、お姉さま」

 その手を握り返して、祥子は微笑むとお姉さまと一緒に歩き出す。
 久しぶりにお姉さまの笑顔を見て嬉しくなって、何もしなくていいなら劇を見に行っても構わないとさえ思った。


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