【短編祭り参加作品】
『願わくば、この意志を継ぐ者が現れることを祈って。』
一ページ目は、そんな言葉が綴られていた。
偶然だったのだろうか。
それとも必然だったのだろうか。
ただ事実として、そのノートは今、私の手にあるということだ。
祐巳さんではなく、志摩子さんでもなく、私の手に。
一冊の大学ノートに詰め込まれた夢と希望と、野望。
きっと私の手に渡らなければ、誰の目にも触れることなく存在を抹消されていただろうパンドラの箱。
たぶん、私がこれを手にしたことは偶然ではない。そんな気がした。
ノートにある記録は、日付を見れば八月末から十月初めまでという、ごく短い期間のものらしい。
しかし、短いくせに、ぎっしり一冊分の情報を蓄えていた。
いったい何の目的で記されたのか?
それは当然、冒頭の一文そのままの意味だろう。
――この文字は覚えている。この字は佐藤聖さまの字だ。
「祐巳さん!」
「おぉっ……な、なに? 由乃さん」
私の発した声は予想外に大きかったようで、振り返る祐巳さんの顔は驚いていた。
「大変なものが見つかったわ」
「大変なもの?」
どこでも買えるような普通のノートを見せ、
「聖さまの遺言よ」
「…………」
祐巳さんの眉尻が思いっきり下がった。ともすれば泣き出す直前のような情けない顔に見えた。
「見なかったことに」
「しない」
「……だよね」
季節は春。
私達が三年生に進級した五月のある日の放課後。
ぼちぼちマリア祭の準備を始めようってことになり、必要なものを探しに薔薇の館一階の倉庫にやってきていた。
薔薇の館にはまだ私と祐巳さんしか来ておらず、志摩子さんと乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんもマリア祭絡みの用事を済ませている。菜々は剣道部だ。いくら黄薔薇のつぼみでも一年生なので年功序列(と体育会系のノリ)で雑用に忙しいのだ。……そして妹の代わりに私が、黄薔薇さまであるこの由乃さまが、妹の分の仕事もしているわけだ。
色々間違っている気もしないでもないが、剣の腕はサッパリなので致し方ない。片や一年生にしてレギュラー候補、片や……まあいいだろう。その辺は。
「それ、読むの?」
「もちろん」
探していた物はすぐ出せるように手前にまとめておき、私達は部屋を出た。
入る時は手ぶらだったのに、帰りはノート一冊分の荷物がある。非常に軽いのに、ある意味では非常に重いものだ。
「……絶対ろくなこと書いてないよ」
祐巳さんの中では、聖さまの評価は低いらしい……いや、正確と言うべきか。仲が良い分だけ。
まあでも、私もそう思うが。
きっとろくなこと書いてないと思うが。
「パラっと見てみた限りでは、学園祭についての話し合いやアイデアが載っているみたい」
「学園祭?」
「うん。それに――」
私は、一ページ目に書かれていた一文――『願わくば、この意志を継ぐ者が現れることを祈って。』という言葉が気になっていた。
これの内容は、たぶん聖さまが学園祭で実現したかった夢と野望である。
そして薔薇の館にこれがあった理由は、いつかのお弁当箱などでは決してなく、わざと、故意に置いていったからだ。
だから私は「遺言」と言った。
いつの代かはわからないが、いつかこのノートが山百合会の誰かの手に渡り、その代の山百合会がこれを実現してくれるように、自分の意志を残して行ったのだろう。
だが、祐巳さんがイヤそうな顔をしている理由もバッチリわかる。
聖さまを鑑みるに、ろくな内容は記されていないと思う。そんなことは読む前からわかっている。
だってあの聖さまだもの。
むしろ真面目に語られた方が逆に困る。そんな人だから。
目を覆ったり目を逸らしたり時々ウフフと顔を赤らめたり「18禁! 18禁!」と思わず叫んでしまったりといった、同性または聖さまじゃなければ女子高生の天敵と判断していいくらいのセクシュアル・ハラスメントに満ち満ちていることだろう。というか同性で聖さまでも普通はダメだけど。
「聖さまが実現できなかったからこれがあるのよ。だから使えるわけないじゃない」
すでに却下が出ているのだ。これには。ボツ案しかないはずだ。当時の山百合会の総意、三薔薇の決定として。
「だから拾える部分だけでいいのよ。拾える部分だけで」
聖さまにはお世話になった……という記憶もあまりないが、きっと見えない部分で支えてくれていたと思う。私は病気があったので特に気を遣わせまいと動いていてくれたかもしれない。
それに、ノートの内容には水野蓉子さまと鳥居江利子さまも関係しているようだ。学園祭の打ち合わせのことも書かれているから、直接的ではないにしても間接的にあのお二方の意志も残っているはず。
思えば、私は当時の三年生、あの三人には何の恩も返していない。おでこはともかく。
手を延ばしても届かないような大人として見ていたあの三人と同じ年齢、同じ学年になった今だからこそ、思うのかもしれない。
少しは、先代や先々代が残したもの、やり残したことをやってもいいんじゃないか、と。あの人たちの代わりに。
「拾える部分だけ……か」
「うん」
ぎしぎしと階段を登りつつ、後ろの親友に「どうする?」と問う。
「どうって?」
「祐巳さんも見るのか、って」
「……う、うーん……」
悩んだ。案の定悩んだ。
祐巳さんの性格上、「聖さまがやり残したこと」と言われれば、なんだかんだ言いつつもできる限り実現したいだろう。祐巳さんじゃなくても私でさえ思うのだから。
だが、今なら、知らずに済ませられるのだ。
私ももう三年生である。
妹持ちのお姉さまである。
そして黄薔薇さまである。
自然と、かつ無理やり巻き込むのは避けたのだ。だってほら、私ももう三年生のお姉さまだから。余裕とかあるから。いつまでも暴走してばかりでは示しがつかないから。主に妹に。
「志摩子さんには言うの?」
「やめておくわ。読んでる間中、ずっと済まなそうな顔してそうだから」
「……そうだね。そうなるだろうね」
内容の危険性を考えると、姉の欲望と不始末に妹が肩身の狭い想いをするに違いない。志摩子さんならきっとそうなる。ずっと俯いているのが目に見えるようだ。かわいそうに。
「私しか読まないつもりよ。で、拾えるアイデアは拾って、私発ってことで皆に話すわ。――でも祐巳さんはもう知ってるわけだから」
だから選択権を与えたのだ。知らずに済ませるか否かを。
「うーん……」
開けっ放しの扉の前で立ち止まり、祐巳さんを振り返る。
目が合った。
目を逸らされた。
「……あのさ」
「え?」
「今更だし、散々言われてると思うけどさ」
「うん」
「祐巳さんの考えてること、手に取るようにわかるから」
「…………」
「…………」
「…………そ、そんなこと考えてないよ!?」
いやそんなことって。そんなことってなんだ。伝わってる前提の発言じゃないか。
「由乃さんだけに任せるなんてすごい不安。でもあんまり読みたくないし……」みたいな迷いが、それはもう手に取るようにわかる。百面相、なお健在である。
「あのね祐巳さん。私ももう三年生だし、無茶ばかりやってられないわけよ。妹もできたしさ」
「そ、そうだよね! 暴走ばかりしてられないよね! 三年生なんだから!」
そう嬉しそうな顔して力いっぱい肯定されると少々腹が立つが、まあいい。
「気が進まないんでしょ? 一人で見るからイヤならいいよ。無理そうなのは拾わないから安心して」
「お……」
祐巳さんはあとずさった。驚愕に目を見開いて。
な、なんだこの反応。というか後ろ危ないよ。階段だよ。
「……由乃さんが大人になった……」
「は?」
「由乃さんがっ……由乃さんが大人になっ――うひひぃっ」
ここで出た! 剣道で培った私の全てが!
よどみのない踏み込みと無駄のない手の動きは、まさに最短距離で急所を狙う突きのごとき早業だった。
「失礼なことを言うのはこの口かなぁ? 失礼なことを何度も言うのはこの口かなあ!?」
さすがに我慢できなかったのだ。
私の左手は、祐巳さんのすべすべでもっちりしたぷにぷにほっぺをつねり上げていた。
「ひはひひはひひはひほへふほへふ」とタップを加えて降参の意を示す祐巳さんを見て、私は思った。
――剣道やってた甲斐あったなぁ、と。
そして次の瞬間には愕然とした。
こんなことで「剣道やってた甲斐あったなぁ」なんて一瞬でも思った自分の小ささに、成長のなさを実感してしまったのだ。
何が大人よ。
全然子供だよ。
あと祐巳さん顔おもしろいよ。
かくして、結局私と聖さまの両方を放っておけないと判断した祐巳さんと一緒に、分厚い遺言を紐解くことになった。
まだそこまで忙しい時期ではないので、手早く放課後の業務を終え、すぐに解散となった。
なんだかんだと理由をつけて志摩子さんと乃梨子ちゃん、瞳子ちゃんを帰し(菜々は剣道部でそもそも来ていない)、薔薇の館には私と祐巳さんが残っていた。
皆が使ったティーカップを片付け、自分たち用に淹れ直し、さあノートを見ようという段になって、
「水臭いわ」
志摩子さんが戻ってきた。
乃梨子ちゃん、瞳子ちゃんと一緒に校門を潜り、そこからとんぼ返りしてきたという志摩子さんは、主に仕事中に自分に向ける祐巳さんの表情と視線で、自分に対して秘め事があると思ったそうだ。
「違うなら今度こそ帰るけれど」
いや、大当たりである。
私は意識していなかったので気付かなかったが、祐巳さんはきっと「聖さまのノートのことを隠さねばならない」と肩肘張っちゃったのだろう。
「……由乃さん、どうしよう?」
「水臭いって言われたら、話さないわけにはいかないんじゃない?」
確かに水臭いから。逆の立場なら私もそう思う。たとえ志摩子さんのためを思ってのことだとしてもだ。
「実は――」
これこれこうこうで聖さまのノートが出てきたよ、と話すと、案の定というか予想通りというか、志摩子さんは俯いてしまった。
「……ごめんなさい」
「志摩子さんが謝ることじゃないよ」
そう、祐巳さんの言う通りである。
「そんな顔するだろうと思ったから話したくなかったのよ」
私たちで処理するから帰っていいよ、と言うと、これまた案の定というか予想通りというか、志摩子さんは毅然と言い放った。
「帰れないわ」
だろうね。姉の不始末を放置できる志摩子さんじゃないよね。
まあ、唯一の救いは、肩身が狭く縮こまる志摩子さんを見るのは、私と祐巳さんだけということだろう。
この羞恥プレイを乃梨子ちゃんが見たら、加速する。
何が、とは、もう語る必要もないだろうが、あえて言うなら病気だ。
志摩子さんの分の紅茶も用意し、真ん中に私が座り、左右から祐巳さんと志摩子さんがノートを覗き込むという形で、改めてノートを開く準備を整える。
「…? 何してるの?」
ふと見ると、祐巳さんがメモ代わりのミスプリントとマジックを手にしていた。
「ダメ出しが五十個行ったら、ちょっと説教しに行こうと思って」
説教ですか……いや、気持ちはわかるけどね。
このノート、まさかの可能性で部外者が手にしていたら、山百合会が終わりかねなかった。聖さまの実態を知っている私たちだからまだ平然としていられるが、知らない人が見たらセクハラの塊だもの。読む前からセクハラだってわかるのか、って? 書いた人がわかっていれば当然だ。
でも五十は多くない? さすがにそんなにはないよ。きっと。……たぶん。
「祐巳さんったら」
志摩子さんは、笑った。かなり無理をして。
「いくらお姉さまだって、普段はともかく山百合会の仕事は真剣だったのよ」
……私と祐巳さんは、何も言葉を返せなかった。
そんなフォローが入ること自体が悲しいし、およそ一分後にはそのフォローも紙くず同然に遠くのお空へ飛んでいくことがわかっていたから。
とにかく開かないと始まらない。
私はペラリと表紙を、そして一ページ目をめくった。
▼ ▼ ▼
どうしたら合法的に下着姿を見られるか真剣に考える。
▲ ▲ ▲
キュッ!
祐巳さんのマジックが「一」を描き、志摩子さんが両手に顔を伏せた。
こ、こいつぁヤバイぜ……初っ端から想像以上のヤバさだ……
そんなタイトルから始まった「合法的に下着姿を拝む方法」に、軽く二ページに渡って語りつくす聖さま理論が無駄な説得力を生む。
「んっ?」
真面目に読むのもバカバカしいのでさらっと読んでみたが、最後の文章で引っかかった。
▼ ▼ ▼
劇の着替えに乗じてふざけ半分に抱きついたり触ったり揉んだりし、下着のデザインを褒めつつ巧みにサイズを聞き出すことに成功し
▲ ▲ ▲
私は慌ててページをめくった。
最後のあの一文――たぶん考えた作戦に添って行動した結果であろうそれは、志摩子さんには絶対に見せられないと思った。
聖さま……志摩子さん泣くぞ。初っ端からこれじゃ半分行く前に志摩子さん泣くぞ。
幸い志摩子さんには見られなかったようだが、祐巳さんはまたマジックを走らせる。どうやら見てしまったようだ。
そして、更にもう一本線を加えた。
なぜだろうとノートに目を戻すと、思わずめくった先の新たなページが目に入る。
▼ ▼ ▼
なんとか学園祭の劇でスク水を着せる方法を真剣に考える。
▲ ▲ ▲
アウトである。
完っっっ全にアウトである。
セーフの部分は当然、猫の額ほどのグレーゾーンも存在しない十割アウトである。
およそ三ページに渡る、羞恥心を持たせつつスク水(旧スクなら感涙……らしい……)を舞台上で着せる方法を、無駄に高度な心理作戦を交えつつ展開し、その結果――
▼ ▼ ▼
遠まわしに少しずつ事を進めるも、何も気付いていない蓉子のにぶちんが全てを握りつぶした。無念。
悔しいのでおしりを撫でたら「きゃっ」と可愛い悲鳴を上げたので許すことにする。
▲ ▲ ▲
キュッキュッキュッ
祐巳さんのダメ出しが、早くも「正」の字を一つさせた。残り九つ。
その逆隣で「ああっ」と志摩子さんが小さな悲鳴を上げて、頭を抱えた。
私は「もう帰っていいよ」と言ったが「いいえダメよ帰れないわ」と弱々しくうわごとのように返した。志摩子さんのためでもあるが、こんな志摩子さんを見なければならない私たちの気持ちも少しはわかってほしい。親友が確実にズタズタのボロボロになっていく姿をなぜ見たいだろう。
きっと志摩子さんは、この先何が書いてあろうと、頬を赤らめて恥ずかしがって羞恥に身を焦がしながら耐え抜くだろう。精神的に追い詰められながら。
ならば。
私ができることは、早くこの苦行から開放してあげることだけだ。
意を決し、ページをめくった。
▼ ▼ ▼
おいしいパエリアを作る方法。
▲ ▲ ▲
「なんでやねん」
祐巳さんがなぜか関西弁で呟いた。
これ、どうやら料理番組のメモらしい。罫線を無視して要点を書きつづり、たぶん走り書きなのに綺麗にまとめてある。
何気なく目を通してみる。
▼ ▼ ▼
必要なもの
米
シーフードミックス
ピーマン
にんにく
たまねぎ(みじん切り)
▲ ▲ ▲
調味料の分量は書いているが、材料の分量は書いていないので、テレビでやっていた数では合わなかったのだろう。たぶん家族分で。
パエリアか……最近食べてないな。
こういうの見ると無性に食べたくなるなぁ。
祐巳さんも同じようなことを考えているらしく、おなかを擦っている。志摩子さんも安心したようで「パエリアってスペインの郷土料理よね」と雑学を披露した。
▼ ▼ ▼
水分がなくなるまで煮詰めたら完成。
お皿に盛り付けて、お好みによりレモンをしぼり、皿ごと捨てた。
▲ ▲ ▲
「なんで捨てるのよ!」
今度は私がツッコミを入れた。
キュッキュッキュッキュッキュッ
祐巳さんは容赦なく、五つもの線を――「正」の字を一つ書き加えた。残り八つ。
なぜ捨てるんだ聖さま。
おいしくできてるじゃない。
エビとか入ってるじゃない。
なんでだ。なんでそんな悲しいことをするんだ。お父さんもお母さんもがっかりよ。きっと我が子を信じられないような顔で見るよ。「うちの子はそこまでスペインが嫌いなのか」と心配されちゃうよ。
「それはきっとスペインの風習よ!」
完成したパエリア皿ごと捨てる風習ってなんだ。
志摩子さんのフォローもだいぶおかしいが、ここで文句を言っても志摩子さんが困るだけなので、流すことにした。
とりあえずページをめくると、
▼ ▼ ▼
捨てたというのはウソで、暗いリビングで一人で食べる。
父も母も旅行へ行った。
私は一人でパエリアを食べる。
蓉子を誘ったけれど「家族と外食に行くから」と断られた。
江利子を誘ったけれど「襲われたくないからパース。それより今日うちしゃぶしゃぶなんだけど、聖ってごまだれとポン酢どっちが好き? 私は何気にドレッシングも好きなのよね。和風の。いやー楽しみだわー。うちの男どもって限度を知らないから、五キロくらいお肉買ってきててさー。まあうちのメンツなら一食で無くなるかもしれな」忙しそうだからもう切った。
ほかに友達がいないことに気付いた。
だから一人でパエリアを食べます。
エビがプリプリしてます。
やっぱり捨てた方がよかったかもしれない。
捨てていれば、こんなに悲しくなかったかもしれない。
▲ ▲ ▲
こ、孤独だ……というかなんだこれは。
「なんで志摩子さん呼ばないの! 私だって呼ばれたら行ったのに!」
祐巳さんが憤慨した。このノートの記録は学園祭間近なので、たぶんまだ志摩子さんを妹にしていなかったのだろうと思う。そして当然祐巳さんともお知り合いではない頃だ。
パエリアの悲劇である。
その下の方にぐしゃぐしゃっとペンで潰した一文は「食べたら江利子の家にイタ電かけてやる」と書いてあるように読み取れるが、ぐしゃぐしゃっと潰されているので真相は定かではない。
というか仮にそう書かれていたとしても、していいと思う。江利子さまになら。家族でしゃぶしゃぶ食べたからしていいと思う。
パエリアと過ごした悲しい一日をめくる、と。
▼ ▼ ▼
劇中歌について。
▲ ▲ ▲
「「ん?」」
その見慣れないタイトルに、私と祐巳さんは首を傾げ、志摩子さんも遅れて頭に疑問符を浮かべた。
「劇、中、歌?」
というと、劇の中で歌う――いわゆるミュージカル的なことだろうか。
思わず呟くと、
「ものすごい中華みたいだね」
「え?」
突然祐巳さんが変なことを言った。
視線を向けると、自信満々で言い切った。
「激・中華! ……みたいな」
「…………」
「…………」
「そういうボケいいわ」
「……由乃さんって熱しやすいのに時々すごい冷たいよね」
「お褒めの言葉ありがとう」
祐巳さんは本人が狙っていないボケの方がよっぽどおもしろいことに気付いていないのだろう。
まあ、それはいいとして。
「劇中歌」の記述を読むと、どうやら過去、山百合会の劇でミュージカル的なものを演劇部・ダンス部と合同でやったらしい。
「へえ……」
この項目は知らなかったことだらけだった。
山百合会は、学園祭で代々劇をやっている。祐巳さんにとっては思い出深い「シンデレラ」、私たちにとって新しい記憶なら「とりかえばや物語」だ。
で、この「劇中歌について」という話は。
「ミュージカル形式でやろう、という話もあったみたいね」
祐巳さんのボケに対処している間に、先にざっと読んだらしい志摩子さんが言う。
そう、そういうことだ。
「演劇部の部員数が過去最悪の六人という学園祭参加が危ぶまれる状況下、山百合会にその旨相談があり、ならばと合同でやることが決定。三部合同という演劇部としては不本意な形ながらも、演劇部員という肩書きに恥じない見事な演技と歌、踊りによるミュージカルを披露した。この公演が好評で演劇部が一躍注目を浴び、質の高いリリアン演劇部と評判の今へと伝わっているという説もある……ですって」
どんな経緯があったのかはわからないが、たぶん聖さまは、過去に山百合会でやった劇のことを調べたのだろう。で、「ミュージカル」についての記述を発見し、要点をまとめてここにメモをした。
結果だけ見ると、実現はしていない。
だってここ数年ミュージカルなんてしていないから。この過去の合同公演の記録もだいぶ昔の話だと思う。
だが。
「劇中歌について、ってことは、もしかしたらある程度ミュージカルやろうってことで話が決まってたのかもね」
私が言うと、祐巳さんは「えっ」と驚いたが、志摩子さんは「そうね」と答えた。
「タイトルからして、一歩進んでいるものね」
そう。「ミュージカルをやる」という前提があるから、「劇中歌」について考える必要があるのだ。もしかしたら、話としては六割七割くらいは決定していたのかも。
ページをめくると、やはり「さすがに素人には難しすぎるようだ」という一文から、以下の内容が記されていた。
▼ ▼ ▼
さすがに素人には難しすぎるようだ。
せっかく演劇部部長から提案があったものの、稽古時間の捻出が厳しそうなので、今回は見送る運びとなった。残念ながら十年を越えての奇跡の合同公演、とはいかなかった。
演劇部の舞台と、山百合会のミュージカル。演劇部オリジナルのシナリオで、同じ劇でがらりと変わる舞台というものを表現したかったらしい。試みは面白いと思うが素人には厳しい注文だ。演劇部から助っ人は入るものの、演劇部が主要人物として立ち主体となるのなら、山百合会は参加する必要もなくなる。参加することに意義があるのか、新たなる挑戦を、エンターテイメントを求めるのかは、個々の判断で揺らぐことだろう。今回はそういうことで意見が固まった。
それと劇中歌だ。
ある程度の題材に添って、歌詞は山百合会に一任されたのだが。
蓉子の考えた歌詞がひどかった。
頓挫の理由の半分は、蓉子の歌詞であることを、ここに記しておくべきだろう。
なお、彼女の名誉のために、記載は一部のみで控える。
私の心はレイニーブルー
星くずパラソルどしゃぶりよ
あなたとわたし ワンペアなのに
どうしてほかの人を 見るの?
レイニーブルー レイニーブルー
寂しいぬくもり 雨色キャンディ Fu−Fu−
▲ ▲ ▲
Oh……蓉子さま……
直視が耐えられなくなって横を見ると、祐巳さんが真顔だった。祐巳さんを知る人が見たら無条件で相手を傷つけそうなナイフのような真顔だった。なんという攻撃的表情。このたぬき、こんな百面相も持っていたのか。
こちらも直視できなくなって反対を見ると、志摩子さんは顔を背け「何も見ていません」というポーズを取っていた。志摩子さんは優しいと思う。お姉さまの汚点には目を背けないのに、蓉子さまの歌詞は目を逸らして……
これはその、なんというか、アレだ、……いやコメントはやめておこう。イジるのは当然、触れるのさえ危険すぎる。
なんだか胸が苦しい。
私は黙ってページをめくった。
▼ ▼ ▼
山百合会の劇について。
▲ ▲ ▲
どうやら前ページの「劇中歌について」から微妙に続いているようだ。演劇部との合同公演が中止となって、今度は山百合会側でやる劇について聖さまは考えていたようだ。
えー、なになに……
「山百合会の出し物は代々演劇と決まっているが、何も劇である必要はないと私は思う。そして劇のみやればいい、というものでもないと思う……」
ほう……ほうほう。
読み上げるのももどかしく、私は言葉を追うのに夢中になった。
ここの記述はおもしろい。
「なるほど。あえて劇をやらないって線も考えてたみたいね。聖さま」
「「え?」」
直視を避けていたらしき祐巳さんと志摩子さんが、私の声に反応してノートを覗き込む。見ないなら帰れよー。特に志摩子さんは帰れよー。
「劇に参加しない代わりに、学園祭のプロデュース……いわゆるテーマを掲げて、リリアン全体の監督をやる、って大掛かりなプロジェクトを漠然と考えてたみたい」
「へえー」
「……いまいちピンと来ないのだけれど」
祐巳さんはなんとなくわかっているようだが、志摩子さんは全然らしい。……というかたぶん祐巳さんもあんまりよくわかってないと思う。まあ、あえて触れないけど。
「思いっきり簡単に説明するわよ?」
「ええ」
「たとえば、学園祭のテーマを『料理』とした場合、リリアンの出し物全てが飲食店の模擬店になる。そこでどうしても焼きそばだのカレーだのケーキにお茶だの、手軽に出せるものに集中しそうになるけれど」
「あ、だから他と重ならないようにすればバリエーションが増えて、結果テーマを掘り下げることになるのね」
「そういうこと。ありきたりなものから凝ったもの、珍しいものとか出せるわけ」
保健所の認可なりなんなりあるだろうから、現実問題として「料理」をテーマにするのは難しいとは思うが、簡単に言えばこんな感じのことだろう。
もし実現したら、山百合会は元々実行委員も兼ねているので、機材の手配やら材料の仕入れやらをチェックしたり記録を残したりと、これまで以上に忙しくなるだろう。だから「あえて劇をやめて学園祭に集中する」という意見である。
「それもおもしろいね」
どうやら祐巳さんも、ここでようやく理解したらしい。
「で、由乃さんはどう思う?」
うん……
「否定する気はないけれど、リリアンの学園祭はどこか保守的だものね。毎年やることは変わっているんだろうけれど、内容は似てたりして。この意見はそういう通例や慣例を捨てようっていう、いわば革命的な意見だと思う」
一年生や二年生の頃なら食いついたかもしれない。おもしろそうだし、楽しそうだし、刺激的だ。
だが三年生ともなると、それだけで決定を下すことはできないと、自然と思える。
守りに入るというのとは、ちょっと違う。
ただ現実を見ているだけだ。
労力と手間とを割きつつ通常業務もこなし、テーマを決め、全てのクラスとクラブに納得させなければならない。そう考えると現実的ではない。
無論、妥協案や折衷案で落ち着く可能性も低くはないと思うが、
「リリアンは保守的なくらいでいいんじゃない?」
なんとなく、そう思う。
だからこそ明治から平成にいたる今日まで、古き善き伝統が息づくリリアン女学園なのだ。
この先、もしかしたらこの意見は、何かしら反映されるかもしれない。何も丸々取り入れる必要はないし、丸々切り捨てる必要もない。だからこの可能性の種は持っていこうと思う。
そしてこの意見には、もう一つの側面がある。
「山百合会で、劇の他にも何かできるんじゃないか、とも書かれてるわね」
「えー……」
祐巳さんは嫌そうな声を上げた。
山百合会は実行委員も兼ねているので、ただでさえ忙しい学園祭に、更に仕事が増えるなど考えたくないのだろう。
まあ、単純に考えて面倒臭いし疲れるし、時間的に厳しいとは私も思う。
私は、それの詳細が書かれているだろう次ページを開いた。
▼ ▼ ▼
たとえば劇の合間、空いた時間は薔薇の館を開放し、客が薔薇さま気分を味わえるカフェを展開してみるとかどうだろう?
当然、お客様が薔薇さまなので、もてなす私たちはお姉さまを慕う下級生、いや、もはやメイドとなって働くのはどうだろう?
メイドっていいと思うけれどどうだろう?
ドジなメイドにはおしおきしたいけれどどうだろう?
いや、ここはあえてスク水でいいと思うがどうだろう?
▲ ▲ ▲
どうもこうもないと思うがどうだろう?
どうして聖さまはこう、欲望に忠実なのだろう?
まあ変に隠されるムッツリよりは、まだいいのだろうけれど。
「アイデアはいいと思うのに……」
がっかりの溜息をつき、祐巳さんはキュポンとマジックのキャップを外した。
うん、薔薇の館の開放とか、お客が薔薇さま気分を味わえるとか、ちょっとおもしろいと思う。まあ薔薇さまだからって特別何かするってわけでもないが。
山百合会メンバーが給仕してくれる喫茶店とか、わりと需要があるのではなかろうか。在校生や卒業生はもちろん、見に来るお客さんにはリリアンOGも少なくない。ちゃんと詰めればちゃんとした出し物になりそうなのに。薔薇の館正面玄関にテーブルを出してオープンカフェにするのもありだと思う。喫茶店は多くても外に用意できるのは薔薇の館ならでは、って気もするし。
だからこそ聖さまの下心が残念でならない。
「……ごめんなさい」
志摩子さんが謝った。「本当に残念なお姉さまだね」と罪悪感の緩和を狙った冗談を言いたくなったが、今の志摩子さんに言うと冗談じゃ済まなくなりそうなのでやめた。
……ふう。
それにしても重いノートだ。
ページの一枚一枚がどんどんどんどん重くなっていく。
妙な疲れを感じながら、私はページをめくった。
▼ ▼ ▼
効果的なバストアップ運動について。
▲ ▲ ▲
テレビのメモーーーー!! またかーーーーー!!
これはアレか!?
胸に悩みを持つ少女たちにみだらな下心を抱きながら教えようと思ってメモまで取っておいたってことか!?
つまりあくまでも表面上は善意だけど結局合法的セクハラの方法ってことか!?
……聖さまってやつは……聖さまってやつはぁ……!
…………
あとで熟読しよう。
効果的ってどこまで効果的なんだか……ネタ的に聖さまが言うなら妙に信頼が置けるところがアレだが、本人に触れなければ危険はないだろう。情報自体に善悪はないのだ。
渇望する奇跡の情報を平たいそこに抱き、ページをめくる。
▼ ▼ ▼
サドルについて。
▲ ▲ ▲
「「サドル?」」
タイトルで意味がわからず、私と祐巳さんは顔を見合わせる。
「サドルって、あれでしょ?」
「自転車とかの座る部分だよね?」
備考を読んで、私たちの予想通りのブツであることがわかった。
しかし内容は想像以上だった。
▼ ▼ ▼
自転車のサドル。そこには女子高生ならではの悩みがあると思う。
それは、スカート越しに座るか、スカートをひらっとさせて直パンで座るかという究極の二択
▲ ▲ ▲
「うおおおおおお!!」
もう私は雄たけびを上げて立ち上がり、ノートを床にたたきつけてしまった。
「どこを気にしとるんじゃーーーーー!!」
……いやっ、自転車乗れるようになった私も、たまに悩むけどね! プリーツ付きのスカートとかだと折り目が潰れるから!
でも他人がセクハラ目線で気にしちゃダメな部分でしょうが!
そういうとこ気にしちゃダメ! 絶対!
「まあまあ、由乃さん。落ち着いて」
なだめる祐巳さんに従って、私は椅子に座りなおした。叩き付けたノートがすっと私の目の前に滑り込んでくる――志摩子さんが顔を真っ赤にして羞恥に震えながら拾い上げ、逃げることなくまた隣に座った。なんという猛者だ。まだこの羞恥プレイに耐えるというのか。
投げ出しそうになった私だが(というか実際投げたが)、そんな姿を見せられたら逃げるわけにはいかない。
祐巳さんが付けているミスプリの「正」の字が五つになっていることを横目で確認しつつ、私はさっきのページの次をめくった。残り五つ。
▼ ▼ ▼
女子高生の自転車のサドルに頬擦りするとちょっぴり幸せになれやしないだろうか?
▲ ▲ ▲
さっきの続きだったが、もう飛ばしまーす。
あと祐巳さんの「正」の字が一つ増えましたー。残り四つー。
▼ ▼ ▼
蓉子にキスしようとしたら拒否されたが、もっと押せばいけそうなのでその作戦を真剣に考える。
▲ ▲ ▲
もう好きにしてくださーい。
というかほんとに無駄に色々考えて作戦練ってるし……あの人何考えてるの? ほんと何考えてるの?
ああ、もういい! 次、次!
▼ ▼ ▼
蓉子とキスしたので、次のステップを真剣に考える。
▲ ▲ ▲
「「うそ!?」」
私も祐巳さんも、志摩子さんまで声を揃えた。
な、な、な、なんてこった……なんてこった聖さま! やったの本当に!? シャレじゃ済まない領域までイッちゃったの!?
具体的なプランがつらつらと連ねられているが、どこか生々しいそれらの情報をできるだけ見ないようにして、私は若干震える手でページをめくった。
▼ ▼ ▼
なんてうそぴょーん。ああ、ときめきが足りない。ときめきが欲しい。
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「うおぉぉぉーーーーーーー!!」
もう私は雄たけびを上げて立ち上がり、豪快に窓を開け放ち、ノートを投げ捨てようと振りかぶった。
「ちょっとちょっと由乃さん!」
「由乃さん落ち着いて!」
投げ捨てる寸前で、二人の親友に身体を張って止められた。
「離せ! 私もう我慢したくない!」
「気持ちはわかるけどダメだって! まだ三分の一も読んでないんだから! まだ早い!」
なんと絶望的な道のりだろう。
まだ三分の一も踏破していないのに、すでに私の精神は崩壊寸前だ。
「私由乃さんのそういうところ好き! だからお姉さまがごめんなさい落ち着いて!」
「やったね! 志摩子さんから告白されたね! もう付き合っちゃえば!?」
「そんなもん錯乱してるだけでしょうが!」
五分ほどもみ合っただろうか。
私たちは肩で息をしながら椅子に座りなおした。とにかく投げるのは阻止されたので、このまま続けるしかないと思ったのだ。
無駄に疲れながら、ページをめくる。
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劇に使う名言を考える。
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……お、まとも……そうなタイトル、か?
気を取り直し、詳細を読んでみる。
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台本はすでにある。しかしそのままやるのは芸がない。山百合会として、というより参加者として、多少のオリジナリティを加えるのは構わないだろう。
軽い気持ちでそう意見したらすんなり受け入れられ、意味合いは変えない程度に台詞を変更する許可が降りた。
どうせだから少しでも面白くしたい。
試しに、思いついた言葉をオリジナリティ溢れる言葉に変え、皆の意見を仰ぐことにする。
「雨が降りそうね」 → 「希望を嘆く堕天使の涙が地を濡らす」
「え、ちょっ、こんなの成人指定だよぉ」 → 「ヒャッハァー! バンジー最高だずぇーーー!」
「本日のお召し物はこちらでいかがですか?」 → 「はわわ〜。またころんじゃったですぅ〜」
「髪を切ろうかしら?」 → 「髪を切るかもしれないけど、べ、別に失恋したからじゃないんだからねっ」
「聖、消しゴム貸して」 → 「今夜は帰りたくない」
「今夜は帰りたくない」 → 「朝までparty night!」
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もうわからん。
聖さまの思考がわからん。
特に「消しゴム」が突飛しすぎてて怖い。それと「party night!」が意味深すぎて……いや、私が深読みしすぎてるだけかも。
だが大元のアイデアである「既存の台本の台詞だけ少し変える」というのはありかもしれない。古典的物語や童話をいっそ現代風アレンジにしてみるのもおもしろそうだ。
私たちにとっては最後の学園祭もあるわけだし、これも一つの案として心に留めておこう。
こういう拾えそうなネタが多ければ発狂することもないのにな、と眉を寄せながらページをめくった。
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はーい今日もはじまりましたー。DJ.Sayのー、「女だらけのラジオ大会」ー。略しておんだらじー。
最近涼しくなってきましたね。みなさん風邪とか引いてませんか?
まあ、もし引いてても、私が看病しに行ってあげますけどね(エコー)
一人で心細いよSayさん助けてーって人はメールくださいねー。Sayさんマッハで行きますよー。マッハのスタンスで行きますよー。
それではまずこの曲からー。水野蓉子「レイニーブルー 〜雨色キャンディ〜」です。
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タイトル長い!
長いしラジオ風になってる!
あと蓉子さまの歌詞やめて! やめてあげて!
「聖さまって色々考えてるんだね……」
祐巳さんの感想には「無駄なことを」という九割ほどの重要な意味を持つフレーズが抜けていた。たぶん志摩子さんに気を遣ったのだろう。
その志摩子さんは、うつろな瞳でノートを凝視していた。まばたきもしない。もうすでに彼女の羞恥心の限界を超えているのかもしれない。心がこれ以上の恥辱を拒否しているのかもしれない。心を閉ざしてしまったのかもしれない。
この苦行はいつになったら終わるのか――私はページをめくった。
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ついさっきトイレの鍵を掛け忘れてて思いっきりパンツ見られた。ぎゃーはずかしー。
でも安心、今日のパンツは勝負パンツだったので問題ない。
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日記かおい!
というか見られた方も恥ずかしいけど、あれは見た方も気まずいんだから! 両方被害者と思っていいと思うけどね! 私は家族で経験したけどね!
いやまあどうでもいいけどね!
次、次!
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クラスの出し物について。
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あ、これはまともそう。なになに……
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一年の頃からだが、山百合会メンバーはクラスの出し物への参加は難しい。実行委員なのでクラスメイト達は元から納得しているものの、必要以上に甘えてはいけないだろう。
だが現実問題として、時間の捻出が厳しい。準備期間は当然、当日は更に慌しくなる。
なので、出し物を決める段に貢献しようと思う。
蓉子と江利子に軽く話すと、二人も納得し、一緒に考えることになった。
学園祭で人気なのは、おばけ屋敷と喫茶店らしい。どこの学校の学園祭でも、この二つはだいたい必ずあるのだとか。
リリアンではおばけ屋敷はなかったように思う。校風のせいだろう。聖母が見守るリリアンに幽霊なんて似つかわしくない。個人的にはあってもいいとは思うが、実現は難しそうだ。生徒はともかく教師側の許可が下りない気がする。
リリアン伝統の模擬店といえば、何気に二年桜組のカレーではなかろうか。あそこは毎年カレーを出しているはず。
「もしかして、代々伝わる桜組専用のカレーのレシピが存在するんじゃないか?」
そう言ったら、蓉子と江利子は笑いながら、しかし真剣に考えてくれた。
話し合った内容を要約すると、以下の三つ。
1、年を経るごとに反省点を割り出し改善を重ね、次の代に継がれ続けた何気に歴史あるレシピである可能性。
2、毎年カレーを出す以上、毎年それなりの需要と収益があることは想像に難くない。
3、ストレートに言うなら毎年やってくるリピーターがいて、毎年増え続けているのではないかという国民的主食への信頼と予想。
桜組とは違う種類のカレーの模擬店を出すのはどうかと思ったが、冷静に考えると桜組のカレーは最早商用と評するに値する味を作り出しているかもしれない。だとしたら即席のカレーなど対抗馬にならない。まずいラーメン屋のように閑散としてしまうだろう。避けた方が無難か。
飲食店自体が学園祭には多いから、飲食店以外の方がいいのだろうか?
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ほう……おもしろいな。桜亭のカレーか……
毎年、学園祭前に試食で回ってくるのであまり意識していなかったが、確かにあれはおいしかった。
「カレーね」
祐巳さんにとっては、結構思い出深い食べ物だと思うが。
「あの偏食の祥子さまでさえ文句を言わせないカレーだったもんね」
「へ?」
「え? 忘れたの?」
「何を?」
祐巳さんのこのきょとんとした顔、マジだ。
……もー。私やら志摩子さんやらの思い出は忘れてもいいけどさー、大好きなお姉さまとの思い出くらい憶えとこうよー。なんかがっかりだわー。がっかり来るわー。
「二年前、学園祭当日、シンデレラの本番直前に、遅刻してまで祥子さまとカレー食べてきたでしょ」
「あっ」
あれは私から見れば、自分でも驚くほどイチャイチャポイントが高かったのだ。だからよく憶えている。
でも当人が忘れていたら世話ないわ。
「志摩子さんは覚えてるよね?」
「いや別に忘れてないけど!? ねえ由乃さん、忘れてないよ私!?」
「はいはい」
「だ、だってそのあと舞台ですごく緊張したしっ! それにそのあともう大変なロザリオの授受があったからっ! だから他のことが吹っ飛んだって言うかっ!」
「はいはい祐巳さんは強いね」
「強いね!? 何の話!? ねえ聞いて!? お願いだから聞いて!?」
なんか必死にすがる祐巳さんを適当にあしらい、反対隣の志摩子さんを見ると、
「…………」
ダメだ。反応がない。志摩子さんは今正常じゃない。思いっきり目が死んでる。もう今日は志摩子さんには触れない方がよさそうだ。
気の毒な親友のために早くこれを終わらせるため、私はページをめくった。
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飲食店以外となると、何があるだろう。
宗教や聖書関連の資料や歴史は、よそのクラスが出すはず。おばけ屋敷は×。飲食店の類は省くとして。
案外出ないものである。いっそ隣の花寺を見習って体育会系の何かを出すのもアリかもしれないが、やはり問題は内容である。
思いついた。
何が受けるかではない。何が需要があるかでもない。
結局、自分が何を求めるのか。何をしたいのか。
それを考えるべきだった。
蓉子から聞いた話に寄ると、リリアン女学園の伝統は、そこらの学校とはまるで違うらしい。幼稚舎からリリアンの私や江利子にはあまりピンと来ないが、その独特の文化を知って入学を志す子も少なくないとか。
だからこそ、私のアイデアはいける。
提案は、「女子限定・リリアン女学園体験入学」だ。
挨拶、作法、そして極めつけのロザリオの授受に寄る姉妹システム等、まだリリアン女学園高等部に入学していない小学部・中等部の生徒、それによそから来るであろう女子、上は大学生までを対象に、リリアンの制服を貸し出したりして、擬似的にリリアン生の気分を味わってもらうというものだ。リリアンの制服は今時の女子高生のものとは違い、非常にクラシックである。制服を着るだけでも随分新鮮なのではないだろうか。
そして私は合法的に着替えを手伝
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よその学校の子にまでセクハラしちゃダメ! そもそもリリアンの生徒でもダメなんだから!
後日追記で、幸い聖さまの提案は却下されたらしいという安心の結果が書いてあった。
よかった……本当によかった……リアルに犯罪者が出なくてよかった……
「最後のはともかく、アイデア自体はおもしろそうだね」
「あ、祐巳さんもそう思う?」
動機はともかく、体験入学の方は案外アリのような気がする。擬似入学して、そのクラスの子が擬似的に姉妹になって、時間を決めてワンセットで学園祭を見て回るとかもいいんじゃないかな。
……なんて考えたところで、かつて祥子さまが怒り狂った「援助交際」という四文字熟語を思い出した。
だって冷静に流れを考えると、こうだ。
登録
↓
出会い
↓
デート
「…………」
どうして採用されなかったのか、ちょっとわかった気がする。
やれやれと息をつき、ページをめくった。
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ゴロンタにフラれた件について。
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まあ、猫は気まぐれですから、そういうこともあるでしょうね。
「ぶはっ」
普通に受け入れた私の横で、祐巳さんが豪快に紅茶を噴いた。どうやら祐巳さんのツボには入ったらしい。
大笑いする祐巳さんの耳元で、私は囁いた。
「猫に無視されて悲しげな聖さまが書いたのかもね」
「や、やめてっ!」
ああ、祐巳さんはおもしろいなぁ。
こう普通の反応されると今は癒されるなぁ。
しばし和んだところで、私はページをめくった。
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サドルについて2。
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もうダメだと思った。
だから私はノートを閉じた。
今度は発狂なんてしない。
たぶん、志摩子さんと同じく、私の限界も簡単に超えてしまったから。
「祐巳さん、ダメ出しの数は?」
「余裕で百行ってるよ」
よし。
私と祐巳さんは立ち上がった。
「志摩子さん。……志摩子さんっ」
肩を揺すると、心を閉ざしていた志摩子さんがビクッと震え、戻ってきた。
「今から聖さまに説教しに行くけど、来るよね?」
志摩子さんはしばし私を見上げ、閉じられた禁忌のノートを見、また私を見上げ、ゆらりと立ち上がった。
志摩子さんは、笑っていた。
「行くわ。行かないわけがないでしょう? 妹としても女としても黙っていられないわ」
静かで穏やかで、普段通りにしか見えないのに。
それなのに、今の志摩子さんは、怖かった。
こうして聖さまの遺言ノートは闇に葬られた。
なお、特筆するべき点がある。
だから疑問がある。
一つは、日付はあったが何年かは書かれていなかったこと。
登場人物が同学年の蓉子さま、江利子さまのみに絞られていたこと。私たちや祥子さまや令ちゃんの名前は一切出てこなかった。
私は自然と、私たちが一年生の頃の話だと思ったが、そうじゃない可能性が多分にあるということだ。
ノート一冊分という多すぎる量を考えれば、聖さまが一年生の頃から三年生にかけて書き綴って溜めていた、と見た方がリアリティはあるかもしれない。
二つ目は、このタイミングでノートが見つかったこと。
これは問答無用でおかしいと思う。
聖さまが卒業したのは、もう二年も前のことである。その間、何くれとあの部屋は掃除と捜索と倉庫という出入りを経ている。
つまり、二年前の聖さまが卒業する前から置かれているのだとすれば、間違いなく今日までに見つかっているはず。
結論を言えば、ノートが置かれたのは、つい最近である可能性が高いということだ。
以上の二点を考慮すると、「そもそもノートにある情報は本当に在校中に書かれたものなのか?」という疑問が生じる。
たぶん否だ。
全部が全部とも思えないが、途中辺りからは、卒業してから書かれたのだと思う。
これは勘だが、なぜ今これが見つかったのか――なぜこの時期に聖さまが仕込んだかと言えば。
きっと私だ。
去年の代には、潔癖の祥子さまがいた。祥子さまがいる以上、聖さまの野望は何一つとして実現できないことは、私にだって容易に想像できる。
だが今年。
ちょっぴり暴走気味の私にこれが渡れば、もしかしたらどれかは実現してくれるかもしれないと、わずかな希望を託したのだと思う。最上級生という上からの押さえがないというのが狙い目だったのだろう。
フッ、甘い。
志摩子さんと乃梨子ちゃんの関係以上に甘い。
なんたって私も三年生のお姉さまで、妹もいるのだ。そういつまでも暴走なんてしていられるものか。
三人して薔薇の館を出て、まっすぐ大学部へと向かう。
その歩みに迷いはなかった。
この時間、聖さまがまだ大学にいる可能性は、結構低いとは思う。
しかし、頭ではわかっていても、足は止まらなかった。
じっとしていられなかったのだ。
セクハラのせいで。
女の敵を成敗しに行きたかったのである。
結局聖さまを捕まえることはできなかったが、それで意外な人も巻き込むことになる。
聖さまを捕まえられなかったせいで色々と考える時間ができてしまい、「ちゃんと釘刺してもらおうよ」と祐巳さんが言い出し、かの凛々しき紅薔薇さまを呼び出すことになった。
そう、巻き込まれたのは蓉子さまだった。
私たちと一緒に怒ってくれて、一緒に聖さまに説教してあげると約束したが、しかしそれが果たされることはなかった。
あの歌詞のせいである。
「レイニーブルー 〜雨色キャンディ〜」のせいである。
あの歌詞は、本当にかつての蓉子さまが考えたものだったらしく、そのことを我々が知っていると悟った瞬間、蓉子さまと連絡が取れなくなってしまった。
蓉子さまは逃げたのだ。どこか遠くへ旅に出たのだ。
聖さまのせいなのに。
私たちは悪くないのに。
しかし私たちが蓉子さまの旅立った原因になってしまったので、なんとなくこの話題に触れづらくなり、結局立ち消えになってしまった。
その後、風の噂でこんな話を聞いた。
大学部に一人のリリアン生が乗り込み、周囲の目を憚ることなく誰かを正座させ、思いっきり説教をかました、とか。
誰と誰のことなのか、確かめる気はない。
怖いから。
さて。
今年の学園祭は、何をやるかな。