【短編祭り参加作品】
☆★☆ まえがき ☆★☆
短編祭り参加作品、と言う事にしてください!
時期はずれです。
”祭り”じゃなくて”式”ですが、式も祭りの一種だということにしてください。
IFストーリーです。
”薔薇の花かんむり”を入れたので紅薔薇コースです。
瞳子の高等部卒業式のお話になります。
お笑いはありません。
続きません。
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その信じられない知らせを聞いたのはもう1年前になる。
私のリリアン女学園卒業の前日。
薔薇さまとして妹のお手本となるように、卒業したお姉さまに安心してもらえるように、と必死で努力をしたあの日々。
平凡だけど優しく元気な親友と、少し天然だけど落ち着いた親友とともに駆け抜けた美しい日々。
良く出来た妹たちに支えられ、同級生や下級生たちからも薔薇の館を『居心地がいい場所』、と讃えられるほど素敵に変えることができた、そう、3人で自画自賛していた卒業式の前夜。
私と妹は薔薇の館の仲間たちに別れを告げ、自宅まで一緒に歩いた。
ううん、私だけじゃない。
親友二人も、それぞれの妹と最後の時間を惜しむように一緒に帰って行った。
志摩子さんは乃梨子ちゃんの家まで一緒に帰ると。
『今日だけはタクシーで帰ってもいい、と父から許しが出たの』
そう嬉しそうにほほ笑む志摩子さんは乃梨子ちゃんの家で一緒に夕食の時間を過ごすのだと言っていた。
祐巳さんは、瞳子ちゃんとK駅までバスで一緒に帰るのだと言っていた。
『K駅の近くの喫茶店でしばらく思い出話に浸ろうかなぁ』 なんて。
それぞれの姉妹がそれぞれの別れを惜しんだこの夜。
「お姉さま。 とても楽しい一年間でした。
あの日、お姉さまと出会わなかったら私の高校一年生の思い出はこんなにキラキラと輝かなかったと思います」
そんな殊勝な妹の言葉に思わず涙を零したあの夜。
わたしは妹に宣言したのだ。
「私は明日の卒業式では絶対に泣かないわ」と。
そして、
「明日泣かない分、今日はあなたの前で泣くんだわ、きっと」
そう言って別れたあの夜。
もしも神様が居るのならどうか教えてください。
どうして私たちはあのような悲しい思いをしなければならなかったのでしょうか。
彼女こそ最もリリアンを象徴する人だったのに。
彼女こそ最もリリアンで愛された人だったのに。
神様、あなたも彼女を愛していたのですか?
だからこんなにも早く私たちの前から奪っていったのですか?
そうだとしたら・・・。 あまりにも悲しすぎます。
☆
「送辞」
教頭先生の声がした。
「在校生代表、二年松組、有馬菜々」
名前を呼ばれた妹が返事をするのを講堂の一番後ろの席で由乃は聞いていた。
2年生にして黄薔薇さまを勤め上げた妹。
でも、来年度は薔薇さまになることを拒んだ妹。
この一年間、菜々は何を思いながら薔薇さまを務めたのだろう、と思う。
薔薇の館へ顔を出せなくなった紅薔薇さまと、山百合会の顔として振る舞う一方、紅薔薇さまのフォローで忙しかった白薔薇さまに代わって生徒会の中心として全力で走り回った菜々。
アドベンチャーが大好きで、隙あらば由乃をいじって遊んでいたあの菜々がこの一年間、あまり笑顔を見せなかった、と聞く。
できればフォローしてあげたかった。
隣のリリアン女子大に通っているのだから、その気になればいつでも薔薇の館に来る事は出来たのに。
でも、瞳子ちゃんの様子を聞けばどうしても行く事が出来なかった。
責任感の塊のような瞳子ちゃんは、姉から引き継いだ紅薔薇さまの仕事を唇をかみしめながらも必死でこなそうとしていたそうだ。
だが、あの場所には入れない。
そこは楽しい思い出がたくさんありすぎるがゆえに彼女の心を重く沈ませてしまう場所なのだから。
最初のうちは何度か薔薇の館に足を向けた事もあるそうだ。
しかし、その度に体が震え、真っ青になって足がすくんでしまったのだという。
もし、わたしや志摩子さんが菜々や乃梨子ちゃんのフォローのために薔薇の館に顔を出したとしたら瞳子ちゃんはどう思うだろう。
自分の不甲斐なさを責め、よりプレッシャーを感じるに違いない。
瞳子ちゃんの精神状態を考えれば、その選択は絶対できないものだった。
結局、瞳子ちゃんは乃梨子ちゃんから割り当てられた仕事を自分の教室で行い、その成果を渡していたそうだ。
腫れものを触るように周囲から扱われながらも身を削る思いで。
元々華奢だった体は、一時期、一年生の時よりも細く病的なまでに痩せたらしい。
一昨年、由乃は2年生の間に妹を作らなかった。
もちろん、それは前例のあることであるし、乃梨子ちゃんと言う優秀な一年生が居た事、祐巳さんの妹になった瞳子ちゃんや、それに可南子ちゃんたちがよく手伝いに来てくれていたことであまり不自由を感じなかったからでもあった。
いや、小笠原祥子と福沢祐巳の姉妹。
この奇跡のようなバランスを持った姉妹の存在が大きかったのだろう。
あの二人の絆はどのリリアンの姉妹よりも固く結ばれていたのだ、と今となってはよくわかる。
支倉令と島津由乃。 従姉妹関係という血のつながった特殊な姉妹よりももっと心の底でつながった姉妹。
そして、あの祐巳さんだからこそ松平瞳子と言う素晴らし妹も持てたのだろう。
藤堂志摩子、福沢祐巳、島津由乃。
そして、その妹、二条乃梨子、松平瞳子、有馬菜々。
この6人で運営した山百合会は、かつて伝説と言われた水野蓉子、鳥居江利子、佐藤聖の時代よりもリリアンを輝かせた一年であった事は間違いない、と胸を張って言える。
しかし、それはすべて祐巳さんの人脈によるものだった。
山百合会で手が足りなくなった時には、武嶋蔦子、内藤笙子をはじめとする写真部が、山口真美、高知日出美をはじめとする新聞部が、高木典をはじめとする演劇部が、そしてすべてのリリアン生が山百合会を盛りたてようと手を貸してくれた。
そのことが、逆に正式な山百合会幹部を育てられなかった原因なのかもしれない。
松平瞳子、二条乃梨子の二人はとうとう2年生の間に妹を作らなかった。
福沢祐巳と松平瞳子。 藤堂志摩子と二条乃梨子。
この二組の姉妹ともリリアンの姉妹の理想とされ、菜々と同級の新一年生たちにその絆に割って入る度胸のあるものが居なかったのだ。
そして当然のように、二条乃梨子も、松平瞳子も、そして、有馬菜々もこの一年間妹を作る事は無く、この日を迎えた。
だから来年、薔薇の系譜はすべて書きかえられる事になる。
有馬菜々は長く続いた薔薇の系譜最期の継承者として送辞を読み上げる。
☆
「リリアン女学園高等部を巣立っていかれるお姉さま方、ご卒業おめでとうございます。
在校生をを代表して心よりお祝い申し上げます」
静かに、しかし聴く者の心に染み込むような菜々の声。
そこまでは、一年前、二条乃梨子が行った送辞と一言一句同じ言葉。
ただ違うのは、去年の乃梨子ちゃんの送辞はすべてのリリアン生のすすり泣く声によってよく聞き取れなかった事。
去年の式は、リリアン女学園の卒業式であり、私たち全員の 『祐巳さんからの卒業式』 だった。
すべてのリリアン生が紅薔薇さまを褒め称え、彼女の人徳を語り合った。
語られるエピソードはどれも可笑しく、楽しく、人情味に溢れ、そして、涙を誘うものばかり。
平均点が売りで、子狸顔で、天然で、明るくて、優しくて、リリアンのすべての生徒から愛された祐巳さん。
マリア様の見守るこの学園で、神に呪詛などつく事は出来なかったがすべての生徒が悲嘆にくれた。
彼女と一緒に卒業したかった。
私たちが2年生の時に3人で送辞を呼んだ時と同じように、3人で答辞を読みたかった。
たしかに、彼女の卒業証書を志摩子さんと二人で受け取ったが、それを持ち帰るべき人がそこにはいなかった。
「最後となりましたが、お姉さま方のご健康とご活躍をお祈り申し上げ、これを送辞とさせていただきます」
菜々が送辞の最後の部分を読み上げる。
一粒も涙もこぼさず、ただ、淡々と。
去年の涙々の卒業式とは違う穏やかな雰囲気で。
この後に待っている卒業生代表による答辞の前に涙はいらない。
自分の役目をきっちりと果たした菜々に、由乃は菜々の心の強さと、ずっと秘めていた悲しみを見ていた。
☆
送辞と答辞はワンセット。
水野蓉子が答辞を読んだ卒業式の送辞は小笠原祥子が務めた。
ただ、泣き虫の祥子さまは答辞の途中で言葉に詰まり、一時はどうなる事かと思われたが令ちゃんが救った。
それはリリアンらしい友情の物語としてリリアンの伝説となっている。
そして小笠原祥子の卒業式の時には、由乃、志摩子、祐巳の3人が送辞を務めた。
途中でトラブルはあったが、小笠原祥子の答辞の素晴らしさに全員が酔った素晴らしい式だったと思う。
割れんばかりの拍手が沸き起こった前代未聞のスタンディングオベーション。
『泣かない』 と約束していた祐巳さんがポロポロと涙をこぼす姿が印象的だった。
そして去年。
由乃と志摩子、それに祐巳は3人で教頭先生に直訴した。
『3人で答辞をさせて欲しい』 と。
去年、前代未聞の3人での送辞が許されたのなら、今年も3人の答辞で終わらせたかったのだ。
そして、送辞は二条乃梨子が一人で務めることになった。
最初は乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんの二人で送辞を読めば? という意見もあったのだが、瞳子ちゃんが固辞したのだ。
2年間もブゥトンを務めた乃梨子さんがふさわしい、と。
自分は来年、薔薇さまとして答辞を読むわ、なんて強がっていたけれど、実は祥子さま以上に泣き虫な瞳子ちゃんは祐巳さんの卒業式で泣かない自信がなかったからだろう、と由乃は思っていた。
「答辞」
再び、教頭先生の声。
「卒業生代表、3年松組、松平瞳子」
「はい」
と、小さな声が3年生の席から上がり、小柄な生徒が立ち上がる。
そして、一斉に講堂内でざわめきが起こる。
事情を知る一部の者を除いて、全員が今年度の答辞は二条乃梨子が読むものだとばかり思っていたからだ。
この一年間、すべての行事を取り仕切ったのは白薔薇さまであった二条乃梨子。
そして各部との連絡調整からすべての雑用をこなしたのは黄薔薇さまであった有馬菜々。
松平瞳子は紅薔薇さまとは名ばかりで、すべての行事の表舞台には立たなかった。
もちろん行事の準備段階では二条乃梨子を助け、一手に事務方を引き受けていた事は知られていたのだが。
ゆっくりと壇上に向かうその姿に講堂は水を打ったように静まり返る。
頭の横に付いている黒いリボン。
ツインテールに結わえられた、かつての由乃の親友と全く同じ髪型。
身長も後ろ姿も、本当の姉妹のようにあの人によく似ている。
壇上に上がり、机の上のマイクの位置を直す瞳子。
「わたくしたちの門出に立ち会ってくださったすべての皆さま」
いよいよ本番だ。
由乃は胸の前で手をあわせ、瞳子の言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を澄ます。
☆
「この卒業の良き日に、祝ってくださった皆様に感謝の言葉は尽きません。
そして、わたくしたち卒業生には、もう一人、どうしても感謝の言葉を届けたい方が居るのです。
そのためにわたくしはこの場に立たせていただきました」
瞳子の視線が3年生たちの席をゆっくり行き過ぎる。
そこには二条乃梨子、細川可南子、二人の親友の姿が。
二人とも、『頑張れ、瞳子!』 と言っているようだ。
「以前の山百合会は薔薇さま方が神格化され、薔薇の館は近づきがたいものだったそうです。
それが今では自由に皆様が出入りし、それぞれが出来る範囲で山百合会の行事を手伝ってくださっています。
もちろん、白薔薇さま、黄薔薇さまのお二人が皆様方の取りまとめを行い、スムーズな生徒会運営をしていた事もあります。
そして、自由に皆様方が薔薇の館に出入りするようになること、それがあの方の願いでした」
そこまで静かに話していた瞳子が、少しだけ俯く。
「その方は一年生の皆さまには馴染みの薄い方だと思います。
皆様が入学される前に、お姉さまはわたくしたちの前から旅立たれたのですから」
はっ、と息をのむ音が聞こえる。
2年生、3年生たちはこれから語られる瞳子の言葉の意味がわかったのだ。
そして、それは1年生たちにも。
彼女たちの入学前に君臨した伝説の紅薔薇。
山百合会を変え、リリアンを変えたと言われる福沢祐巳。
彼女たちが中等部3年生の時に、リリアンかわら版を読んであこがれた存在。
「一年前の卒業式の前日、別れる直前までお姉さまはわたくしに、『幸せになりなさい、それがあなたのためでもあり、みんなのためでもあるの』、と仰っていました。
それが最後にお姉さまがわたくしに託した教えでした」
瞳子は声を震わせながらもしっかりと話し続ける。
「お姉さまは、交差点でよろけて車道に転がり落ちたお年寄りを助けようとなさったそうです。
お姉さまの事ですから後先考えず、とにかく目の前のお年寄りを救う事、それしか考えていなかったに違いありません。
お姉さまがお年寄り抱え上げ、歩道に戻そうとしたところに車が突っ込んできました。
幸い、お年寄りは軽い骨折だけですんだそうです。
でも、お年寄りを後ろから支えていたお姉さまは車を避けきることはできませんでした。
わたくしが次にお姉さまとお会いしたのは病院の霊安室です。
お姉さまのお顔はいつものように、『瞳子、心配しないでいいからね』 と声をかけてくださる時のように穏やかで綺麗でした」
講堂にかすかにすすり泣く声が聞こえ始める。
誰もが信じられなかった祐巳の最期を妹である瞳子が全員に伝えている。
この事は本来であれば親友である自分か志摩子が去年この場所で伝えるべきものだった。
惨い・・・。 と由乃は思う。
そして、下級生たちのことを思いやって優しい嘘をついた瞳子に、祐巳の優しさが重なった。
祐巳が安置された霊安室には家族しか入室を許されなかったのに。
祐巳の体が、顔が、どのようになっていたか家族以外は知らなかったというのに。
(瞳子ちゃん、ごめんね。 そして・・・、よくここまで立ち直ったね)
最愛の姉の死を乗り越えた瞳子を由乃は心の底から賞賛する。
「落ち着きがなくて、お顔の表情が豊かで、お人好しでおっちょこちょい。
そんなお姉さまをリリアンの生徒すべてが愛してくださいました。
お姉さまはなんの見返りも求めず、滅私奉公をした、というのではありません。
すべてのリリアンの生徒が、気持ちよく学園生活を送れる事。
そのために、お姉さまはご自分が幸せになろうとしていました。
他の人が幸せではないのに、自分が幸せになれるはずがない、とおっしゃっていた言葉を思い出します。
自分が幸福であるためには自分を取り巻くすべての人が幸福である事。
それを一途に信じ、そのためなら努力を惜しまない方でした。
『幸せに、みんなみんな幸せに』 というのがお姉さまの口癖でした。
そのお姉さまの考えに共感し、すべてのリリアン生が山百合会に尽くしてくださるようになりました」
卒業生たちが、在校生たちが、そして教職員、父兄たち、すべての人々が瞳子の言葉に耳を傾ける。
すべての人の心に刻みつけられている福沢祐巳と言う太陽の笑顔を思い浮かべながら。
「それなのに、この一年間、わたくしはロサ・キネンシスという立場でありながら、薔薇の館に出向く事が出来ませんでした。
一番迷惑をかけてしまったのがわたくしです。 そのことをこの場で謝罪させてください」
一歩だけ演題から下がって深々と頭を下げる瞳子。
しばらくそのままの姿勢を続けていただろうか。
やがて頭を上げた瞳子は、再びマイクに向かう。
「わたくしはあれほどお姉さまの教えを身近で受けておりましたのに、それを果たす事が出来ませんでした。
薔薇の館にも何度も行こうとしましたが、あの場所はお姉さまの面影があまりにも多く詰まっていました。
でも、そんなわたくしをみかねて、友人たちが、そして皆様が、すべてのリリアンの生徒が山百合会を盛り立ててくださいました。
お姉さまの願いが皆様に受け継がれ、このリリアンを素敵な学園にしてくださいました」
瞳子は胸の前で手を合わせ遥か遠くを仰ぎ見る。
「お姉さま、見てくださっていますか?
お姉さまの残した小さな種は、こうして大きく育っています。
リリアン全体に ”薔薇の花かんむり” が広がり、すべての生徒が手を繋ぐ学園になりました」
由乃の頬を涙が伝う。
あちこちで嗚咽の声が漏れ、ハンカチで涙をぬぐう生徒たちや父兄たち。
「わたくしはお姉さまから 『全体の幸福を目指す』 事の大切さを教わりました。
そして、その教えを在校生の皆様に伝える事、それがわたくしの最後の務めだ、ということにやっと気付かされました。
この事に気付くのに一年もかかってしまった愚かな妹の言葉ですが、どうか皆様、福沢祐巳の願いを覚えていてください。
どうかお幸せに。 みんなみんな幸せに」
そこで言葉を切った瞳子は、ふーっと大きく息を吐いて目を閉じ、再度姿勢をただす。
「最後となりましたが、わたくしをこの場に立たせてくださった先生方、同級生の方々に深く感謝いたします。
これをお礼の言葉とし、わたくしの答辞といたします」
そして、3年生の席に座る二条乃梨子と細川可南子を見つめる。
二人とも、顔をぐちゃぐちゃに泣きはらし、真っ赤な目で瞳子を見つめ返す。
最後に、瞳子ちゃんは全員を見渡し、あの懐かしい笑顔を浮かべた。
まるで祐巳さんがそこに蘇ったように。
と、在校生の中から一人の生徒が立ち上がり大きな拍手を贈る。
それにつられ、すべての生徒が立ち上がりスタンディング・オベーション。
「祐巳さまのために!」
「祐巳さまのために!」
「祐巳さまのために!」
講堂が割れんばかりの拍手に包まれ、祐巳の名を叫ぶ。
鳴りやまぬ拍手の中、瞳子ちゃんは階段を下りてゆく。
瞳子ちゃんは最後まで涙をこぼさなかった。
それは、この式が瞳子ちゃんにとっても本当の意味での ”門出” となる式だったのだから。
☆★☆
「お姉さま、長い間待たせて済みませんでした」
線香の煙が細く上空に登ってゆく。
卒業式が終わってすぐに祐巳の一周忌に参列した瞳子は、初めて福沢家のお墓の前で手を合わせていた。
その瞳子の肩に置かれる手。
「乃梨子さん。 それに可南子さんも」
手を合わせた姿勢のまま、二人に声をかける瞳子。
こんなに大きな手、それに優しい手の持ち主なんてこの世にこの二人しかいないのだから。
「一人で抜け駆けはずるいよ、瞳子。 それにわたしたちだけじゃないし」
そう答える乃梨子の後ろには菜々の姿も。
そして、水野蓉子、佐藤聖、支倉令、島津由乃、武嶋蔦子、内藤笙子、山口真美、高知日出美、高城典など。
数多くのリリアンの卒業生が揃っていた。
「みんな瞳子に遠慮して瞳子が来るのを霊園の外で待っていたんだよ。 最初に手を合わせるのは瞳子しかいない、ってね」
「そうだったんですか・・・。 ありがとうございます」
ゆっくりと立ち上がった瞳子は、参列した全員に頭を下げる。
「祥子と志摩子はもうしばらく小母さまたちと福沢家に居るそうよ。 それにしてもたくさんの方が集まってくださったわね」
「それだけ祐巳ちゃんの残した足跡は大きかった、ってことさ」
蓉子の言葉に返す聖の言葉。
来年度は大学の4回生になる二人も祐巳の一周忌に駆け付けたのだ。
「瞳子さま、立派でした。 この一年間瞳子さまがどんなにつらい気持ちで過ごしていたのか私、何もわかっていませんでした」
菜々が瞳子に頭を下げる。
薔薇の館に来れない紅薔薇のために一番苦労したのは菜々だったろうに。
「ううん。 菜々ちゃん。 謝るべきはわたくしなの。 ほんとうに一年間ありがとう」
「まぁ、過ぎた事さ。 それに瞳子はずっと裏方の仕事は手を抜かなかったんだから。
瞳子が後ろで支えてくれたから山百合会は機能してたんだ。 祐巳さまもちゃんとわかってくださってるって」
「そうだと・・・、いいのですけれど」
「で? 祐巳さまにお別れの挨拶は済ませたの?」
「お別れではありませんわ。 出立のご挨拶です。 わたくしはどこにいようとお姉さまの心と共にあるのですから」
瞳子は今夜の便で演劇留学のためにカナダに飛び立つ事になっている。
「瞳子さん、体に気をつけて」
「えぇ、可南子さんも。 全日本に選ばれるといいわね」
「ありがとう。 どこにいても祐巳さまは瞳子さんの事を見守ってくださっているわ」
「もちろん。 あのお目出度い方がわたくしから目を離すはずがないじゃありませんか」
「うふふ。 それもそうね」
福沢祐巳を愛してくれた人々。
そのすべての人々に感謝をこめて頭を下げた瞳子。
「ではお姉さま、行ってまいります。 お姉さまの心、瞳子はどこにいても忘れません」
そう言って祐巳の墓に背を向けた瞳子は、まっすぐに空を見上げる。
茜色に染まりかけていた空は、まるで祐巳の笑顔のように優しく瞳子たちを包み込んでいた。