【3554】 貴女の本当が知りたい  (くま一号 2011-09-30 21:10:00)


【短編祭り参加作品】
 この長さで短編かと言われると、一投稿に入れば短編なのがここでのたしなみ。季節感? なにそれおいしいの?

短編の筈だったのに続いてしまいました。
【降誕祭の奇跡シリーズ】
これ【No:3554】→【No:3684】→【No:3685】→【No:3686】




「ねえ、奇跡って信じる?」
 遺された天使のマスコットに、二人の少女の姿が重なる。


 †  †  †


 真紀

 今日はクリスマスイブ。私が担任しているクラスの黒須ひかりが、職員室から出て行くのを茫然と見ていた。
 サンタクロースみたいに突然現れて『 降誕祭の奇跡 』の話を夢中で投げつけて行ってしまった。

   『先生。奇跡は、信じなければそこにあっても見過ごしてしまいますよ。積極的に拾わないと』

 ひかりが残した言葉が、頭の中に響き続けている。
 奇跡か。長い歳月を経ても、起きて欲しかった、と切望している奇跡。

「おっと、鹿取先生」
「わっ」
 ばさばさばさっ。ぼんやりしていて渥美先生にぶつかってしまったらしい。
我に返ったら、持っていた出席簿で机の上の書類の山を小箱と一緒に落としてしまった。

「これは渥美先生。失礼しました。ああ、大変」
 小箱から中身が飛び出して、机の下に飛び込んでしまったようだ。

「帰るんだろ? 俺、車だから乗っていけよ」
「何言ってるの。渥美先生の家、私のマンションとは正反対じゃない」
「だから、寄って行けっつーの。早紀が料理とケーキを作って待っている」
 誘いにも応じることにして支度をする。

 マスコットは隅の方へ転がってしまったか見えない。
 なくした天使のマスコットが見つかったら願いが叶う、何年も意識不明だった少女が目を覚ましてよみがえる、なんて。そんなお話があったっけ、アニメだったかな。
 けれども、そのお話の中でさえ『奇跡は起きないからこそ奇跡っていうんですよ』って科白があるくらいだ。起こらないものは起こらない。

 その言葉通り、美嘉さんに吐きかけたのを思い出した。

   『奇跡ってなかなか起こらないことが起きるから奇跡なんじゃないの』
   『とにかく、奇跡なんてそんなにホイホイ起きないから』

 生き死にの話のつもりじゃなかった。淡い恋心が通じるかどうか、ただそれだけのつもりだったのに。あの時、私はどうしてあんなにいらだっていたのだろう。

 †

 安倍美嘉さん。真っ白な子猫のような、というのが、彼女の印象だった。
 それは、いたずらっぽいよく動く眼のせいだったかもしれず、小柄な体でじゃれついてくるような仕草の記憶かもしれない。

 夏の日、私の部屋へ遊びに来た時のこと。
 彼女は私のベッドに座り、私は床に足を投げ出してぺたんと座って、いろんな話をした。
学校のことだったり、音楽のことだったり。渥美先生の話をしたかは覚えていないけれど、先生方の噂話は定番メニューだったからしていてもおかしくない。
 彼女といて、ただそれだけで楽しかった。

 ふと気がつくとずいぶん時間が経っていた。
「今日は何時頃までいられる?」
 彼女はうちに遊びに来てもあまり遅くまではいない。でも、今帰って欲しくない。もう少し引き止めたいって思った。まだ日は高い。エアコンの効いた部屋から出たら暑いだろう。
「今、何時?」
「四時ちょっと過ぎたかな」
「逢魔が時かあ。もうしばらくいてもいいかな?」
「もちろん」

 そこで聞き慣れない言葉にとまどった。
「おうまがとき?」
「魔物に逢う時って書いて逢魔が時、わざわいの時で大禍時とも言うの。午前四時と午後四時頃ね。悪いことにあいやすい時間なんだって。だから、あんまり外に出たくないの」
「へ、へえ、そうなんだ。あんまりオカルトとかそういうことに興味あるようには見えないのに」
「てへへ、気にしないで。私のジンクスみたいなものなの」
 よくわからないながら、そんないいわけをつけてまで美嘉さんが帰らないことにただ喜んだ。

 ショートパンツの美嘉さんは、さっきから足をブラブラさせている。白い足が目に眩しい。
「美嘉さんはいいな、白くてすらっとした綺麗な足」
言ってしまってからどぎまぎした。なんとなく目をそらす。
「うーん、私は健康的な白くてスラッじゃないから。白いっていうより青白い?」
そう言うと美嘉さんも下を向いた。
「そんなことないよ、かわいいし子猫みたい」
あ……思わず出てしまった。

「え?」
顔を紅くしてこちらを向く美嘉さん。目があう。
「私、かわいい、かな?」
にっこり笑った。ダメ、それ、反則。私もたぶん顔が紅い。
どぎまぎが限界を越えて、私はあらぬことを口走った。
「キス、していい? あ、えと、その、じゃあ、足に」
「わ!」
 美嘉さんが目をまんまるにする。なにが『じゃあ』なんだ。意味不明だ。

「あ、ごめん、今の取り消し……」
「いいよ」
「え?」
 すっと足を伸ばす美嘉さん。

 こうなっては、後へ引けない。右の膝上あたりに、軽く唇を触れた。
顔を上げた瞬間。
「お返し」
声と一緒に、頬にキスされた。
「あ……」

「わー、なんだかドキドキした。不思議だよね、学校だと一緒に着替えていてもスカートめくりしたって何とも思わないのに」
「え、美嘉さん、スカートめくりなんかするの? これはキュロットだからね」
「えー私じゃないよ、やる人がいるんだよー」
 そのままクラスの話題になって、お互いにキスのことには触れなかった。それ以上なにがあったわけでもない。
しばらくとりとめのない話をして、六時頃、夏の日差しがまだ明るいうちに彼女は帰宅した。

 †

 美嘉さんが『渥美先生ラブ』の一人だということを知った冬の日。そしてお見舞いに行った入院先の病院。
渥美先生に告白って聞いたとき、どうしてあんなにいらだったんだろう。渥美先生が姉と婚約しているからには、告白が受け入れられることは百パーセントないってわかっていた、なのに本当のことは話せない。黙っているしかないことにいらだったのは確かだけれど。
 でも、それだけじゃなく何かいやだった。とにかくいやだった。 でも、そのいきさつを人に話さない理由も、美嘉さんとの思い出に他人が入って欲しくないのが何故なのかも、本当のところ自分でわかっていなかった。
 わからないままに、毎年クリスマスイブになると美嘉さんを想って独りただ沈み込んでいた。

 美嘉さんの言う逢魔が時、明け方と夕方の四時とは喘息発作を起こしやすい時間帯。呼吸器系の病気を持つ人は警戒するものだそうだ。そこまで重い病気を持っているなんて、彼女の様子からは全然わからなかった。
 なにもかも、美嘉さんがただの風邪から肺炎になってただそれだけで天に召されてしまった、そのあとになってから知った。


 †


 机の下を捜してじたばたしていたら、渥美先生から声がかかった。
「いくよ、鹿取先生」
「あ、はい、すぐ行きます」
 例年床に『の』の字を書いている私(一応気づかれないようにしているが)を見かねて連れ出してくれようというのだから、感謝しなければいけないだろう。

 ようやく見つけてマスコットを拾い上げた。のんきな顔で笑っている。
「なんだ、それ? かわいいな、天使か」
 渥美先生が見つけていった。
ぎくっとして隠そうかと思ったけれど、気が変わった。

「ほしい?」

 誤解を解く機会のないまま亡くなった安倍美嘉さんが生き返るわけもない。けれど、黒須ひかりの『奇跡』のおかげでなんとなく。
 マスコットを本当の贈り先の渥美先生にあげた。暗く淀んだ毎年のクリスマスとは違うような気がしたから。

 駐車場でマスコットをルームミラーにつける渥美先生。
「こんな感じでどうかな」
「いいんじゃない? でもクリスマスならともかく年中天使でいいのかしら」
「学園内でそんなこと言うなよ。シスターからなにか言われそうだから」
 なんて声をひそめたりしているが、実際はそういうことに厳しい職場というわけではない。

「まっすぐ帰るの?」
「来ることになったってメールしたら、早紀がシャンパン買いに出るから酒屋で拾ってくれってさ」
「あら、私が行かなきゃシャンパンなしだったの?」
「これ以上腹が出たら禁酒令だそうだ」
 渥美先生は渋い顔をした。

 †

 途中で酒屋さんの駐車場に止まる。
姉の早紀はもう買い物袋を抱えて立っていた。
「おそーい」
「お客さんが増えたんでね」
「メリークリスマス。真紀」
「メリークリスマス。ミカちゃんは?」
「寝かせてきたわ。片手にミカ、片手にシャンパンなんて無理無理。だから急いでよね」
 おいおい、幼児をひとりで置いてきたのかい。我が姉ながらちょっと心配になる。偶然に美嘉さんと同じ音で、大天使ミカエルの『ミカ』という名を持つ姪っ子は、今年三つになった。

 買い物袋を抱えて姉は後ろの席に乗った。私はそのとなりの席。
 ぶらり、ぶらり。天使が揺れる。
「あら、かわいいわね。生徒からもらったの?」
 姉がめざとく気づいた。

「なーんと、私に仲介を頼んできたとぉっても可愛い生徒がいたのよ」
「お、おい、真紀ちゃん! いきなり密告かよ」
「まあ。へええ、今時珍しい子もいるわね」
 姉が怒りもせずに大仰に驚いてみせる。

 『真紀ちゃん』。高等部時代、私は渥美先生に『鹿取』と呼ばれていた。それが『鹿取先生』に変わってもう十年くらい経つ。相変わらず渥美先生がどこで『真紀ちゃん』と『鹿取先生』の線を引いているのかよくわからない。
 私の方からはいつも『渥美先生』で、家にいるときもそれで通している。『お義兄(にい)さん』なんて呼んだことがないし、まして下の名前では絶対に呼ばない。たぶん、怖くて。
 あの時、姉と婚約していた渥美先生と私が、校外で一緒にいるところを見られた。それがうわさになって……口さがないリリアンの天使達の軽口だけれど、美嘉さんがそれを聞いていた。
彼女から渥美先生へ、マスコットに託して想いを届ける最後のチャンスは失われた。
 私は美嘉さんに誤解されたままになった。
 永遠に。

 いまさら渥美先生と私の噂を立てる物好きな生徒もいないだろうし、いまさら取り返しもつかないのだけれど、慣れた呼び方というのは変えられないものだ。

 運転席から反論が来た。
「珍しいってことはないだろ。世の中変わったって勇気の出ない女の子はいるだろうさ」
「そういう意味じゃないわよ。若くて希少価値がある頃ならともかく今時のあなたに珍しいわねって言ってるの」
「ひでえな」
 にべもなく言い切る姉と押される義兄、いつもの情景だ。

「まあねぇ、女子高じゃそのほうがいいわよね。ねぇ、真紀?」
「へ?」
 姉がいきなりこっちを向いて言い放った。
「女子高の教師相手だけはやめなさいね」

「はあ? お姉ちゃんが言う?」
「オレ、なんか悪いこと、した?」
 思わずつっこむふたりに一顧だにせずお姉ちゃんは続ける。
「もうね、『明らかなライバル』と『未来のライバル』の海の中に毎日放り込んでるようなものだからね、しんどいわよー。最近ようやく安心するようになったわ」
「す、すまん」
いや、そこは謝るとこじゃないでしょう。
わたしにしたって……。
「そうおっしゃられましても。学校の中くらいしか出会いがないんですのよ、お姉さま」
 あ、しまった。これは、反撃がまずい。こちらに矛先が。
「じゃあお見合い、する? 真紀ももうアラサーも越えそうなんだからさ。この前、叔母ちゃんがね」
 来たし。
「いーやー。やーめーてー」
「それは意中の人がいるってことでいいのかしら?」
「イブに招待しといてそういうトドメを刺すわけ?」
 クリスマスは美嘉さんのことだけを想って独りで過ごす。それを、この姉は見抜いているんじゃないかと思うことがある。

「だって若い女の子はいっぱいいるもの。実は教え子の女の子と恋仲で、なーんて真紀がいつ言い出すか心配なのよね」
 ちょ、ちょっとお姉ちゃん、まずいよそれは。
「もうっ。相手が女の子だって教え子に手を出したら逮捕されるって! 一応そういう趣味はないです!」
「どう見てもありそうなんだけどね」
「お姉ちゃん! 私をそういう目でみてたの?」
「ラブレターもらう数は、コレ(と運転席を指す)より多いでしょ?」
「そりゃそうだけど、お姉ちゃんだってリリアンOGなんだからあれはすぐ冷めるのわかって言ってるでしょ?」

 よせばいいのに『コレ』が割って入る。
「オレより多いってのは否定しないのか」
「ふっ、麗しの鹿取真紀お姉さまに敵うとでも?」
「そりゃ当たり前でしょう、中年教師」
 姉妹のツープラトン攻撃を食らって『コレ』が運転席に沈んだ。

 そこで気づく。あれ? あれれ? どうしてだろう。
今までなら、クリスマスイブにこんな話をしてたら釘になって心臓に突き刺さってきた筈だ。なのに楽しんでいる私。
 それだけでも三田今日子は『奇跡』を起こしてくれたのかしら?

 ぼーっと考えていたら、運転席に聞こえないくらいの声で姉がぼそり、と言った。
「ようやく吹っ切れたか」
 思わず飛び上がりそうになった。
「え、え? なにを?」
「安部美嘉ちゃんでしょ? あれ」
 くい、とルームミラーの下で揺れている天使にあごをしゃくった。
「え? どうして、お姉ちゃんやっぱり知って、え?」
「あとでね」
 ダンナに聞こえるから、と目配せをして前を向いた。


 †  †  †


 早紀


 毎年クリスマスイブになると真紀がひとりで閉じこもってなにごとか鬱々と悩んでいる。それに気づいたのはいつ頃だっただろうか。
 渥美と結婚して家を出てからのことだし、本人も覚られまいとしていてなかなか気づいてやることができなかった。結局、気づいたのは母だったかもしれない。

 それでも、はじめは無理もないと思っていた。美嘉ちゃんとは仲が良かったから急逝のショックが大きかったんだろう、時が癒すのを待とう、そう思っているうちに十数年。クリスマスを迎えるたびにますますのめり込んでいくような真紀の様子が心配だった。
 だから今日呼ぶことにしたのに、予想外に明るい真紀を迎えてどうやら私の役目は終わっているのがわかった。

 家に着くと、ミカはまだよく眠っていた。
「さて、ツリーの飾り付けでもするか。真紀ちゃん、一緒にやる?」
「全部やってしまうとミカちゃんがむくれるわよ。お姉ちゃん、台所手伝おうか?」
 そんな会話が聞こえてきた。
「そうね真紀、お客さんに手伝ってもらって悪いけど、お願い」
「はいはい」

 学校からスーツでそのまま来たのだろう、上着を脱いでエプロンをしただけの真紀がキッチンにやってきた。
「冷蔵庫からローストチキン出してくれる?」
「はーい。このシャンパンとケーキはどうするの?」
「あー冷蔵庫に入ったら入れてくれる?」
「えーと、使うものを出したら入るよ。うん、はいったはいった」
 さすがに勝手知ったる姉の家。

 ここで、真紀が小声で聞いてきた。
「どうして知ってたの?」
「美嘉ちゃんのこと? あんた、お葬式のあと、よく茫然と眺めてたでしょ。あれだよね? さっきの天使」
「見られてたかあ。よく覚えてたね」

 それだけは気がついていた。でも、まさか……ねえ。
「ダンナに渡したってことはあれか、問題はダンナだったか」
「うん……そう」
 今日は話してくれそうだった。それで思い切って踏み込んでみた。
「なに、十何年も引っかかるようなことだったの? まさか本当に美嘉ちゃんがあの天使をあんたに預けたのに、ダンナに渡せなかったから悔やんでたってこと?」
「いやいや、それはないから。そうじゃなくてね、ほら、あの冬、渥美先生と私が一緒にいるところを見られて騒ぎになったことがあったでしょ?」
「うん、あった」
「それでね……」

 真紀の話は予期したのとはだいぶ違った。
 真紀と渥美が高等部で噂になってしまったことはよく覚えている。『渥美先生ラブ』の軍団がいたりして、あの時なにより私が参ってしまった。婚約したといっても二十二歳のまだ学生、自信も何もなかった。ほんの少し前まで私もあの子たちと同じだったのだから。
 言われてみれば、その直後に美嘉ちゃんが亡くなったのだった。
 こんな形で真紀に影響が及んでいたとは。

「お姉ちゃんのためにごめんなさい。つらかったね、真紀。話してくれてありがとう」
「ううん、お姉ちゃん。誰のせいでもないことだよ。こんなに長くため込んでた私が馬鹿なんだよ」
 真紀は微笑んでそう言った。

 そのとき、ミカがキッチンに駆け込んできた。
「まぁまー、まきおねーちゃん、ツリーできたー」
「そう、じゃあママも見に行こう」
「きれいにできたかな?」

「うんっ! あたらしい天使さんが二人いるんだよっ!」
 え?? 顔を見合わせて、居間に入ってツリーを見た。

「あなた、これは……」
 唖然とした。
「そんなことって」
 真紀がへたんと膝から座り込んだ。

「同じ天使は一緒にいた方がいいと思ってな」
 ダンナが指さす先には、紛れもなくさっきの天使が二つぶら下がっていた。

 ゆらり、ゆらり。


 †  †  †


 真紀


「ああ、知ってたんだよ、オレ」
 問い詰められて、あっさりと渥美先生が白状した。

「……どうして……」
「その前に真紀ちゃんの方もどういういきさつだったのか話してくれないかな。オレにもわからないところがあるんでね」
 私は、もう一度美嘉さんとのあの冬の出来事を説明した。渥美先生には一生話すことはないと思っていたのに、あっけなく、平静に、話した。

「真紀ちゃん、試験休み中に病院へ安部のお見舞いに行ったんだね」
「うん。美嘉さんのお母さんから連絡が来て、会いたがってるからって」
「そのあと冬休みに入ってからオレも行ったんだ。おかあさんから頼まれてね。担任でもないのになんでって思ったんだけど、もう明日をも知れないって言うから」
「まさか、そんな……どうして」
 なにがどうなってそういうことに? 私にはなにも知らされずに? 混乱した。

「あなた、それ私も初めて聞くんだけど」
 姉が強い口調で言うと、渥美先生は憮然とした。
「あたりまえだろ。婚約披露はおまえが大学を卒業してからって決めてたのを、急いで年明けに発表しただろ。あの時だぞ。おまえが一番ナーバスになってたのに言えないじゃないか」
「その結果、十何年経ってもシメられるのよ。覚悟しなさいね」
「い、いや、事情があってだな」
 お姉ちゃん、目が怖い。

「渥美先生、お母さんって美嘉さんのお母さんだよね」
「ちがうちがう。安部の保護者じゃなくて、お義母さん」
「へ? うちの、お母さん?」
 驚いた。そんな話、聞いたことがなかった。
「そうなんだよ。だって安倍美嘉の母親とオレは面識なかったんだから。それで思いあまってお義母さんに頼み込んだらしいんだ」

「えーと、あなた、それは美嘉ちゃんのお母さんは私たちが婚約しているのを知っていたってこと?」
「そういうことになるな」
 全員沈黙。いろんなことが渦を巻いてはち切れそうだった。

 最初に口をついて出たのは、自分でも意外だけれど教師としての思いだった。
「なんてことなの。憧れの先生として最期に会いに行くなんてとんでもなく重い任務ね。そんなことになったら私は逃げ出しそうだわ」
「シスター上村は行けって言うぞ。覚悟しておけよ」
 先輩教師の顔になって渥美先生が言う。
「その時もどうしたもんだろうって学園長に相談してな、年末だったけど学園にいたシスターも何人か加わって話したんだ。そしたら学園長がその子の願いは聞いてあげるべきだろうってことになってさ」
 シスター上村ならありそうな話だ。たしかに覚悟が要りそうだ。

「ひとりで会いに行ったの?」
「ああ。担任は帰省中、学園長は無理でね。他のあまり教壇に立たないシスターが一緒に行ったんじゃあ、なんてーのか、仏教で言うなら抹香臭くなっちまうだろ? あくまで自然に学校からの見舞いにしたかったんでな」
「うーん、臨終の告悔を、になっちゃうか」
 いやお姉ちゃん、それはそれでないと思う。

「美嘉さん、なんて言ってた?」
 聞きたかった。まさか聞けるとは思わなかった渥美先生本人に向けた美嘉さんの言葉。十何年の時を越えて聴けるのなら、それは奇跡と言っていいんじゃないだろうか。
「そうねー。告白されたのされなかったの? もう時効だしはっきり言っちゃいなさいよ」
 ぎくっ。いいのかなあ。こういうことには時効も故人もないんだよ、お姉ちゃん? かといって、私だけ聞くわけにもいかないし。

「それはちょっとなあ、オレだって懺悔を聞いたようなもんなんでな、言いにくいんだけどねえ」
「ちょっと、あなた。ここまで言っておいてなに」
「えー、それはあんまりです」

「ただね、安部は自分の想いはオレに伝えた。真紀ちゃんが悩んでいたようなことはなかった、とだけ言っとく」
「なによ、ばらしたのと同じじゃない」
 姉のつっこみにあいまいに笑う渥美先生。
「その時にこっちの天使をもらったのね。イブから作り始めたとしても、もう一つよく作れたわね。がんばったんだ……」
 マスコットをひとつ作るだけでも大変だっただろうに。思わず、目頭に熱いものを感じた。

 ところが。
「それが、違うらしい。今日真紀ちゃんにもらった方が先にできてたんだって」
「もともと二人に渡すつもりだったの? 意外とやるわね美嘉ちゃん」
 にやりと笑うお姉ちゃん。
「お姉ちゃん、まさかそんなこと」
「そりゃまさかだ。オレがもらった方は練習台だったんだよ。真紀ちゃんに本命をあげちまってから、思い直してこっちも仕上げたって」
「ああそうなんだ。じゃあやっぱりがんばったんだね、美嘉さん」

 渥美先生に渡すための本番が私がもらったもの。でも、そのための練習用にもっと前から作っていたものを、最後に渥美先生が受け取ることができた。よかった。ほんとうによかった。
「ま、教師としてはあなたも頑張った、ということにしてあげる。十年以上隠してたのは、埋め合わせ次第で不問ってことにしてあげるわ」
 お姉ちゃんも目頭を押さえながら言った。

 それなのに、渥美先生は不思議な笑顔で私を見ていた。
「まだ勘違いしてるみたいだな、真紀ちゃん?」
「へ?」
 涙を拭いながら、ほけっと見返す。

「試験休みの間にオレと一緒にいるところを見られた。で、教室で問い詰められてるところを安部に聞かれた。そのあと真紀ちゃんはそっちの天使を渡された、そういうことだよね」
「うん、それが?」
 悪夢になって何度でも繰り返されていた情景。あの時の美嘉さんの顔は忘れられない。

「それって、安部が気にしたのはどっちかな?」
「は? どっちって天使のこと?」

「違うって。オレか、真紀ちゃんか。安倍美嘉が本当に気にしてたのはどっちだ? オレと真紀ちゃんの噂が立ったときに、どっちが気になってどっちに嫉妬したと思ってんだ?」
「え、え、えええー!?」
「逆だったんじゃないのか? 安部に真紀ちゃんの想いは通じてた。そういうことなんだろ?」
「なっ! な、な」

 私のことを馬鹿と言うなら言えばいい。十何年もの間、それは考えてもみなかったのだ。
美嘉さんは、渥美先生への憧れなんかじゃなく、『私への想い』が叶わないと思いこんだ。それでも私に天使を渡した。あのとき美嘉さんが嘘をついているのはみえみえだったけど、どういう嘘だかまるで勘違いしていたのか。
 私の負担にならないように、わざと軽く言って。馬鹿……。

   『渥美先生のこと大して好きじゃないって結論が出たの。みんなに便乗してただけ』
   『そうしたらもったいなくなっちゃって、真紀さんにもらって欲しくなったの』

 そして初めてわかった。私もそうであって欲しかったんだ。
だから、二人のことは誰にも秘密にして、毎年ずっと降誕祭は美嘉さんとだけ過ごしてきた。
それが私の本心だ、と。

「こいつは、ちゃんと安部の想いの通りに降誕祭に渡されたんだよ。な?」
 ぴん、と天使を人差し指ではじく。

 ゆらり。


 ゴゴゴゴゴという擬音を感じて振り向くと、お姉ちゃんが炎とミカちゃんを背負って出た。
「あ・な・た」
「ぱぁぱ。だぶー」

「お……ぉ」
 うろたえる渥美先生。
「だからって、隠すことはないじゃないですか! そのために真紀が十何年も悩んで! 毎年イブは床にのの字書いて!!」
「のーのーののーじー」
 お姉ちゃん、のの字は余計です。ミカちゃんの『の』の字は可愛いけど。

「あー、それは悪かったと思う。申し訳ない。いや、真紀ちゃんがさ、安部がオレに告白できなかったって悩んでたとは、まさか思わなかった」
「鈍感!」
「ろんかーん」
「ひゃいっ!」
「真紀もよ! 鈍感!」
「まきねーちゃんっもろんかーん」

「いやそのお姉ちゃん、敏感でも困るよそれ……」
「だから、早紀、な、鈍感は女子高教師の必須条件で……」

「こういうところには気がつかなきゃだめでしょ! この鈍感教師どもが!」
「どーもーどーもー」
 お姉ちゃんが背中のミカちゃんと一緒にばっさりと一蹴してくれた。

「あはは、あはははははは。あは」

「真紀? 壊れた?」
「おい、真紀ちゃん!」

「うん、大丈夫、うん、あははははは、また涙出てきた、あははははは」

 ミカちゃんと一緒のクリスマスイブは楽しかった。
ミカちゃんの名前、本当に大天使ミカエルにちなんでつけたのか、とは、あえて聞かなかった。


 †


 翌朝、渥美先生に送ってもらって帰った。

 天使のマスコットが二つ、バックミラーの下で揺れる。
ゆらり、ゆらり。

「ひとつは返そうか?」
 渥美先生がそう言うのを私は断った。

「だって仲が良さそうじゃない? この二人」
この天使を見ていると悩み続けた年月を思い出してしまうから。その分の私の怨念がこもっちゃったからね。

 美嘉さんは、私の中に戻ってきた。それでいい。


 †


「ねえ、奇跡って信じる?」

 うん、信じる、美嘉さん。
そして、ひかりちゃん。
信じるよ。ありがとう。



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