【3709】 忘れられない思い出が乃梨子の妹は語る  (ものくろめ 2012-10-07 15:46:56)


【短編祭り参加作品】

 私、二条祐巳はリリアン女学園の高等部に通う普通の生徒である。
 リリアンには中等部から通っているので、幼稚舎から通っている生粋のリリアン生には負けるが、高等部から入った生徒に比べれば遥かにリリアンの雰囲気に馴染んでいるといえる。
 成績は全科目ほぼ平均。運動は得意というわけではないけれど、運動神経が悪いわけではない。
 容姿も普通――だと思う。姉は「祐巳はかわいいよ」と言ってくれるが、シスコンなので信用はできない。背は少し小柄なほう。太ってはいないけれど、痩せているわけでもない。スリーサイズは――ノーコメント。左右に結わえられた髪が特徴と言えば特徴かもしれない。
 こんな感じで私自身は外も内も平均的な、特に目立つところのないただの一年生である。
 それなのに、この春高等部に入った一年生の中では、私は一、二を争うくらいの有名人である。
 もう一度言おう。私自信は普通の生徒なのだ。ただ、実の姉がこの学園で知らない人がいないくらいの有名人なだけである。

 二条乃梨子。2年生にして白薔薇さまを務めるリリアン生の憧れの的の一人。これが私の実の姉である。
 歳は一つ上。成績は常にトップ。運動も特に何かスポーツをやっていたわけではないのに普通以上にできる。容姿は髪型のせいか市松人形に似ている気がする。血は繋がっているけれど、外見も中身もそれほど似ていない姉妹だと我ながら思う。
 中学は地元の公立高校に通っていたため、私がこちらに来てからの2年間は別々に暮していた。その間にいい加減妹離れをしていて欲しかったが、実際には会えない時間が妹に対する愛情をさらに加速させたらしい。私と同じ高校に通うためにリリアン女学園を受験し、見事入学試験を主席合格した。
 リリアン女学園には高等部からの入学でありながら、入学式では新入生代表を務めた。同じクラスの藤堂志摩子さまとは早々に仲よくなり、当時の紅薔薇さまからのお誘いで二人一緒に山百合会の手伝いをするようになった。そして当時の白薔薇さまからスールの申し込みをされる。同時期に藤堂志摩子さまも紅薔薇のつぼみからスールの申し込みをされていて、昨年はほぼ同じタイミングで紅薔薇のつぼみの妹と白薔薇さまのつぼみが誕生することとなった。その後、選挙で見事当選して、今年の春から晴れて白薔薇さまと呼ばれるようになった。
 学年トップの成績なのにそれを鼻にかけない性格とクールな面持ちで、今年の新入生の中では紅薔薇のつぼみと並んでお姉さまにしたい上級生トップの人気者である。
 実の妹の私に言わせれば、三度の飯より仏像が好きなのに、妹と一緒にいたいからとカトリックのリリアン女学園に入学するくらいにシスコンをこじらせている困った姉だけれど。まあ、なんだかんだ言って頼りになる姉であることは否定しない。
 昔から出来すぎる姉と比べられることも多く、以前はそれが嫌で嫌でたまらなかった。だからといって姉のことが嫌いなわけではない。以前は口に出して言えなかったけれど、今なら姉のことが好きだと言える。ただ、姉の過干渉が煩わしいと思っているだけだ。
 そう、姉は私に対してちょっとかまいすぎるのだ。
 姉と一緒の学校が嫌だから違う中学校を選んだ私。妹と一緒にいたいと思って高校を選んだ姉。そこから簡単に導き出せる答えが、ここ最近私の頭を悩ます問題の大元である。



「祐巳ー、そろそろ起きないと遅刻するよ」
 ドアの向こうから聞こえる姉の声に目を覚ます。こちらに来て初めの2年はいつも聞いていた姉の声がなくなったことに寂しさを覚えたものだが、去年からの1年間、毎朝こうして姉の声で目を覚ますようになると少し煩わしく感じるのは私のわがままだろうか。大叔母でこの家の家主である菫子さんに言わせると、私の寝起きは機嫌が悪いらしいのでそのせいでそう感じるのかもしれない。ただ、私がドアに鍵をかけて寝るようになったのは、姉がこの家に住むようになってからだというのは付け加えておいてもいいだろう。
「起きたよ、お姉ちゃん」
 ベッドの上で寝ていた体を起こし、姉に起きたことを伝える。まだ少し寝ている体で布団から抜け出して窓の雨戸を開けると、朝の日差しが気持ちよく部屋と私に注がれた。
 今日も一日が始まる。
 今日こそは決めないと。そう思って私は爽やかな空に向かって深呼吸をした。



「ごきげんよう、白薔薇さま」
「ごきげんよう」
 姉と一緒にバスを降りて並んで校舎へと向かう間、知らない顔のリリアン生がこちらに声をかける。ここ最近は毎朝行われている見慣れた出来事だ。
 見知らぬ生徒が姉に挨拶をして、姉も同じ挨拶を相手に返す。隣にいる私は黙ってそれを聞いているだけ。
 少し前まではよかった。姉とは向かう校舎が違ったので、一緒に並んで歩く距離は今ほど長くはなかったから。また、白薔薇さまのつぼみの頃のほうがまだ声をかけられることが少なかったから。
 はっきりと言ってしまおう。私はこの時間が嫌いだ。そりゃあ、私だってわかってる。見知らぬ上級生がいきなり「ごきげんよう、祐巳ちゃん」なんて言ってくることがないことくらい。相手の方は私の名前を知っているだろうけれど、そういう問題ではないのだ。姉は白薔薇さまで、私は普通の一年生。白薔薇さまの実の妹で、毎朝こうして並んで登校しているのだから名前と顔は知られているけれど、だからといって知らない相手から挨拶をされる立場にはいないのだ。立場上はただの一年生が見知らぬ上級生に挨拶をされるということは、あなたの事を気に入っているというのとほぼ同意義。天下の白薔薇さまがスールにしようと狙っている一年生――血の繋がった妹でもある――に対してそんなことをするリリアン生はまずいない。しかも、その白薔薇さまがいる目の前でだ。さらにありえない。
 もちろん、例外は存在する。



 それは私が高等部に上がって初めての休日。姉の親友である志摩子さまが家に遊びに来た時だった。
 二人だけだとつまらないからと、自分の部屋で暇そうにしていた私を誘って三人でリビングのテーブルでカードゲームをしているときに、志摩子さまがさらりと爆弾を投下したのだ。
「それなら私はどうかしら?」
 その言葉はかわいらしい声で最後の一枚になったことを宣言をして私の番を飛ばすカードを場に出したあと、私の顔を見てふと思いついたかのように自然と志摩子さまの口から放たれた。
「え?」
 私の疑問の声が部屋の中に響いた。なんだか間の抜けた声だと、口に出してから思ったが、志摩子さまが何のことを言っているのかさっぱりとわからなかったからのだから仕方がない。しかし、私と違って頭の回転が早い姉はすぐにその言葉の意味を理解したのだった。
「ちょっと志摩子、祐巳は私のだから取らないでよね」
 志摩子さまを睨みながら姉が言った。でも志摩子さまはそれにはまったくひるまずに、逆に姉をたしなめるようにふわりと微笑んだ。
「あら、乃梨子は“お姉ちゃん”でしょう? 別にそれを取ろうと思っているわけではないのだから、いいのではないかしら」
 ここに来てようやく、私は志摩子さまの爆弾発言が何を指しているのか理解した。
 先ほどカードゲームを始める前。姉が自分の部屋からカードを持ってこようとしてリビングにいなかった時に、志摩子さまが私に「祐巳ちゃんは乃梨子からもうロザリオを受け取ったのかしら?」と尋ねて、私は「いいえ」と返した。その時の続きを今またしているのだと。確かにその時は姉が戻って来たために会話が中断された形ではあったけれど、私としてはあれで終わりだと思っていたのに。
「やだ。学校では“お姉さま”、家では“お姉ちゃん”がいいの」
 私は学校では姉のことは「白薔薇さま」と肩書きで呼ぶようにしているが、家では昔どおり「お姉ちゃん」と呼んでいる。姉が私のことをスールにしたいと思っているのはそれも理由の一つだった。要は姉は私に肩書きで呼ばれるのが好きではないのだ。スールになれば学校では姉のことを「お姉さま」と呼ぶようになるから。
 そして、それは私が姉とスールになりたくない最大の理由でもある。だって、なにが悲しくて実の姉を“さま”付けで呼ばなくてはいけないのか。そういう点では、“白薔薇さま”は口に出す時は“ロサ・ギガンティア”と“さま”を付けなくていいので、私にとって大変都合のいい呼び名だった。
「それはわがままだと思うわ」
 幼子をあやすように言う志摩子さま。それに対して姉は頬をふくらませて抗議した。
「私は1年前から祐巳のためにロザリオを用意してるんだから」
 姉の言葉に、私は姉がいつもつけているロザリオとは別のロザリオを手にしながらニヤニヤしていたことを思いだした。たぶんそうだろうなとは思っていたけれど、やっぱりあれは私に渡すために買っていたのか。
「私もこの前、祐巳ちゃんに似合いそうなロザリオを買ったのよ」
 今度首にかけてあげるわね、と志摩子さまは私に向かって優しく微笑んだ。私は隣に姉がいることを忘れて、思わず「はい」と言ってしまいそうだった。いや、このあと姉が何も言わないままで、そのまま私が姉の存在を忘れていたらきっとそう答えていただろう。志摩子さまの言葉の意味するところを理解できていなかったのもあるけれど、要はそれだけ志摩子さまの笑みに私は魅了されてしまっていたのだ。
「ちょっと待った! 私のロザリオの方が絶対祐巳に似合うんだから!」
 志摩子さまを私の視界から遮るように、姉が私と志摩子さまの間に入り込んでくる。それに驚いて、思わず私は後ろに体をそらし、そのまま倒れないように両手を床について支えた。二人の顔は見えないけれど、姉と志摩子さまは向い合って火花を散らしているようだった。
 なんだか目の前で信じられないことが起こっている。まさかリリアンのアイドル二人が私をとりあっているなんて!
 ああ、でも、学校では志摩子さまのモノで、家ではお姉ちゃんのモノというのもいいかもしれない。きっと学校では私とお姉ちゃんとの仲に嫉妬したお姉さまとイチャイチャして、家ではそれを見ていて嫉妬したお姉ちゃんにあれこれされちゃうのだ――なんてことを考えてしまいそうだ。
 微笑む志摩子さまとそれを睨む姉。顔を赤くして妄想に耽る私。
 テーブルの上には、先ほど志摩子さまが置いたカードの上に、それと同じ色の数字のカードが2枚置かれていた。

 これがこの前の休日に起こったことであり、現在、私の頭を悩ましている問題である。
 そう、私は実の姉である白薔薇さまとその親友である紅薔薇のつぼみの両方からスールの申し込みを受けているのである。



「ごきげんよう、乃梨子、祐巳ちゃん」
 後ろからの声に振り返ると、そこには志摩子さまがいらっしゃった。私達に追いつくために早足だったのか、少し息が荒い気がした。それでも志摩子さまからはふわりと優しく余裕のある雰囲気が漂っていた。姉もそうだけれど、こういうところはさすが薔薇の館の住人だと感心してしまう。私もどちらかの妹になったらこういう風になれるのだろうか。残念ながらそんな姿はなかなか想像できないけれど。
「ごきげんよう、志摩子」
「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」
 姉のことを学園内では“白薔薇さま”と呼んでいるように、志摩子さまのことも学園では“紅薔薇のつぼみ”と呼ぶようにしていた。先週までは特に意識していなかったけれど、今の状態で志摩子さまのことだけ名前で呼ぶのは不公平だと思うから。そのことを志摩子さまに伝えた時、とても寂しそうな顔をされて心が痛んだけれど、私なりのけじめだからと納得してもらった。その時隣にいた姉には「なら、私のことを“乃梨子さま”と呼べばいいじゃない」と言われたけれど、それは一蹴しておいた。
 私を挟むように、志摩子さまが姉と反対側に来て並ぶ。そうしてそのまま三人で、昨日観たテレビの話題などを話しながら歩いて行く。といっても、主に会話をしているのは姉と志摩子さまで、私は時折振られる質問に答えを返すくらいだけれど。
 先ほどまでの時間は嫌いだったけれど、だからと言って私は今の時間が好きなわけでは決してなかった。
 姉と二人の時とは違って、白薔薇さまと紅薔薇のつぼみの二人のアイドルが並んでいるのにも関わらず、挨拶をしてくる生徒はいない。それだけ私達は声をかけにくい雰囲気なのだろう。二人の間に挟まれている私にはわからないけれど、きっと外からは市松人形と仏蘭西人形がタヌキのぬいぐるみを取り合っているように見えるはず――というのは私の妄想にすぎないだろうけど。二人の間で会話を聞いている分には今までどおり仲のいい親友という感じで、私を取り合っているのは私の空想にすぎないのではないかと思ってしまうほどだった。
 おそらく二人共私に気を使ってくれているんだろうとは思う。どちらを選んでも私の心が痛まないように。わだかまりなんて残らないからと私を安心させようとしているのだと。それに甘えているにはわかっているけれど、私はなかなか決めることが出来なかった。私一人では決められない。でも、お姉ちゃんと志摩子さまはあれ以来このことに関しては何も言ってこないし、してこない。
 だから私は一人で悩むことをやめることにしたのである。



「そうやって、相手の気持ちも考えるのはユミのいいところだけどね」
 いつもならそろそろ寝ようかという時間になった夜中。私は姉が自室に入ったのを確認してからこっそり自分の部屋を抜けだして、リビングでこの家の家主である菫子さんに相談に乗ってもらっていた。
 そして、今までの状況を説明した上で、菫子さんにどうしたらいいかを聞いたところ、菫子さんの口から出たのがこの言葉だった。
 確かに私が相談に乗ってもらっている立場ではあるけれど。だからと言って、私は菫子さんに感想を聞きたいわけではないのだ。
「なにそれ」
 私は口を尖らせて抗議した。
「だって、ユミはリコのことを“お姉さま”って呼びたくないんでしょう? だったら、答えは一つしかないじゃない」
 何で当たり前のことをいわなければいけないのかと、菫子さんは肩をすくめた。確かに菫子さんのいう通りだけれど、その上で相談をしているということも考慮に入れて欲しかった。
「それはそうかもしれないけど。でも――」
 言いよどむ私。だって、自分にとっては大事な理由だけれど、菫子さんからしたら、なにそれ? というようなことだったから。
「でも?」
 菫子さんが私の葛藤を無視して続きを促してきた。相談を持ちかけたのは私だけれど、そこは大人の余裕というやつで、うまいこと掴みとって欲しかったと思うのはわがままだろうか。
 すがるように菫子さんを見ると、菫子さんの目が相談に乗ってあげているんだから言いなさい、と容赦なくせっついてきた。
「……私がお姉ちゃんを“お姉さま”と呼びたくないのは私のわがまま。お姉ちゃんが私に“お姉さま”と呼ばせたいのはお姉ちゃんのわがまま。これであいこだから、それを理由にはしたくないの」
 言ってやったとばかりに、私は目の前に置いてあったカップを口元に運び、ぬるくなったミルクを飲んで一息つけた。
「そう」
 菫子さんも黒く苦いままの液体が入ったカップを持ち上げてから続けて言った。
「ユミがそうしたいのなら、それでいいんじゃないの」
 肩をすくめて、カップに入っているコーヒーを飲む菫子さん。私はてっきりバカにされると思っていたので、拍子抜けした気分だった。
 そのまま二人してカップを持ったまま黙りこむ。時計の針が進む音が耳に聞こえた。
 なにか言ったほうがいいのかなと私が考えていると、菫子さんがカップをテーブルに置いて口を開いた。
「……さっき言ってたけど、本当にどっちの方とスールになりたいとかないの?」
 菫子さんの問いに、私はコクンと頷いて答えた。
「生まれた時から見知っている実の姉と、少し前に知りあったその姉の親友。まったく同じなんてことはないでしょうに」
 まだ言ってないことがあるのならさっさと言いなさいと、また目で要求してくる菫子さん。そりゃあ、まったく同じなわけはないけれど、それを決められなくて相談してるってことを理解して欲しかった。
 このまま黙っていても話が進まないことはわかっていたので、私は観念して菫子さんに打ち明けた。
「どっちが好きかと言われたらお姉ちゃん。でも、志摩子さまとスールになったからといって、お姉ちゃんが私のお姉ちゃんでなくなるわけじゃないから。お姉ちゃんとスールになる分と志摩子さまとスールになって志摩子さまと親しくなれる分が同じくらい。私以外の人がお姉ちゃんのことをお姉さまと呼ぶのと、学校でお姉ちゃんが鬱陶しい分が同じくらい。よく知っているお姉ちゃんとスールになる安心感と志摩子さまとスールになる期待感が同じくらい。こうやって足し引きしていくと同じになるの」
 私だって一人で考えるだけ考えたのだ。こうやってメリット、デメリットを書きだしていくだけで腕が筋肉痛になりそうなくらいだったのだから。
「……なんだかんだ言って、ユミも十分シスコンよね」
 呆れたとばかりにため息をつく菫子さん。
「ふんだ」
 頬をふくらませて、私は顔を横に向けた。だから言いたくなかったのに。
「すねない、すねない。しかし、3年前だったら考えられないわね。あの頃だったら、リコのスールになるなんて選択肢はなかったでしょうに」
 それは確かにそうだった。私はお姉ちゃんと離れたくてリリアンを受験したのだから。出来すぎる姉と比較されないように、姉を知る人がいない学校へ。私にいいところを見せようとして、私の劣等感を煽る姉から逃げ出すために。
「昔のことは言わないでよ」
 でも、それも過去のことだ。今では自分は自分なのだと。自分にもいいところはあるし、姉にも悪いところがあるということをようやく理解できたから。それは当たり前のことだったけれども、私にとってはそれがわかっただけでも、あの時リリアンを受験することを決めた自分を褒めたいくらいだった。
 でも、昔のカッコ悪かったころのことを指摘されて平気なほど、私は大人にはなっていないのだった。
「私にとってはそれほど昔のことじゃないわよ。それじゃあ、他の人はどうなの?」
 このままだと埒があかないと思ったのか、それとも謝罪のつもりなのか、菫子さんはようやく助言らしいことを口にしてくれた。しかし、私は菫子さんの言葉の意味がわからなかったので聞き返した。
「他って?」
 私が聞き返すことを予想していたのか、菫子さんはすぐに答えた。
「ノリ以外の人のことを考えてみたらってこと」
 私は思わず顔をしかめた。私がさっきお姉ちゃんと志摩子さんのことをあれだけ言ったのに、聞いていなかったのかと思ったのだ。
「志摩子さまのことは考えたよ」
 何で今更言わなければいけないのかと、不満を込めて私は返した。
「じゃあ、さらに他の人。ユミがリコと志摩子ちゃんのどっちを選んでも、三人の内の誰かが不幸になるとかそういったことにはならないわよ。だったら、その三人以外の人のことを考えて選んでもいいんじゃないってこと」
 私は目をぱちくりさせた。だって、私とお姉ちゃんと志摩子さん以外に当事者はいないのだから。
「三人以外って?」
 私が聞き返すと、菫子さんは口をニヤリとさせて答えた。
「ユミが選ばなかった方は妹を作らないってわけじゃないんでしょう?」

 これが昨日の夜の出来事である。このあとは、菫子さんに「明日も学校に行くんだから、歯を磨いて今日はもう寝なさい。ユミのカップは片付けといてあげるから」と言われたので、お言葉に甘えてカップをそのままにして、洗面所に寄ってから自分の部屋の布団に潜り込んだ。
 そして今日になったのだった。



 まずいと思いつつも、授業中は悩み事に気を取られて先生の説明が半分も頭に入ってこなかった。そんな授業も終わって、まだまだ慣れない部屋の掃除も終わった放課後。ミルクホールでパックの飲料を二つ買ってから、私は中等部からの親友と二人っきりで教室にいた。
「こうやって、放課後に二人で話をするのも久しぶりですわね」
 コーヒー飲料と書かれたパックを手に持った親友が昔を思い出すように呟いた。
 左右に結わえた髪の毛をクルクルと巻いた髪型をした彼女の名前は松平瞳子さん。外部からの転入生で知り合いもなく、リリアン女学園のしきたりも全然わからなくて右往左往していた私に声をかけてくれたのをきっかけに仲良くなったリリアンに来て初めての友達。瞳子さんいわく、私はなんだか放っておけない感じがするらしく、ちょくちょくリリアンに不慣れな私の世話を焼いてくれた。私の方でも、お嬢様で一人っ子、自分で思っているよりも世間知らずでちょっとわがままだった瞳子さんにあれこれ教えたり、ちょっかいをだしたりするのが楽しくて、休日にはよく街中に連れ回していた。そして三年間ずっと同じクラスだったこともあり、いつの間にか学園の内でも外でも私とセットでいるようになっていて、今では自他共に認める親友コンビである。
 ちなみに、今私がしているリボンは瞳子さんがプレゼントしてくれたもので、今瞳子さんがしているリボンは私がプレゼントしているものだったりする。せっかくだから一度くらい髪型も同じにしてみても面白いのにと私は思うのだけれど、瞳子さんは縦ロールにこだわりがあるらしくてほとんど毎日縦ロール。たまに髪を下ろすことがあることくらい。一方、私のほうは朝の忙しい時間に髪を縦ロールにするだなんて余裕はないわけで。その願いが叶えられたことは残念ながらまだないのだった。
「えへへ、そうだね」
 中等部に入ってしばらくたったあと。特に決まった周期があったわけではないけれど、ちょくちょく今日のように二人で教室に残っていろいろと話しをしていた。話の内容はほとんどが私の悩み事だったけれど、たまに瞳子さんの悩みを聞くこともあった。そうやって瞳子さんに愚痴を聞いてもらって、励ましてもらうことで私は自分に自信が持てるようになったし、姉とのこともいい方に考えられるようになった。そのことはいくら感謝してもしきれないくらい。そして、そこまではいかなくても、たぶん瞳子さんも同じように思ってくれていると思う。
「それにしても、今回は遅かったですわね」
 少し拗ねたような目でこちらを見る瞳子さん。その目は暗にもっと早く相談してくれてもよかったのにと言っていた。
「えーと……ちょっと言い難かったから」
 私と姉とのことだけだったらもっと早く相談しただろう。でも、今回は志摩子さまも関わってくるのだ。それで相談するのが遅れたのだけれど、それを口にするのはちょっとためらわれた。もちろん言わなければ相談することも出来ないわけだけど。
「別に紅薔薇のつぼみのことだからといって、遠慮なんてしなくていいですのに」
 まったく、と少し寂しそうに瞳子さんは言った。
「……知ってたの?」
 私の姉と瞳子さんは私をきっかけにして会ったことがある。お互い気があったようで仲よさそうに話すこともあったようだけれど、姉がこのことを瞳子さんに話すとは思えなかった。また、志摩子さまと瞳子さんは会ったことはあるかもしれないけれど、そう言ったことを話す仲ではないはずだった。志摩子さまのお姉さまなら知っていてもおかしくないけれど――。
「祐巳さんではないんですから、うわさ話程度には聞いてますわ。それに、あんな風に両手に花で登校していれば予想はつきますし」
 瞳子さんは肩をすくめて言った。
「両手に花って……そんないいもんじゃないよ」
 朝のことを思い出して、私は首を横に振った。確かに両手に花かもしれないけれど、あれは素手でトゲのある薔薇を持っているようなものだと思う。
 確かに言われてみればうわさ話になっていてもおかしくない。むしろクラスメイトに聞かれることがなかったのが不思議なのかもしれない。そこまで考えて、私はあることに気がついた。
「もしかして、誰か瞳子さんに聞いてきた?」
 姉を除けば私に一番近いのは瞳子さん。それは周りもわかってる。そして、私に聞いてこなかったといって瞳子さんに聞いてこないということにはならないのだ。
「ええ。祐巳さんは負のオーラが出ていて聞きにくかったみたいですから」
 さらりと瞳子さんが言った。こういうところで気を使わなくていいのが親友なのだろうけど、それならそれで、その時に言っておいて欲しかったと思う。
「負のオーラって……」
 自分ではそんなものを出している意識はなかったのだけれど。
「負のオーラは言い過ぎかもしれないですけど、明らかに普段の祐巳さんとは違いましたから。それで、その悩み事は話してくださるんですか?」
 瞳子さんの言葉に少しトゲがある気がするのは気のせいではないだろう。瞳子さんが少し短気だというのもあるだろうけど、これはむしろ私が相談にくるのが遅かったことへの不満だろう。
「もちろん。瞳子さんを頼りにしてますから。えーと、始まりはこの前の休みの日だったんだけど――」
 私は手に持っていたジュースの入ったパック飲料を机に置いて、瞳子さんに今までのことを説明した。

「――というわけなんだけど」
 一気に話して喉が疲れた。でも、心の中のもやもやはだいぶ少なくなった気がする。昨日の夜、菫子さんにも同じように悩みを打ち明けたはずだけど、あの時よりも心が軽くなったと感じた。
「なるほど。随分と羨ましい状況になっていますわね」
 羨ましいと言われた時点で顔に出ていたのだろう。私が口を開こうとした瞬間、それを制するように瞳子さんが言葉を続けた。
「――私は代わりたいとは思いませんけど」
 自分の思った通りに私をからかえたのが面白かったのか、開こうとした口を閉じたまま頬をふくらませる私の顔が面白かったのか。どちらが理由かはわからないけれど瞳子さんはクスっと笑った。
「これで黄薔薇のつぼみからもスールの申し込みがあれば、めでたくビンゴですわね」
 自分の言ったことが面白かったのか、一人悦に入る瞳子さん。
 私はちっともめでたくないのに。
「そうなったら、もうリリアンに通えないよ、私」
 現状でも白薔薇さまと紅薔薇のつぼみのどちらかを振らなければいけないのに、もしそれが二人になったとしたら、私は薔薇さまのファンにどうにかされてしまうのではないだろうか。
「あら、それは困りますわね。私の理想の学園生活が実現しなくなってしまいますわ」
 ピタっと笑うのを止めて、瞳子さんは真面目な顔をして言った。
「じゃあ、相談にのってよ」
 瞳子さんの理想というのも気になったけれど、今はそれよりも自分の悩み事が大事なので、姉に甘えるように――といっても、姉に甘えることはほとんどないけれど――瞳子さんに訴えた。
「と言われましても、決めるのは私ではなくて祐巳さんではありませんか」
 正論で返された。確かにその通りなのだけれど、私が欲しいのはそれじゃないのだ。
「それはそうだけどさ。瞳子さんだったらどうするかとか、色々あるでしょう?」
 私と代わりたいとは思わないと言ったということは、もし瞳子さんが私の立場だったらと考えたのに違いない。そうでなかったらきっと瞳子さんは「私でしたら迷わず紅薔薇のつぼみを選びますのに」とか言ったと思う。
 期待に満ちた目で瞳子さんを見つめる。瞳子さんは手を口に当てて考える素振りをしたあと、何か信じられないものを見たかのように目を見開いた。
「……もしかして、祐巳さん。私に遠慮しているんですか?」
「え?」
 瞳子さんが質問をしたすぐ後に、戸惑いの声が教室内に響く。
 それが自分の声だということに、私は少し経ってから気がついた。といっても、瞳子さんの言ったことが理解できなかったからなのか、それとも的を射られて驚いたからなのか、それは自分でもわからなかったけど。
「やっぱりそうですのね!?」
 ただ、どうやら瞳子さんは後者の意味で捉えたようだった。
「えっと……えっ、あれ?」
 頭の中は混乱して、口は相変わらず戸惑った声を出す。とりあえず私はこれ以上声が出るのを止めようと、両手で口を塞いだ。
 その行為が癪にさわったのか、瞳子さんは両手を振り下ろして叫んだ。
「ああ、もう! なんなんですかそれは!? 私のことなんか気にせずに選べばいいではないですか! 別に私は祐巳さんが志摩子さまのロザリオを受け取ったからと言って、裏切られたとか、絶交だとかそんなこと思いませんわよ!」
 自分の頭の中がカーっと熱くなるのがわかった。
 気にせずに選べばいい? そんなこと思わない?
「だって、去年まであんなに『祥子お姉さまのロザリオをいただくんですわ』って言ってたじゃない!」
 瞳子さんと現・紅薔薇さまの小笠原祥子さまは親戚同士。以前からよく親戚の集まりなどで会っていたらしく、小さい頃から瞳子さんが祥子さまに憧れていたと、瞳子さん自身が言っていた。そして、祥子さまが紅薔薇のつぼみの妹になる前から、高等部に入ったら絶対に祥子さまのスールにしてもらうのだと、瞳子さんから何度聞いたことか。それに去年、志摩子さまが祥子さまからロザリオを受け取った聞いて落ち込んでいた瞳子さんを慰めたことも忘れてない。
「過去は過去ですわ。それにだいぶ前から言わなくなったではありませんか!」
 そうだっけ? と私は思わず首をかしげた。確かにここ最近は聞いていなかった気はするけれど。
 こちらを睨んでいる瞳子さんがまた口を開きそうだったので、負けじと私も言い返す。
「だからってわからないよ、言ってくれなきゃ!」
 言わなくなったからといって、そう思わなくなったということにはならないはずだから。
 言葉にしなければ伝わらない。
 でもそれは私にも言えることだと、口にしてから気がついた。そして瞳子さんも当然それに気がついたのだった。
「それを祐巳さんに言われたくありませんわね! なんですか、「実の姉を“お姉さま”と呼びたくない」だなんて。最近は自分と乃梨子さまを比較するようなこともなくなりましたし、てっきり乃梨子さまとスールになると思っていましたのに!」
 瞳子さんが叫んだ。そして、それを聞いた私も、叫んだ瞳子さんも気がついた。その姿と言葉がさっきの私と重なることに。
 そのままお互いに目を合わせないで固まる。このままではしょうがないと、私は意を決して口を開いた。
「……瞳子さんはそれを気にしてたの?」
 さっきまでの勢いはどこへやら。瞳子さんは私の問に答えないで、顔をそらして黙り込んだ。
 お互いに考えて。悩んで。思って。言えなくて。
 まわりから見れば、どんなに馬鹿なことをやっているように見えたのだろうか?
 志摩子さまにも、お姉ちゃんにも悪いけれど、結局一番気にしているのは目の前の親友だったらしい。
 ふと、もしかしたら姉が積極的にスールになれと言ってこなかったのも、同じ理由だったのかもしれないと思いついた。似てないといっても結局は血の繋がった姉妹。お互いに考えることは結構同じだったりするのだ。
「……ねえ、さっき言ってた瞳子さんの理想ってなに?」
 答えはわかっていたけれど、言葉で聞きたくて先程の瞳子さんの発言を盾にして尋ねた。
「……祐巳さんから言ってください」
 ゆっくりとこちらに顔を向けながら、瞳子さんは小さい声で呟いた。
 確かに今回は私の悩みの相談だったのだから、私から言うのが正しい。
 先に言う方が緊張するけれど、瞳子さんが言った後に失敗するよりはマシだと自分に思い込ませる。
「と……瞳子と……」
 言葉が途切れる。
 これじゃダメだ。自分に自身の持てなかったあの頃と同じじゃないか。
 頑張れ、私! 夢の学園生活を頭に思い浮かべて気合を入れる。
 目を閉じて、すぅーと息を吸う。目を開いて瞳子の顔を見るのと同時に一気に叫んだ。
「……薔薇の館でも瞳子と一緒にいたいの!」
 私の声が教室内に響く。
 同じ教室で授業を受けて、一緒にお昼ごはんを食べて。部活動は流石に無理だけれど、休み時間には瞳子の劇の練習に付き合ったり。そして演劇部が休みの時は、一緒にお姉さま方にお茶を入れて、並んで書類仕事をしたりしたい。もちろん、そこにはお姉さまとお姉ちゃん、黄薔薇さまとその妹がいらっしゃって。
 それが私の夢の学園生活。いや、もう夢じゃない。少し先の学園生活だ。
「私も祐巳と同じ気持ちですわ」
 にっこりと笑って答える瞳子さん。いや、瞳子。
 私があんなに気合を入れなければ言えなかったことをさらっと言えるのはずるいと思う。でも、それよりも呼び捨てで呼ばれたことが嬉しかった。
「これからもよろしくね、瞳子」
 今度は瞳子の顔をちゃんと見ながら言った。
 よく見ると瞳子の顔がうっすらと赤くなっているのがわかった。どうやら私が思ったよりも、簡単に言ったわけではなかったらしい。
 平常心を装う瞳子の姿がおかしくて、私はクスリと笑う。それを見て心の内がバレたのがわかったのか、更に顔を赤くして瞳子は顔を横に背けた。

 魅力的なお姉さまに、わだかまりがなくなったお姉ちゃん。そして互いの距離が縮まった親友。
 これからの学園生活、悩むことも多いだろうけど間違いなく楽しいものになる。
 恥ずかしそうに顔を背けている瞳子を見つめながら、そう私は思った。


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