【4】 白薔薇のつぼみ志摩子に悶え死に  (柊雅史 2005-06-06 22:39:38)


白薔薇のつぼみこと二条乃梨子といえば、冷静沈着、クールで大人。学年では一つ後輩にも関わらず、他のつぼみ二人よりよっぽどしっかりもの、とまで言われるくらいである。

「乃梨子ちゃんは可愛くない」
いきなりぷんすかと怒りながら言い出したのは、由乃さんだった。
「ちょっとからかって遊ぼうと思ったのに、一言『楽しそうですね、由乃さまは』だって。甲斐がないのにも程がある」
「それは私も常々思っておりましたわ」
由乃さんの主張に同意したのは、今日も頭のドリルがぶるんと凛々しい瞳子ちゃんだった。
「乃梨子さんも時々優しいのですけど、基本的に瞳子に対して厳しくて冷たいのです。あの視線に瞳子のガラスのハートは毎日砕け散りそうですわ」
溜息を吐く瞳子ちゃんの演技は些かわざとらしかった。
「そうよね! さすが、瞳子ちゃんは話が分かるわ!」
由乃さんがわざとらしく瞳子ちゃんの手を取って、こちらに視線を向けてきた。
「祐巳さん。祐巳さんもそう思うでしょう? 思うわよね?」
由乃さんのセリフは質問のようで質問ではなかった。ここで祐巳が首を振ろうものならば、きっと由乃さんと瞳子ちゃんの矛先はこちらに向く。乃梨子ちゃんがどうのこうの言っているけれど、要は由乃さんは暇なのだ。今回、由乃さんの暇つぶしの矛先が乃梨子ちゃんに向いた。それは祐巳にとって歓迎すべきことであって、拒む理由はない。
「……それで。由乃さんに何かいい案があるの?」
問いかけた祐巳に、由乃さんはにやりと笑い、その場に同席した最後の一人に視線を向けた。
「もちろん。乃梨子ちゃんにとって唯一のウィークポイントは志摩子さんよ。志摩子さんにご協力いただくわ」
「え、私?」
平和にずずず〜とお茶を楽しんでいた志摩子さんが目を瞬く。
志摩子さんの目の前でこんな話をする由乃さんも由乃さんなら、そんな話を聞きながらぽけぽけと笑ってお茶を飲む志摩子さんも志摩子さんだ。
こんなんで来年の山百合会は大丈夫なのか、と思わなくもない。
「私に出来ることなら何でもやるけど……私に何が出来るのかしら?」
おいおい、それで良いのか志摩子さん。
祐巳が思わずつっこんだ志摩子さんの返答に、由乃さんは満足げに頷いた。
「もちろん。これは志摩子さんにしか出来ないことよ!」


乃梨子は足早に薔薇の館へ向かっていた。
なんとなく普段よりも足取りが軽いのは気のせいでもなんでもない。放課後、薔薇の館に向かうことは、イコール志摩子さんに会いに行くことであって、乃梨子にとっては一日の最大最高のイベントなのだ。
先日、由乃さまには乃梨子ちゃんはつまらない、なんて評価を頂いてしまったが、乃梨子は自分がそこまでクールで大人だとは思わない。むしろ祐巳さまの方がよっぽど大人だと思っている。志摩子さんのこととなると我を忘れる乃梨子としては、ああも上手に瞳子を扱っている祐巳さまは凄いと思うのだ。
まぁ、何はともあれ今は志摩子さんだ。薔薇の館の古びた階段をぎしぎしと登り、乃梨子はビスケット扉を開けた。
「ごきげんよう」
「あ、乃梨子!」
「志摩子さん、ごきげ……!?」
乃梨子の挨拶に返って来た声に、ぱっと顔を輝かせた乃梨子は、そこでギシッと動きをとめた。
ぽかん、と口を開けてその人を見る。
にこにこぽわぽわと笑っているのは、乃梨子にとって誰よりも大切な志摩子さんだ。今日も今日とて、見ているだけで幸せになれる優しい笑顔を湛えている。湛えているのだが――今日の志摩子さんは、乃梨子の知る志摩子さんではなかった。
だって普段の志摩子さんは、うさ耳なんて装着していないはずだ。
「え……と? 志摩子さん、それは、ナニ?」
「え、ナニが?」
ひょこ、と志摩子さんが首を傾げると、装着されたうさ耳がピコピコ揺れた。
乃梨子は思わず「うっ」とうめいて顔を抑える。
「? 乃梨子、どうしたの?」
「だ、大丈夫。大丈夫だから……」
やばい、鼻血出そうだと思いつつ、乃梨子は志摩子さんから顔を背けた。
これは、なんだ? いや、分かってる。乃梨子はもう分かってる。どうせこんなことを仕掛けてくるのは由乃さまか瞳子に違いない。乃梨子をからかっているのだろう。
「乃梨子、本当に大丈夫なの?」
「平気だから、ホント……」
心配そうにおろおろする志摩子さんに乃梨子の胸がちょっと痛む。痛むのだけど、今はちょっと志摩子さんを正視することが出来なかった。どうせどこかから、由乃さまと瞳子と、二人に押し切られた祐巳さまが観察しているはずなのだから。
「乃梨子……私が近づくのが、イヤなの……?」
「そ、そんなこと……!」
元気のない志摩子さんの発言に乃梨子は顔を上げ――そして、見てしまった。
しょんぼりする志摩子さんに合わせて、しゅんと項垂れるうさ耳を。
なぜ、うさ耳がそんな風に動くのだ、とか。
これは完璧、由乃さまと瞳子の悪戯に違いない、とか。
なんかもう、そんなことはどうでも良いって思えるような、そんな光景だった。


「おお、追い詰められてる追い詰められてる」
給湯室から執務室を窺って、由乃さんがくぷぷ、と笑っている。
一体どうして由乃さんはあんなうさ耳を持っていたのか、とか。
なんで志摩子さんはあんなにあっさり装着したんだろう、とか。
案外、瞳子ちゃんにも似合うかな〜、とか。
なんかもう、そんなことはどうでも良いや、と思えるような、そんな惨状である。
(――いや、最後の一つはどうでも良くないゾ)
由乃さんと並んで様子を窺っている瞳子ちゃんを見て思ったりする。
「そこですわ、志摩子さま! もう一押しですわ!」
ぐっと拳を握る瞳子ちゃん。後で由乃さんに借りようと思いつつ、祐巳は座り込んでいる瞳子ちゃんの上から、執務室の修羅場を観察した。
乃梨子ちゃんは顔の下半分を押さえつつ、硬直している。いや、よく見ると小刻みに震えてるっぽい。
物凄く葛藤しているんだろうな、と同情する。聡明な乃梨子ちゃんのこと、既にこれが由乃さんの仕掛けた罠だと見破っているに違いない。
由乃さんの手には、決定的瞬間を捉えるためのインスタントカメラが握られている。乃梨子ちゃんが思わず志摩子さんに抱きつくシーンを激写しようという腹積もりらしい。
乃梨子ちゃんの理性VS由乃さんの陰謀。
今のところ、乃梨子ちゃんはかなり頑張ってると思う。
「ふふふ……中々粘るわね、さすがは乃梨子ちゃん。でも、あのうさ耳は令ちゃん特製。とんでもない機能がついているのよ!」
由乃さんが何かスイッチを取り出す。
「その名も『たれ耳モード』!」
「そ、それは凶悪ですわね!」
盛り上がる由乃さんと瞳子ちゃんに、祐巳はちょっと溜息を吐いた。
「凶悪なまでのその破壊力、見せてあげるわ!」
由乃さんがブロックサインを送ると、志摩子さんが乃梨子ちゃんに近づいた。だからなんで志摩子さん、そんなに乗り気なんだろう?
志摩子さんが乃梨子ちゃんに近づいて声を掛けたところで、由乃さんは手にしたスイッチを押した。
その瞬間、へなっと志摩子さんに装着されたうさ耳が垂れる。
「うわー……」
祐巳は思わず目眩を覚える。なんだこの、無駄なくらいの高性能。
乃梨子ちゃんはしばし志摩子さんを凝視すると、なんか泣きそうな表情になり――
「「あ。死んだ」」
ぐったりと、その場に沈み込んだ。


白薔薇のつぼみこと二条乃梨子ちゃんといえば、冷静沈着、クールで大人。学年では一つ後輩にも関わらず、他のつぼみ二人よりよっぽどしっかりもの、とまで言われるくらいである。
だが今日から、その後にこう付け加えられるだろう。
『だが、うさ耳志摩子さんに悶え死にしたという側面も持つ』
祐巳としては一気に乃梨子ちゃんを身近に感じられるようになったわけだけど、どうやらそんな評価は乃梨子ちゃんにとって屈辱以外の何物でもなかったようだ。
薔薇の館のビスケット扉を開けたところで、祐巳は硬直しつつ、あの時由乃さんたちを止めなかったことをちょっと後悔した。
「ご、ごきげんよう……」
真っ赤になって挨拶をする瞳子ちゃんの頭には、なぜか猫耳が装着されていて――


明日には、祐巳も乃梨子ちゃんの仲間入りをするのは確実だと思われた。


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