【420】 傘は1本  (琴吹 邑 2005-08-26 18:39:47)


琴吹が書いた【No:418】「ファーストコンタクト」の続きになります。 

 改札を離れ、ゆっくりと近くの、ファミレスに向かう。
 天気予報では夜から降ると言っていた割には、空はどんよりと曇っている。
 念のために折りたたみを鞄に入れてあるけれど、降らないといいなと思う。
 雨降りの移動は大変だから。せっかくのワンピースが汚れるのも悲しい。
 空を見た後、祐麒さんをこっそりと見る。
 相手との距離はつかず離れずの距離だ。
 この距離は、志摩子さんが何か考え事をしているときに取る距離。
 近くもなく遠くもない距離だ。
 それは、相手の邪魔にならない距離で、邪魔にならない範囲で一番近い距離。
 その距離で、正しいと認識しているはずなのに、もう少し、近づきたいと思っている自分がいる。
 理解できない。いや、理解したくない、不思議な感覚。それがいやでないことも事実だ。

 そうこうしているうちに、ファミレスに着いた。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「えっと、二人でいいんだよね?」
 その言葉に首をかしげる。今、私この場には二人しかいないはずなのに。
「ええ」
「じゃあ二名で」
「おタバコはお吸いになりますか?」
「いえ」
 そんなやりとりの後、私たちは奥の壁際の席に通された。

 席に着くとすぐにウエイトレスがお冷やをテーブルに置きに来た。
 「ご注文は、ございますか?」
 お冷やを置いたウエイトレスがそう聞いてきたので、私はアイスティーを祐麒さんはホットコーヒーを注文した。
 
 ウエイトレスが戻るとしばし、テーブルに沈黙が訪れる。
 私は冷やに口をつけると、その沈黙を破るように先ほどの疑問を口にした。
「入るときに何で、2名って確認したんですか?」
「藤堂さんが後から来るのかなって思ったから。白薔薇姉妹は黄薔薇には負けるけどものすごく仲がいいって祐巳が言ってたからね」
 なるほど、来るかもしれない志摩子さんに気を遣ってくれたわけだ。この場にいない人に気を遣うのはなかなかできる事じゃないと思う。
 薔薇の館の住人が、そういうことを無意識にやるとしても、ほぼ完全な部外者の祐麒さんには意識してやらないと無理だろう。
 私はその行動に少し感心した。だてに花寺で癖のある生徒会役員たちをまとめている訳じゃないんだなと思った。
 だから、私は心のメモ帳に、「福沢祐麒 −2」と書き込んだ。
 願わくば、今日別れる前までにこのポイントがプラスになっていればいいと思いつつ。
「そうでしたか。でも、今日は私だけなんです。あそこに行くには、白薔薇さまは目立ちすぎてしまいますから」
「それはそうかもしれないけど、それは二条さんも同じだと思うよ」
「ええまあ、でも、何かあったときに志摩子さんを巻き込みたくないですし」
「なるほどね。結構うるさいんだって? 新聞部?」
「そうですね。でも、祥子さまたちの話を聞く限りでは、去年の方がもっとすごかったといってましたから、今年はさほどでもないのかもしれません。新聞部の真美さまと祐巳さまが同じクラスだとかで、多少融通を利かせてくれていると言うことです」
「へぇー」
 私がそういうと、祐麒さんが感心したように声を上げた。
「報道関係を抱え込んでるとは祐巳も意外とやるんだな。報道関係抱き込めば、いろいろ前段階で対処できるものな」
「祐巳さまにはそんな意図全くないと思いますが」
「まあ、そうだろうなあ」
 そういって、お互いにくすりと笑う。誰にでもとけ込んでしまうあの先輩は、この場にいなくても、場を和ませてしまうのだから、ある意味ものすごい才能だ。
 そんなことを思っていると、ウエイトレスがやってきて、注文したものを届けに来た。
 私の前にアイスティーが、祐麒さんの前にホットコーヒーが置かれる。
「ごゆっくりどうぞ」
 その言葉で、テーブルに再び沈黙が訪れる。
 お互いに距離感をはかりあっているという感じで微妙な緊張感が場に漂う。
「えっと」
 その沈黙を破ったのは、今度は祐麒さんの方だった。
「今日の予定だけど、10時20分のバスに乗って、向こうに行く予定だから」
 その言葉に時計を見ると10:10分を指していた。
「はい。楽しみです」
 その言葉は嘘じゃない。今回行く場所も目的の一つだ。私にとっては珍しく、それがメインじゃないのだけど。
「ずいぶん急だったよね? なんかあったの?」
「急にお願いしてすみませんでした。文化祭も終わりましたし、このままだとせっかく誘っていただいたのチャンスが無くなってしまうかもと思ったんです。まあ、結局は思い立ったが吉日なんですけど」
「なるほどねえ。今日二条さんが行きたいって言うことを伝えたら、すごい喜んでたよ。普段かわいい女の子なんか来ないからだと思うけど」
 何気なく言った祐麒さんの言葉にドキドキする。ちょっと顔がほてる。男の子からかわいいと言われるのにはなれていないから。
 でも、そんなそぶりは見せないように、アイスコーヒーをすすりながらぼんやりと思う。
 祐麒さんは間違いなく祐巳さまと姉弟なんだなとおもった。さらっと、人が赤面するようなことを自分では全然気づかずに言うのだから。
 メモ帳にさらに、−2を追加した。

 しばらく話を続けていると、時間になった。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
 その言葉にほっとする。先ほど祐麒さんが言った言葉が、ぐるぐる回り、舞い上がってるのがわかっていたから。
 受け答え自体は問題なくできているはずだから、相手には気がつかれていないだろうけど、正直、全然何をしゃべったか覚えていない。


 会計をすまして、外に出ると雨が降っていた。
 「まいったな。傘持ってきていないんだよな。天気予報夜まで降らないって言ってたのに」
 「降って来ちゃいましたね」
 そういいながら空を見る。それほど強くないが、傘を差さないで歩くと数分でぐっしょりになってしまう。そんな感じの雨。
 鞄の中にには折りたたみ。傘がないこともない。ただし1本。ここで傘を差し出せば、一本の傘に二人ではいることになる。
 バス停まではそれほど距離がある訳じゃない。走れば、それほどは濡れないだろう。
 どうしようか…………。
 私はしばらく悩んでから祐麒さんに声をかけた。

【No:424】へ続く


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