【422】 かわいい娘には眼鏡と麦わら帽子  (柊雅史 2005-08-27 04:07:51)


「うわー、すごい!」
車から下りた祐巳は目の前の光景に感嘆の声を上げると、真っ白なワンピースの裾をはためかせながら、緑の絨毯へと駆け出していった。
冬には雪に覆われるゲレンデは、夏になると草花が一面に咲き乱れ、とても綺麗な風景を見せてくれる。
スキーのメッカとして有名なこの地方の、夏だけに見られる秘密の風景。あまり人には知られていないこの風景が、祥子は好きだった。一面の緑、白や赤の花、ひらひらと舞っている白い蝶。
冬のゲレンデよりも、夏のこの風景の方がどんなにか美しいだろう。
その美しい風景を祐巳にも教えてあげたくて、祥子は苦手な車を出してもらって、祐巳を連れてきたのだが、祥子の意図は大いに成功したようだ。祐巳は輝くような笑顔で緑の絨毯の中を舞い、楽しそうな笑い声を上げている。
「――祐巳、こっちへいらっしゃい」
祐巳のことを目を細めて見ていた祥子は、用意しておいた麦わら帽子を手に車を出て、祐巳を手招いた。
この場所は高地にあるので、夏でもそれなりに涼しくて過ごしやすい。けれど夏の日差しは強いから、油断をしていると日射病にかかってしまう。
小走りに戻ってきた祐巳に、祥子は麦わら帽子を渡す。
「これを被っておきなさい。日射病になってしまうわよ?」
「はい、ありがとうございます」
祐巳が素直に頷いて帽子を被る。
「麦わら帽子なんて久しぶりです。――どうですか?」
麦わら帽子を頭に載せてつばを両手で支え、祐巳はくるりと一つ回って笑顔を向けた。
「――おぶっふぅ!!」
「お、お姉さま!?」
祐巳のあまりの可愛さに、思わずなにかよく分からないものを吹き出した祥子に、祐巳が驚いたように駆け寄ってくる。
「な、なんでもなくってよ、祐巳。とても似合っているわ。なんて言うのかしら、祐巳の素朴さと純情さがパワーアップして無敵のスターマリオって感じよ」
「すたーまりお……?」
僅かに首を傾げたものの、とりあえず誉められたことは分かったのだろう。祐巳が嬉しそうに微笑む。
「私、麦わら帽子って好きです。どことなく可愛らしいですよね」
「ええ、全くもってその通りだわ。不覚にもこれまではココまで破壊力のある代物だとは気付かなかったけれど。白いワンピースに、麦わら帽子。ポイントは帽子に結んだ白いリボンね。しかもあなた、くるっと回ってみせるなんて荒業をどこで習得したの? 危うく昇天するところだったわ……」
無邪気に笑う祐巳に対して、祥子は額に浮かんだ汗をふぅと拭った。
祐巳、恐ろしい子……なんて、ちょっと呟いてみる。
「お姉さま、この辺りに咲いてるのは、クローバーなんですね。――四葉のクローバーとか、あるかもしれませんよ?」
祐巳が帽子を被ったまま、地面を見ながらてくてくと歩いている。
それは一枚の絵画のような光景だった。
「――素晴らしいわ」
思わず祥子は呟く。
素晴らしい。本当に素晴らしい。祐巳+白のワンピース+麦わら帽子。最強のコンボだ。祥子の心にクリティカルである。
これ以上に素晴らしいコンボがこの世に存在するだろうか?
否――と首を振りかけ、祥子はちょっと待てよと首を振るのを止めた。
「眼鏡」
唐突に思い浮かんだその単語。祐巳+白のワンピース+麦わら帽子+眼鏡。
「ちょ、祐巳、そんな……」
想像した。想像しちゃった。眼鏡をちょこんとかけた祐巳が、麦わら帽子を被って手でつばを支えながら、くるって回っちゃう姿を。
凄い破壊力だった。
「祐巳! 祐巳! ちょっといらっしゃい!」
祥子は車に半身を突っ込んで目当ての物を探しながら、祐巳を呼んだ。
「お姉さま、どうかしましたか?」
夢中で四葉のクローバー探しをしていた祐巳が戻ってくる。
祥子はそんな祐巳に、はい、と眼鏡を渡した。
「これをかけておきなさい。えーと、ホラ、紫外線で赤外線で可視光線がビビビ電波だから」
「は……?」
にっこり微笑んだ祥子だが、祐巳はワケが分かりません、という表情になった。
「だから、夏の日差しよ、祐巳。太陽光線がこう、ね? 分かるでしょう?」
「は、はぁ……」
正直分かりません、と祐巳の表情が語っている。
「良いから、危ないからかけておきなさい」
「は、はい……」
何が危ないんだろう、って表情で、それでも祐巳は素直に眼鏡をかける。
確かに、危なかった。物凄く危なかった。主に祥子の心臓と理性が。
「えっと……どうですか?」
「そうね……さっきみたいに回ってくれるかしら?」
軽く首を傾げて聞いてくる祐巳に、祥子はリクエストする。
「回るんですか?」
不思議そうな顔をしながらも、祐巳が帽子のつばに手を添えながら、くるっと一つ回転する。
「――おぶうっ!」
「お、お姉さまぁ!?」
ばたり、とその場に崩れ落ちた祥子に祐巳が慌てて駆け寄ってくる。
そんな祐巳にぐっと親指を立てて、祥子は言った。
「よくってよ、祐巳!」


夏の草原にはこれしかない。
可愛い祐巳と眼鏡と麦わら帽子。
これでもう、祥子はごはん3杯は食べれる自信があった。


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