「乃梨子さん、見てくださいまし」
放課後の教室でそう言って瞳子が鞄から取り出したのは、今はやりの携帯音楽プレイヤーだった。
「へぇー、赤色のeyePodって初めて見た。新色が出たんだ」
瞳子からそれを受け取りしげしげと眺める乃梨子に、瞳子は誇らしげに応える。
「違いますわ。これは小笠原グループの一翼を担う、我が松平電機産業が総力を結集して開発した新しいプレイヤー、その名も『yPod』ですわ!」
「yPod? でもこれ、色以外はeyePodそのものじゃん」
「まあ確かに多少似ているようですが、同じものを求めて突き詰めていけば似てしまうのも必然でしょう。瞳子は気にしていませんわ」
「あんたは気にしなくても世間やJobsは気にすると思うけど」
「乃梨子さんたら、そんな細かいことはこの際どうでもいいですわ。それよりこれをご覧ください」
「いや、細かくないだろ」
ツッコむ乃梨子の手からyPodを取り上げると、瞳子は電源を入れて説明を始めた。
「まずこのオープニング画面。本家eyePodは愛想のないメニューですが、これはほら!」
「本家ってやっぱりバリバリに意識してるじゃん」
「いちいち茶々を入れないで見てください」
そう言われて乃梨子がディスプレイをのぞき込むと、そこには。
『ごきげんよう、瞳子ちゃん。来てくれてうれしいな。何が聞きたいのかな? それとも写真見る? 動画いってみる?』
にっこり微笑んだ祐巳さまが尋ねてくる。それを見て乃梨子はがっくりとくずおれた。
「……何これ?」
「素敵でしょう? これだけで消費者のハートを鷲掴みですわ!」
「それ無理。鷲掴みにされるの、瞳子だけだって」
「そんなことありませんわ。試しに瞳子とは全く相容れるところのない可南子さんに見せたら大絶賛してくれて、発売したら必ず買うっておっしゃってましたから」
「それリサーチする相手を間違ってるから」
「で、ミュージックを選択して、このプレイリストを選ぶと……」
「無視かよ」
『瞳子ちゃん、さっきもそれ聞いてたよね。また同じのいく?』
「OKっと」
『そうだよね。祐巳もこの曲大好き!』
「で、電源を落とす時はですね」
『瞳子ちゃん帰っちゃうの? 祐巳さびしいな。また来てくれるよね? 待ってるからね』
「祐巳さま……」
「おーい、瞳子ぉー。戻って来ーい」
「ハッ! と、こんな具合にナビゲート機能が付いているんですの」
うれしそうに語る瞳子の説明によると、どんな選択をしても祐巳さまが極上の笑顔で同意してくれるそうだ。確かにそれはうれしいかも知れない。祐巳さまを知る者にとっては、だが。
「これだけではありませんわ。リリアン女学園高等部の写真部と新聞部の協力により、yPodにはデフォルトで祐巳さまのお宝画像、お宝動画が満載なのです。でも瞳子の一番のお奨めは、西園寺の曾おばあさまのお誕生パーティでの「マリア様の心」独唱の動画、これにつきますわ。もうこれだけでごはん三杯はいけますわ!」
あきれ顔の乃梨子をよそに、その後も瞳子は目を輝かせて滔々と説明を続けてくれる。そして最後にこう言った。
「実はこれ、きのう祐巳さまに一台プレゼントしましたの。試作品で、どうせ廃棄するものだから遠慮なさらずにって言ったら喜んで受け取ってくださいましたわ。それで今日はこれから薔薇の館に感想を聞きに行くんですの。いくら鈍い祐巳さまでもこれを使って頂ければ瞳子の熱い想いが届くはずですわ!」
「ああ、そうかもね」
乃梨子はもうどうでもよかった。それよりもお嬢様のいいなりでこんなものを開発して、その上発売までしようとしている会社の方が心配になってくる。自分が株主だったら絶対に株主代表訴訟を起こすだろう。乃梨子はそう確信していた。
「でもさ、正直これ、あまり売れないと思うんだけど。だって全ての人が祐巳さまを見て喜ぶとは限らないでしょ?」
「そんなこと考えられませんが、確かに万が一ということもありますわ。だからそんなもののあはれを解さない気の毒な人のために、オプションでナビゲートのキャラを独自のものに変更できる機能もあるんですの。好きな人の写真数枚と声のサンプルデータを入力すると、自動的にそれらを解析して祐巳さまの代わりに笑顔でナビゲートしてくれるようになりますわ」
それを聞いた乃梨子の目はにわかに輝きを取り戻した。
「ほんとに? じゃあ私も買う! それで志摩子さんをゴニョゴニョ……。それでいくらなの?」
「オープン価格ですが、市場価格としては○○○○○円くらいが予想されますわ」
「高っ! 高校生のお小遣いじゃあなかなか買えないよ」
アルバイト禁止のリリアン生にはいささか高すぎる値段にがっかりする乃梨子に、意味ありげに笑って瞳子は言う。
「そこで瞳子に考えがありますの。乃梨子さん、聞くところによるとその筋では結構有名な造形師らしいですわね」
「うっ。ま、まあ、そうらしいわね」
「なんでも白薔薇さまの1/1フィギュアを作って色々楽しんでらっしゃるとか」
「色々楽しむってなによ! 私はただ部屋に飾って時々メイド服を着せたり、スクール水着を着せたり。って私のことはどうでもいいでしょっ!」
言わなくてもいいことまで言ってしまって赤面する乃梨子だが、瞳子が次に発した意外な言葉に救われたのだった。
「瞳子も祐巳さまの1/1フィギュアで色々したいですわ」
「つまり祐巳さまのフィギュアを作ってyPodと交換ってこと?」
「どうですか? 乃梨子さん」
「……おぬしも悪よのう」
「お代官様にはかないませんわ」
こうして水戸黄門の悪役ごっこを経て、二人は物々交換の合意に達した。
交渉が締結した後、乃梨子は瞳子とともに仲良く祐巳さまの待つ薔薇の館へと向かった。そして二階へ上がりビスケット扉を開け、祐巳さまを見止めると瞳子は期待に満ちあふれた顔で祐巳さまにご挨拶をする。
「ごきげんよう、祐巳さま」
「ごきげんよう、瞳子ちゃん、乃梨子ちゃん。瞳子ちゃん、昨日は素敵なものをありがとう」
「あれ、いかがでしたか?」
「うん。祐麒、とっても喜んでたよ」
「えっ? それってどういう……」
「私、メカに弱いから使い方を祐麒に教えてもらおうとしたんだけど、弄ってるうちに祐麒のやつ、なんかすごく気に入っちゃったみたいでどうしても譲って欲しいって言いだしたの。それで瞳子ちゃんには悪いかなと思ったけど私が持ってても宝の持ち腐れだし、結局貸してやることにしたの。ごめんね、瞳子ちゃん」
いつものように邪気のない笑顔で祐巳さまは謝るものだから、瞳子はわなわなと震えるが、それでも必死に平静を装って応える。
「い、いえ。祐麒さんが喜んでらっしゃったのなら瞳子もうれしいですわ。祐麒さんによろしくお伝えください」
作り笑顔でそれだけ言うと、瞳子はごきげんようと挨拶をし、これ以上ないほど肩を落としてビスケット扉を開けて出て行った。
こうして壮大な手間暇と費用を掛けた瞳子の目論見は、今回もあっさり潰えさったのだった。たった一晩で。
「やっぱりまずかったかな? 乃梨子ちゃん」
本当に鈍いだけなのか、実はわざとなのか。いつも瞳子の気持ちをかわし続ける祐巳さまの問い掛けに、乃梨子はそっと小さなため息をついた後に言った。
「いえ、大丈夫だと思います。いつものことですから」