【No:463】 『女心と秋の空すなわちそんな一日』 (黄薔薇革命)、
【No:471】 『気をつけて寒すぎる冬の一日は』 (いばらの森)、
【No:481】 『ダンス・イン・ザ・タイトロープ』 (ロサ・カニーナ)、
【No:889】 『麗しき夢は覚め私に出来ること』 (ウァレンティーヌスの贈り物〔前編〕)、
と同じ世界観ですが、単独でもご賞味いただけます。
原作『マリア様がみてる --無印--』 を読了後、ご覧下さい。
◆◆◆
ファイヤーストームの火が全て落ちて、真っ暗になってしまった校庭では最後の点検をしている先生方の懐中電灯だけが揺らめいている。
地上の火勢と狂騒に押されっぱなしだった満月が、ようやく自分の出番とばかりに透明な天蓋の上で自己主張を始めた。
目が慣れてくれば、世界は真珠色にほの明るく輝いて見えて。
子羊たちは、心地よい興奮の余韻を引きずりながら、すでに帰宅の途についている。
まもなく通用門以外は皆閉められてしまうだろう。
なのに、何故自分はいつまでもこんな所に座り込んでいるのか。
「なんて、きれい」 世界はこんなにも美しいのに。
「なんてきれい」 彼女たちのたどたどしいワルツは、あんなにも愛らしかったのに。
この胸の奥に転がる、冷たく凝った感情は何だろう。
全てが始まったマリアさまの前。 あの時と同じように茂みの中でカメラを抱えて、蔦子は ふっ と吐息を付いた。 この超高感度フィルムを現像すれば、おそらくはきっと、また美しい光景が記録されているのだろう。 手応えは有った。 お月さまの助けも得られた。
いつもなら、速攻で暗室に飛び込んで現像するのに。
『祐巳さんと紅薔薇のつぼみの儀式』
きっと彼女の興味を引く事、間違いなし。 また、『罪作り』って膨れた顔を見せてくれるかしら。
蔦子は自分の右の手のひらに目を落とした。 大声を上げた祐巳さんの口元をふさいだ右手。 ちっちゃくって柔らかな唇の感触を、まだ、覚えている。 あんな風に、少しだけ距離を縮めたかっただけなのに。 だから『躾』を持って行ったのに。 彼女が、もう絶対に自分のものにならない事が確定してしまった。
ゆらり。 眺めていた右手の姿がゆらゆらと揺れる。
蔦子はそっと眼鏡を外し、レンズにたまった涙を拭った。
彼女と、クラスメートである事は変わらない。
カメラマンと被写体の(一方的な)関係も、そのままだ。
彼女と、幾つかの秘密を共有し、少し親密な友人にはなれた。
喜びこそすれ、嘆く事など何も無いはずなのに。
同学年で有るが故に押さえ込んできた、この十年越しの思いを、何所に下ろせばいいのか。
蔦子はようやくゆっくりと立ち上がると、眼鏡を外したまま瞼躁とした足取りで部室棟に向かった。 結局のところ、この胸元に抱え込んだフィルムを現像せずには居られないのだ。
自分の半生を超える思いに、区切りをつける儀式のために。
ほほの上に光るものを見咎めるものは誰もいない。
ただ。
月と、マリア様だけが彼女を見ていた。