【440】 クールでセクシーお姉さまの蔦子さんは  (くま一号 2005-08-29 14:41:23)


 蔦子は悩んでいた。そう、笙子ちゃんにデジカメを使わせるかどうか。

 デジタルカメラに対して、銀塩カメラなどと古い呼び名が戻ってきたフィルム式のカメラ。蔦子は頑なにデジカメを使わない。

 昼休み、今日もお昼抜きで現像室にこもっている。カラーネガフィルムの現像は結構難しい。独特の酢酸のにおい。このにおいが落ち着く、と言うと、やっぱりねえ、という納得したような不思議なものを見るような目で見られる。そういえば笙子ちゃんに最初に液の調合をさせたときには、目を白黒させていたっけ。その笙子ちゃんも、もうすっかり「このにおいの子」だ。

 銀塩の白黒フィルムの原理というのは、光が当たったところの銀塩が分解して、現像したときに銀になる。そのあと定着液で残った銀塩を取り除くと黒い銀が光をさえぎって画像になる、という仕組みだ。

 カラーフィルムはこれにもう一段階加わる。現像で分解してできた銀が化学反応を起こしてまわりに塗られた色素を発色させる。ところがそのままでは銀の白黒画像も重なってしまうので残った銀をもういちど銀塩にもどす「漂白」という工程が入る。そのあと銀塩を取り除くと、赤緑青の三層の色素だけが残り、カラー画像になる。

 DPEのお店にある自動装置ではないから、液の温度、漬ける時間、液から液へ移す手際、これも写真部員のウデにかかる。これを失敗するとムラになったり、濃すぎたり薄すぎたりするのだ。家庭用に売られている現像セットを使うときは湯せんにかけるのだが、そこは学校。理科実験室で古くなった恒温槽をもらってきて、液温は±0.5℃に保たれている。水は水道水では塩素が入っているので、家庭用浄水器を通している。純水がほしいところだけど、そこまでお金はかけられない。

 実を言うと・・・・現像に必要な薬品を考えると、DPEのお店に頼むよりも高くつく。しかし、蔦子をはじめ、歴代写真部員たちは「これだ!」と思った写真は自分で現像することにこだわってきたのだった。撮ったものはすぐに見たいし、ね。

 そういうわけで蔦子、化学にはめっぽう強い。メカだけではないのだ。そう、もうひとつ蔦子は特定化学物質とか危険物取扱いとかの資格を持っている。プロになろう、というからにはダテではない。いや特定化学物質の方は二日講義を受ければだいたいだれでもとれるんだけどね。危険物の方は試験が結構難しい。それで、りゅうさんひどろきしるあみん、だの、ほるむあるでひど、なんて単語を新入部員に教えるのは蔦子の役である。乙女の白魚の指に薬でやけど、なんてのは許し難い。って蔦子自身の手は結構ぼろぼろだったりする。『蔦子は現像液に耐性ができてる』と先輩にはよくつっこまれる。


 確かな手順で自動的に手が動いていく。その間、頭は笙子ちゃんのことを考えている。
「あの子の撮りたいものって、ちょっと私とちがうんだな。」

 蔦子は、女子高生の今、この瞬間を永遠に切り取って画におさめたい、そう思って撮り続けてきた。心が表に現れる瞬間。それを切り取るために盗撮まがいのこともする。だから、たまたまそれが三奈子さまや真美さんの興味と一致することがあっても、ゴシップを追っているわけではない。いや、その点はどうも真美さんとは同じなのかもしれない。

 軽井沢で小笠原家の別荘をさがしあぐねて二人でさまよった時のことを思い出す。彼女もやはり心を切り取って書きたいのだ、と思う。
「紅薔薇さまと祐巳さん、何かあったのよね、あの時。」
急に絆が強くなって、祐巳さんが自信をつけたように見えた。惜しいことをしたな。

 そう、笙子ちゃんだった。
「ポートレートを撮りたいんだ、あの子。」
ちょっと違うかな。美しい人は美しく、そうでない人もそれなりじゃなくてより美しく。

「商業写真に慣れてるもんな。」
モデルをやってた子供の頃から、写真は加工されて美しくなるのが当たり前だと思っている。加工修正に抵抗がない。
 と考えて、『商業写真』なんて単語を使ってしまう自分に苦笑いする。

 蔦子にはそれは考えられない。今、犯罪などの場合、デジカメのデータは証拠になりにくい。いくらでも加工できる。遺跡の発掘なんかの時には、フィルムを残しておくのだそうだ。ねつ造疑惑なんてあったもんね。

「ふーん、だいたい思った通りかな。」
目星をつけていたコマだけを焼き付けする。昼休みに焼ける枚数ってせいぜい数枚。
残りは放課後にゆっくりやることになる。

 焼き付け、というのは微妙な作業だ。DPEに頼むとネガの露光具合に合わせて自動的にやってくれるのだが、そこでどれくらいの露光時間をかけるか、色合いをどう出すのか、これは本当は腕前のモンダイになる。だいたい、露光が不足で自動焼き付けではなにも映っていない写真だって、きちんと焼き付けすれば写っていることはよくある。夜間撮影だって多い蔦子としては、それができなくて何の写真部員か、と思う。
 フィルムの現像は頼んでもいいけどね。焼き付けはダメだよ。

 フィルムは普通のISO-400。超高感度フィルムなんか使ったら、ストロボ焚いたときに白とびしてしまう。普通のでいい。

 これ、という写真は何度も焼き付けして発色を試す。『躾』を焼いたときは、まだそれほど熟練していなかったこともあって、レギュラーサイズの時で10枚くらい焼いたんじゃないだろうか。

 これが、実はデジカメのデータを画像ソフトで修正するのとだいたい同じことをやっているのだ、というのを、もちろん蔦子は承知している。でもねえ。

 アナログで鍛えた感覚がある。だからフォトショップでも何でも使える蔦子ではある。しかし、そのなんでもできてしまう自由さが蔦子には気に入らない。それは蔦子にとって「今」を切り取ったものではないのだ。

 しかし。そのデジタル画像処理に、興味を示しているのが笙子ちゃん。
『だってえ。』 自分に自信がない子だって輝くんですよ。
「それって嘘じゃないの?」
『じゃあ、本当ってなんですか?』 イメージ通りに作った写真の方が、心の中の本当かもしれないって思いませんか?

「できた。」

 振り返って『蔦子さま』と呼びかけた瞬間の笙子ちゃん。夕暮れ、セピア色の風景の中でやわらかく微笑む顔に、快心の笑みを漏らす。

 瞬間、暗室のドアが開いた。
パシャッ

「わっ、笙子ちゃん。」
「やっぱりここでしたね。ほら、ゼリーインビタミンです。お昼、食べていらっしゃらなかったのでしょう?」
「そうだけどね、笙子ちゃん。あのね。作業中だとは思わなかったの?」
「予鈴2分前。きっちり蔦子さまの現像の完成時間ですわ。」

・・・・・うわ。私ってそこまで職人してる?

「負けた。あ、それデジカメじゃない。」
「うん、日出実さんに借りたの。」
「今の写真見せてよ。」
「いやです。」
「どうして。」
「蔦子さまが信じてくださらないから。」
「あー、そういうことを言うか、笙子ちゃん。」

 親はなくても子は育つ、か。考えるのはよそう。たぶん、新聞部のDTPソフトをまた日出実ちゃんに借りて使うだろう。蔦子がやってきたように、あとは自分で試行錯誤するのよ。

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 放課後、新聞部の部室。
「うわあ、これ、誰? すっごい美人ってかこんなプロポーションの人写真部にいた?」
「え、日出実? 暗室でこんなポーズとってるの蔦子さまに決まってるじゃない。」
「・・・・・・・蔦子さま、なの?」
「うふふふふ。」
「腕を上げたわね、笙子。」
「こんな風に撮れるのは、まだ蔦子さまだけだけどねー。ねえ、これパネルサイズにできるかな。」
「うわー、こんなのパネルにして学園祭に出したら、卒倒する人がでるわよ。と、言いたいけど、これさあ瓦版に載せることしか考えてないカメラだから、200万画素なのよ。パネルにするには荒すぎるわ。」
「ふふ、どうかしら。なんだか新しいソフトが入ってるじゃない。」
「そっかあ。『蔦子さまとは主義がちがうのよっ』だったわね。で、パネルにしてどうするの?」
「家宝にする。」
「おい。」
「日出実には真美さまがいるから見せたけど、こんなの他の人にはみせないもん。笙子のもの。」
「はあ、そう。がんばってね。」
「うんっ。」


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