【No:436】 『月の光の下で眼鏡を取った蔦子さん』 (無印)、
【No:471】 『気をつけて寒すぎる冬の一日は』 (いばらの森)、
【No:481】 『ダンス・イン・ザ・タイトロープ』 (ロサ・カニーナ)、
【No:889】 『麗しき夢は覚め私に出来ること』 (ウァレンティーヌスの贈り物〔前編〕)、
と同じ世界観ですが、単独でもご賞味いただけます。
原作『マリア様がみてる --黄薔薇革命--』 を読了後、ご覧下さい。
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カシャリ。
天に蒼穹。 地に黄金の絨毯。 妹が呼びかけ、姉が微笑んんでふり返る。
初々しい二人の写真が、私のコレクションにまた一枚加わった。
タイトルはどうしよう。 『はじめての”お姉さま”』 かな?
またきっと祐巳さんは食いついて来るだろう。 ふふふ。
黄薔薇革命とやらから1ヶ月とすこし。 結局あれは、見失ってしまった2人の距離を測り直すための、再出発の儀式だったようだ。 真相を知ってしまえば、成る程と思う節が無くも無い。
由乃さんとは過去に2回、都合4年ほど級友だった事がある。
いく度か見かけた発作のとき、彼女は苦しい表情の中に悔しさ、
苦々しさを滲ませている事があった。
あれは大抵、誰かのお世話になって保健室に行こうと
言う時だったような気がする。
むしろ令さまが駆けつけたときなどは、奇麗に感情を拭い去って、
健気に痛々しく微笑んでさえいたっけ。
色々と複雑なものをお抱えのようで。 と、思ったのを覚えている。
私はかつて苛められ子だったから、人の表情を読み取るのに長けている。 そうでなくては生き残れなかったから。 リリアン娘といえど、幼稚舎にいるのは只の幼女。 無知で無垢で、そして残酷な。 彼女たちは異分子を見つけると徹底的に排除する。 自分たちの居心地の良い環境を整えるために。 今にして思えば、それは生物として間違ってはいないし、当時は辛かったけれど、もう良い思い出になってしまった。 何よりそこで、祐巳さんと出会えたし。
由乃さんはそんな私にとって、苛めて来るでもない、
ただの病弱な少女でしかなく。
初等部の倶楽部活動で写真を撮り始めてからは、
『薄幸の美少女』 というお題の被写体でしかなかった。
とは言え、今の今までそのタイトルでは巧く撮れた試しが無かったのだが。
私にとって、ポートレートというのは被写体の内面まで写しこんでこそ意味があると思っている。
昔は、由乃さんの内面まで切り取れた、という
手ごたえのある写真に限って、現像してみるとなにやら
違和感を覚えるものしか出来なかったのだ。 …そう。
例えて言えば 『レースのリボンを頭に飾った高倉健』 と言うか
『血まみれの長ドスをもったテイタム・オニール』 と言うか。
あくまで印象が、だけれども。
ともかく巧く撮れたと思った美少女が、なにやら
怪獣でも写りこんでいるように妙に迫力を感じて、
自分の腕の悪さにがっかりしたものだ。
だが、ほんの数日前に撮影した 『黄薔薇革命--決着編--』 と呼ぶべきこの一枚を見ると、過去の自分は、撮影の能力の方がどうやら間違っていなかったらしい。
再申し込みをしている妹のほうが誇らしげで、申し込まれている姉は苦笑しっぱなしで。 これが彼女たちの真実ならば、かつて間違っていたのは島津由乃に薄幸の美少女を期待した、私の硬直化した常識と言うものだ。
この彼女たちの距離感。
学園祭からこっち、ずっと悩んできた。 祐巳さんとの距離をどうするか。
いっそ、以前と同じようにその他大勢の被写体の中の一人として接しようか。
それとも祥子さまに対抗して、びったり祐巳さんの身辺に張り付こうか。
言ってみれば望遠レンズの距離か、50mmレンズの距離か。
どちらかを選ぼうとしていた。 でも、由乃さんに教えられた。 自分の立ち居地を見失わなければ、自然な距離で居てもいいと。 そう、24mm〜120mmズームレンズのような。
祐巳さんが好きだと言うこの気持ちと、ちゃんと向き合って決着をつけられるまでは。
普通の距離で、彼女を撮り続けよう。
マリアさまの心のような、蒼い蒼いそら。
黄色い公孫樹の落ち葉を踏みしめながら、蔦子は武道館に向かった。
いつものライフワークのために。
そんな彼女を、マリア様だけが見ていた。
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って、そうそう。マリア様。
あの白薔薇さま。 なんか同類の匂いがプンプンするんですけど。
もしかして祐巳さんを狙ったりしてませんか?
ちゃんと守護してくださいね。 あなたの子羊を。