「お姉さまであいうえお作文?」
「そうよ、あいうえお作文」
鼻歌を歌いながら紙と筆記用具を準備する由乃さんに、祐巳と乃梨子ちゃんはちょっと顔を見合わせた。
珍しく、つぼみの三人だけが揃った薔薇の館。ちょっと暇だな、と思い始めた頃に由乃さんが突然言い出したのだ。
暇つぶしに『お姉さまあいうえお作文』でもやろうか――って。
「ルールは知ってる?」
「何度か見たことはありますけど……」
画用紙と筆記用具を渡されて、乃梨子ちゃんが戸惑ったように言う。
「それを、お姉さまの名前でやるわけですよね?」
「そうよ。フルネームでも良いし、名前だけでも、苗字だけでも良いわ」
言いながら、由乃さんはきゅっきゅっとマジックで『はせくられい』と書く。由乃さんの場合はフルネームでも6文字だから楽だ。でも祐巳の場合は『おがさわらさちこ』で8文字もあるからちょっとキツイ。乃梨子ちゃんは7文字。
「私は名前だけにします。フルネームは大変そうですから」
乃梨子ちゃんが宣言して、画用紙に『しまこ』と書いた。
「なによ、愛がないわねー。祐巳さんはもちろん、フルネームよね?」
「えぇ〜。私が一番長いのに」
「人生、何事もチャレンジよ、祐巳さん。さ、出来た人から挙手ね」
由乃さんが画用紙と睨めっこを始める。乃梨子ちゃんも軽く首を傾げながら、考え始めた。なんだかんだ言って、つぼみ三人はかなり暇を持て余していたのである。
「――出来ました」
はい、と乃梨子ちゃんが手を挙げる。さすが乃梨子ちゃん、頭の回転が速くて羨ましい。
「はい、乃梨子ちゃん。どうぞー」
由乃さんに促されて、乃梨子ちゃんが画用紙を読み上げる。
「えーと。
『し』ろ薔薇さまと呼ばれ
『ま』リアさまのように優しくて綺麗な
『こ』れぞ正に、お姉さまの鑑です!
――で、どうでしょう?」
「うわー、のろけてるよこの子」
由乃さんが笑う。祐巳もついつい笑ってしまった。
スラスラとこんなあいうえお作文を作っちゃうなんて、乃梨子ちゃんは本当に志摩子さんのことが好きなんだな、と思う。
「でも、白薔薇さまはロサ・ギガンティアと読むのが正しいから、減点ね」
由乃さんがそう指摘して、再び画用紙に向き直る。
「んー……中々難しいわねー」
由乃さんと祐巳は引き続き苦悩。作品を仕上げた乃梨子ちゃんは余裕綽々だ。のんびりと次の作品を考えている。
「よし、出来た!」
程なくして由乃さんがはい、と手を挙げる。
「はい、では由乃さま」
「行くわよ〜。
『は』んぱに優しくて
『せ』けんていを気にして
『く』のうばかりしている
『ら』イトノベルと恋愛小説が大好きな
『れ』いぞく体質バリバリの
『い』んちき剣士、令ちゃんです
――どう!?」
「容赦ないですねー」
「令さま、可哀想」
同情する乃梨子ちゃんと祐巳だけど、口元は笑っている。
「ちなみにこの『れいぞく』ってのは『隷属』のことね。令ちゃん、私とか江利子さまの奴隷っぽいし」
「そこまで言いますか」
呆れた様子の乃梨子ちゃんだけど、由乃さんは「本当のことだもーん」と意に介さない。
令さまには頑張って生きてもらいたい、と祐巳は思った。
「これで残るは祐巳さんね」
「頑張ってくださいね」
「うー……ちょっと待って……」
二人に促されて、祐巳は頭を抱えて単語を探す。
「えーと……それで、最後が……こうで……うん、出来た!」
「はい、祐巳さん、どうぞ!」
「あまり上手く出来なかったけど……
『お』こると怖くて
『が』が強くて
『さ』くらが嫌いで
『わ』がままいっぱいで
『ら』いじんさまもびっくりの……」
「――へぇ、祐巳はそんな風に私のことを見ていたのね」
「へ?」
画用紙の表を読み終わったところで、いきなりそんな声が聞こえ、祐巳は振り返り。
そして、見た。
背後に暴風雨のイメージを背負っている、祥子さまを!!
「お、お姉さま!? こ、これは……」
「ふふふ……祐巳、ちょっといらっしゃい? あっちで少〜し、お話しましょう?」
「だ、だから、その、これはまだ途中……」
「いいからいらっしゃいっ!!」
「はいぃっ!」
それこそ雷神さまもびっくりの雷を落とされて、祐巳は慌てて立ち上がった。
由乃さんと乃梨子ちゃんが、ご愁傷様、という視線を向けてくる。
どうやら、助けてくれるつもりはないらしい。
祐巳はちょっと、涙した。
「――タイミングが悪かったみたいね」
消えた祐巳さまと祥子さまを見送り、落ち込んだ令さまを宥めている由乃さまの隣で、のんびりと志摩子さんが言った。
「悪いも何も、最悪です。どうしてあのタイミングで来るんですかね、祥子さまって」
「仕方ないわ、きっとそういう運命なのよ」
志摩子さんがちょっと笑って、床に落ちていた祐巳さまの画用紙を拾い上げる。
祐巳さまの作品は、表に『おがさわら』が書かれていて。
裏には『さちこ』の分が続いていた。
『さ』いこうに素敵で無敵で優しくて
『ち』ょっとだけ怖い
『こ』んなお姉さまが私は大好きです!
「……本当に、タイミングが悪いわね」
祥子さまの指定席に画用紙の裏側を上にして置いて、志摩子さんが優しい笑顔を浮かべた。
祐巳さまたちが消えた給湯室では、今頃きっと大嵐が巻き起こっているだろうけど。
台風が去った後には、大抵快晴がやってくるもんだ。