蔦子さまをずっと見ているの。毎朝、毎日、夕方まで。
いつまでも追いつけない、隣に並ぶこともできない、その大きな背中を。
「表に出す許可をちょうだい。」
からり、と笑って差し出されたたくさんの写真。その中に写し込まれたわたし。
……いいです。全部。そのかわり焼き増しをください。これ全部。
そのからっからの笑顔を追いかけて、私はここに、いる。
「いい、笙子ちゃん。よく見て。被写体の顔より後ろの校舎の方が鮮明よね。フォーカスのせいもあるんだけどこういう時はストロボって言ったわ。」
「はい。でも……。」
「ん?」
「いえ、なんでもありません。」
「どうしたの? なんだか最近考えてるわね。いいなさい。」
「ばれました?」
「みえみえ。白状しろ、こら。」
「や。」
「なによ。この私に言えない秘密でもあるの? 吐け。」
くしゃ、と頭をなでる蔦子さま。あん、うれしい、んだけど、外へ出ると頭から御寿司の匂いがするの、忘れてるでしょう。
もう、蔦子さまってば鼻が職業病。
「蔦子さま。もし、蔦子さまが撮った写真だったらこれは処分ですよね。」
「そうよ。使えないわ。でも私でも100枚撮ってこれはっていうのは2〜3枚あればいいところだもの。」
違和感。違うの。私の写真って……私の写真って、何だろう。
「あの、これ、ネガを持って行ってもいいですか。」
「ふーん、そりゃ笙子ちゃんの撮った写真だもん自由にしていいけどさ、どうするの? って聞くのも野暮ね。」
聞くのも野暮ね・・・・・ふふふ。蔦子さまの年齢不詳の話し方。いったいどういうおうちで育ったんだろう。蔦子さまのことはなんでも知りたい、けど、今はそれは脇に置いておく。
蔦子さまにさからっちゃうのはものすごく大変なんだから。ほんとに大変なんだから。モデルの頃に知っていた「カメラマン」って人たち、こんなにこころの奥底まで裸になったみたいに見透かされる人なんていなかったもん。
「はい。いけませんか。」
「ふぅ。デジタル加工した写真は『今』を切り取ったものじゃない。私がいつも言ってるのは承知ね。今日は現像はここまでにして、ちょっと話しましょうか。」
「・・・・・はい。」
来た。でも、怖くっても泣いちゃっても蔦子さまに負けるわけにはいかないの。蔦子さまの背中を見ているだけじゃなくて、一緒に隣を歩けるようになるための笙子のたったひとつの武器。がんばるのよ、笙子。
「笙子ちゃん、なにがいい?」
「えーと、いちご牛乳です。」
ミルクホール、現像が一段落ついたあとの時間、人影はない。周りはそろそろ夕暮れ。
イチゴ牛乳代は出しても受け取ってもらえないのはわかっているので、頭の中でプラス1。えーとこれで8本。そのうちに、ってどうするかはまだ考えてない。蔦子さまはブラックコーヒー。
「さて、笙子ちゃん。このまえの続きだな。画像処理ならなんでもできすぎる。なにもないところから想像図だって描ける。それで『今』が『こころ』が撮れるの? というところまでだった、そうね。」
「はい。」
「で、考えてきた?」
「はい。蔦子さまが撮ったわたしの写真、考えてみてください。それと、その前までの私の写真。どっちも現実です。」
「もちろんよ。」
「でもモデルの時の私の写真、というよりできあがったポスターや広告を見ればわかりますけど、全然現実とちがいますよ。そもそも背景とか着てる服とか全然違うこともあります。」
「そうでしょうね。広告とかの商業写真ってそういうものだわ。それでそんな、あなたをちゃんと撮れなかったカメラマンみたいになりたいの?」
「そうじゃありません! 私はそういうのを撮られ続けて自分がわかんなくなっちゃいました。でも、普通はそんな写真を撮られる人ばっかりじゃありません。たまたま写真の写りが悪い時、その時にみんなが見ているものと違うものが写っちゃった時、それってこころが見ているものでしょうか。」
「でも、そこに写ったものは現実よ。」
「だってえ、自分に自信のない子だって輝くんですよ。そのイメージの自分が心の中の自画像でしょう? そちらの方が現実なのではありませんか?」
「だからって修正するの? それって『嘘』じゃない?」
「じゃあ、『ホント』ってなんですか? イメージ通りに作った写真の方が、心の中の本当かもしれないって思いませんか?」
「それは、写真じゃない。絵だよ。」
「じゃあたとえば蔦子さま。薔薇の館の入り口の前、左側に電柱が一本ありますね。蔦子さまは館に出入りする人を撮る時あちら側からのショットはほとんど撮らない。」
「そうよ。邪魔なのよね。」
「でも、あちら側からが薔薇の館に向かう道です。薔薇さまたちはあちらから歩いてきて薔薇の館に入りますよね。その時、電柱が見えているでしょうか。」
「うーん、心の中で、という意味ね。たしかに、見えていないでしょうね。」
「じゃあ、その電柱を消した方が『ホント』なのではありませんか?」
「そうきたかい。でも電柱は現実にあるんだぞ、笙子ちゃん。」
「あっても見えてません。」
「ふふふふふふふふ。」
「……蔦子、さま?」
「わかったわ。負けた、とは言わないけど、やってごらんなさい。」
「わ、ありがとうございます。」
テーブルのこっちから蔦子さまの手を両手で握ってぶんぶんふっちゃった、ら、がつん、と蔦子様の手がテーブルに……。
「いっつー、笙子ちゃん! はしゃぎすぎ。」
「はい。」しゅん。
でも、蔦子さまに勝った。のかな?
「予算はないわよ。写真部は今の状態でいっぱいだから、ソフトウエアなんかを買うお金は出ないわ。」
「わかってますわ。お隣、新聞部にあるじゃないですか。」
「あー。」
学校が買う、となれば優遇される。アカデミックパックというだけで半額。その上、メーカーはそれを覚えた生徒たちがゆくゆくはみんな買ってくれることを期待して、学校向けには格安、時には無償提供することもよくある。だから定価で揃えたら二百万以上の新聞部のDTPシステムが実は10分の1もかかっていない、というからくりを、写真部副部長の蔦子さまは知ってる。
「わかったわ。やってみ。でも、教えられる人はリリアンにはいないわよ。あなたが自分で道を切り開かないといけないの。わかるわね。」
「もちろんです。蔦子さまだってそうしてこられたではありませんか。」
「う、うん、まあ、そうね。」
リリアンにはいない。でも、お母さんに頼めばモデルをしていた頃のつてなんていくらでもあるもの。
「そうしたら、蔦子さんのとびっきりの笑顔を撮ってプレゼントします。」
「笙子ちゃんっ。そ・れ・は・や・め・て。」
「どうしてですか。蔦子さま、以前の私と同じなのではありませんか?」
「うーん、それを言われると弱いんだけど。」
うろたえる蔦子さま。か・かわいい・かもしれない。
「こころの中まで撮られるのが怖いのですね。蔦子さま。」
「ふう。言うようになったわね。ほんとに。」
「それなら、誰が蔦子さまのこころを撮れるかってそんなの……」
うつむく。その先がのど元まで来て止まっちゃう。
「わかったわ。」頭をくしゃ。だぁから、御寿司の匂い。
「とびっきりの笑顔が撮れたらちょうだい。」
「はいっ。」
やった。笙子、がんばった。えらい。
蔦子さまの背中を追いかけて。追いかけて追いかけて、いつかは隣を歩けるように。
パシャ え?
「笙子ちゃん、いまいい顔してた。」
「わー、ぼけた顔してたんじゃありませんかー。」
「それでもいいわよ。笙子ちゃんだから。」
「なんなんですかー。」
蔦子さまを追いかける。どこまでも。そしていつか。
No.440と対になります。どっちから読んでもいい構成になった。