【516】 どうしたいの  (まつのめ 2005-09-10 21:04:01)


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 翌日の早朝。お姉さまとの密会で昨日のことを話した。
 お姉さまはあの時、紅薔薇さまの後ろに来ていたのだけど白薔薇さまが志摩子さんに掴みかかった経緯は知らなかったから。

「そう。志摩子が……」
 祐巳の話を聞いた祥子さまは、そう言って考え込んでしまわれた。
 それはそうだ。あの『日向で昼寝をする老猫』とまで喩えられたおとなしい志摩子さんが、聖さまを怒らすようなことを面と向かって言うなんて。
「祐巳はどう思ったの?」
「え?」
 いきなりどう、と聞かれても祐巳は答えられなかった。
 昨日のことについては、まだ混乱していて整理がつかないというのが正直なところなのだ。
 それでも何とか答えようと考え込む祐巳をフォローするように祥子さまは言った。
「昨日の志摩子を見てよ」
「あ……」
 それならば一つだけ答えられることがある。
「あの、志摩子さんらしくないって……」
「そう。そうね」
 それから祥子さまはちょっとだけ面白そうに顔をほころばせて言った。
「確かに祐巳はそう思うかもしれないけど、私は志摩子らしいって思ったわ」
「ええ!?」
 昨日のあれが志摩子さんらしいって?
 祐巳は『前回』一年半以上志摩子さんと一緒に山百合会の仕事をしてきたけれどあんな志摩子さんは見たことがなかった。
「あの子、普段はおとなしくしてるけど、譲れないことがあると結構頑固でしょ?」
「そ、そういえば……」
 具体的にすぐ思い出せないけど、『結構頑固』っていうのは当てはまってる気がする。
 でも、それが昨日のことに即当てはまるかというと、祐巳にはどうも納得できなかった。
 志摩子さんの性格がそうだとして、聖さまを怒らせてまで譲れないことってなに?

「……でも喜んでばかりもいられないわね」
「え!?」
 祥子さまの言葉に祐巳はますますわからなくなった。
 何が喜ばしいことなのか。祥子さまが喜ぶようなことが昨日の出来事に含まれているらしいのだけど。
 昨日の出来事のどこを取ったら『喜ばしいこと』なのか祐巳にはさっぱりわからない。
 志摩子さんの行動も聖さまお考えも。
 もうわからないことだらけだった。
「祐巳、そんな顔しないの」
「あ、あの……」
「あなたは2年生のときの聖さまや、前回今ごろの志摩子を知らないのだから」
「は、はい」
 そのとおりだった。祥子さまは祐巳の知らない聖さまや志摩子さんを見てきたのだ。
「難しく考えるのは私に任せておけばいいのよ。祐巳は祐巳の出来ることをすればいいわ」
「私の出来ること?」
「ええ。なんだか私があれこれ考えるよりもあなたが思うとおりに動いた方が上手くいくような気がしてきたわ」
「そうなんですか?」
「そうよ。あなたはどうしたいの?」
「私は……」
 祥子さまにしてみれば予想の範囲内なのかもしれないのだけど、祐巳としては青天の霹靂だったのだ。
 急にどうしたいといわれても、こんな状況じゃいけないってことくらいしか判らない。
「……急がなくて良いわ。 そう。 私もすこし急ぎすぎてたようね」
 そして祥子様は慌てて志摩子さんを引き込むんじゃなくて、もっとゆっくり、祐巳のペースでアプローチしいけば良いと言ってくれた。
「でも、志摩子があなたのことを大切に思っているのは良いことだわ。 前回は志摩子にそういう友達はいなかったもの」
「私を大事に?」
「ええ、志摩子は祐巳のために白薔薇さまと喧嘩をしたのよね?」
 そういえば。
 祥子さまと話すうちに昨日の出来事が少しずつ整理されてきたみたい。
 あのときは志摩子さんが聖さまを挑発するようなことを言って、その一言一言に聖さまが怒っちゃって。
 確かにそれは聖さまが祐巳を拒絶するようなことを言ったあとだった。
 志摩子さんは祐巳が来るのは嫌と聖さまが面と向かってはっきり言ったのに怒っちゃったのかもしれない。
 祐巳が嫌われていたことはとてもショックだったのだけど、だからといって志摩子さんまで聖さまに嫌われなくても良かったのに。
「白薔薇さまとの事はこれから考えていきましょう」
 お姉さまはそう言った。『前』のような形にこだわる必要は無いから上手くいく方法を考えましょうと。


  〜 〜 〜

 朝からなんとなく気まずくて志摩子さんに話しかけられなかったのだけど、昼休みになって志摩子さんが祐巳の席まで来て「行かないの?」と誘ってきた。

 いつものように一緒にお弁当を広げていても、祐巳はなんて話しかけていいかわからなくて黙々とおかずを口に運んでいた。
 そんな沈黙を最初に破ったのは志摩子さんだった。
「白薔薇さまはね……」
 ぽつりと、つぶやくように話し出した志摩子さんの視線は膝の上のお弁当の方に向けられたままだった。
「……私によく似ているっていったら良いのかしら」
「似てる?」
 本質的なところで求めているものが同じ、だっけ?
 たしかそんな話を聞いたことがあった。
 志摩子さんの話は時々抽象的すぎてよくわからないのだけど。
「私も紅薔薇さまに、いいえ山百合会に嫉妬してたのかもしれないわ」
「え?」
 今、嫉妬って?
「祐巳さんがどんどん山百合会のほうへ行ってしまうから」
 白薔薇さまはどうなのか判らないけど、志摩子さんがそんな風に思っていたなんて。
 祐巳は志摩子さんを山百合会に結びつけようと頑張っていたつもりなのに。
「でも祐巳さんが望んでそうしていて、そして私を誘ってくれているのだから、見てみようと思ったの。 山百合会っていうものを」
「そうだったんだ」
 やっぱり強引だったかもしれない。でも志摩子さんはそれについて来てくれようとしてたんだ。
「なのに、白薔薇さまは祐巳さんを困らせてたから」
 祐巳は白薔薇さまに嫌われてるなんて思っていなかった。
 考えてみれば当然だ。初めて薔薇の館へ行って見たのが白薔薇さまのあんな態度だったらやっぱりいい印象を持つわけが無いのだ。

「志摩子さん、山百合会嫌いになった?」
 あんなことになってもう志摩子さんは薔薇の館になんて行きたくないんじゃないかと思ったからそう聞いた。
「祐巳さんはどうなの?」
 なのに、逆に聞かれてしまった。
「私は嫌いになんてならないよ」
 嫌いになれるはずが無い。聖さまのことだって。ここでは未来の話だけど、山百合会で経験したその一つ一つが愛しい出来事だった。
 そこに連なる、いや違う未来かもしれないけど、みんなのことをこれくらいで嫌いになれるはずがないのだ。
「白薔薇さまのことも?」
「……うん」
 嫌われちゃったけど。
「そう……」
 なぜか志摩子さんはちょっと寂しそうな顔をした。


 見上げると桜の木に生い茂る緑の葉も色濃くなってきて、そろそろここで昼食を取ることもできなくなるなぁ、などと思いつつ。
「はぁ……」
 祐巳はため息をついた。

 どうしようか。
 実はあのとき部屋を出て行く前に紅薔薇さまに「またいらっしゃい」と言われていたのだ。「今日のお詫びも兼ねてちゃんとおもてなししたいから」と。
「祐巳さん?」
 お弁当を食べる手が止まっている祐巳に志摩子さんが声をかけた。
「なに?」
「もしかして、薔薇の館に行こうかどうか悩んでるの?」
「え? どうして判るの!?」
「だって、そんな顔してたから」
 顔っ! 隠し事が出来ないこの顔に生んでくれた両親を恨んだらいいのか感謝したらいいのか、心境は複雑だけど今は伝わってよかった。
「志摩子さんはどう? 行きたい? それとも……」
 行っても良いと言ったから行くというものでもないが。
 志摩子さんはこう答えた。
「祐巳さんが行くのなら」
 祐巳はなんとなくそう答えるだろうなと思っていた。決定権はやはり祐巳のもとにあるのだ。
 でも簡単に決められないから悩んでいるのに。
 祐巳の存在が白薔薇さまを苦しめているのではないか。これ以上関わってはいけないのではないかと。
 志摩子さんのこともゆっくりでいいって祥子さまは言ってたから、しばらく薔薇の館に行くのはやめようかとも思っていた。
 祐巳の表情をじっと観察していた志摩子さんはちょっと困ったような顔をして言った。
「祐巳さん、白薔薇さまはね……」
 言いたくないことなのだろうか。ちょっと考えるように口篭もった。
「なあに?」
 祐巳が聞き返して志摩子さんは続けた。
「白薔薇さまは多分、祐巳さんのこと……」
 このときの志摩子さんの表情は読めなかった。困っているのか怒っているのか、それともそのどちらでもないのか。
 ただ、感情を押し殺したような抑揚の無い声で言った。
「……祐巳さんのこと嫌ってないわ」
「まさか」
 もしそうだとしたらなぜあんな事を言うのだろう。
「志摩子さんはどうしてそう思うの?」
「あの方、祐巳さんに近づいてはいけないと思ってるのよ」
「どうして?」
「理由まではわからないわ」

 嫌われていないのならそれは嬉しいことなのだけど、祐巳には志摩子さんの言うところの白薔薇さまの心情はよく理解できなかった。だからこそ、ちょっとしか会っていないのに白薔薇さまの心が判ってしまう志摩子さんはやっぱり白薔薇さまのそばに行くべきなのだと思う。

「祐巳さんはどうしたいの?」
「どう?」
 志摩子さんの問いは「行きたい」ではなく「どうしたい」だった。
 そういえば『あなたはどうしたいの?』とお姉さまにも同じ事を聞かれた。
「ええ、行くかどうか悩んでいるのは白薔薇さまのためなのでしょう?」
「うん……」
 祥子さまは祐巳に出来ることをすれば良いと言った。
 祐巳は白薔薇さまともっと仲良くなりたいし、志摩子さんとだって仲直りして欲しい。それが正直な今の気持ちだ。
 そのために、いま祐巳が出来ること。
「志摩子さん、また一緒に薔薇の館に行ってくれる?」
「いいわよ」
 志摩子さんは迷うことなく同意してくれた。
「でも、喧嘩しないでね」
「そうね、そう心がけるわ。でもあの方に近づいたら判らないかも……」
「……むりに来なくてもいいんだけど」
「いいえ祐巳さんが行くなら私は行くわ」
 志摩子さんはきっぱりそう言った。


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2005/11/17 Ver.2


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