がちゃSレイニーシリーズ。空白の3日間編。【No:541】の続き。
「ふう」
真美はおもわずため息をついた。その横から紙コップのコーヒーが差し出される。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう。日出実」
ほっとしたように一つ息をもらす。
「お疲れ様でした」
「ははは……」
かわいた笑い声をあげるのにはもちろん理由がある。
真美のお姉さまであるところの築山三奈子女史がさっきまで部室に来ていたのだ。
学園内がこれだけ大騒ぎになっているというのに、新聞部は何をしているのかと。
今回に限って言えば、お姉さまの言うことももっともだと真美も思わざるをえない。だからというわけでもないが、追い返すのは大変だった。それにしてもお姉さまは最近ちょっと祐巳さん寄りじゃないだろうか? と思ったりもする。
もともと祐巳さん寄りな蔦子さんは、今のところは静観しているようだ。しかし、新聞部としては動かないわけにもいかない。真美が抑えておけるのはせいぜい今週いっぱいだろう。
最初こそ、紅薔薇さまのお声掛かりで事後の独占取材等を条件に協力を要請されたのだが、今の状況は正直かなり不透明だった。もともと情報操作と情報規制が目的で取り込まれただろうことはわかっていたが、それはそれでかまわなかった。真美なりに、新聞部員を動員して調べさせてもいるが、薔薇の館の内部で起こったことに関しては目撃証言も何も取れないし、こういった時の薔薇の館のメンバーの結束は非常に固い。
人の良さそうなクラスメイトの笑顔を思い浮かべて、真美はまた一つため息をつく。別に去年のような、お姉さまと先代薔薇さま方のように確執めいた関係を望んでいるわけじゃない。できれば山百合会幹部と築いている今の良好な(と、真美は思っている)関係は維持していきたい。そしてなにより、祐巳さんが悲しむような結末にはなって欲しくない。たぶんそれすら紅薔薇さまの思惑の内なのだろう。
「動きが取れないなあ……」
呟くと、一方の壁に視線を向けた。あなたはどうするつもりよ、蔦子さん。
「ふむ」
三奈子さまを首尾良く追い返した真美さんに、心の中で健闘を称える拍手を送りつつ、蔦子はカメラを磨く手を再び動かし始めた。
「蔦子さま、何かいいことありました?」
「ん? 別に」
「でもなんだか嬉しそうですよ」
「そう? なんでもないわよ」
「………むぅ」
なにやら不満そうな顔をしている笙子ちゃんに蔦子は怪訝そうな表情を向けた。
「どうしたの?」
「……だって蔦子さま、肝心なことは何も教えてくださらないから」
「いや、別に肝心なことなんてないから」
蔦子が笑いだしたのを見て、笙子ちゃんは頬をふくらませた。
「日出実さんは真美さまからいろいろと秘密めいたお話をお聞きするそうです」
「それは部活の話でしょう。新聞部なんだからいろいろあるでしょうし、真美さんだって祐巳さんのプライベートなことまで日出実ちゃんに話したりはしないと思うわよ(……たぶん)」
「それは、そうでしょうけど………」
「秘密めいた話は無いけれど、写真の話ならいくらでもできるわよ。今日はどんな写真を撮ったの?」
「あ…」
手にしていた写真を取られて、笙子は軽く声を上げる。確かにもともとその写真を見てもらおうと思って来たのだけれど。聞くつもりがなかったことまで聞いてしまったのは、はぐらかされたような気がして少し面白くなかったからかもしれない。
「蔦子さまはどうするおつもりですか?」
「どう、とは?」
「ですから、その……『白薔薇革命』とか、『紅白抗争』とか……」
「どうすると言われても。どうしようもないでしょう。私にできることなんて、写真を撮ることくらいよ」
そんなことはない。と、笙子は思う。白薔薇さまも紅薔薇のつぼみも、蔦子さまには一目置いているように見える。それは蔦子さまのそばに居るから見えることだった。
「でも、蔦子さまが……」
「物事なるようにしかならないわよ」
「そんな……」
「でもほら、『物語』はハッピーエンドと相場が決まっているものじゃない?」
「そおゆうものですか……」
それは、ハッピーエンドになるから心配ないということなのか。時々、蔦子さまはこういう言い方で笙子を煙に巻く。
「それにしても………おもしろい取り合わせね」
写真を眺めていた蔦子さまがポツリと呟いた。
その写真には、背の高い1年生と紅薔薇さまが一緒に写っていた。
可南子は今回の件には基本的に無関係だった。だが全く関わっていなかったわけでもない。
最初は紅薔薇さまからの電話だった。祐巳さまが朝早く来て薔薇の館に向かうようなら足止めして欲しいと。但しその可能性は低く、あくまで保険の意味合いだと。理由の説明は無し。
祐巳さまの為だという一言で、可南子はそれを了承した。紅薔薇さまが祐巳さまの為というなら、それは間違いなくそうなのだろうと思ったから。
実際に祐巳さまは時間ぎりぎりまで姿を見せなかった。だからあえて声をかける必要は無かったのだけれど、その姿を目にした瞬間、可南子は声をかけていた。
「ごきげんよう、祐巳さま」
「あ、ごきげんよう、可南子ちゃん」
いつものように挨拶を返してくださる祐巳さまの笑顔は、一目でわかるほどに力が無かった。
「祐巳さま。元気が無いようですが、何かありましたか?」
「え? そんなことないよ。全然元気だよ」
全然駄目そうだったが、追求するのはやめておいた。この時はその意味がわからなかったが、その日の放課後にドリルと話して、おぼろげにわかってきた。
そして今また、紅薔薇さまを前にしている。
「それじゃあ、だいたいのことはわかっているのね」
「瞳子さんとお話して、だいたいのところは見えたと思いました」
「そう。だいぶ噂にもなっているようだし、他に気付いた人がいても不思議はないわね」
状況は、可南子の予想よりはるかに悪いようだった。ただ、何故紅薔薇さまが自分にそんな話を振ってくるのかがわからなかった。
「何故私にそんなお話を?」
「あなたは祐巳の味方なのでしょう?」
「はい」
それは間違いなく。
「ですが……」
別にドリルの味方というわけではない。
「それと、薔薇の館のメンバーではないから、かしらね」
「………よく、わかりません」
紅薔薇さまは笑ったようだった。
「何が正しいかなんて、私にもわからない。でも、そうね、中にいては見えなくなることもあるから、たぶん外からの視点が欲しいのね」
それはわからないではない。ドリルには状況が見えていなかったこともある。
「では、私は何をすればよいのでしょう」
「別に今なにかを頼もうというわけではないのよ。あなたはあなたの思うとおりにすればいいと思うし」
「はあ」
それはそれで、心に波立つものがある。それから少しだけ、紅薔薇さまと世間話、のようなものをした。それは可南子にとっては、かつては考えられないことだったかもしれない。
ふと空を見上げて可南子は思う。自分は祐巳さまの為に、そして祥子さまの為に何ができるのだろうか。
紅薔薇のつぼみの不在の日々。それはいくつかのうねりと状況の停滞を生み出し、そして新たな流れを作ろうとしていた。