「はぁ〜、ヒマねぇ…」
リリアン女学園高等部養護教諭、保科栄子は、机に肘をついて窓の外を眺めながら、結構な暴言を吐いていた。
医者と警察と軍人と葬儀屋はヒマな方が良いと言うが如く、養護教諭もヒマであるにこした事は無い。
風邪を引いた、頭痛がする、気分が悪い、女子特有の体調不良等を訴える生徒は割と多いが、運動部活動をしている生徒も含めて、怪我をする生徒はかなり少ない。
よほど酷い場合は、とっとと帰宅させるか病院に行かせるし、症状が軽ければ治療又は投薬して教室に戻らせる。
しばらく休憩させればほぼ確実に回復する生徒にのみ、ベッドの使用を認める方針である。
理由は二つ。
一つは、簡単にサボらせるわけには行かないこと。
お嬢様学校のリリアンとはいえ、毎年何人かはしたたかな生徒が入学してくる。
放っておけば、要領の良い生徒が、何かと理由を付けて保健室を訪れ、適当にサボって行く事がままあるからだ。
もう一つは、生徒に結構人気があるがゆえ、必要以上に甘えられるのを避けるため。
在校時からクールで知的なイメージを持っていた栄子先生は、数年の後に再びこの学校に戻って来た。
元リリアン生という話はまたたくまに広がり、しかも元薔薇さまという噂まで流れ出したため、何かと理由を付けて、会話や相談を求める生徒が多いからだ。
それにしても、誰もいないのはやはり退屈だった。
「はぁ〜、ヒマねぇ…」
再び、同じ独り言。
丁度6時限目の、もっとも退屈な、ちょっと遅い昼下がり。
「ふぁ〜あ…」
誰もいないのを良いことに、はしたなくも大口で欠伸する。
同時に、流れた涙をハンカチで拭う。
先程の休み時間に買ってきた缶コーヒーを飲みつつ、残りの書類を手早く片付けてしまえば、今日するべき仕事は、放課後の待機を残して全て終了してしまった。
手持ち無沙汰で、意味無くメモ帳の上にペンを走らす。
最初は形を成さない、ただののたくった線でしかなかったが、やがて興が乗ったのか、かなり慣れた手つきで紙の上に人の姿を映し出した。
「ふむ」
満足そうに、一つ頷く栄子先生。
そこには、黄薔薇さまこと支倉令の、リアルな似顔絵が描かれていた。
「んふ」
再び、新しい紙にペンを走らせれば、あっと言う間に紅薔薇さまこと小笠原祥子の似顔絵が完成した。
紙をめくっては、ペンを滑らせること数枚。
机の上には、いろんな角度から描かれた山百合会関係者の似顔絵がずらり。
「ふーん、まだまだ腕は衰えていないようね」
美術部に所属していた頃の腕前は、未だ健在のようだ。
時間はまだある。
他にも、リリアンでは有名な人物、生徒に限らず教師やシスターも含めて、思いつく限り流れるように描き綴る。
更に10人ほどの似顔絵を描き、最後の人物が丁度描きあがったタイミングで、6時限目終了のチャイムが鳴り響いた。
「あら、終わり?結構熱中しちゃったのね…」
なんだかんだ言って、結局16枚の似顔絵を描き上げてしまった栄子先生。
どうしたものかと思案することしばし。
「…そうね、新聞部を通じて、希望者に譲ってあげましょうか」
捨てるにはあまりにも惜しいが、ここに置いておくのも勿体無い。
それなら、こんなものでも欲しがる人に譲る方がよほど建設的だ。
決断すれば、行動が早い栄子先生。
似顔絵を封筒に入れて、早々に保健室を後にする。
向かう先は、新聞部の部室。
いつになくご機嫌な様相の栄子先生は、足取りも軽く、教職員用の出入り口に向かうのだった。