【635】 言うなれば幸せであるように  (朝生行幸 2005-09-24 21:45:35)


 人と車が溢れ、喧騒が支配する東京の町並み。
 しかし、ほんの少し外れるだけで、一転して閑静な町並みが顔を見せる。
 静かな通りの一角に、目立たないが、洒落た雰囲気の小さな喫茶店が一軒。
 彼女は、いつものように窓際の席に座り、香り立つミルクティーを前にして、外の景色を眺めていた。
 昼下がりの心地よい気だるさを感じつつ、昨日のことを思い出す。

 仕事の打ち合わせを終えて戻ってみれば、真剣な表情の珍客が三人。
 一人は、肩まで伸ばした薄茶色い髪の、丸顔で表情がコロコロ変わる女の子。
 一人は、背が高い、パッと見れば男の子と見間違えかねない端正な顔立ちの少女。
 一人は、抜けるような白い肌に長い髪、猫目がちの儚げな美少女。
 話を聞いてみればその三人は、たった一人の先輩のために、この寒い中わざわざここまでやって来たという。
 よほどの思いと気持ちがない限り、なかなか出来ることではない。
 長い髪の少女が主に喋り、ボーイッシュな少女が宥めつつ、丸顔少女が百面相する。
 その様を思い出すたびに、笑いがこぼれそうになる。

 そして、若かりし頃の自分を思い出し、懐かしい気分に浸ることしばし。
 カチャリと音をたてて、そっとカップを置く。
 支払いを終えて店を後にすると、真冬にしては温かい太陽の光を浴びながら、明日、久しぶりに行ってみようと心に決める。
 良い天気になればいいな。
 そう思いながら、喧騒に溢れる町並みに戻って行った。

 あの頃からほとんど変わっていない門をくぐり、あの頃からあまり変わっていない銀杏の並木道を歩く。
 懐かしさを感じつつ、図書館の角を曲がれば、この間見た顔が一つ。
 左右に分けて、リボンで止めた髪型にしている、百面相少女だった。
「春日さん!?」
「……福沢祐巳さんでしたっけ?」
「はいっ。その切はお世話になりました」
「祐巳ちゃん、お知り合い?」
 祐巳の傍らには、もう一人、日本人離れした造作の女生徒がいた。
「いらっしゃいませ」
「ごきげんよう」
「えーっと。こちら春日さんっておっしゃって…」
 祐巳が彼女に説明する。
「後輩がお世話になりましたそうで。佐藤聖と申します」
 その名前を聞いて、少し驚く春日。そして、なんとなく納得したような表情で、
「そう、あなたが」
 と呟いた。
「ああそうだ。よろしければ…」
 佐藤聖と名乗った少女は、春日をパーティーに誘った。
「ありがとう。でも、これから人と会わないといけないのよ」
 春日は、佐藤に道案内を求めた。
 道が分からないというのではない。
 ここは、嘗て自分が居た場所だから。
 ただ、佐藤聖なる生徒ともう少し話がしたかった、ただそれだけだった。
 春日に学園長室までの案内を頼まれた佐藤は、快く請け負った。
 “いばらの森”を出版して以来、一番良く耳にした名前の生徒と一緒に歩く春日。
 数十年を隔てて、同じような経験と思いを共にした少女と歩く。
 来て良かった。
 春日は、心の底からそう思った。


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