「あ…」
早めに登校し、水泳大会の準備に勤しんでいた山百合会幹部の一人、白薔薇さまこと藤堂志摩子は、何かを思い出したように、小さな声をあげた。
「どうしたの?志摩子さん」
傍らにいた、紅薔薇のつぼみこと福沢祐巳が、志摩子に問い掛ける。
「あ、いえ、薔薇の館に忘れ物をしてしまったの。どうしようかしら…」
「必要なものなら、取りに行かないといけないんじゃ?」
聞き耳を立てていたのだろう、黄薔薇のつぼみこと島津由乃も、会話に加わる。
「ええ、でも…」
ためらいがちの志摩子。
なぜなら彼女は今、水着姿だったのだから。
水泳大会ということで、水泳部員を筆頭に、各クラスの体育委員と山百合会が準備を行うことになっていた。
学校行事に山百合会が参画しないはずがない。
上は薔薇さまから下はつぼみまで、全員総出で準備中なのだ。
当然、全員水着であるのは言うまでもない。
「あそっか、さすがに水着姿じゃ行き難いよねぇ」
ちょうど登校のピーク時。
そんな生徒に溢れる時間に、水着姿の白薔薇さまが闊歩すれば、いろんな意味で大反響が起きることは目に見えている。
「着替えるのはちょっと…」
一度濡れてしまった水着は脱ぎ難いものだし、一度脱いだ水着は、心情的に改めて着に難いものだ。
上に制服を着る手もあるが、濡れてしまうし、タオルを巻いても、それはかえって妖しさが増す。
「うーん、どうしたものか」
二年生が揃って悩んでいると…。
「祐巳!?」
「はい!」
紅薔薇さまこと小笠原祥子が、祐巳を呼んだ。
「なんでしょうお姉さま?」
「悪いけれど、薔薇の館に置いてあるクラスのプラカードを取って来てもらえるかしら?」
「…え?」
「一階の倉庫に置いてあるから。そうね、重いから乃梨子ちゃんに手伝ってもらって」
「う、えーと、はい」
「じゃぁ、頼んだわね」
準備に戻る、水着姿の祥子。
祐巳は、その後姿に見とれつつも困った顔をしていた。
「仕方ないかぁ。乃梨子ちゃん?」
「なんでしょうか祐巳さま」
かくかくしかじかと説明すると、やはり乃梨子も格好が気になるのか、あまり良い顔しなかった。
「気持ちはわかるよ。でも、一人で行くよりマシだよね。ついでだから、志摩子さんも一緒に」
「そうね。三人なら少しは気にならないかも」
こうして三人は、学校指定のスクール水着のまま、薔薇の館へ移動することと相成った。
山百合会関係者のうち丁度半分が、水着のまま敷地内を歩くこの珍事。
登校中の生徒たちが、黄色い悲鳴を上げながら、三人に注目する。
目がハートとはこのことだった。
照れと恥ずかしさで、背中がむず痒い。
「うーん、予想通りの反応なんだけど」
「人目を引き過ぎですね。やっぱり着替えた方が良かったかもしれません」
「でも、ちょっと気分が良いわ」
『志摩子さん!?』
予想外の志摩子の言葉に、驚きの声をあげる祐巳と乃梨子。
ずずいと先頭を歩く志摩子は、ギャラリーに向かって手を振りながら、ニッコリと白薔薇スマイルを振り撒きまくる。
中には、失神して倒れる生徒までいる始末。
「私達、見られているのね」
両手を頬に当てて、身体をくねらす志摩子。
図らずも胸が寄せて上げて状態となり、ただでさえボリューム満点の志摩子の胸が、さらに強調される。
「うわー、どうしよう。志摩子さんハジけちゃったよ」
「でも、そんな志摩子さんもステキ♪」
「って、あらら」
こりゃダメだ、まさか、乃梨子までおかしくなるとは。
祐巳がどうしようと途方に暮れていると、
「祐巳さま!」
「あ、ごきげんよう瞳子ちゃん」
「暢気に挨拶なんてしてる場合ですか!なんですのその格好は!白薔薇さまや乃梨子さんまで!」
「そうは言ってもねぇ」
「とにか、く…」
乃梨子を見た瞳子は、言いかけて絶句した。
「な、なに瞳子。どうしたの?」
答えずに瞳子は、乃梨子の姿を、特に胸元を凝視すると、
「う、う、裏切り者〜〜〜〜!!!!」
ワケのわかんない絶叫と共に、涙を流しながら走り去った。
「な、なんだったのかな?今の」
「さぁ、私にもとんと…」
ウキウキと先を歩く志摩子と、土煙を上げて走る瞳子を見ながら、呆然と立ち尽くす二人だった。
その後、何人かの生徒が競技に出られなくなるというトラブルはあったものの、水泳大会は無事に終了した。
写真部公認の写真は、厳重な管理の元、希望者に配布された。
しかし、当然ながら、裏ルートの写真も存在するわけで…。
学園敷地内を歩く白薔薇姉妹、紅薔薇のつぼみの写真は、かなりの値で取引されたという。
特に、はっちゃけ志摩子の写真には、天井知らずの値が付いたとか付かなかったとか…。