そのとき 【No:666】 まつのめさんに続いてしまいます。
二時間目、世界史の授業中。
真美は、上の空で脱力していた。
(今朝は修羅場だったわ。)
三つ編みとツインテールが見える。後ろにはメガネ。三人とも朝拝の鐘と同時に教室に駆け込んできたし、一時間目のあとは三人ともぐったりと机に突っ伏していたので、話もしていない。
(つぼみ二人の動きが見えるんだから、動かなくてもいいのよね。ちょっと休ませてもらうわよ。)
夕べ志摩子さんから電話がかかって、あらかじめ準備していた白薔薇さまのインタビュー記事中心の号外の発行を許可された。内容は、志摩子さんが瞳子ちゃんにロザリオを渡し、瞳子ちゃんがそれを受けたことに関する志摩子さんの想い。薔薇の館での打ち合わせ以来、祐巳さんにはちょっとショックが大きすぎたらしいけれどおおむね志摩子さんの予定通りに行っているらしかった。
編集はできていたから、プリントアウトして配るだけ。とはいえ祐巳さんが登校してくる朝である。校門からマリア様の前まで、号外を配っている新聞部員は同時に取材班でもあるのだ。部員全員に招集をかけて、マークする相手を決める。日出実は瞳子ちゃんに貼り付け、自分はもちろん祐巳さんをマークする。なにか、起こるはずだった。
そのなにかは、あまりに早くやってきた。そう、真美が早出のために起きるまもなく。
半分ねぼけながら電話に出ると、由乃さんだった。
「で、新聞部に何をしろというの? 黄薔薇のつぼみ。」
「山百合会は新聞部に命令できるタチバじゃないわよ。ただ、投票があって、そういうことがあるのよって情報を編集長さんに教えてあげただけ。」
「意図のあるリーク情報は嫌いだわ。」
「知らないよりもいいでしょ? 祐巳さんに協力して欲しいの。」
「個人的な友情の領域を越えているわよ、由乃さん。」
「わかってる。それでも。」
「わかったわ。聞いておく。」
「あとで会いましょう。」
「私は校門で号外を配ってるわ、今のを記事にしてもしなくてもね。」
一気に着替えて、ゼリーインビタミンを二つ、つかんで飛び出す。
編集にはせいぜい30分しかない。号外はほとんど全員が取っていくし、先生方も持って行く。一人で何枚も持って行く人だっている。中等部、大学部から花寺までも一応読者のうちに入れている真美だ。高等部全18クラス分に一割増くらいでも号外ははける。
(職員室のレーザープリンターも借りなきゃ。)
今考えているのは発行手順だけ。記事の内容は、潜在意識に任せておく。日出実たちと話さなければどうせ書けない。
†
全員がそろって、由乃さんの電話の内容を伝える。案の定、新聞部員の意見は割れた。
「騒ぎになりますわ。山百合会の公式発表まで抑えるべきではないのかしら。」
「恭子、そうはいかないわ。高等部の全員に関わる姉妹の問題を山百合会幹部が採決した。今日、登校してくる紅薔薇のつぼみの意見によっては結果が決まるか薔薇の館が二つに割れるか。これは高等部全員が知る権利のあることよ。」
さすが我が妹。飲み込むのは早い。
「でも、せめて薔薇さまの誰かに確認を取らなくてもいいのでしょうか。」
「真美さま、黄薔薇のつぼみの電話の内容は、信じてもいいのでしょうか。」
「それは聞く相手が違うわ。日出実?」
「え?」
「昨日は、白薔薇のつぼみに突撃するって言ってたわよね。なにか聞いたんでしょう?」
「……」
「薔薇の館のあやしげな打ち合わせから付き合わせてごめんなさいね。そう、私は祐巳さんのために私情で動いていたわ。これ。」と、今頃大量に刷っている予定だった号外を叩く。
「私の個人的なお願いで作ったようなものよね。」
「お姉さま。」
「だから、昨日、乃梨子ちゃんから取材したことを日出実が私に隠していたとしても怒らない。怒らないから言ってごらんなさい。由乃さんの電話の話と一致するの?」
「……一致…します……。しますけど、これでは瞳子さんも乃梨子さんもあんまりかわいそうです。せめて、せめて白薔薇さまに連絡を取ってから…。」
「だめよ、日出実。」
決めた。記事に、する。
座の中心に進み出る。仁王立ち、腰に手。すこしはお姉さまみたいに凛々しく見えるかしら。
「みんな聞いて。最初の号外は、白薔薇さまと瞳子ちゃんたちのプライベートな話だったわ。だから白薔薇さまに許可をもらって号外を出すつもりだった。その後追いが出たとしても、それはその人達の自分の責任よ。」
うなずく一同。
「でもね、今度の内容は違うの。山百合会幹部の採決があった。高等部全員の関わる問題を6人に決められていいの? 姉妹複数制にかわら版が反対するって意味じゃないのよ。全校へのアンケートもなしに投票がされてる。これは、本来の新聞部の伝えなければいけないことなのよ。」
「でも、お姉さま。山百合会幹部の決議に拘束力なんてないです。採決したことも公表してません。号外にするのは早すぎませんか。」
「日出実、あなたが裏を取ったことを疑う趣味はないわよ。それで充分。これはね、たとえ薔薇の館の許可がなくても、リリアン瓦版が載せなければいけない記事なのよ。そうでしょう?」
「はい。」
「利用されるのではないわ。高等部の全員のために。」
そう、これはリリアン瓦版の誇りを賭けた決断。
「編集長として決定します。号外を差し替え、姉妹複数を可能にする制度について、山百合会幹部が採決を取っていることを記事にするのよ。」
「はいっっ。」
「いいわね、編集に30分。日出実!」
「はいっ。」
「白薔薇さまのインタビュー記事を三分の一に縮めて。瞳子ちゃんにロザリオを渡したことだけに絞るの。」
「はい、お姉さま。」
「恭子。」
「はい。」
「レイアウトを変えている時間はないわ。白薔薇さまと瞳子ちゃんの写真はそのまま。志摩子さんのインタビューを左下につっこんで、残りを開けて。」
「はい。」
「それから礼子。職員室へ走って。レーザープリンタ押さえてきて。智美? 見出しをお願い。」
「どうするの? 真美。『山百合会で採決!姉妹が多夫多婦制に!』ってこれじゃきつすぎるわよ。」
「きつすぎるくらいでちょうどいいわ。自分たちの姉妹の身の上になにが起こるのか、全員のアタマにたたき込むのよ。」
「お姉さまはメイン記事を?」
「もちろんよ、日出実。由乃さんの言葉通りに書いたらとんでもないことになるわ。私が書いても相当とんでもないことになるでしょうけれどね。」
それからの騒ぎったら……。それにしても、私を妹にとか、妹にしてくださいとか、山口真美、いつのまにこんな人気者になったんだ? いや、だれでもいいのか、あの子たちは。
さて。どう収拾するか。薔薇の館のお手並み拝見と行きましょう。
『ロザリオはただの飾りです。姉妹というのはそこに居なくても信じられる人。ロザリオという物でつながっているわけではないわ。』
『瞳子さんにロザリオを渡したけれど、私の妹は乃梨子。瞳子さんがある人と仲直りするまで、そしてある人が誤解を解くまで、わたくしは瞳子さんを預かっているのよ。』
元の号外から日出実が切り落とした部分。なかなか、やる。もちろん『あとで使うために』残したに決まっている。さすがに中等部の時から黄薔薇革命の後始末も、イエローローズの後始末も読んでいただけのことはあって、その辺の勘はするどい。
それなら、私の尻ぬぐいは日出実に任せて、今日はやっぱり予定通り祐巳さんにぴったり張り付く、というのが正解ね。
まだまだ忙しい一日になりそうだった。
お姉さま、今日は登校してないといいんだけどなあ。
これ以上、かき回す人が増えたら、ぜーんぶ日出実にまかせて小寓寺に座禅でも組みに行くわ。