ありきたりな八月は 【No:669】の続きです。
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「瞳子ちゃん……どういうこと?」
見られてしまった。
よりにもよって、彼女の姉である紅薔薇様祐巳さまに……。
最悪だ。
次の日、祐巳さまは登校してこなかった。
*
授業中、こっそり彼女の様子を窺い見る。
彼女の表情は暗い。
授業にも集中できていないようだ。
それはそうだろう。
彼女の姉祐巳さまは、彼女の弁解も聞かず、
この世の終わりのような顔をして、屋上から走り去ってしまったのだから。
休み時間、彼女の友人達が必死に事情を聞き出し励まそうとしていた。
しかし、彼女が理由を語ることなど無いだろう。
私とキスしていたところを姉に見られて、
姉との関係が壊れてしまったのではないかと落ち込んでいるなどと誰が言えよう。
彼女と姉の祐巳さまがどれほどの試練を乗り越え、ようやく結ばれたのかは何となく知っていた。
それを壊したのは私だ。
ベストスール賞確定と言われた二人を引き裂いたのは私だ。
でも、壊れてしまった物は仕方が無いじゃないか。
私と彼女のキスシーンを見られてしまったのだって運命だって言える。
……何故だ? どうしてこんなに嬉しいんだろう。
彼女はきっと苦しんでいるはずなのに。
どうやって姉との関係を修復すればいいのかと悩んでいるはずだ。
私は、人の不幸を喜ぶような最低の人間だったのか?
屋上で、いつものように寝ころび空を眺める。
たぶん、彼女は来ない。
スカートのポケットに手を伸ばす。
「……そうか、やめるっていったっけ」
『瞳子は雅美さんのことが心配だから……』
あの時の彼女の顔が脳裏に浮かんだ。
胸一杯に空気を吸い込んだ。
「雅美さん……ですよね」
下の方から声がした。
私の居る場所は、給水塔がある屋上でも一番高い場所。
彼女の居る場所からは誰か居ることぐらいしかわからないだろう。
「私なんかになんのご用でしょうか? 白薔薇の蕾」
私はわざと皮肉を込めてそう呼んだ。
「その呼び方、出来ればやめて欲しいんだけど」
「そう? でも、あなたは白薔薇の蕾でしょう?」
全くといって関わり合いのない彼女が、こうして私を訪ねてくる理由はたった一つだ。
「それで? 私になんの用? あいにく、私は山百合会の方に訪ねてきてもらう理由はないはずだけど」
「山百合会としてでもなく、白薔薇の蕾としてでもなく、私は瞳子の親友としてあなたに会いに来たのよ」
私はゆっくりと体を起こした。
険しい顔で私を睨むように見ている彼女と目があった。
「それで?」
「あなた、瞳子のことどう思ってるのよ」
「そう、あの子話したんだ」
彼女はいつも遠くから親友を見守っていた。
取り巻きのようにべったりくっついている二人と違って、
あっさりとした関係だが、最後に彼女が頼りにするのはいつも白薔薇の蕾である彼女だった
。
「いいえ、違うわ。 瞳子は何も話さなかった。
いつも放課後は、一番に薔薇の館に来る瞳子がこの頃遅れてくるようになった。
祐巳さまに会えるのを楽しみに、いつだって掃除当番が終わると私のことも待たずにあわてて行っちゃうのに。
そんな瞳子が、遅れてくる。 そして、様子がおかしい。
だから、私……瞳子の後をつけたんだ」
「へぇ、山百合会の皆さんは覗きが趣味なのね」
「ちゃかさないで!!」
彼女は必死になっているように見えた。
白薔薇の蕾と言えば、下級生からは冷静沈着な山百合会の参謀として憧れのまなざしで見られている。
そんな彼女が見せる一面に少しばかり驚いた。
「あなたは、どう思ってるの? 瞳子のこと本気で好きなの?」
「別に」
「別にって!?」
彼女の表情が凍り付いた。
「別に、何とも思ってないわ。 ただキスしたかったからしただけ。
彼女の唇がやわらかくて気持ちよかったから」
「そんな、そんなことで瞳子とキスしたって言うの!!」
その先に続く言葉は、聞かなくてもわかっている。
そのせいで、彼女と紅薔薇様の関係がおかしくなってしまった。
そして、そのせいで彼女が悲しんでいると言いたいのだろう。
「理由はそれだけ。 私にとって彼女はここで吸っていた煙草と同じよ」
「……お願い。 瞳子をこれ以上苦しめないで。
瞳子はやっと祐巳さまの妹になれたんだから。
瞳子は何年分も苦しんで苦しんで、やっと祐巳さまの妹に……
だから……だから………もう、苦しめないであげて」
罵られると思った。
非難の声が飛んでくると思った。
もしかしたら、私の居る場所まで登ってきて殴りかかられるかもしれないと思った。
しかし、彼女はただそう言って泣き崩れた。
だから、私は知ったのだ。
「あなたは好きなのね」
「……そうよ、私は瞳子が好き。 でも、私は親友で居るしかないから。
それより先は望んではいけないから」
彼女は、本当は紅薔薇様にも彼女を渡したくないんだ。
でも、彼女が好きだから、自分の気持ちを押し込めて親友というボジションに身を置いている。
私は静かにはしごを下り、彼女と同じ高さに立った。
「あなたが彼女を好きなのはわかったわ。 でも、だからといって私はどうもしない。
彼女がここに来れば、私はキスをするし。 来なければ何もしない。
それだけよ」
私は、顔を覆って泣き続ける白薔薇の蕾を屋上に残し立ち去った。
*
そして、騒がしい一日が始まった。
『紅薔薇姉妹の破局』
お昼休みに配られたリリアンかわら版の号外には、そのような文字が飛び交ったらしい。
登校してきた祐巳さまに彼女がロザリオを返したというのだ。
幸いなことに、私の名前は載っていなかった。
紙面には、浮気の責任を取って姉にロザリオを返したという彼女の写真が掲載されていた。
その時の言葉のやりとりまで伝わってきそうな見事な写真は、3年の武嶋蔦子の手による物だろう。
当然、リリアン中の生徒が紅薔薇の蕾の浮気相手が誰なのかに関心を寄せている。
このまま行けば、リリアンかわら版に名前が載るのは、高等部に進学して以来2度目になる。
確か、マリア祭前後に出たかわら版に『今年の一年生』みたく名前が載ったことがあったはずだ。
いや、そんなことはどうでもいい。
まさか、新聞部に追い回されるはめになるとは……。
こういうのは、読んでネタにされている人間を気の毒だと思いつつも楽しませてもらうのがいい訳で、
ネタにされるのはたまったもんじゃない。
とりあえず、私は屋上に逃げることにした。
思い扉を開き、誰も居ない屋上に出る。
予鈴が鳴り、午後の授業の始まりを告げる。
いつもの給水塔へのはしごを登っていくと、そこにあるはずのない人影が見えた。
小さく体を丸め、私が登ってきたことにも気づいていないかのようにしていたのは彼女だった。
「紅薔薇の蕾が授業をボイコットですか?」
彼女の体が僅かに動く。
「……瞳子はもう、紅薔薇の蕾じゃありませんわ」
その声は弱々しく、まるで別人のようだった。
静かにゆっくりと彼女は顔を上げた。
制服の袖の部分がぐっしょりと濡れていた。
真っ赤に腫れた目。
それは、彼女がずっとここで泣き続けていたことを示していた。
「馬鹿なことを……何故、紅薔薇様にロザリオを返した?」
「……瞳子はわからなくなってしまったんです。
ここで、あなたに出会って。 キスされて。
最初は頭に来たんですけど、それから何だかあなたのことばかり考えるようになって
祐巳さまと一緒にいても、どうしてもあなたのことばかり気になってしまって……。
それで、今朝。その事を、祐巳さまに言いました。」
「…………」
「祐巳さまは、「瞳子はその人が好きになっちゃったんだね」って悲しそうな顔をされました。
そして、瞳子は祐巳さまにロザリオを返しました。
瞳子は祐巳さまの妹で居る資格が無くなってしまったから」
「よっと」
突然、私達の背後に人の気配が現れた。
目の前の彼女の表情が固まる。
そして、振り返った私の目の前に立っていたのは今話していた紅薔薇様だった。
「私ね、欲張りだから瞳子……瞳子ちゃんが私を見てくれていないと嫌なの。 だから、勝負よ雅美さん」
そう紅薔薇様が言った直後、眩しい光が私を襲った。
「私は諦めないからね。 絶対、瞳子ちゃんをもう一度振り向かせてみせるから」
紅薔薇様はそう言って、ロザリオを高々と掲げた。
いつの間にか側にいる眼鏡をかけ、カメラを首から提げた武嶋蔦子さまとメモ帳を持った山口真美さま。
「ちょ、ちょっと待ってください……こ、これは」
何が何だかわからない。
「紅薔薇様のかわいい妹をたぶらかした罪は大きいわよ?」
武嶋蔦子さまの眼鏡が怪しく輝く。
「ここのところ、大きなニュースが無くて困っていたところなの。 ネタ提供ありがとう」
山口真美さまもニヤリと不適な笑みを浮かべた。
「お待ちください!」
さらに下からはしごを勢いよくよじ登ってきたのは白薔薇の蕾。
「もう、瞳子は誰にも渡しません!」
「あら、モテモテねぇ瞳子ちゃん」
いつの間にか黄薔薇様まで居る。
とおもったら、その後ろには白薔薇様がにっこりと笑って立っていた。
みんなの獲物?である瞳子さんはあまりのことに目を点にして呆然としていた。
「絶対負けないんだから!」
「負けませんから、祐巳さま」
「だから、私の意志は……」
かくして、私は松平瞳子を巡る乙女の戦いに強制参加させられることとなったわけで。
でも、本当のところ私は彼女のことをどう思っているのだろうか。
とりあえず、明日からが思いやられる……。
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なんか、もの凄いことになってる(w
最初は、瞳子が祐巳の妹になった後の
レイニーブルーみたいな感じにしようと思っていたはずなのに……。
微妙に乃×瞳風味も……。
この話の乃梨子はガチレズです(ぉ