【688】 可南子、自爆した  (いぬいぬ 2005-10-03 23:10:45)


 文化祭を間近に控えたとある日、「とりかえばや物語」の練習会場である被服室の片隅で、劇の主役の姫君は鏡を見ながら手芸部と発明部の技術の進歩に舌を巻いていた。
 鏡の中には普段の三割り増しの美しさを誇る自分がいるのだ。正直、最初は衣装も全く似合っていないと嘆いたものだが、手芸部にメイクに精通する部員がいたことが幸いし、今では見た目だけは立派な主役級だと自分でも思えるほどに進化をとげていた。
 ここまでやってくれた部員達の熱意に答えるためにも頑張らねば。姫君はそう決意し、鏡の前でどの角度が一番綺麗に見えるかと研究を始める。
「精が出ますね」
 そう言いながら姫君のもとに歩み寄って来たのは右大臣、細川可南子だった。
 密かに努力する姿を見られた姫君は、かすかに頬を赤らめて照れ笑いを浮かべた。可南子もそんな姫君を見て微笑む。
 しかし可南子はすぐに微笑みを消してしまった。そして少し疲れたようにうつむいてしまう。そんな可南子の様子に、姫君は「どうしたの」とでも言いたそうな顔で彼女の顔を真正面から見つめる。
 あいかわらず思った事が顔に出やすい。そんな事を思うと少しだけ気持ちが楽になったような気がして、可南子は姫君に問いかける。
「私・・・やはり劇を続けるのが辛いです。でも、あなたの無心で頑張る姿を見ていると、自分が甘えているだけのような気がしてきました・・・ 私ももっと熱心に練習すれば、そのうち劇を楽しいと思えるようになるんでしょうか?」
 そんな可南子の疑問に、姫君は「大丈夫」とでも言うように一つうなずくと、可南子にこうアドバイスを送った。
「うん、きっと楽しくなると思うよ“細川さん”。“俺”も正直、嫌々始めたんだけど、やってるうちにだんだん楽しくなってきたクチだから。 ・・・・・・まあ、女装が楽しくなってきた訳じゃないけどね」
「?!」
 姫君は祐麒だった。確かに手芸部と発明部の技術の進歩は素晴らしいものがあるようだ。
 しかし、可南子のダメージは大きかった。まさか自分がよりによって祐巳と祐麒を間違えるとは思ってもみなかったから。そもそも以前、女装した祐麒を祐巳と呼ぶ令に不快感もあらわに「この『間違い探し』には、いったいどんな意味があるんですか」と吐き捨てたのは、他ならぬ可南子自身だったのだから。
 あまりの自爆っぷりに言葉も出ず、可南子は真っ赤になってしまった。そして「し、失礼します!」と叫び、祐麒の前から逃げ出したのであった。
 
 
 そんな可南子の様子を見ていた人物が二人。宰相(由乃)と若君(祐巳)だった。


 可南子は恥ずかしくて祐麒の前から逃げ出したものの、劇の練習をほっぽり出して逃げる訳にもいかず、被服室の隅、祐麒のいたところとは部屋の中で反対側にあたる所まで避難してきていた。
(ああぁ・・・・・・なんて間違いを・・・・・・・・・よりによって男を祐巳さまと勘違いするなんて。カーネル・サンダースの人形を人だと思って話しかけるよりも恥だわ)
 そこまでの恥かどうかは意見の分かれるところだと思われるが、とにかく可南子は頭を抱えてうずくまりたいほど落ち込んでいた。恥ずかしさのあまり、頬が熱かった。
 そんな可南子のもとに、宰相(由乃)と若君(祐巳)が近寄ってくる。どうやら落ち込んだ様子の可南子を(若君が)心配しているらしい。
「どうしたの?可南子ちゃん。そんな思いつめた顔して」
 今、最も目を合わせずらい人物に顔を覗き込まれて、可南子はさらに赤面してしまった。
「な・・・なんでもありません」
 祐麒を祐巳だと思って話しかけてしまった罪悪感から、可南子は不自然なくらい若君から顔をそむける。だが、普段は天然子狸な若君も、何故かこんな時だけしつこく食い下がってくる。回り込んで再び可南子の顔を覗き込みながら、突然核心を突く疑問をぶつけてくる。
「祐麒と話してたけど、あいつ何か失礼な事でも言ったの?」
「い、いえ!・・・そういう訳では・・・」
 なんでこの人は時々こう鋭いんだろう?可南子はドキドキしながらさらに若君から顔をそむけた。
 その時、そんな可南子の反応を見ていた宰相が、突然ひらめいた自分の推理を自信満々に言い放った。
「・・・判った!あなた恋をしてるわね?」
 宰相は可南子を指差して宣言した。
「はい?・・・・・・ち、違います!」
 可南子は慌てて否定するが、青信号の点った宰相は簡単には止まらなかった。
「またまた・・・誤魔化さなくたって良いのよ? ・・・密かに想いを寄せるあの人に思い切って話しかけたは良いけど、優しく微笑むあの人の顔を見たら急に恥ずかしくなって慌てて逃げ出した・・・ってトコかしら?」
 何やら陶酔した顔でその場のシチュエーションまでも勝手に推理しだすイケイケ宰相に、可南子は絶句してしまう。
「可南子ちゃんたら意外と積極的なのねぇ・・・ 言ってくれれば協力してあげたのに」
 ニンマリと笑う宰相を見て、可南子は我に返り慌てて反論する。
「だから違うと言っているでしょう!そんなんじゃありません!」
「・・・じゃあ、何で真っ赤になって逃げてきたのかなぁ?」
 宰相はヤケに嬉しそうだ。
「う!・・・・そ、それは・・・」
「それは?」
 祐巳の前で真実を語る訳にもいかず、可南子が黙り込む。そして、そんな可南子を見ている宰相の顔は益々ニヤニヤと楽しそうになってゆく。まるで獲物を見つけて舌なめずりをしているかのように。
 そんな宰相の顔を見て若君は「何だかんだ言って江利子さまに似てきたなぁ・・・」などと思ったが、後が怖いので口には出さなかった。
 そして宰相は徐々に可南子を追い詰めてゆく。
「素直になって良いのよ?可南子ちゃん。なんせここには憧れの人の実のお姉さまもいるんだし、正直に吐けば悪いようにはしないわよ?」
 まるで犯罪者を尋問する町奉行のような宰相のセリフに、隣りで話を聞いていた天然子狸な若君が助け舟を出す。
「由乃さん、そんなふうに言われたら、可南子ちゃん困っちゃうよ」
「・・・祐巳さま」
 やっとこのくだらない会話が終わると思い可南子がほっと息をつくと、若君は続けてこんな事を言い出す。
「こういうのはヘタに回りが手を出すと上手く行かないものなんだから。そっと見守ってあげようよ」
「祐巳さま?!」
 さすが天然モノの子狸。宰相の推理を微塵も疑っていないようだ。
「可南子ちゃん、私も応援するからね!何か祐麒に聞きたい事とか言いたい事があったら、私が橋渡しになるように頑張るから・・・」
「ち、違うんです祐巳さま!私は・・・」
 思い余った可南子がいっそ本当の事を言おうとすると、若君は笑顔でこんな事を言い出した。
「だからストーキングしちゃダメだよ?」
「まだそのネタ引っ張るんですかぁぁぁぁぁぁ!?」
 応援だか嫌味だか判らない若君の言葉に、可南子は泣きながら被服室を逃げ出したのだった。



 
 夕暮れの迫る頃、可南子は被服室に返ってきた。逃げ出してしまったために劇の練習に迷惑をかけてしまった事と、誤解を解かずに祐巳の前から逃げ出したのを謝らなければならないと思ったから。ついでに言えば右大臣の衣装も着たままだったし。
 そっと被服室を覗くと、若君が衣装を着たまま机の位置を直しているところだった。 祐巳ひとりのほうが話しがし易い。可南子はそう思い、そっと被服室へ入ってゆく。すると可南子の気配を感じたのか、若君が振り向いた。
「・・・先程は突然逃げ出したりしてすみませんでした」
 可南子がそう言いながら頭を下げると、若君は優しく微笑みながらゆっくりと首を振る。まるで「大丈夫だよ」と励ますように。そんな若君の顔を見て、可南子は心安らぐ自分の気持ちに気付く。
(ああ、この人は私が間違った時にも見放さずそばにいてくれる・・・ いつもとかわらず優しく微笑みながら)
 可南子はそれだけで嬉しくなり、不覚にも少し涙ぐんでしまう。
 この人の妹になる気は無い。しかし、一人の先輩として、また一人の友人としてそばにいて欲しい。そうすればまた自分が道を誤った時にも導いてくれるだろうから。
 可南子は自分が祐巳に何を求めていたのかにやっと気付けた事が嬉しくて、思わず自分の心情を語り出した。
「私、もう少し劇の練習を頑張ってみようと思います・・・ でも、不器用だから、また間違ったほうへ進むかも知れません。だから・・・」
 可南子は真っ直ぐに若君を見つめる。若君も可南子の真剣な様子に気付き、真正面から可南子の視線を受け止める。その視線が勇気を与えてくれるような気がして、可南子は自分の思いを正直に解き放つ。
「私を導いて・・・そばにいて導いてくれますか?」
 真っ直ぐな可南子の願いに、若君は赤くなりながら照れ臭そうに答えた。
「・・・・・・俺なんかで良ければ」
「?!・・・・・・またアンタかぁぁぁぁぁぁ!!」
 自爆リターンズ。
 二度目の勘違いに可南子は逆ギレし、祐麒につかみかかった。
「何?・・・・・・ちょ!・・・可南子さん落ち着いて・・・」
「馴れ馴れしく名前で呼ぶなぁぁぁぁぁ!!」
 そして可南子はふと気付く。今の会話が、はたから聞けばまるで愛の告白のようであったと。目を潤ませて「そばにいて」などとオネガイしてしまった自分を思い出し、可南子は真っ赤になりながら益々逆上しだした。
「忘れなさい!今、私が言った事を全部忘れなさい!!」
「いや、そんな事言われても・・・ 聞いちゃった後だし」
 根が正直な若君は、その場を取り繕うという事ができなかった。そんな若君のセリフに、可南子は益々パニックに陥り・・・
「記憶を失えぇぇぇぇぇ!!」
 若君の頭をつかんでブンブン揺さぶりだした。
「うわ・・・ま・・・・・・細・・・やめ・・・」
 若君はなんとか可南子の手から逃れようともがくが、激しいシェイクにだんだん意識がモウロウとしたきた。
「やめ・・・・・・細か・・・・・・わさん・・・」
「まだ忘れないかぁぁぁぁ!!」
 そんな若君に、可南子はお構いなしに高速シェイクを続ける。そしてとうとう若君は限界を迎え・・・
「・・・・・・・・・もう・・・・・ダ・・・メ」
「え?・・・きゃあ!」
 可南子もろとも倒れ込んでしまった。
「イタタタタ・・・」
「・・・・・・・・・・・・気持ちワリィ・・・」
 目を回し仰向けに倒れ込んだ若君。可南子もそんな若君の上に倒れ込んでしまった。
 その時、被服室の扉が開かれた。
「騒いでいるのは誰?」
 そう言いながら入ってきたのは祥子だった。後ろには山百合会の面々や劇に協力している手芸部や発明部、さらには花寺の生徒会役員達もいる。
 祥子の声に、可南子は反射的に声のしたほうへ顔を向けた。祥子から何か小言でも言われるかと思いながら扉のほうを見るが、祥子は何を言うでもなく呆然と立ち尽くしている。後ろに控える面々も同様に無言だ。
 そんな一同の様子を不審に思った可南子が改めて自分の置かれた状況を確認すると、『仰向けになった若君の上に馬乗りになっている自分』という、のっぴきならない状況に気付いた。
「イヤ違!・・・ これはその!・・・」
 可南子は慌てて弁解しようとするが、パニくっているために上手く言葉にならない。そして、そんな可南子を見た祥子はというと・・・
「・・・・・・・・・・・・そういえば発明部に新しくできた舞台装置を確認しに行かなければならなかったわね?」
 そんな事を呟きながら被服室から立ち去ろうとする。どうやら見なかった事にする気らしい。
「まっ!・・・話を聞いて・・・」
 可南子は被服室の扉に向かいすがるように手を伸ばすが、一同は生暖かい視線を送り返してくるばかりで、全員がいそいそと立ち去ろうとするばかりであった。
 可南子が絶望感に囚われていると、突然祥子が立ち止まり、こちらに向き直る。そして祥子は可南子に語りかけた。
「可南子ちゃん」
 良かった、どうやら話を聞いてもらえそうだ。そう思い可南子がほっとしていると、祥子のこんなセリフが聞こえてきた。
「恋愛は自由だけど、劇に影響の無い範囲でお願いね」
「ちが!・・・私はそんな・・・・・・」
 可南子は尚も手を伸ばし弁解しようと試みるが、返ってきたのはやはり生暖かく見守ろうという視線ばかりだった。しかも、いつの間にか姫君に着替えていた祐巳や『やはり私の推測は正しかった!』とでも言いたげなイケイケ宰相が、小さなガッツポーズで「頑張れ♪」とブロックサインまで送ってくる始末だった。
 あまりの事態に可南子が口をパクパクさせていると、たまたま取材に来ていた真美の「生々しすぎて瓦版には載せられないなぁ・・・」などという呟きまで聞こえてくる。
(新聞部にまで引かれる私っていったい・・・)
 可南子がガックリとうなだれていると、若君が下から呼びかけてきた。
「細川さん・・・」
 何かと思い、可南子が次のセリフを待っていると・・・
「脳をゆすっても記憶は無くならないと思うよ」
 今頃そんな事を言い出した。
 そのセリフを聞いた可南子は再びブチ切れ、若君の顔を両手で左右から鷲づかみにしながらずいと顔を寄せ、視線で殺そうかとでもいうように睨みつけた。
「この大変な時にアナタって人は!」
 
 カシャ!

「・・・・・・え?」
 突然扉のほうから聞こえた音と光に驚き、可南子がそちらを向くと、カメラを構えた蔦子と目が合った。
「せっかくだから記念に一枚撮っといたよ♪ じゃ、後は二人でごゆっくりどうぞ」
 蔦子は笑顔でそんな事を言いながら扉を閉めた。
「・・・・・・・・・え?・・・・・・えーと・・・」
 可南子はあっけにとられながらも、再び自分の置かれた状況を整理する。すると『自分が若君(祐麒)に馬乗りになり、さらには若君(祐麒)の顔を両手で抱え、自分から顔を近づけている』という状況に気付く。
 平たく言えば『若君を押し倒して襲ってる右大臣』というシチュエーションだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・終わった」
 可南子はバッタリと倒れ込んでしまった。
「細川さん?!どうしたの?貧血?!」
 やはり天然子狸の弟も天然だったようだ。
 自分がどんな状況に巻き込まれたかサッパリ気付いてない若君は、必死に右大臣(可南子)を呼び起こそうとするのであった。







 この後、目を覚まさない右大臣(可南子)を心配した若君(祐麒)が、心配のあまり右大臣(可南子)をお姫様抱っこで保健室に強制連行するという荒業を披露したり、蔦子の現像した例の写真を見て「いやぁぁん♪右大臣が若君を襲ってるぅ!」と狂喜乱舞するというマニアな一面を見せた笙子から写真が流出したりで、可南子はすっかり「花寺の生徒会長とお付き合いしている」という認識を持たれてしまった。
 さらには「校内でコトにおよんだ勇者」として、学園祭が終わった後まで好奇の視線に晒され続けたのだった。
 
 
 


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