【692】 壮絶達人意気衝天  (朝生行幸 2005-10-04 16:23:19)


 M駅前の噴水脇で、静かに佇む一人の少女。
 その肌は抜けるように白く、その身体は折れそうなぐらいに繊細。
 だが、その猫目がちな瞳には、立ち塞がる物全てを薙ぎ倒さんばかりの力強い光が灯っていた。
 時折、思い出したように顔を動かせば、その度に、一纏めにした三つ編みが、まるで猫の尻尾のように左右に揺れる。
 そして、小さな溜息とともに、元の姿に戻るのだった。
(遅いなぁ…)
 待ち合わせの相手は、未だ来ない。
 10時の約束なのに、時間は既に9時55分、几帳面な相手のことだ、遅くとも10分前には到着しているはずなのに…。
「彼〜女、今ヒマしてる?」
 時計を睨みつつ溜息を吐いていた少女に、軽薄そうな声がかけられた。
 顔を上げた少女の目に映ったのは、どこから見ても、釦を一つ掛け違えたようなマヌケな格好のチンピラっぽい二人の男。
「いいえ、時計を見て時間を確認するのに大変忙しいのです。申し訳ありませんが、邪魔なさらないでください」
「そんなこと言わないでよ。退屈させないからさぁ」
 しつこく食い下がり、少女の手を取ろうとするチンピラA。
 相手がまだ、きちんとした身形のぱりっとした好青年であるのならともかく、イカれたスットコドッコイ風情では虫唾が走ろうと言うもの。
 少女は、チンピラAの手首を握り、反対に捻って体を入れ替えると、軽く一振り、チンピラAを一瞬で地面に叩き付けた。
 チンピラBは最初は驚いていたようだが、怒りの方が勝ったのか、凶悪な形相で少女に掴みかかった。
 必死で相手の腕を捌くも、さすがに単純な力勝負では、華奢な少女に勝ち目はない。
 チンピラBの腕を振りほどくことも出来ず、振り上げた拳が少女の顔に中ろうとしたその時。
 一陣の風が巻き起こり、鈍い衝撃音とともにチンピラBは、数メートル先を転がった。
「ふん」
 チンピラBを吹っ飛ばした大柄な男は、鼻で軽く息を吐くと、少女が倒したチンピラAの襟首を引っ掴み、同じ方向に片手でポイと投げ捨てた。
「大丈夫か?」
 勢いでしりもちをついていた少女に、膝を突いて手を差し伸べながら、優しく問い掛ける男。
 五部刈り頭に三角巾、サングラスに白い割烹着という、あからさまに怪しい格好ではあるが、男の持つ雰囲気になんとなく安心感を覚えた少女は、その手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
「はい、ありがとうございました」
 微笑みながら、礼を言う少女。
「いやいや、困っていたようだから、助けただけだよ。怪我は無いかな?」
「ええ、大丈夫です」
 少女の言葉に、ニヤリと笑みを浮かべて親指を立てる男。
 少女も、親指を立てて、男に応じた。
 その時。
「おいお前!その娘に何をしている!」
 そこには、少女が待ち合わせをしていた、一見女性と見まごうばかりに端正な顔立ちの人物が立っており、男に指を突きつけて詰問した。
「由乃を離せ!」
「令ちゃん!?」
 男と少女の間に割って入った、令ちゃんと呼ばれた人物は、男に向かって凄まじい勢いで掌打を放った。
 男は、素早く一歩下がると、相手の掌の勢いを殺しつつ捌き、さらに数歩下がって、充分な間合いを取った。
 睨みあう、男と令。
「令ちゃん、あのね…」
「黙ってて、すぐに片付けるから」
 少女を制し、滑るような足取りで、一気に間合いを詰める、黄薔薇さまこと支倉令。
 いつもは冷静な彼女ではあるが、由乃〜従姉妹であり、妹(スール)であり、そしてこの世で一番大切な、黄薔薇のつぼみこと島津由乃〜のことになると、我を忘れることもしばしば。
 いまも、由乃の言葉が耳に入らない状態だ。
 問答無用で相手の急所を狙い、打ち倒そうとする令。
 だが、中れば確実に昏倒させられる攻撃を、ほぼ完全なブロックで防ぐ男。
 支倉家に伝わる、門外秘伝と称する武術を駆使するも、まったくと言ってよいほど致命打を与えられない。
(くっ、こいつ何者だ!?)
 心に焦りが生じる令。
 しかし、相手の男も同じ心境だった。
 予想以上のスピードで、一気に間合いを詰めてくる令と呼ばれた人物の動きは、今まで闘ってきた相手の中でも、トップクラスの速さだった。
 しかも、一撃一撃が重く、更には、確実に急所を狙ってくる。
 もし中れば、大地を舐めることになるだろう。
 それに相手は間違いなく誤解しているし、最初は男かと思っていたが、身体つきや接触時に香る匂いから女であると判断できる、本気で闘うわけにはいかない。
 由乃と呼ばれた少女も、不安げな表情であたふたとしているところを見ると、止めたいけど止めに入られない、そんなジレンマに陥っていると考えられる。
 そんな少女の前で、令を倒すわけにはいかないではないか。
 おまけに、周りには人垣が出来ており、見物客まで居る始末。
(コレしか手はないか…)
 双方丸く治めるには、引き分けに持ち込むしかない。
 覚悟を決めた男は、動きを止め、令の攻撃に集中する。
 リーチは互角、スピードは令が上、パワーは男が上。
 令の渾身の一撃に合わせ、まったく同じタイミングで拳を放つ男。
 まるで、畳をバットで思いっきりぶっ叩いたような音が響く。
「きゃっ!?」
「ぐわっ!」
 令は、後方4メートルぐらいまで吹っ飛んだが、受身を取って、くるりと立ち上がった。
 男は、後方2メートルぐらいまで吹っ飛び、ごろごろ転がって大の字に倒れ伏した。
「令ちゃん!」
「いったい何者なの…?」
 自問する令。
 相手の打が中った部分には、鈍い痛みが広がっている。
 動かせるということは、骨には異常がないということだが、おそらく痣は免れないだろう。
「あ痛たたた…」
 吹っ飛んだ挙句転がったにも関らず、サングラスを落としていないことに気付いた男は、我ながら大したもんだと、変なところで感心していた。
 身体に鈍い痛みを感じつつ、起き上がろうとするが、力が入らない。
 回復には、しばらくかかりそうだ。
「お兄さま!?」
 一人の少女が人垣から姿を現し、男に駆け寄った。
 白い清楚な雰囲気の服装に、ふわふわとした巻き毛、そして掛け値なしに美しい顔。
 その顔は、双方、とても良く知った人物で…。
『志摩子(さん)!』
 令、由乃、男の声が綺麗に重なった。

「志摩子のお兄さんとは露知らず、失礼しました」
「はっはっは、いやいや、気にしないでくれ」
 場所は変わって、駅裏手の喫茶店。
 あのままではマズイため、場所を移すことになったのだった。
 改めての自己紹介の後、令は、謎の男〜白薔薇さまこと藤堂志摩子の実の兄、賢文〜に、頭を下げて謝っていた。
「止めようとしたのに、令ちゃん全然聞いていないんだから」
 憮然とした表情で、令を責める由乃。
「だって、どう見たって怪しい…失礼、胡散臭い…失礼、常軌を逸した…失礼」
「もういいよ。確かに、この格好は怪しい上に胡散臭くて常軌を逸しているからなぁ」
 今はサングラスを外しているが、三角巾、割烹着はそのままの賢文、確かに怪しいことこの上ない。
「この人はね、チンピラに絡まれていた私を助けてくださったんだから」
「重ね重ね、申し訳ありません。由乃を助けていただき、ありがとうございました」
「相手が一人だったら、由乃さんだっけ?だけでも大丈夫だったろうけど、もう一人に苦戦してたようだから思わずね。それにしても、二人とも、格闘技かなにか習ってる?」
 並んで座る令と由乃に、好奇心一杯といった雰囲気で問い掛ける賢文。
「ええ。私は父から、『支倉流』と呼ばれる武術を学びました。護身術がほとんどなんですが」
「私も、伯父さんから、護身術を少しだけ」
「支倉…?」
 片眉を上げる賢文。
「お兄さま、令さまのお宅は、小寓寺の檀家ですよ」
「ああそうかそうか、支倉のおやっさんか」
 隣に座った志摩子の言葉に、合点が行ったように、手の平をポンと叩く。
「と言う事は、令さんはおやっさんの娘さん?」
「そうです…。父をご存知なんですか?」
「うん、何度か手合わせして貰ったことがあるよ。道理で、どこかで見た型だったわけだ」
「お兄さんも、大した腕前をお持ちですが…」
「俺も親父に叩き込まれたんだよ。あの頃は、生傷が絶えなかったな」
「え?令ちゃん、あの住職のことよね」
「だろうね。そう言えば、いい体格していらしたなぁ」
 体育祭のことを思い出す、令と由乃。
「何時、お習いになったの?」
 不思議そうな顔で、賢文に問う志摩子。
「ああ、お前が生まれる前の話だ。お前だって、親父からいくつか習ってると思うが」
「どうしてそうお思いになるの?」
「だって、こないだ幼稚園にお前を連れて行こうとした時、俺の手をあっさり振り払っただろ?」
「ええ」
「そう簡単に外れるほど、やわな掴み方してなかったんだがな」
 由乃には、思い当たるところがあった。
 そもそも志摩子は、静かな物腰やおっとりとした雰囲気とは裏腹に、かなり優れた体術を持っている。
 日舞の名取りになるには、相応の安定した運動能力が必要だし、普段もほぼ一定の歩幅と速さで、滑るように歩く。
 玉逃げの時にも、怯えて逃げ回っているように見えて実は、冷静な観察の上で行動していたのだから。
 由乃から逃げっ放しだったことを差し引いても、カゴの玉数は、一番少なかったからして。
 しかも、忘れもしない、祐巳が初めて薔薇の館に来た時、扉を開けた本人である志摩子ではなく、その後にいた祐巳に祥子が激突したのは、志摩子がまるで分かっていたかのように避けたからであることを、しっかりと見ていたのだから。
「確か、支倉のおやっさんとウチの親父は、同門だって言ってたな」
「と言う事は、父と住職は兄弟弟子?」
「そうなるな。図らずも俺たちと君たちも、ある意味同門ってわけだ」
「…世の中狭いもんだねぇ令ちゃん」
「そうね…」
「そうだなぁ」
「ええ…」
 感心するべきか呆れるべきか、判断に迷う四人だった。

「いたぞ!こっちだ!」
 喫茶店を出た一同を包囲する、見るからに一般人とはかけ離れた剣呑な雰囲気を持った複数の男たち。
 総勢7人で、何人かは得物まで持っていた。
 その中には、先程由乃に投げ飛ばされ、賢文にすっ飛ばされたチンピラA、Bまでが含まれている。
 緊張が走る令と賢文。
 いくら護身術を身に付けているとはいえ、由乃と志摩子の戦闘能力はあまり高くない。
 油断している相手に対し、不意打ちに近い攻撃でなんとかってところだ。
 数はそのまま脅威に転化する、圧倒的に不利な状態だった。
「けっ、さっきはよくも舐めたマネしてくれダフゥ!?」
 先手必勝、賢文は、後にあったゴミ箱を引っ掴んで、口上中の男に投げ付けた。
 見事命中、白目を剥いて倒れたチンピラB。
 令と賢文は、由乃と志摩子を壁際に寄せ、守るように立ち塞がる。
「行けるか?」
「由乃と志摩子を守りながらだと、せいぜい二人が限度ですね…」
「くっ、せめて味方があと一人でもいれば…」
 誰かが警察を呼んでも、すぐにはやって来ないだろう。
 絶望的な戦いに、二人が覚悟を決めた次の瞬間。
「助太刀いたす!」
 時代がかったセリフと同時に、一人の中年男性が姿を現した。
 見た目はタクシーの運転手っぽいが、その構えはなかなか堂に入っている。
 彼の実力は未知数だが、これで少なくとも、後の二人は気にする必要がなくなった。
 由乃と志摩子の二人で、一人ぐらいには渡り合えるだろうから。
『かたじけない!』
 勇気百倍、前に出た令と賢文は、助っ人と肩を並べて、チンピラ6人と対峙した。

「志摩子、由乃ちゃん」
 ビルの角から、二人を呼ぶ声がする。
 そちらに目をやれば、なんとそこには、紅薔薇さまこと小笠原祥子が手招きしていた。
 慌ててそこまで移動する二人。
「祥子さま、どうしてここに」
「たまたま買い物に出てきたのだけれど、貴方たちが絡まれているのを見て、助けに来たのよ」
「あの人は?」
「あれは運転手の松井よ。私のボディーガードも兼任してるから、腕は保証できるわ」
 1対2のカードが三つ。
 ナイフやバットといった得物を持つ相手に怯むことなく、積極果敢に挑む令、賢文、松井の三人。
 得物に頼り切った単調な攻撃を、捌き、掻い潜り、避け、そして確実にダメージを蓄積させていく。
 上段蹴りと肘打ちで、ほぼ同時にチンピラA、Dを倒した賢文。
 右回し蹴りと、その回転の勢いを利用した脚払いで、同時にチンピラC、Fを叩きのめした令。
 チンピラEとGの頭を引っ掴み、側頭部をぶつけ合って、同時に昏倒させた松井。
 お互いに顔を合わせ、頷いた三人は、累々と横たわるチンピラどもはそのままに、スタコラサッサとその場から立ち去った。

「ご苦労様」
「祥子!?」
 驚く令。
「どちらさん?」
 このメンバーの中で、唯一祥子を知らない賢文が訊ねた。
「こちら、先輩の小笠原祥子さま。で、こちらは…?」
 言いよどむ志摩子。
「これは私の運転手兼ボディーガードの松井よ」
「松井?はて、どこかで聞いたことあるような…」
「悪い冗談だね賢文くん」
 帽子を取って、顔を見せる松井。
「…あー、思い出した。兄弟子の松井さんか!随分老けたなぁ」
「そりゃ、あれから十数年経ったからねぇ。相応に歳は取るものだよ」
 結構失礼な賢文の態度に、これっぽっちも動じない松井。
「それに、君も人には言えないと思うよ」
「松井、こちらの方を知ってるの?」
「お嬢様、こちら藤堂賢文と言いまして。昔の修行先の弟弟子にあたります」
「藤堂…?」
 訝しげな表情の祥子。
「祥子さま、賢文は私の兄です」
「あら、そうなの?志摩子にお兄さまがいらっしゃったなんて初耳よ」
「祥子、私もさっき知ったところなんだ」
 祥子の肩を叩く令。
「それにしても…」
 呟く由乃。
「祥子さまと松井さん、志摩子さんとお兄さま、私と令ちゃん…。片方が全員同門だなんて、どんな運命の悪戯なのかしら」
「これで祥子さまが、松井さんから護身術か何かを学んでいらっしゃったら、全員同門になりますね」
「あらよく知ってるわね。中等部に上がった頃から、松井から習っていてよ」
『え』
 由乃と志摩子の軽い冗談が、まさか本当だったとは。
「やっぱり、世の中広いようで狭いんだねぇ…」
 全員、なんと言って良いのか分からないような表情で、遠くを見ていた。

 予期せぬ同門大集合の珍事。
 そして噴水前、喫茶店前での大乱闘の一部始終は、たまたまその場でカメラを回していた某写真部のエースに撮影されていた。
 しかも、動画で。
 当事者たちがそれを知るのは、月曜日の放課後になってからだった。
 令が、賢文が、松井が、まるで姫君を守る騎士のごとく戦うその姿は、凛としてかつ誇らしげだった。
 改めて感心する、山百合会関係者一同+1。
「黄薔薇さま、この動画の公開許可をいただきたいのですが…」
 撮影した本人、武嶋蔦子が令に問う。
「却下。リリアンに直接関係のない人が映っているのよ。許可は出せないわ」
「じゃぁ、黄薔薇さまだけが映っているシーンだけでも…」
「ダメ。それでも相手が映るでしょ。万が一、連中に知られて逆恨みでもされてみなさい。酷い目に合うわよ」
「それは無いわ」
 祥子が口を挟む。
「どういうこと?」
「連中の身元はすでに確認済み。二度とあんなことが出来ないよう、体に教えておいたから、問題は無しってことね。どちらにしても、公開の許可は出せないけれど」
「む〜」
 かなり怖いことをサラッと言った祥子に気付くことなく、悔しがる蔦子。
「こんなことが必要以上に知られたら、令が私より目立ってしまうじゃない?そんなこと、許されなくてよ」
「って、おい祥子、私の人気が上がるのが嫌って言うの?」
「そうよ。あなたは目立ってはいけないの。ねぇ由乃ちゃん?」
「紅薔薇さまのおっしゃる通り!」
 只でさえ地味に人気のある黄薔薇さま、これ以上モテれば、由乃の心中は穏やかでは居られなくなる。
「ちょっと由乃まで!?」
「まぁそれは半分冗談だけど、最大の問題は、コレはかなりの不祥事ってこと。三年生で現役リリアン生徒会役員、そして仮にも薔薇さまの一人が街中で乱闘騒ぎとなれば、下手すれば軽くて停学、重ければ退学処分を受けることになり兼ねないわよ」
 顔色が変わる一同。
「あの人ごみの中に、何人かリリアン生がいたかもしれないけど、多分彼女らは口外したりはしないわ。あとは、令本人と私たちが、知らぬ存ぜぬを決め込むだけ。だから、残念だろうけど却下します。よろしいかしら?」
「…了解しました。これは封印することにします」
 令の進退が左右されるのであれば、無理は通せないし、ましてや、自分の意地のみで人の人生を狂わすことはできない。
 諦める蔦子だった。
「でも、信用できる身内に配るぐらいは大丈夫だと思うわ。そうね、3つほどコピーをいただけるかしら?」

 こうして、例の出来事は、当事者のみが知る事件として、しばらくの間は表に出ることは無かった。
 そう、しばらくは…。

「ホラ菜々、令ちゃんスゴイでしょ♪」
「本当ですねお姉さま。さすがは令さまです」
 令や祥子の卒業後、例の動画の一部が、誰かさんのせいで流出したのは、また別の話…。


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