「だ、だれ?」
「おまえか、宗教などと言う戯言を信じて人生を棒に振ろうという愚か者は」
マリア象の前でいつものように祈りをささげていた志摩子は、背後から言い知れぬ圧迫感を感じ振り返った。
そこには髪の長い良く知った顔の少女が立っていた。 しかし、その目は志摩子の知っている目の輝きとは明らかに違う光を宿していた。
「由乃さん、なにを言っているの?」
「誰が宗教などと言う物を考えたのか知っているか?」
「そんなこと決まっているわ。 全宇宙の創造者にして人類の原罪を購う為に……」
”くくく”っと笑う由乃。 いや、由乃の姿をした何者か。 どう対処したらいいのか分からず何も出来ないで立ちすくむ志摩子。
「宗教の教理など聞きたくないわ。 本当のことを教えてあげましょうか? 宗教を創造したのはサタン様よ」
「な、なにをバカなことを言っているの、全知全能の神が人間を教え導くために、神の御使いとしてイエズス様をこの世に使わしたのよ…」
志摩子の言葉には答えず由乃の姿をしたものは、ゆっくりと近づいてくる。
「その昔、人間は争うことなく穏やかに暮らしていたのよ。 ある時サタン様はこのままではいかんと考えられた。 なぜなら、すべての人間が清く正しく美しくでは悪魔が活躍できないからよ」
周りの景色が変わる。 紀元前の光景? 違う、歴史と言う概念が生まれるよりもはるかに前の光景。 そして、それと折り重なるようにいる異形の者たち。
「この世の闇の部分には至高界にも魔界にも属さない中途半端な、俗に妖怪だの邪神だの低級神だのと言われるやつらが巣くっているのよ、サタン様はそやつらに知恵を授けて人間に取り憑くことをすすめたわ。 人間に憑依したそやつらは、自ら預言者だの神の啓示を受けたなどと言って信者を集めた。 低級なやつらだけれど超自然の存在、ちょっとした奇跡の真似事くらいは出来る、おろかな人間達はそれを見て、これこそ神の御業、宇宙の神秘であると信じ込み、その者を教祖とあがめるようになったの。 これが宗教の始まりよ」
預言者、教祖と思われる人間に折り重なる異形の者、それに付き従う信者達。
「その後人間界がどうなったか。 無数の宗教が乱立し、反目しあい、ついには武力闘争にまで発展していったのは周知の通りよ。 宗教を信じる者にとって、自分達が信じる神こそが唯一無二で絶対だから、他宗教を信じる者は全て異端で偶像崇拝者と言うことになるわ。 だから『改宗させよう、それが出来ないなら弾圧しよう、それもかなわぬ時は抹殺すべし』 あらゆる宗教は結局ここに行きつくのよ」
見るに絶えない戦いのビジュアルは目を閉じて耳をふさいでも志摩子の脳裏に襲い掛かる。
「十字軍を見なさい。 アステカの悲劇を見てみなさい、神の名において、聖戦の美名の下にどれだけの人間が殺されて、いくつの文明が闇のかなたに葬り去られたのか。 たとえ異教徒であろうと、人間が人間を殺して良いと言う法はないでしょ。 宗教はそんな単純な道徳律すら忘れさせるのよ、人間の良心を麻痺させる麻薬のような物。 これが悪魔が作った物でなくてなんだというの」
「な、なんと言う異端の論理を……」
「宗教が無ければ、人間の歴史はこれほど血生臭くならなかったでしょうね。 図書館にでも行って宗教関係の本を読み漁ってみるがいいわ、宗教の歴史はそのまま腐敗と殺戮、破壊と堕落の歴史なのだから」
「あ、あなたは誰なの?! 由乃さんを返して」
「ふふふ、由乃と言うのこの娘は。 私の名前? わたしは……」
黒い闇が体から立ち昇り形を成していく、糸の切れた操り人形のように床に倒れる由乃、その背後に髪の長い麗人がマントを翻して立っていた。
「アスタロト。 魔界の大公爵だ」
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「う〜〜んなんと言ったらいいのでしょうか? 取りあえず魔界の大公爵はまずいと思いますわ。 この論理を舞台上でやるのも問題があると思いますし」
「リリアンにけんかを売っているみたいな内容ね……」
「やっぱり白薔薇にけんか売っているでしょ菜々ちゃん」
「まあまあ、乃梨子そんな怖い顔しないで」
「でも、志摩子さん…」
「わ、私こんな長い台詞覚えられないわよ!」
「いえお姉さま、そこは根性で覚えてもらいませんと」
「根性で覚えられるってもんでも無いでしょ!」
「空気イスをしながら口頭で読み上げると良いそうですよ」
「いやそれ違うし、どっかの漫画でそんなのがあったけど……」
「詳しいですね祐巳さま」
「弟から奪い取って読んでるから」
「あ、祐巳さん、その本貸してね」
「いいけど」
「では、決を採りましょうか? やらなくても分かるのだけれど」
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否決
「アスタロトさんかっこいいのにな〜、人情家の悪魔」