「ね、令ちゃん。たまにはアクション物も面白かったでしょ?」
「そうだね。ストーリーも良く考えられてたし」
冬のある日、休日を利用して映画を見に来た黄薔薇姉妹。二人は公園のベンチで、今見て来た映画のパンフレットを手に、楽しく語らっていた。
「そうなのよ!特にクライマックスで、主人公が敵地に赴く事になるまでの心理的な変化を上手く描いてたわよね!」
「うん。あれは良い演出だったね」
木枯らしが吹くのにもかまわず、二人の会話は熱を帯びている。よほど面白い映画だったのだろう。
「いや〜、久しぶりにスカっとする映画だったわ〜」
由乃はそう言いながら、手元のパンフレットに目を落とす。
令は、そんな由乃を見て微笑む。映画も楽しかったが、こんなに喜ぶ由乃を見られた事も嬉しいらしい。
そんな上機嫌の令と由乃にゆっくりと近付いてくる人影がある事に、二人はまだ気付いていなかった。
「あら、久しぶりね二人とも」
『江利子さま?!』
驚いた二人の声が重なる。近付いてきた人物は江利子だった。
「まあ、二人で映画を見てきたのね。相変わらず仲が良いわねぇ」
由乃の手にあるパンフレットを見ながら、そんな呟きをもらす江利子。
『・・・どうしてこんな所に?』
再び二人の声が重なった。令のは純粋に驚きの質問だったが、由乃の言葉からは「せっかく盛り上がってたのに、なんでアンタと今ココで会わなくちゃならないのよ・・・」というニュアンスがありありと感じられた。
そんな由乃の雰囲気に気付かないはずの無い江利子だが、悠然と微笑みながら答えを返した。
「今日はお買い物よ」
そう言って江利子は、公園の入り口にある大型ショッピングモールを目で指し示す。その建物の中には、今しがた黄薔薇姉妹が映画を見てきたミニシアターも含まれている。
「もうすぐ、この子の5歳の誕生日だから、プレゼントを選びにね」
江利子は楽しそうにそう言うと、自分の右下に視線を向ける。
そこで黄薔薇姉妹は初めて気付いた、江利子が小さな女の子を連れている事に。どうやら江利子の突然の登場に意識が向かい、その子の存在に気付かなかったようである。
それは小さな少女だった。彼女はグレーのダッフルコートを着て、寒さから身を守るようにコートに付いたフードをすっぽりと被っていた。その姿はまるでペンギンの雛のようだ。
令は何かを思い出し、はっとして呟く。
「あ・・・ひょっとして山辺さんの?」
「そう。娘よ」
江利子達3人の視線が山辺氏の娘に集まる。すると彼女は、少し照れたように赤くなりながらも「こんにちは・・・」とはっきり挨拶をした。
『・・・こんにちは』
可愛らしい彼女の仕草に、黄薔薇姉妹も思わず挨拶を返しながら微笑んだ。
「お父さんにはプレゼント選びを任せられないものね?」
江利子が娘に聞くと、彼女は少しムっとした顔になり、こう言った。
「・・・・・・もうカセキはいらない。ホネとタマゴばっかりなんだもん!」
きっぱりと否定する彼女に、由乃は思わず吹き出した。
そんな由乃を、江利子はじっと見つめている。
(・・・また何かケンカ売ってくる気ね?)
自分を見つめる江利子の視線に由乃は警戒していたが、江利子の口からは予想外の言葉が出てきた。
「・・・本当に元気になったのね」
「はい?」
江利子が何を言いたいのか判らず、由乃はキョトンとしている。
「こんな木枯らしの吹く日に外にいるのに、とても顔色が良いわ。手術直後は体調を崩したりしてたけど、もうすっかり元気になったのねぇ」
そう言って優しく微笑む江利子に、由乃は「はあ・・・どうも・・・」としか返せなかった。まさか江利子が自分の体調を気遣ってくれるとは思わなかったので、いきなりの江利子のセリフに少し照れ臭くなり、顔が赤い。令は隣でそんな由乃を見て嬉しそうにしている。
「げんきに・・・おねえちゃんびょうきだったの?」
3人の会話に置いてけぼりをくった娘は、不思議そうな顔で江利子聞いた。
「このお姉ちゃんはね、手術をしたのよ」
江利子はゆっくりと娘に言う。
「しゅじゅちゅ?わるいところをなおしたの?」
舌足らずな言葉にまた微笑みながら、江利子は右手で自分の心臓を指し、「ココをね」と教える。
娘はしばらく不思議そうにしていたが、やがて由乃のほうへと歩き出した。そして由乃の胸をペタペタと触りだす。
(あはは、触っても判らないんだけどなぁ・・・)
いまいち手術というものが判っていないらしい彼女の様子に、由乃は苦笑している。
娘はしばらくそのまま考え込んでいたが、突然ぱっと明るい顔になった。
「わかった!」
突然大声をあげた彼女に3人の視線が集まると、続けてこんな事を言い出した。
「しゅじゅちゅでわるいところをとっちゃったんだね!」
『え?』
触って判るものでもないだろうに。3人が疑問の声をあげると、娘は由乃の胸をぱんぱん叩きながらこんな事を言い出した。
「だって、なんにもないもん!」
ピキッ!
その時、令は確かにそんな音を聞いた気がした。由乃のこめかみ辺りから。
江利子はその言葉を聞いて、一瞬無反応だったが、やがてニッコリと微笑んだ。令や由乃が知っている(と言うかさんざん思い知らされた)面白いモノを見つけた時の江利子の顔だった。
江利子は娘の傍にしゃがみ込むと、由乃に聞こえるようにこう言った。
「何にも無いの?」
「うん!」
元気良くお返事ができる5歳児。
彼女はふと江利子の胸を触ってみる。そして何かを確認すると、再び由乃の胸を触りだした。
「やっぱりそうだ!えっちゃんとちがって、なんにもないもん!」
「そ、そう・・・そんなに違うの」
えっちゃんも嬉しそうだ。てゆうか必死に笑いをかみ殺していた。
「うん!おとなのおんなのひとは、おっぱいがおおきくなるんでしょ?でもこのおねえちゃんはおおきくないもん!しゅじゅちゅでとっちゃったからだよね!」
めきっ!!
突然聞こえた異音を不審に思い、令は音の出所を探ろうと辺りを見回す。すると異音は由乃がつかんでいるベンチの手すりから聞こえていたのだった。
この細い手の何処にこんな剛力が潜んでいるのか? 由乃の手は徐々に手すりに喰い込んでゆく。
「よ、由乃・・・」
「・・・・・・・・・」
さすがに5歳児にキレるような大人気ないマネは出来ないと、由乃は無言で耐えていた。
無理矢理笑顔をキープしようとするが、こめかみに浮かんだ血管が全てを台無しにしていた。もはやその顔は般若にしか見えない。
そんな由乃に、江利子は嬉しそうにトドメを刺しに出た。
「良かったわねぇ、由乃ちゃん。悪い所が“まったく”無くなって。もう心配いらないわよね?なんせ悪い所が“まったく無い”んですもの♪」
ぼぎっ!!
何の罪も無いはずのベンチが、とうとう由乃の握力に屈し砕け散った。
令はもはや由乃の隣りで震えるしか無かった。心の中で「お姉さま!お願いだからその子を連れて早く逃げて下さい!」と叫びながら。
しかし、そこは5歳児。令の祈りなどお構い無しに、再び由乃の胸をペタペタ触るともう一度叫んだ。
「うん、やっぱりない!もうわるいところぜんぜんないよ!」
江利子と一緒にトドメを刺す5歳児。
全く悪気の無い所が末恐ろしい。それどころか、本人は励ましているつもりのようだ。
彼女の言葉を聞いていた江利子は、これ以上笑いを我慢しきれないらしく、微かに震えている。
「・・・そ・・・ぷっ!・・・・・・それじゃあ由乃ちゃん、ごきげんよう。・・・・・・クッ!・・・手術が成功してほ、ほ、本当に良かったわね」
所々セリフを噛みながら、江利子は大満足で娘の手を引き、ショッピングモールへと歩み去っていった。
その後姿を見送りながら、由乃はまだ無言だった。無言の般若だった。
「由乃?」
「・・・・・・・・・」
「あの・・・落ち着いてね?」
「・・・・・・・・・」
「あの子も悪気があった訳じゃあ・・・」
「・・・・・・・・・」
「小さい子の言う事なんだから・・・」
「小 さ い っ て 言 う な ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ !!!!」
内蔵の核融合エンジンが臨界に達した般若は魔人と化し、つかんだベンチを片手で振り回す破壊神へと進化していった。
本日の被害
ベンチ : 木っ端微塵
外灯2本 : 中ほどよりへし折れ大破
令 : 全身打撲で全治4週間