【766】 エチュードもう迷わない  (8人目 2005-10-24 16:09:26)


 『がちゃSレイニー』

 ☆ 白ポンチョミラクルターン。

     †     †     †

「ぎゃう。ゆゆ祐巳さまいきなり抱きつかないでください!」
「うふふ、瞳子ちゃんも怪獣の子供なんだ。それに、あのとき言ったでしょ? 私、瞳子ちゃんの事が大好きだって。だから抱きしめたいの。嫌かな?」

 逃げる瞳子ちゃんを追いかけて、やっと捕まえることができたのだ。

「確かに仰っていました。でも祐巳さまには……」

 顔が真っ赤になった瞳子ちゃんは、諦めたように溜息を一つ吐いた。
 そしてどこからともなく、綺麗な白の刺繍がなされた、シーツのような白いものを取り出す。
 レースのフリフリ付だ。
(豪華なシーツだなぁ……)
 ふわりと、時間が止まっているかのように、ゆっくりと空中を漂う白くて薄い羽の衣。
 ぽーっとそれに見とれてしまっていた祐巳は、抱きついてすぐ近くにある瞳子ちゃんの瞳が真剣になっていたのに気付いて、慌てた。

「祐巳さま。それでは賭けをしましょう」
「えっと、賭け?」
「そうです。祐巳さまと瞳子とで賭けを行い、祐巳さまが勝ったのなら観念して祐巳さまとお話をします」

 いきなり何を言うのだろうか。
 それに高等部に進学してからというもの、ここ一番で私に賭け事が絡む確立がやたらと高い気がする。
 これも運命なんだろうか。

「わ、私が負けたら?」
「そのときは……残念ですが瞳子の好きなようにさせてもらいますわ」
「そんな。瞳子ちゃん、お願いだから。賭けなんてしないで私と最後までお話して? ね?」
「問答無用です!」
「うっ……」
「では賭けの方法を説明します。10分以内に祐巳さまが瞳子を捕まえる事、範囲はあの教会の敷地内です」

 その教会では結婚式が行われていた。
 今日の主役のお二人と、それを見送っている参列者が見える。
 どこかで見たことがあるような、懐かしい景色。

「でも、もう……捕まえているじゃない」

 そう。ここに来てからずっと、瞳子ちゃんを逃がすまいと抱きしめている。
 しがみ付いていると言ってもいい。

「そうでしょうか?」

 瞳子ちゃんは先程取り出した布を、ふわりと頭から被ると、祐巳の腕の中から一瞬のうちに消えた。

「へっ? え……えー!?」
「祐巳さま。淑女が大声をあげて、はしたないですわよ。それではスタートです」

 それはそうだけれど、無理もないのではないだろうか。
 だって、今まで祐巳の腕の中にいた瞳子ちゃんが、忽然と居なくなったのだから。

 声のほうを振り向くと瞳子ちゃんがシーツ……いや、あれは白ポンチョだ。
 それを被って、ふわふわくるくると舞っていた。
 寂しそうな、それでいて悲しそうな表情をしている。
(それよりも何? 今のは魔法? そんなバカな)

「と、とと瞳子ちゃん?」
「瞳子を捕まえられるかしら……」
「そんなのずるい」

(なし崩し的にその事象を受け入れてしまう私ってば……)
 祐巳が唖然としていると。
 教会の方へ、瞳子ちゃんはゆっくりと歩いていく。
 それにしても。まじっくアイテムを持っている瞳子ちゃんてば余裕。

「祐巳さま。時間がありませんよ?」

 瞳子ちゃんは、一度だけ悲しそうに振り向いて祐巳に念を押したあと、踵を返してまた歩き出した。

「わ、わっ」

 忘れていた。慌てて腕時計を見る。
 あと……9分しかない。
 けれど追いかけても、瞳子ちゃんはふわりとかわして教会の入口に瞬間移動する。
(やっぱりずるい、瞳子ちゃん)
 後を追って誰もいなくなった教会に入る。
 しんと静かな教会の中、瞳子ちゃんが長椅子に座って目を瞑り、お祈りをしていた。
 祐巳が近づくと、

「祐巳さまは、どうして瞳子が好きなのですか?」

 しんとした空間に瞳子ちゃんの問いかけが響き、高い天井に吸い込まれていった。
(瞳子ちゃんの、好きなところ……)
 出会った頃から今まで。
 最初の頃は険悪になったこともあるけれど、それよりも多くのものを、祐巳は瞳子ちゃんから受け取ってきた。
 一つずつ頭の中で挙げていく、瞳子ちゃんの好きなところ。大切にしたい瞳子ちゃんとの思い出。
 でも、好きという気持ちには、これだと言う理由なんてなかった。
 気がつけば、いつも祐巳の近くに居てくれた瞳子ちゃん。
 瞳子ちゃんが好き。ただそれだけなのだ。

「それは……」

 瞳子ちゃんが立ち上がり、くるりと舞って透きとおる。
 消えた。
 すぐに辺りを見まわして、瞳子ちゃんの気配を探す。
 大きな柱の影に、瞳子ちゃんの縦ロールと白いレースが見えた。

「私の気持ち、祐巳さまに解からない……」

 ポンチョの裾を翻してふわりと跳ねると、今度は長椅子と長椅子の間にある中央の通路に現れる。
(瞳子ちゃんの気持ち……)
 瞳子ちゃんと出会ってから今まで、私は瞳子ちゃんの気持ちを真剣に考えた事があったのだろうか?
 心の底で考えるのを避けてなかっただろうか?
 わからない。
 だって瞳子ちゃん、教えてくれない。いつも、見せてくれない。
 瞳子ちゃんの素顔が……わからない。

「祐巳さまが妹を迎えるのは、何故ですか?」

 下を向いて泣き出しそうな瞳子ちゃん。
 そしてその言葉が心に突き刺さる。
 私は、本気で妹を迎える気があったのだろうか?
 妹を迎えるのは、何のため?
 祥子さまがそう言ったから?
 ちがう。
 来年、ご卒業される祥子さまの代わり?
 ちがう!
 私は……私は……。

「瞳子を……本当に必要としてくださいますの?」

 大きな十字架の前で跪いていた瞳子ちゃんが、ゆっくりと立ち上がった。
 こちらに振り向いた瞳子ちゃんの瞳から、ぽろぽろと雫が床に落ちる。
(瞳子ちゃんが遠くへ行ってしまうのは、やだ)
 瞳子ちゃんと、離れたくない。
 そう考えて。自分も、ぽろぽろと涙をこぼしているのに気がついた。
(私は……本当に瞳子ちゃんが好きだったんだ)

「瞳子を妹にするのは何故? 誰のためなのですか?」
「わっ私は――」

 泣きながら駆け寄り、瞳子ちゃんを抱きしめて答えを叫ぶ。
 だが、自分の声も、周りの何も、聞こえなかった。
 音のない世界。
 そして長椅子も十字架も無い、暗闇の世界。

 瞳子ちゃんが豪華な白ポンチョを祐巳に着せて、抱きしめ返してきた。
 暗闇の中、瞳子ちゃんだけが薄く淡く光る。
 けれど、白ポンチョを脱いだ瞳子ちゃんは、今にも消えそうだった。

 気付けば。
 虚無だと思っていた世界に、音楽が微かに流れている。


 ──恋の二重唱


『練習は……出来ましたか?』

     〜     〜     〜

「――沢さん。福沢さん? 聞いていましたか? 前に出て、この問題を解いてくださいね」
「へっ?! あ、はい……」

 今は……授業中だった。


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