『がちゃSレイニー』
† † †
「瞳子ちゃん」
「な、なんでしょうか。祐巳さま」
「このまま、お話して良い?」
祐巳さまの膝枕。この体勢はかなり恥ずかしいが、祐巳さまの悲しそうな、それでいて真剣な目に説得されてしまう。
「…しかた、ありませんわね」
私はふいと横を向く。先ほどの夢のこともあり、まともに祐巳さまを見られない。
「瞳子ちゃんが、うなされてたの。私に『妹なんていませんよね?』って。それと、『助けて』って」
「えっ?! そ、そんなことはありませ―――」
「もう隠さないで瞳子!! もう、嘘はつかないで。私から、逃げないで、お願い、だから」
「!!」
ぽたぽたとスクールコートに落ちる祐巳さまの涙。震えているのが伝わる。
な、泣かせてしまいました。参りました、あぁどうすればいいのでしょう。
「瞳子ちゃんの苦しそうな寝顔を見て、それを聞いてすごく悲しかった。私のせいだって思った。だから」
「祐巳さま…」
「お願い…」
祐巳さまにそんな顔でお願いされてしまうと、何も言えなくなる。
それに、それは図星だった。自らの弱い心を守るため、いつも自分自身をも、ごまかしていたのだから自業自得だろう。そのことを気付かれて、結果的に祐巳さまを傷つけることになってしまった。
「はぁ、年貢の納め時ですわね。わかりました、もう祐巳さまから逃げたりいたしません」
「…ありがとう。約束、ね?」
「は、い」
それで、いったい何を言われるのだろうか。しばらく沈黙が続いて、祐巳さまが話し始めた。
「あの、ね。包み隠さず正直に話し合うことは、お互いにとって凄く辛いことになるかもしれない。でも、それを乗り越えないといけないと思うんだ」
「どういうことですか?」
(祐巳さまは相変わらずですわね)
自分の身を守るためには、それを簡単に出来ない。
ドロドロとした嫌な人間関係、相手の心を探りあう会話。周りはみんな敵になりうる世界。
相手から一歩どころか二歩でも離れていないと危険。私はそんな中で育ってきた。
「それができるのは、お互いを信頼するってことでしょ? 感情的になって、もし酷いことを言ってしまっても、冷静になって反省して素直に謝り続ければ、きっと許してもらえる。正しいことならしっかり説明すればいいの。好きな相手とは、それを繰り返して、もっと仲良くなっていくんじゃないのかな。
怖がって何も話さなければ、何も伝わらないし何も進まないの。もちろん言わなくていい余計な一言っていうのは言わないほうが良いけれど。えっと、先輩からの受け売りなんだけれど」
「………」
(やっぱり祐巳さまって、おめでたいですわ。でも…)
「この前の話、瞳子ちゃんは私の妹になりたいと思ったのよね?」
「いえ。あ、はい。そ、そうですわ。でもそれは―――」
「私はまだ、はっきりと返事をしていないでしょう? 瞳子ちゃんを振ったわけじゃないの」
「!」
そうだった。わかってもらえなくて悲しくて、途中で逃げ出したのは私。
最後まで話し合うべきだったのだ。そうすれば、ここまでこじれることはなかった。
祐巳さまだけが悪いのではない。私は祐巳さまを信じきれなかったのだから。
「あの時のことは私の勘違いだったと、休んでいた間よく考えて反省したわ。悪かったって。瞳子ちゃんのこと信じてあげられなくて、本当にごめんなさい」
「もう、いいですわ。解かって頂けたのなら」
妹は一人もいないと先ほどしっかりと聞いた。
(そ、それではもしかして、祐巳さまは私を?)
「でもね。でもそれが解かっただけじゃ、瞳子ちゃんを妹に出来ないの」
「な! …何故ですの?」
振り向いて“キッ”と祐巳さまを見るが、この体勢では迫力不足もいいところ。
一気に奈落の底へ落とされてしまった。またいつもの性格が顔を覗かせそうになる。でも約束したのだ、もう逃げないと。だから頑張って続きを聞くしかない。
「まだ大事なことが、いくつか残っているから」
「大事なこと?」
「瞳子ちゃんは私にまだ何か隠してる気がする。私に言いそびれたこと、聞けないことあるでしょ? 私にもね瞳子ちゃんに言わなかったこと、聞きたいことがあるから」
「もう何も隠してなどいませんわ。全部あの時に言いましたから。それを聞いて祐巳さまは勘違いなさったのでしょう?」
「それは夏休み以降のことでしょ。私が言いたいのはその前なの。あの梅雨の頃」
「!!」
それは心に封印してしまった誰にも言えないこと。慌てて飛び起きる。が、約束を思い出して、静かに祐巳さまの傍に座りなおす。祐巳さまは動かなかった。
それを抱えているのが辛かった。白薔薇さまには少し話してしまったけれど、本当にさわりだけ。全部じゃない。
私はコートをぎゅっと抱きしめた。あったかなこのコートは祐巳さまの優しさだから。
祐巳さまはロサ・キネンシスを真剣な目つきで見つめながら続ける。
「あの頃、私は瞳子ちゃんに嫉妬していたの。焼き餅をやいたのよ。祥子さまのことを祥子お姉さまと呼ぶ貴方に」
「そ、それは」
祐巳さまの口調が変わった。全てを吐き出すように、ゆっくりと話す。
「祥子さまは毎週、遊園地デートの約束を私としてくれていたの。でも祥子さまは、それを毎週キャンセルして、私から離れていった。それなのに祥子さまは、貴方といつも一緒に居るの。
内緒話をしていたのを、ずっと私は見ていた。貴方が祥子さまとドライブに行く話も聞こえたわ。いつも祥子さまは上の空で、聞いても何も話してくれなかった。そしてデートの約束もしてもらえなくなったの」
「ある時薔薇の館で、我慢できずに祥子さまに想いを打ち明けたの。ずっと延期されてきたデートの次の約束をしてくださいって。夏でも秋でも、いつになっても良かったのよ。
でもその時、貴方の呼ぶ声が聞こえて、私は思わず『私より瞳子ちゃんの方を選ぶんですね』ってすがりついたの。でも、祥子さまは怒って貴方と出て行ってしまわれた」
「………」
「次の日、大切な、本当に大切な傘を無くしたの。それが祥子さまと重なって、家で随分と泣いたわ。
それでもその次の日、勇気を出して祥子さまに謝ろうって。電話をかけたけれど柏木さんが出て、三人でドライブに行ったと聞かされた。その時に、首からロザリオを外したの。
祥子さまに嫌われてしまったんだって、もう疲れてしまったの…。あとは貴方の知っている通り」
「あの後ね、いろんな人に支えてもらって、嫌われてても祥子さまを好きでいようって頑張ったんだけど。
本当の私はね、すごく弱いの。今は祥子さまと言い合ったりできる様になったけれど。それでもね」
「………」
「と、瞳子ちゃん?!」
(涙、止まらない)
最初、大好きな祥子お姉さまの妹になった祐巳さまを、ちょっと意地悪してあげようと思ったことは間違いない。祥子お姉さまに相応しい方なのか、試したと言ってもいいだろうか。
彩子お祖母さまのことは口止めされていたので仕方がないけれど。祥子お姉さまに甘えて、ベッタリ引っ付いていたのは間違いないのだから。
何も事情を知らずに、二ヶ月近くもそんな目にあっていたら、私ならすぐに音を上げて挫けるだろう。いつもみたいに、うち捨てているかもしれない。私は祐巳さまの立場になって考えることを疎かにしていたのだ。
祐巳さまが雨の中を走っていかれた日。帰りに彩子お祖母さまのことを祐巳さまにお話すると、祥子お姉さまから聞かされた時には、もう遅かったのだ。それなのに私は祐巳さまに対してなんてことを…。
「うぐっ、ゆ、祐巳さま、ごめんなさいっ」
「………」
祐巳さまが私を抱き寄せた。そして私が落ち着くまで、しばらくの間沈黙が続く。
「あの時は、祐巳さまのことを考えずにずいぶんと酷いことを。本当に、本当にごめんなさい」
「やっぱり瞳子ちゃんにもあるのね。それで、私に色々隠し事をしたまま、私の妹になるつもりだったの?」
「それは…」
さきほどまでの真剣な表情と違って微笑んでいる祐巳さまは、いつもの口調に戻っていた。でも、
「瞳子ちゃんは、さっき約束したよね? 全部言いなさい」
なんてその顔で言われたら、瞳子は絶対逃げられないのですけれど。