「青薔薇?」ふと耳に入った言葉にふりむく。
「そうなの。見て、ミュージカルのポスターなんだけどさあ、この人、見覚えない?」差し出したのは蔦子さん。ポスターの真ん中に映っている、わあ、華やかな美人。
「この人、リリアン出身なの?」
「あーあ、祐巳さんに聞くんじゃなかった。祥子さましか見てなかった頃だからなあ。静さまの名前も知らなかった祐巳さんが知ってるわけないか。」
「そう言わないでよお。どうして静さまが出てくるのよ。」
ほれ、と写真を差し出す蔦子さん。
「静さまの前の、合唱部の歌姫だったのよ。これは音楽室で撮ったんだけどね。静さまとは全然ちがったタイプの歌姫だったの。リリアンではめずらしいことにあだ名があったの。」
「へーえ、あだな?」
「マリリン。」
「マリリン!? マリリンってマリリンモンローのマリリン? そーゆータイプがお好みですのね、蔦子様。」
「ちーがうって。」
「本田美奈子って知ってる?」
「あ、えーと、ミュージカルの。」
「うん。あの人がアイドル歌手だった頃にね、1986年のマリリンってヒット曲があるのよ。セクシーアイドル、だったの。蓉子さまたちと同じ歳だから1986年生まれで、名前が美奈子さまでしょ? ミュージカル志望の歌姫、で、ついたあだ名がマリリン。」
「ふーん。で、青薔薇っていうのは? 静さまみたいに立候補した?」
「そうじゃなくて、どういうわけか青い薔薇がお好きで、青い薔薇のデザインのものばかり持っていらしたのよ。」
「ふーん。で、青薔薇さまと呼ばれることもあった、と。」
「それで、ミュージカルかあ。ミスサイゴンね。」
「行く?」
「撮りに行くんでしょ。場内は撮影禁止でございますよ。蔦子さん。」
「後輩だもん。入り込めばシャッターチャンスはいくらでも。」
「蔦子さんがそういうミーハーだったとは思わなかったわ。卒業生を撮りたいって言ったのも初めて聞いたわよ。」
「撮れなかったのよ、在学中に。」
「どうして?」
「三年生の学園祭の前の日に倒れたの。そのまま入院。」
「え?じゃあ、卒業は?」
「成績は良かったらしくて、もう推薦入学が決まっていたの。だから退院したらそのまま卒業して進学できたそうなのよ。」
「でも、病気は?」
「それがね……。」
†
「わー、よかったー。さそってくれてありがとう、祐巳さん。令ちゃんも来ればよかったのに。」
「うんうん。あの人が静さまの先輩だったのかあ。合唱部ってすごいんだねえ。」
「ステキでしたねえ、蔦子さま。サインもいただけたし。」
「だめよ、笙子ちゃん、蔦子さんはせっかく楽屋に潜り込めたのに、写真とれなかったのがこたえてるんだから。」
「そうそう、バックチェックされてカメラ預けさせられたのよねー。」
「そう言わないでよお。由乃さん、祐巳さん。うーん、次はお弁当箱にでも偽装して……。」
「蔦子さま、ミュージカルをおべんと持って見に来るんですか?」
「あれ、救急車。」
「なんか、裏へ入っていくわよ。」
「笙子ちゃん、行くわよ。」
「え? え?」
「もう、蔦子さん、新聞記者じゃないんだから。」
†
「わー、青い薔薇だあ。初めて見た。」
「お見舞いだもの。それに、これには意味があってね。祐巳さん。」
「祐巳さま、英語で青い薔薇、blue roseってどういう意味だかご存じですか?」
「え? 笙子ちゃん、どういうこと?」
「美奈子さまってね、白血病だったのよ。もともと、リリアンを卒業することもできないだろうって言われていたの。ほんっっとに祥子さましか見てなかったのね。」
「ふーん、由乃さんは令さま以外もちゃんと見てたのね。令さまに言っておくわ。」
「いいわよ別に。令ちゃんは由乃しか見てないから。」
「はいはい。」
「祐巳さま、blue roseって奇跡、でなければ、絶対にあり得ないことというのを意味するんです。」
「本来、薔薇には青い色素はないの。何世紀も品種改良がされてきたけれど、他の色の色素を薄めてなんとなく青っぽいかなあ、というような花や、染色したものしかつくれないのよ。だから青い薔薇はあり得ない奇跡。」
「それで、美奈子さまが青い薔薇が好きだったのって……。」
「奇跡はありえないから奇跡なのよ、祐巳さん。」
†
「意外に、元気だったね、美奈子さま。」
「蔦子さん、さすがに知ってたよ。気がついてたわ、美奈子さま。」
「うん、由乃さん、気づかれるってのはわかってた。でも、奇跡ってあると信じればあるじゃない。」
「なになになに、なんなのよ。どういうこと?」
「笙子ちゃん、この蚊帳の外に教えてやって。」
「はい。祐巳さま、あのあり得ないはずの青い薔薇。」
「そうそう、ありえないんでしょ? あれ、なに? 染めたの? 美奈子さま、一目見て、納得したみたいな顔して『ありがとう』っておっしゃったわ。」
「あれ、桔梗なんです。」
「はああ? だって、薔薇そのものだよ。」
「苗のメーカーが開発した、八重の薔薇咲きのトルコ桔梗なんですよ。本物の薔薇ではないんです。」
「それで……。でも、ちゃんとあったじゃない。桔梗でも何でもいいよ。奇跡は起こるよ。」
「そう信じたいわ、祐巳さん。」
†
「ごきげんよう。祐巳さん。」
「新聞、見たわ。蔦子さんの撮った写真が遺影になってた。」
「起こらなかったね、奇跡。」
「うん、祈ろう。」
BGM:グノーのアヴェマリア 歌唱:本田美奈子
彼女が戻ってきたら書くつもりでした。だから本当はもう一段どんでん返しがあるのですが、封印。