【824】 駆け抜けろ王様ゲーム  (林 茉莉 2005-11-09 06:32:29)


【前書き】

このお話は色々とご指摘を頂いた
  No,807 祐巳ちゃんへアップサイドダウン作戦  (削除済み)
の改訂版です。

( ´_ゝ`)フーン 直ってるね、と言われるだけでは悔しいので(w)、オチも変えてみました。






「それじゃあ私たちは先に講堂に行っているわね。祐巳、しっかりね」
「はい、お姉さま」
「由乃、ほんとに大丈夫?」
「もう、令ちゃんは心配性なんだから。大丈夫に決まってるじゃない」
「志摩子さん、がんばってね」
「平気よ、今年は私たち三人だけだから」
 三組三様に言葉を交わすとお姉さま、令さま、それに乃梨子ちゃんはビスケット扉を出ていった。

 一月も末の良く晴れた寒い水曜日、今日は午後から来年度の生徒会長を選ぶ選挙の立会演説会が行われる日だった。
 去年はお姉さま、令さま、志摩子さんの他にリリアン女学園の歌姫こと蟹名静さまが立候補なさったため、三つの席を四人で争うというリリアン女学園としては珍しい本当の選挙戦だったのだが、今年は祐巳たち薔薇の館の住人以外に立候補する人がいなかったため、選挙とはいっても実際には信任投票であった。
 静さまのような強力な対抗馬が出なかったことに安堵していた祐巳に、しかし難題は別の所から持ち上がっていた。





 二年生の三人だけが残り奇妙に静まり返った薔薇の館で、沈黙に耐えられず祐巳が会話の口火を切った。
「ああ、どうしよう。やっぱりちょっと緊張してきた。二人は平気なの?」
「当たり前でしょ。信任投票なんだから気楽なもんよ」
「そうなんだけど私、大勢の前でしゃべったことってあんまりなくって。それにほら、例の……」
「大丈夫よ。祐巳さんが一番人気なのは衆目の一致するところなんだから」
「そうそう。だから本当の勝負は私と志摩子さんなのよ」
「ねえ、あれ本当にやるの? やっぱり止めにしない? 私たち敵じゃなくて仲間なんだよ」
「やるって言ったらやるのよ! そうでしょ? 志摩子さん」
「由乃さんこそいいの?」
「悪いけど私自信があるの。絶対に負けないんだから」
「私も秘策があるの。だから勝つのは私」
「絶対勝ーーつっ!」
「ウフフフッ」
「……」
 由乃さんと志摩子さんは何だかよく分からない暗いオーラを身にまとって、互いに牽制し合っている。
 そう、例えて言うなら竜虎相討つ、……というより猫兎相討つといった辺りが順当か。
 怯える子ダヌキ・祐巳はそんな二人の様子に身震いして、だからもう一度言ってみた。
「ねえ、やっぱりやめようよ。得票数で競争なんて!」
「「祐巳さんは黙ってて!」」
 二人は同時に祐巳に向き直り、きれいにハモッて言った。

 何でこんなことになっちゃったんだろう。
 二人ともこんなに息がピッタリ合ってるのに、なんで勝負なんかするの?
 由乃さんと志摩子さんの間の妙な緊迫感に耐えられず、演説会なんか放り出して今すぐ一人でどこかへ逃げ出してしまいたい祐巳だった。





 ことの起こりは二日前、薔薇の館での志摩子さんと乃梨子ちゃんの不用意な会話だった。
 立会演説会用の原稿を推敲していた志摩子さんに、乃梨子ちゃんがお茶をだしながら言った。
「いよいよあさってだね。なんだか私の方がドキドキしてきちゃった」
「乃梨子ったら心配性ね。大丈夫よ、今年は私たち三人しか立候補していないんだから」
「うん、そうなんだけど。でももし得票数が過半数に達しなかったらどうなるんだろう」
「そうね、どうなるのかしら。ねえ、由乃さん」
 志摩子さんはいつものように柔らかい笑顔を浮かべて言ったが、それを受けた由乃さんはどこからかピキッと音を立て、こめかみには血管を浮かび上がらせて眼光鋭く聞き返した。
「……何で名指しで私に聞くのかしら?」

 後で聞いたことだが実は内心、由乃さんは自分の得票数が最も少ないのでは、と危惧していたという。
 祐巳自身は意識したことはないのだが、由乃さんによると一年生の間での祐巳の人気は絶大で、だから由乃さんの読みではおそらく祐巳は一年生票を大量に集めるだろうとのことだった。
 一方二年生票なのだが仮にこれを三人が同等に得票できたとしても、一年生票による大幅なアドバンテージで祐巳のトップは動かし難い。
 つまり実質的には由乃さんと志摩子さんの一騎打ちになるわけだが、志摩子さんには今年一年間白薔薇さまを担ったという実績があり、成績も優秀で、その上「表面上は」(由乃さん談)人当たりも良い、ときている。
 片や由乃さんは一年生の冬に心臓手術を受けて以来、十五年間かぶり続けた可憐で儚げな美少女という巨大(あるいは誇大)なネコを華麗に脱ぎ捨て、本来の積極性を前面に押し立てているため一部の生徒、特に黄薔薇さまファンには必ずしもウケが宜しくない。(全て由乃さん本人談)
 よって得票数は自分が一番少ない可能性が大である。由乃さんはこんな風に状況を分析していたという。
 しかし得票数が少ないことなど由乃さんは実はさして気にしていなかった。
 それよりも真に気掛かりだったのは得票数が少ないことを必ずどこからか聞きつけて、例の凸(由乃さん談)が自分をからかいに来るであろうことだった。
 これは単なる懸念ではなく、かなりの高確率で起こり得る現実だ。
 由乃さんにすればこれは何より耐え難いことだという。
 何とかこれを回避できないかと、一人密かに悩んでいたところに掛けられたのが志摩子さんのあの言葉では、由乃さんに青信号が灯ってしまうことも祐巳には十分理解できることであった。

「つまり志摩子さんは私の得票が一番少ないかもって言いたい訳ね」
「ウフフッ」
 ウフフッて志摩子さん、何でそんなに挑発するの?
 もしも言葉が漫画のフキダシだったら、今すぐ修正液で「ウフフッ」を消してしまいたい祐巳だった。
「あ、あの、落ち着いてね、二人とも」
 二人の間をなだめようとしてオロオロする祐巳だが、由乃さんも志摩子さんも全く聞いていないようだ。
「いいわ。じゃあ三人で得票数を競争しましょう」
「面白そうね」
「え? 三人って私もやるの?」
「当たり前じゃない。この際私たち三人の立ち位置をはっきりさせておくいい機会だわ」
 私、いつの間に巻き込まれていたの? 泣きそうな顔がそう語っている祐巳にも容赦のない由乃さんだった。

「ちょっと由乃、いい加減にしなさい。選挙は遊びじゃないのよ」
 それまで黙って聞いていた黄薔薇さまだったがついに我慢しきれなくなったという風に、ちょっと怖い顔を作って青信号全開の由乃さんをたしなめにかかった。しかしそんなことでおとなしくなるような由乃さんではないことはみんなが知っている。
「令ちゃんのバカ! 遊びじゃないわ、これは真剣勝負よ! それとも令ちゃんは私が負けるとでも思ってるの?」
「そうじゃないけど……。祥子も黙ってないで何とか言ってやってよ。ほら、祐巳ちゃんだって困ってるよ」
 暴走機関車・由乃号の前にいつものようにヘタれてしまった令さまは祐巳をだしにして、隣で黙って優雅に紅茶を飲んでいるお姉さまに話を振った。
 しかし振られたお姉さまから返ってきたのは意外なお言葉だった。

「あら、私は別にかまわなくてよ。面白そうだからむしろ見てみたいわ」
 へっ?
 由乃さんがどんなに頑張っても最後にはお姉さまが納めてくれる。半ばそう楽観していた祐巳は自分の耳を疑った。
「だって祐巳のトップは確実なんですもの」
 ……お姉さま、いつからそんな面白いこと好きになられたんですか? 一年前のお姉さまなら声を荒げて真っ先に反対なさったでしょうに。随分変わられたんですね。いいのか悪いのか分かりませんが。

 祐巳がそんな感慨に耽っていると、今度は別のほうから新たな燃料を投下する人が現れた。
「紅薔薇さまのお言葉とはいえ、それはちょっと聞き捨てなりません。確かに祐巳さまは一年生の間では絶大な人気がありますが志摩子さ、いえ、お姉さまだって十分人気がありますし、何といってもこの一年間、二年生でありながら白薔薇さまを担ってきたという実績があります」
 あくまで冷静に、しかし断固とした調子でいう乃梨子ちゃんにお姉さまは鼻で笑っていう。
 お姉さま、まるで悪の女幹部っていうか、ヒールがとってもお似合いで素敵です。
「甘いわね、乃梨子ちゃん。生徒会長なんていっても結局は体のいい雑用係だってみんな知ってるわ。だから実績なんて関係ないの。生徒会選挙なんて所詮人気投票に過ぎないのよ」
「いいでしょう。ではこの際ですから志摩子さんの人気と実力を学園中にはっきりと示しましょう」
 そんな、乃梨子ちゃんまで……。
 祐巳なんかよりずっと大人でしっかりしている乃梨子ちゃんだが、こと志摩子さんのことになると別だったのを祐巳は今さらのように思い出した。
 乃梨子ちゃんもすっかりリリアンの校風に染まったんだね。いいのか悪いのか微妙だけど。

「大体意見も出そろったようですね。ではここらで決を採りたいと思いますが」
 よろしいですか、と由乃さんがお姉さまの方をチラリと見やる。令さまは無視なんだね。
 よくってよ。お姉さまが頷くとにわか議長となった由乃さんは言った。
「では、選挙戦における得票数競争に賛成の方は挙手を」
「ちょっとお待ちなさい」
「何でしょう。今さら反対っていうのは無しですよ、祥子さま」
「もちろんよ。それより競争して勝ったらどうなるのかしら? 逆に負けたら何かあるの?」
「それは……、考えていませんでした」
「それじゃ競争し甲斐がないわね」
 決を採る寸前で入ったお姉さまの一声に、ああ、やっぱり止めて下さるんだと安堵した祐巳の思いは一瞬にして消し飛んだ。
 お姉さま、あなたはほんとにお姉さまなんですか? まさか背中のジッパーが開いて中から江利子さまが出てくるなんてオチじゃないですよね。
 そんな様子を頭に思い浮かべていた祐巳の横で、乃梨子ちゃんがとんでもない爆弾を落とした。

「ではこういうのはどうでしょう? 最下位の人はトップ得票者の言うことを聞くんです」
 え? それってなんだか何かに似ているような……。
 祐巳が喉元まで出掛かった言葉を言う前に、由乃さんにあっさりと言われてしまった。
「つまり得票数で王様ゲームをやるってことね」
 それを受けてお姉さまは祐巳たちの方を見て訊く。
「当事者はどうかしら?」
「私はそれで構いません」
「私は元より望むところです!」
 志摩子さんはいつものようにゆったりと、反対に由乃さんは闘牛場の牛のように興奮気味に答える。
 しかし争い事を避けたい祐巳はここが勝負所だと思い、お腹に力を込めるとビシッと右手を挙げて言った。
「はっ、反対!」

 その瞬間、みんなの視線が一斉に祐巳に集まった。そんな祐巳にお姉さまがゆっくりと言う。
「祐巳」
「は、はい」
「あなた反対なの?」
「申し訳ありません。この件に関しては反対です!」
「でも私はあなたを信じていてよ」
「えっ? ……お姉さまがそうおっしゃるなら」
 叱られるものと思っていた祐巳はお姉さまの思わぬ優しいお言葉に対応の仕方を見失ってしまい、なんだかうやむやの内に丸め込まれてしまった。

「私も反対よ」
「では改めまして、得票数競争に賛成の方は挙手を願います」
 山百合会最後の良心・令さまの言葉は由乃議長の耳には全く届いていないようだった。
 そして結局採決は議長票一を含む賛成四でうち切られた。
「賛成多数をもちまして本案は可決されました。いいわね、祐巳さん」
「ううっ……」
 かくして全校生徒には秘密裏に、得票数王様ゲームの火蓋が静かに切って落とされたのだった。





「もうそろそろ時間ね」
 志摩子さんの声に腕時計を見ると、立会演説会の三十分前だった。これから講堂に移動して選挙管理委員会と最後の打合せをした後、いよいよ戦いが始まるのだ。
 最後の説得に失敗した以上、この不毛な争いに終止符を打つには戦って勝つしかない。
 祐巳はもう迷わなかった。

「それじゃあ行きましょう」
 由乃さんの言葉で三人は席を立った。





 三人が講堂に着くと、用意された席はすでに一、二年生で全て埋まっているようだった。そればかりか後ろの方にはこの日出校していた三年生の姿まで見える。今年の選挙はなぜか例年より関心を呼んでいるようだ。
 まさか王様ゲームの件が漏れたのだろうか。でもそんなうわさ話は祐巳の耳には入ってこなかったし、もちろん真美さんに追求されるようなこともなかった。

 心に刺さった小さな棘のような不安を余所に、立会演説会の準備は着々と進んでいく。
 そして三人が壇上に用意された席に着席すると、いよいよ運命の演説会は始まった。

「それでは来年度生徒会役員選挙、立会演説会を始めます。初めに二年松組、福沢祐巳さん」
 司会者の声に促され、立候補届け出順一番の祐巳が先ず演台の前に立った。
「皆さん、ごきげんよう。ただいまご紹介に預かりました、二年松組、福沢祐巳です」
 うん、よしよし。思ったより上がってないぞ。夕べ祐麒に上がらない秘訣を伝授してもらったのが効いているようだ。その秘訣とは。
 とと、そんな場合じゃなかった。今は演説に集中しなきゃ。絶対トップ当選しなきゃいけないんだから。

「……。以上、ご静聴ありがとうございました」
 最後にそう言って深々と頭を下げた祐巳に、聴衆からは暖かい拍手が送られた。
 ふと後ろの方を見れば、令さまと一緒に見ているお姉さまも拍手してくれている。どうやら上手くできたようだ。
 とにかくやれることはやった。後は結果を待つだけだ。心の中でそっと胸をなで下ろすと、祐巳は自分の席に戻った。

 祐巳に続いて演台の前に立ったのは由乃さんだった。
 茶話会の時も思ったけど、由乃さんってこういう場で堂々としててカッコいいなあ。貫禄だけならもう充分薔薇さまだよ。
 最初はそんな風に見ていた祐巳だったが、自分の番が終わり緊張して夕べあまり眠れなかった分の睡魔がいつしか襲ってきていた。壇上で居眠りなどしないように目を開けているのが精一杯で、それで由乃さんの演説の内容まで頭に入ってこなかった。
 そんなぼやけた頭の祐巳だったが聴衆のどよめきとともに、由乃さんの声の中に「紅薔薇さま」の名が含まれていることにふと気がついた。

「私がトップ当選した暁には皆さまからアンケートを取った上で、新学期にカラー刷りでリリアンかわら版・紅薔薇さま××××特集号を発行する事をここにお約束致します」
 ほぇー、そうなんだ……。新学期に紅薔薇さまの××××。
 由乃さんも色々考えてるんだ。
 ……ん?


   紅 薔 薇 さ ま の コ ス プ レ !?

   何 そ れ ーーーーーーーーーーーーーーーっ!!


「これは既に新聞部・写真部と打合せ済みです」
 由乃さんはそう言って舞台の下で取材をしていた真美さんと蔦子に目配せをする。二人はそれに答えてグッと親指を立てて応えた。
 そ、そんな密約が! だから真美さん何にも突っついて来なかったのか!

「異議あり!」
 一気に目の覚めた祐巳が叫ぶのと同時に、聴衆の中からも二人分の同じ声が聞こえた。講堂中に響きわたる声の主はお姉さまと瞳子ちゃんだった。

「由乃ちゃん、そんな勝手は許さなくてよ!」
「お言葉ですが祥子さまには選挙権がありません。 よって異議も認められません」
「お黙りなさい! 祐巳のコスプレは私だけの楽」
「令ちゃん!」
「祥子、ごめん!」
「ああ、お姉さま!」
 由乃さんの合図(というか命令)で背後から令さまの手刀一閃、お姉さまはあっけなく気を失ったようだ。
 祐巳は壇上から、令さまに抱えられて講堂を出ていくお姉さまを呆然と見送ることしか出来なかった。
 それはそれとして、お姉さまが最後に言いかけた言葉はこの際聞かなかったことにしておくべきなのかな。

「由乃さま、横暴ですわ! 祐巳さまは瞳子だけが弄」
 今度は瞳子ちゃんが立ち上がって叫ぶが、由乃さんは少しもあわてず指をパチン、と鳴らした。
 すると瞳子ちゃんの後ろに座っていた可南子ちゃんとその他数人が、どこに隠していたのかむしろと荒縄を取り出してあっという間に瞳子ちゃんを簀巻きにしてどこかへ運び出していってしまった。
 可南子ちゃん、いつの間に由乃さんに籠絡されていたの? 友達になれた可南子ちゃんはいつの間にか火星の可南子ちゃんと選手交代していたの?
 でもそれはそれとして、瞳子ちゃんが最後に言いかけた言葉はあとで小一時間問い詰めなくちゃ。

 それにしても恐るべきは由乃さん。何て用意周到な、……じゃない! 感心してる場合じゃなかった!
「そんなこと私聞いてません!」
 あわてて叫ぶ祐巳だが、由乃さんは少しもあわてず不敵な笑みを浮かべて言った。
「だってこれは私の公約よ。祐巳さんには関係ないわ」
「そっか、そうだよね……。って関係大ありじゃない! 私そんなこと絶対に認めませんから! それにこんなの、何て言うの、ほら、その」
「買収?」
「そうそれ! ありがとう由乃さん。ってそうじゃなくて! こんなの選挙違反になると思」
「なりませんっ!」
「え? でも……」
 必死の反撃を試みる祐巳に由乃さんはビシッと指さして、祐巳の言葉を断ち切った。
 気勢をそがれた祐巳はその時点で既に負けていた。そんな祐巳に由乃さんは一転して優しく微笑んで語りかける。
「よく考えてみて。新聞部と写真部がコラボで特集号を出すなんて別に珍しいことじゃないでしょ? 私はそれにちょっと提案しただけよ。もちろん特集号のために別枠で予算を出す訳でもないし、誰に対する利益誘導でもないわ」
「そ、そうなのかな。うーん……」
 何だか分かったような分からないような、釈然としないまま言いくるめられそうな祐巳に由乃さんは自信満々の笑顔でとどめを刺した。
「祐巳さん、ここは演説の場で討論の場じゃないのよ。だからその話はもうお終いね。皆さま、お騒がせいたしました。以上で私の演説を終わります。どうか皆さまの清き一票をお願いいたします」
 清くない、絶ーーっ対清くないよ。そんな一票! ……多分。
 しかし演説を終えた由乃さんには、祐巳の時以上の盛大な拍手が送られた。

 蒼くなったり赤くなったり、祐巳が生涯最高の百面相を演じているとその横で志摩子さんが演台から戻ってくる由乃さんを睨みつけて、チッ!と小さく舌打ちをするのが聞こえた。
「志摩子さん! 由乃さんたらひどいの! 志摩子さんからも何か言ってよ!」
「やるわね、由乃さん」
「え?」
 由乃さんを睨んだまま小さく呟いた志摩子さんの言葉に思わず祐巳が聞き返すと、志摩子さんは祐巳の方を振り返り、いつものように優しく微笑んで言う。
「安心して。祐巳さんを由乃さんのいいようにはさせないから」
「う、うん。お願いよ、志摩子さん!」
 そう言い残して演台に向かう志摩子さんを、祐巳はすがるような目で見送った。

 志摩子さんと入れ替わりに席に戻って来た由乃さんに、祐巳は小声でキビシク抗議する。
「ひどいよ由乃さん! 何で私に一言の相談もなくあんなこと!」
「だって相談したら祐巳さん断るでしょ」
「それはそうだけど……、って当たり前じゃない! とにかく絶対却下なんだから!」
「ポピュリズムの世の中、全ては選挙民の思し召しなのよ。それよりいいの? 志摩子さんも何か爆弾発言しそうだけど」
「え? まさか……」
 今さら祐巳さんが凄んだって痛くも痒くもないわ、と受け流す由乃さんは、祐巳の抗議より演台の志摩子さんの公約の方が気になるようだった。

「単刀直入に申し上げます。私がトップ当選した場合、先日姉妹探しの機会として開催しご好評を頂きました茶話会を新年度から定期的に催し、紅薔薇さまがメイド姿で皆さまをおもてなし致します。ただし応募者多数の場合は抽選とさせていただきますので悪しからず」


   茶 話 会 で メ イ ド !?

   だ か ら 何 で 私 な の よーーーーーーーーーーーーーーーっ!!


「ヲタじゃあるまいし皆さまは二次元とかで満足できるのですか? こちらは本物が皆さまをお迎えするのですよ。どちらがいいか聡明な皆さまなら明白ですよね?」
 場内からは歓声とともに割れんばかりの拍手が巻き起こった。
 メイド喫茶も十分オタクだって! それに『ヲタ』って志摩子さんこそオタクだったの? いや、それはこの際どうでもよくって!
「い、異議あり! それは選挙違反だと思います! 何て言ったっけ、あの、ほら」
「供応かしら?」
「そうそう! さすが志摩子さん、って違ーーーう! こんなの絶対違反だよ!」
「姉妹探しの機会を恒例化することのどこが供応なのかしら? それにね、みんなに親しまれる薔薇の館にするのは蓉子さまの願いだったでしょ? 祐巳さんはそれに反対なの?」
「そういう訳じゃないけど……」
「ウフフ、だったら構わないわよね。それでは簡単ではありますが私の演説を終わらせていただきます。皆さまの清き一票をお待ちしています」
 だから全然清くないって!! ……多分。

 やっぱり黙っていられない。このままでは来年度、由乃さんか志摩子さんのいいようにされてしまう。 
 そう思った祐巳は演台に駆け寄るとマイクを掴み、全校生徒に山百合会の秘事をうち明けた。
「皆さん聞いて下さい! 由乃さんと志摩子さんの公約に私は一切関与していません! 二人は得票数で王様ゲームをしていて、それであんな無茶な公約を言っているんです! あの二人の暴走を止められるのは私だけなんです! だからどうか私をトップ当選させて下さい! お願いします!!」
 
 エーーー? ザワザワザワザワ。
 祐巳の暴露発言を聞いて騒然となった場内だったが、その中のどこからか一人の生徒が大きな声で質問してきた。
「もし由乃さまか志摩子さまの得票が一番で、祐巳さまが最下位だった場合どうなるのですか?」
「その時は私が由乃さんか志摩子さんの言うとおりにしなきゃいけないんです!」

 オーーー! ガヤガヤガヤガヤ。
 さっき以上にどよめいた場内から、やがてさっきと同じようにどこからか声が挙がった。
「私たちみんな祐巳さまの味方です! だから祐巳さま、ご心配なさらないで!」
「そうですわ! ご安心なさって!」
「ありがとう、皆さんありがとう! 良識のある人たちばかりで私、幸せです!」
 やっぱりマリア様のお庭に集うリリアンっ子たちはいい子達ばかりなんだね。由乃さんや志摩子さんの奸計に与するような子達じゃないよね。
 祐巳は目に大粒の涙を浮かべて、リリアン女学園に通う幸せを噛みしめていた。

 講堂中割れんばかりのスタンディングオベーションに包まれ、こうして波乱の立会演説会は終了したのだった。





 演説会の三日後の土曜日、生徒達は各々の教室で投票し、およそ一時間後には選挙管理委員会によって集計された開票結果が掲示板に貼り出された。
 お姉さまと一緒に掲示板に向かった祐巳を待っていたその結果とは。




   「な、何で私だけが不信任なのよーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」




 掲示板の前で大勢の生徒たちに囲まれて祐巳が目の当たりにしたのは、祐巳にとってあんまりな開票結果だった。
 祐巳の得票数はわずかに一票。自分の一票だけ。
 一方由乃さんと志摩子さんはまるで示し合わせたかのように同数で信任されたのだった。

 何でなのよ。半泣きでつぶやく祐巳に、いっしょに開票結果を見ていた由乃さんは半ばあきれ顔で言う。
「分かってないわね。志摩子さん、かわいそうな祐巳さんに説明してあげたら?」
「つまりね、祐巳さんが王様ゲームのことをみんなの前でばらしちゃったから、祐巳さんのファンはこぞって私や由乃さんに投票しちゃったのよ」
「じゃあ私は墓穴を掘ったってこと?」
「まあそういうことになるわね。それにしても祐巳さんって一年生だけじゃなく、二年生にも人気があったのね」
「ウフフ、うらやましいわ」
 ……うれしくない。全然うれしくないよ。
 私の味方だって言ってくれた子たちは一体何だったの?
 ひどいよ。もう誰も信じられない!

 そんながっくりとうなだれる祐巳の肩をそっと抱いて、お姉さまは優しく言った。
「祐巳、しっかりなさい。こうなってしまってはもう仕方ないわ」
「お姉さま……」
「欠員が出た以上もう一度選挙が行われるわ。そこで当選すればいいのよ」
「でもこの結果を見ると、私もう自信ありません」
「バカね、これはあなたの人気の裏返しよ。それに思い出してご覧なさい。志摩子も由乃ちゃんも『紅薔薇さま』って言ったのよ。つまりあなたが紅薔薇さまにならなければ二人の公約は無効なの。だからみんなあなたに投票するに決まってるわ」
「でもそれならもう立候補しない方がいいんじゃ。そうすればコスプレもメイドもしなくて済みますし」
「もちろんそれでもいいわ。例え紅薔薇さまにならなくてもあなたが私の妹であることに変わりはなくってよ。でも私なら逃げるのはイヤ。絶対戦うわ」
 立会演説会の時の怒れるお姉さまはもういない。だったら自分も前を向いて歩いていこう。
 祐巳はそう決心して、精一杯の笑顔を作って言った。
「分かりました。私も戦います」
「それでこそ私の妹だわ。大丈夫、あなたには私がついていてよ」
「はい、お姉さま」
 こうして祐巳は欠員選挙に再度立候補するために立ち上がった。





 二月の最初の土曜日の午後。今日は再選挙の演説会と投票、開票が一日で行われることになっていた。
 立候補者は祐巳一人だったので演説会は省略されるはずであったが、祐巳のたっての希望で催されることになったのだった。

「皆さん、今日は私のためにお時間を頂きありがとうございます」
 ペコリとお辞儀をして、聴衆を前に演台で祐巳は言った。
「私の公約は先日の通りですが、不信任という結果を鑑みもう一つ追加することにしました。私が信任された時は、…………由乃さんと志摩子さんも私と一緒にコスプレとメイド茶話会をします!!」


 …………。 

 ウォーーーーーーーーーーーーーッ!!


 一瞬の静寂の後、講堂中にリリアン女学園にはあるまじき大歓声が巻き起こった。
 キャッ!
 花寺学院の選挙ももしかしたらこんな感じなのかな。
 講堂を包み込むものすごい嬌声に耳を押さえながら勝利を確信し、祐巳は心の中でガッツポーズを取っていた。

「異議あり!」
 歓声に半分かき消されながら上がった声の主は由乃さんだ。
 ステージの下には壇上の祐巳を睨み付ける由乃さんと、困ったような笑顔を浮かべる志摩子さんがいた。
 由乃さん、親友に今さら凄まれても痛くも痒くもないよ。だからそんな睨んだってダメなんだからね。
「何か?」
「王様ゲームはもう終わってるんだからその公約に拘束力はないわ!」
「でも由乃さんは民意に従うんだよね?」
「そ、それはその……。ほら、志摩子さんも黙ってないで何か言ってやりなさいよ!」
 余裕の笑顔で応える祐巳に、形勢不利な由乃さんは目を泳がせて隣の志摩子さんに振るのだが、頼みの綱の志摩子さんはといえば。
「ウフフ、一本取られちゃったみたいね」
「もう、志摩子さんたら。のん気に笑ってる場合じゃないでしょ」
 志摩子さんの邪気の無さに毒気を抜かれ、いからせていた肩を落として由乃さんも諦めモードに入ったようだ。
 そんな由乃さんの大きなため息を確認して、祐巳は聴衆に向き直り締めの挨拶をする。
「二人とも異論は無いようなのでこれで終わります。皆さんの清き一票をお願いします」

 万雷の拍手の中、祐巳はステージを降り由乃さん、志摩子さんの元へ歩み寄る。
「恨むわよ、祐巳さん」
「やられたわね」
 祐巳はそんな二人の間に割って入ってクルッと向きを変えると二人と腕を組んで、満面の笑みを浮かべて言った。
「えへへ。だって私たち、敵じゃなくて仲間なんだもん♪」



 
 
 年度が改まり祐巳たち三人が新しい薔薇さまとなってから最初の土曜日の午後、薔薇の館では志摩子さんの公約通り茶話会の準備が粛々と進められていた。
 
「真美さ〜ん、何なのよ、これ。メイド服じゃなかったの?」
「由乃さんと志摩子さんが同数でトップだったでしょ。だから二人の案を足し合わせて、衣装はアンケートで決めることにしたのよ」
「とっても素敵よ、祐巳さん」
「もー、蔦子さんたら他人事だと思って」
 薔薇さまが三人とも当事者になってしまったため、公平を期すため茶話会の企画・運営はなぜか新聞部が担当することになっていた。
 そして三薔薇さまコスプレ特集号の撮影のため、写真部のエースも当然薔薇の館に来ていた。
「でもこんなのどこから持ってきたのよ?」
「それはね」
 真美さんが言い掛けたちょうどその時、バァーーンという効果音とともにビスケット扉が開いた。
「私が乃梨子さんと作ったのですわ!」
「瞳子ちゃん!? 何で瞳子ちゃんが?」
「立会演説会の後、由乃さまと志摩子さまにお手伝いを頼まれましたの。上級生のお姉さま方のご依頼なら断れませんわ」
 ……おかしいと思ってたんだよね。得意げに言う瞳子ちゃんを見ながら、今さらながらに祐巳は思い出していた。
 演説会の時の様子からすると瞳子ちゃんは祐巳に投票してくれるものと思っていたのに、実際には自分の一票だけだったのだから。

「それにしても何だか胸の辺りが余るんだけど」
「そんなこともあろうかと、これを用意しておきましたわ」
 どうぞお使い下さいまし、と言って瞳子ちゃんが差し出したのは祐巳にとって懐かしくも忌まわしき思い出の一品、肩パッドだった。
「こんなこともあろうかと思ってたんだ、瞳子ちゃん」

「採寸もしてないのに私のサイズがピッタリってどういうことよ」
 緩くて凹んだり、ピッタリ過ぎて気に食わなかったり、人の不満は様々なようだ。
「作ってる最中、匿名希望『エリコ様がみてる』さまからお電話がありまして教えていただきましたの」
「くっ。あの凸、余計なことを。っていうか何でヤツが私のサイズ知ってるのよ!」
「でもスレンダーなお姉さま素敵です」
「そ、そう? まあ菜々がそう言うんなら……」
 由乃さんったら頬を赤らめちゃって、菜々ちゃんのたった一言で黙っちゃうんだ。
 それにしても菜々ちゃん、もう由乃さんの扱い方を覚えちゃったんだね。簡単過ぎるよ、由乃さん。

「私もピッタリだわ」
「それは乃梨子さんがモガッ」
 あわてて瞳子ちゃんの口を塞ぐ乃梨子ちゃん。
「ち、違うの志摩子さん!」
「乃梨子ったら」
「志摩子さん」
 ああ、志摩子さんと乃梨子ちゃん、見つめ合って二人の世界作っちゃってるよ。

「はいはい、姉妹で仲がおよろしいのも結構ですけど、そろそろものすごい倍率を勝ち抜いて幸運を射止めたお客さまたちが来るわよ。よろしくね、薔薇さま方。祐巳さんもチャッチャとそれ入れちゃって」
「えーん」
 記念すべき第一回目の茶話会の衣装、それはバニーガールコスだった。

 キシッキシッキシッ。
 誰かが階段を上る音が聞こえる。ついにお客さまが来てしまったようだ。
 バニーコスは顔から火が出るほど恥ずかしかったが、お姉さまに戦うと誓った以上一生懸命やるしかない。
 そう腹を決めた祐巳は由乃さん、志摩子さんとともにビスケット扉の内側でスタンバイした。

 ガチャッ。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。薔薇の館へようこそ、ってええーーーー!?」
 深々とお辞儀をし、ニッコリ微笑んで顔を上げた祐巳の眼前にいたその人は。
「お、お姉さま!」
「とってもよく似合っていてよ、祐巳」
「何で!?」
「あら、聞いてなかったの? 私ね、茶話会にオブザーバーとして出席してほしいと演説会の後で志摩子と由乃ちゃんに頼まれたの。可愛い後輩の頼みじゃ断れないでしょ?」
 涼しい顔をして言うお姉さまを前に、祐巳は思い出していた。開票結果発表の時お姉さまがヤケにあっさり結果を受け入れ、その上祐巳の説得までしたことを。
 思えばあの時の、「あなたには私がついていてよ」っていうのはこのことだったのか。

「……お姉さま、もしかして騙してたんですか」
「だってかわいい祐巳のコスプレを見てみたかったんですもの!」
 キツーク抗議しようとしたのだが「だって」なんて拗ねるお姉さまを初めて見た祐巳は、ついうっかり情にほだされてしまった。
「お姉さま……。言って下さればいつでも見せて差し上げますのに」
「祐巳!」
「お姉さま!」
 きつく抱きしめられて、またしてもうやむやの内に丸め込まれる祐巳だった。
 由乃さんと志摩子さんをキッと睨み付けると、由乃さんはVサインをしてニシシッと笑い、志摩子さんはいつもと同じマリア様のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
 その横では瞳子ちゃんが恨めしげな目で見ていたみたいだけど、まあそれはいいか。




 こうして薔薇さまによるコスプレ茶話会は大好評の内に行われ、その対価として祐巳たちは「山百合会史上空前絶後のあり得ない薔薇さま」という、よく分からない微妙な称号をリリアン女学園の歴史に刻むことになったのであった。




【おまけ】 コスプレ茶話会・その後

「祐巳さん。その衣装だけど、何もそこまでしなくてもいいんじゃないの?」
「そうかな? かわいいと思うんだけど。そうだ、由乃さんと志摩子さんもこれにしない?」
「遠慮しとくわ」
「そうですね。お姉さまにはちょっと無理だと思います」
「なっ、どういう意味よそれ! いいわよ、やってやろうじゃないの!」
「ウフフ、楽しそうね。私もそれにしようかしら」
「お願いだからやめてっ!」
「乃梨子がそう言うのならやめておくわ」
「え? いや別に、志摩子さんがしたければ私は……」
「乃梨子は見たいの? 見たくないの? どっちなの?」
「いや私は別にそんなほらあのその、……うん」
「祐巳さま、いい加減になさって下さい! 恥ずかしくないんですか!」
「えー何で? それより瞳子ちゃんも一緒にやろうよ」
「やめ、ちょっ、離してください! 離して、はなっ、……(キュウ)」

 ノリノリな祐巳だった。


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