【831】 波瀾の予感志摩子×祐巳  (柊雅史 2005-11-10 19:57:13)


 最近、志摩子さんの元気がない。
「志摩子さん、何か悩み事とか、ない?」
「どうしたの、急に? 別に何もないわよ?」
 乃梨子がストレートに尋ねてみても、もちろん返って来るのはそんな回答。首を振って笑いながら、その場はしゃんと立ち直るのだけど、すぐにまた、どことなく寂しそうな目になってしまう。
 そんな志摩子さんを見ていると、乃梨子の心は苦しくなる。志摩子さんを苦しめている原因に比べて、乃梨子の存在なんてちっぽけで、何の助けにもならないのかも知れないけれど。それでも、何かをしてあげたいって、乃梨子は思うのだ。
「……ねぇ、瞳子。瞳子には何か心当たりはない?」
 こんな時に、この手の話題を相談できる親友は、瞳子くらいしかいない。なんとも心許ない相談相手だが、基本的に他の生徒たちから一歩引いた位置にいる乃梨子には、瞳子くらいしか『親友』と呼べる相手がいないのだ。もちろん、友達はたくさんいるけれど、お姉さまのことを相談する相手となると、ちょっと仲が良い相手くらいでは躊躇ってしまう。
「そうですわね。私も白薔薇さまの様子がどこかおかしい、とは思っておりましたけど」
 瞳子が一つ頷いて、乃梨子が気付いた志摩子さんの変調に同意する。
「私の見立てですと、どうも三年生になられて以来、物思いに耽ることが多くなったようですわ」
「やっぱり……。私もその頃から変だな、って思い始めたんだよね」
「最上級生となり、そろそろ卒業後の進路など決断する時期ですから、そのことにお悩みかもしれませんわ。実際、瞳子のお姉さまは随分とお悩みの様子です」
「うーん……でも、祐巳さまや由乃さまと違って、志摩子さんは将来シスターになりたいんでしょう? だったら、このままリリアン一本なんじゃないかな?」
「それもそうですわね」
 乃梨子の指摘に瞳子が首を捻る。
「志摩子さまは、なんとおっしゃってました?」
「何も。大丈夫だって笑ってたけど……」
「そこで乃梨子さんは引き下がってしまったわけですわね? ダメですわ、乃梨子さん。志摩子さまは我慢することが習慣になってしまっている方です。そこは押しの一手で攻めなければ」
「う……でも、なんか悪いし」
「何を言うのですか。良いですか、乃梨子さん。姉妹の間に遠慮は無用ですわ。少々言い辛いことに突っ込まれたからといって、それで怒るようなお姉さまなら、いっそのこと捨ててしまえば良いのですわ!」
「か、過激なこと言うわねぇ」
「瞳子はその点、お姉さまのことを信じておりますので」
 涼しい顔で言い切る瞳子に「ぅわノロケだよ」とげんなりしながら、それでも乃梨子は瞳子の言葉にかなり勇気付けられた。
「でも、そうだよね。何かしてあげるには、まずは志摩子さんの気持ちを聞かなくちゃ。こういう時に一緒に悩めるのが、姉妹ってもんだもんね」
「ついに乃梨子さんも分かって参りましたわね」
 うんうん、と嬉しそうに頷く瞳子に、乃梨子はちょっと苦笑する。
 一応、乃梨子の方が瞳子よりも遥かに姉妹歴は長いはずなのだ。でもまぁ、姉妹のあるべき姿を語らせたら、多分乃梨子よりも瞳子の方がよっぽど雄弁だろう。
「よし――じゃあ、一つ気合い入れて聞いてみるか!」
「その意気ですわ、乃梨子さん!」
 瞳子に見送られながら、乃梨子は志摩子さんの気持ちを聞くべく、気合いいっぱい出発したのだった。


 聞いてみれば、それはなんとも可愛らしい悩みだった。
「――なんだか少し、祐巳さんと由乃さんを見ていたら、羨ましくなっちゃったの」
 乃梨子の説得でようやく口を割った志摩子さんは、そう言うと恥ずかしそうに俯いた。
「一応、私も白薔薇さまなんだけど、祐巳さんは私よりも由乃さんを頼ることが多いでしょう? 祐巳さんから見ると、やっぱり私は頼りなく見えるのかなって」
「そんなはずないって!」
 志摩子さんの悩みを聞いて、乃梨子はむしろ安堵した。確かに祐巳さまは志摩子さんよりも由乃さまと一緒にいることが多いけど、それは二人が同じクラスだったり、キャラクターが重なる点が多いからであって、祐巳さまが志摩子さんよりも由乃さまの方が好きで、頼りにしているなんてことはないと思う。
「分かった。じゃあ、私が確かめてきてあげる」
「そんな……。ダメよ、乃梨子。こういうことで乃梨子を頼るなんて間違ってるわ」
「でも、志摩子さんは祐巳さまの気持ちを確かめたいんでしょう?」
「それは……。ううん、やっぱりダメよ、乃梨子」
「志摩子さん、逃げちゃダメだよ!」
「乃梨子……分かってる。分かってるわ。そうじゃないの。私がダメって言ったのは、ここで乃梨子に頼ってしまうこと。今はきっと――私が、自分で祐巳さんにぶつかって行かなくちゃいけないところなのよ」
「志摩子さん……!」
 きゅっと口を結んで決意のこもった目を見せる志摩子さんに、乃梨子はちょっと感動して目頭が熱くなった。
 大丈夫だよ、志摩子さん! だって志摩子さんはこんなにカッコイイんだから! 仮に祐巳さまが由乃さまを取っても、私は志摩子さんの味方だからね!
 心の中でそうエールを送って、乃梨子は力強く歩き始めた志摩子さんを見送った。
 頑張れ、志摩子さん! 負けるな、志摩子さん!
 私が付いていてあげるから……!


 声援を送り続ける乃梨子は、この時は最後まで気付かなかった。
 志摩子さんが由乃さまには一切触れず、ひたすら祐巳さまのことばかりを気に掛けていたことに――


 志摩子さんは復活した。それはもう、劇的かつ華々しく、復活の狼煙を天高く上げていた。
「――んもう、志摩子さんてば可愛いんだから」
「祐巳さん……」
「私が志摩子さんのこと嫌いなはずないでしょう? だってほら……私、こんなにドキドキしてるよ」
「祐巳さん……」
「ねぇ、志摩子さんもドキドキしてる……?」
「ええ、してるわ」
「ね。触っても良い……?」
「ええ。祐巳さんになら……」
「うん……!」
 憂鬱な表情なんてどこへやら、緩みまくった表情で、祐巳さまとなにやら互いの動悸を確かめ合っている姿は、徹頭徹尾幸せそうで。
 乃梨子はそんな志摩子さんを見て、頑張って悩みを聞いて、応援してあげた甲斐があったなぁ……なんて。



 これっぽっちも思えるわけがなかった。



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