【869】 激突  (朝生行幸 2005-11-16 14:28:13)


「志摩子さんの分からず屋!」
 絶叫一つを残し、薔薇の館から走り去ったのは、白薔薇のつぼみこと二条乃梨子だった。
「乃梨子、待って」
「ダメよ志摩子さん」
「そうよ、この問題に姉妹の情は禁物だよ」
 乃梨子を引き止めようとした白薔薇さまこと藤堂志摩子を制止したのは、黄薔薇のつぼみ島津由乃と、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳。
「でも…」
「例え姉妹であっても、譲れない一線ってものがあるの。分かるでしょ?」
「そうだね。むしろ姉妹だからこそ、譲れないのかもしれないけど」
「…分かったわ」
 つぼみたちの言葉に、従わないわけにはいかない志摩子だった。

(志摩子さんのバカ、志摩子さんのバカ、志摩子さんのバカ…)
 心の中で悪態を吐きながら、早足で歩く乃梨子。
 口惜しさのあまり、視界が滲む。
 信じていたのに、裏切られた。
 心が張り裂けそうだった。
 こうなったら、仲間を集めて証明し、見返してやるしかない。
 あなたたちは、邪道だってことを。
「乃梨子さん!?」
 リリアンの乙女らしからぬ大股歩きの乃梨子に声をかけたのは、クラスメイトの松平瞳子。
「瞳子…」
「ど、どうなさったの?」
 瞳子が驚くのも無理は無い。
 一年生最強を謳われてる“あの”乃梨子が、目にうっすらとだが、涙を浮かべているのだから。
「あなたは味方よね?親友だもんねそうだよね?」
 瞳子の手を握り、すがるように訊ねる乃梨子。
 瞳子の顔が赤くなった。
「も、もちろん私は乃梨子さんの親友、味方ですから安心なさいな。それで、一体どうなさったの?」
「実は…」
 薔薇の館での出来事を、簡潔に説明する。
「なんですって!?白薔薇さまのみならず、祐巳さままで!」
「由乃さままでそうなのよ。私、口惜しくって口惜しくって」
「こうなったら、少なくとも同数を集めて、真っ向から勝負する他ありませんわ!」
「うん、賛同者を集めないと…」
「ごきげんよう、白薔薇のつぼみ、瞳子さん」
 図書館の影から現れ、作戦会議中の二人に挨拶したのは、一部で話題の一年生内藤笙子。
「ごきげんよう笙子さん」
「ごきげんよう…、乃梨子さん?」
 笙子を前に、乃梨子にそっと耳打ちする瞳子。
 頷いた乃梨子は、笙子に問い掛けた。
「笙子さん、ちょっと質問なんだけど…」
「はい?」
「あなたはどっちかしら?」
 薔薇の館での出来事を説明する。
「もちろん…」
『ようし!』
 笙子の答に、淑女らしからぬ気合の入ったガッツポーズを決める二人。
「笙子さん、時間ある?悪いけれど協力して」
「ええ、かまいませんよ」
「それじゃ…」
 パシャリ。
 駆け出そうとした三人に向かって、一瞬の光が浴びせ掛けられた。
「めずらしいスリーショットね」
『蔦子さま!?』
「ごきげんよう。なんだか面白そうなお話だったけど」
 乃梨子と瞳子が、笙子を左右から同時に肘で突っ突く。
「蔦子さま?」
「何?笙子ちゃん」
「お聞きだったのなら話は早いです。蔦子さまはどっちですか?」
「私はね…」
 ニヤリと笑みを浮かべて蔦子が口にした答に、愕然とする笙子。
 あまりのショックに足元がもつれ、倒れかかったところを乃梨子が支える。
 笙子の顔は、真っ青だった。
「ど、どうして…?信じていたのに」
「ちょっと大丈夫?なにもそこまで驚かなくても」
「触らないで下さい!」
 腕を引っ込める蔦子。
 ちょっとショックを受けているようだが、それでもやはり譲れない一線なのか、それ以上何もしなかった。
 肩を借りて、なんとか立っている笙子を左右から支える乃梨子と瞳子は、いつにない迫力で、蔦子を睨みつける。
 しかし、それを涼しい顔で見返す蔦子。
 薔薇さますら恐れない蔦子にとって、二人など物の数ではない。
「おやー?修羅場発見?」
 気の抜けたような声で、睨みあう4人に割り込んだ人物。
 後に妹を連れた、新聞部部長山口真美だった。
「おや真美さんごきげんよう」
「ごきげんよう。なんだか、険悪な雰囲気なんだけど」
「ちょっとした対立ってところかしら」
「真美さま」
「何かしら白薔薇のつぼみ?」
「日出実さんも答えてください。お二人はどっちですか?」
 対立の元となった出来事を説明する。
「私は…」
 真美の答えに、満足そうに頷く乃梨子と瞳子。
 しかし…。
「お姉さま、お姉さまには悪いですが、私は違います」
「な、なんですって?」
 ガビーンと、少々古い表現で驚く真美。
「ちょっと日出実、あなた私に逆らうの?」
「いえ、逆らうのではありません。これは、個人のアイデンティティの問題で、姉妹の情に左右されるものではありません」
「くっ…」
 真美以上にクールと言われる日出実、さすがに冷静だ。
 しかしなんてことだ、せっかく4人まで味方を集めたのに、相手は5人まで増えたではないか。
 しかも相手は薔薇さま一人につぼみ二人、更には写真部のエースと粒揃いだ。
 まさしく決定打に欠けていた。
「いいわよ、そっちがその気だっていうのなら。行くわよ」
 いつの間にか先頭に立った真美、三人を引き連れて、早足で去って行った。
「…なんだったんでしょう?」
 四人を見送りながら、呟く日出実。
「さぁてね。それを知るには、薔薇の館かな?」
「どうしてですか?」
「簡単な推理よ。どう?あなたも来る?」
「…はい」
 ちょっと迷ったが、蔦子に従うことにした日出実だった。

「こうなったら、薔薇さまのどちらかを引き込む必要があるわ。そうすれば、少なくとも立場は対等になれる。あとは、舌先三寸で説得するのみ!」
「それが一番難しいのでは…」
「ともかく…いた!」
 丁度校舎から出て来たのは、黄薔薇さまこと支倉令。
『令さま!』
 4人一斉に声をかければ、引き攣った表情でたじろぐ令。
「…ごきげんよう。揃ってどうしたの?」
「実はですね…」
 事の次第を説明する乃梨子。
「なるほど。そんなことがあったのか」
「で、黄薔薇さまはどちらですの?」
「安心して。私は貴方たちと一緒よ」
 それを聞いて、ハイタッチで称え合う一同。
「よし、これで対等。あの5人を、ギャフンと言わせてやらなくちゃ」
 自信に溢れた表情で、薔薇の館に取って返す一同だった。

「なるほど、さすがは乃梨子ちゃん。『転んだら一人では起きられない』娘ね」
「由乃さん、それを言うなら『転んでも只では起きない』じゃないかしら?」
 ワザとなのか素なのか判断しにくい由乃のボケに、冷静に突っ込む志摩子。
「何にしろ、勝算なしに帰ってくる娘じゃないわね」
 薔薇の館では、祐巳、由乃、志摩子、蔦子、日出実の五人がお茶を飲みながら相談していた。
「そろそろ戻ってくるんじゃ…、来たみたいね」
 バタンとドアが開く音がし、階段をドスドスと踏み鳴らす複数の足音。
 2階の会議室に姿を現したのは、令、乃梨子、真美、瞳子、笙子の五人。
「やっぱり令ちゃんは敵に回ったのね」
「こればかりは、いくら相手が由乃でも譲れないからね」
 火花を散らす黄薔薇姉妹。
 姉妹やそれに近い間柄同士が、計ったように二つに分かれ、お互い真剣な眼差しで見詰め合っている。
 祐巳と瞳子、志摩子と乃梨子、蔦子と笙子、真美と日出実。
 ヘタ令とはいえ、黄薔薇の貫禄は十分だし、乃梨子も他のつぼみには引けを取らない。
 二年生トリオ+蔦子の組み合わせは、リリアンを揺るがすに足る。
 双方、互角と言って良いだろう。
「で、決着はどう付けるつもり?」
 強気の由乃、負けるとは思っていないようだ。
「人数は同じ、主張は真っ二つ。となれば、公平な人物の判断に委ねるのが妥当だと思うけど?」
「…なるほど。要するに、紅薔薇さまの態度如何ということですね」
 大切な親友の令と、かけがえのない妹祐巳が分かれて争っているこの状態、恐らく紅薔薇さまこと小笠原祥子は、両者納得する公平な判断を下すであろうことは、両陣営にも容易に想像できる。
「そういうこと…と言ってる内に、来たようだね」
 しずしずと階段を上がる静かな足音。
「ごきげんよう。遅くなってごめんなさ…い?」
 あまりみかけない顔ぶれを含めて、奥の席と手前の席で対立していることは、来たばかりの祥子にも理解できた。
「祥子」
「何?」
 両者を代表し、令が祥子に訊ねた。
「祥子は、カレーに『福神漬け』か『らっきょ』か、どっち?」
 全員、祥子の答を聞き逃すまいとばかりに耳をそばだてる。
「福神漬け…」
 令たちのチームが身を乗り出す。
「らっきょ…」
 祐巳らのチームが笑みを浮かべる。
「なにそれ?」
 一同、盛大にズッコケた。

「なにそれ?そんなことで皆争ってたの?」
「そんなこととは何ですか!?カレーにはらっきょ、これしかないんです!」
 由乃が、声高に主張し、祐巳、志摩子、蔦子、日出実がウンウンと頷く。
「違います!カレーには福神漬け!らっきょなんて邪道です!」
 負けじと主張する乃梨子に、令、真美、瞳子、笙子が大きく頷く。
「残念だけど、私は食べたことがないから、どちらが良いかは判断しかねるわね」
 半分呆れ顔で、皆を宥める祥子。
「じゃぁ、一度皆で食べに行きましょう。そこでお姉さまに判断していただくのです」
「それいいね。全員の目の前で祥子が判断すれば、キッパリと勝敗が決するから」
「じゃぁ次の日曜日のお昼、M駅のカレー屋さんで」
「逃げるんじゃないわよ」
「由乃さんこそ」
 こうして、勝敗を決するステージは、日曜日に持ち越されたのだった。

 その結果は次のリリアンかわら版に掲載され、その影響でリリアンにカレーブームが巻き起こったのは言うまでもない。
 え?どっちが勝ったかって?
 それは各人、リリアンかわら版を見てくださいな。


一つ戻る   一つ進む