【879】 ひとめぼれ姫  (柊雅史 2005-11-18 01:03:49)


 瞳子はリリアン女学園の廊下を、淑女らしからぬ勢いで突き進んでいた。
 ずんずんずん、と効果音でも響かせるような迫力に、廊下でお喋りをしていた一年生たちが口をつぐんでは、何事かと瞳子のことを振り返る。
 普段なら「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ」と声を掛けられれば、優雅な微笑で応えるようにしている瞳子も、今日ばかりは「ごきげんよう、急いでいるので失礼」と、無愛想に応じるのが精一杯。そのくらいに、瞳子の機嫌は悪かった。
 目指すは一年椿組の教室。昨年一年を過ごした懐かしい場所だったが、今は懐かしげに『一年椿組』と書かれた入り口の札を見る余裕もない。むしろ敵を見るような鋭い視線を投げかけて、一気に閉じていた扉を開ける。
 突然の瞳子の――紅薔薇のつぼみの訪問に、室内に残っていた生徒たちが、一斉に振り向いて息を飲んだ。ひりつくような緊張感を肌に感じながら、瞳子はぐるりと室内を見回す。目当ての人物の顔を発見し、瞳子は演劇部で鍛えた複式呼吸をフル稼働して、誰にともなく言った。
「ごきげんよう。清香さんはいらっしゃる?」
 瞳子の呼び掛けに、一人の生徒が驚いたように立ち上がった。


「――それは誤解です、紅薔薇のつぼみ」
 瞳子の追及に、その生徒――西園寺清香は首を振った。
「誤解ですって!?」
 清香の応えに瞳子が眉を吊り上げる。その表情に清香は僅かに怯んだ様子だった。
「どの口がそんなことをおっしゃるのかしら? あなたが犯人でなければ、どなたが犯人と言うのかしら!?」
 瞳子の刺々しい詰問に、清香はおろおろと狼狽する。こんな時、瞳子の女優としてのスキルは絶大な威力発揮する。表情や口調などで相手を怯ませることなど、相手がお姉さまや祥子さまでない限り容易い児戯のようなものだ。
「そ、それは……」
「あなた以外に考えられないでしょう。それでも白を切るつもり?」
「あ、あの……」
 瞳子の鋭い眼光を受けて、清香は力なく項垂れた。
「も、申し訳ありません……」
 泣きそうな声に瞳子は「やっぱりあなたなのね」と呟いた。
「あの場所にいた関係者の中で、リリアン女学園に通っているのは私とあなただけですものね。すぐに誰が犯人なのか、分かるに決まっているじゃない」
「で、でも……」
「でも? でも、なんですの? この期に及んで何を言い訳するつもりかしら? 私が、敬愛するお姉さまを侮辱されて、黙っておとなしくしているような気質でないことは、ご存知でしょう?」
「ち、違うんです! それは誤解です!」
 清香が必死に首を振る様子に、瞳子は僅かに眉を寄せた。
「誤解? どういうことかしら?」
「私、紅薔薇さまを侮辱するつもりなんて、なかったんです! 本当です!」
「なんですって? あなた――私たち姉妹を『お米姉妹』なんて呼んでおいて、よくもそんなことを! お姉さまを『コシヒカリ姫』と呼ぶことを、侮辱ではないと言うつもり!?」
「私、紅薔薇さまのことをそんな風に呼んでいません!」
「じゃあ、どうして『お米姉妹』になるのかしら? ゆかりさまに何を吹き込まれたかは知りませんけど――」
「そうじゃないんです! だ、だから、私はただ、瞳子さまのことを――」
「――私のことを?」
 清香の口から瞳子の名前が出てきて、瞳子は再び眉を寄せた。
 紅薔薇姉妹のことを一年生が『お米姉妹』と呼んでいる――瞳子がその噂を聞いた瞬間思い出したのが、かつて別荘でお姉さま――祐巳さまが付けられていた『コシヒカリ姫』という呼称だった。そのあだ名を付けたのが西園寺ゆかりさま。そしてその妹である清香がリリアン女学園に入学したのを思い出した瞬間、瞳子の堪忍袋の緒は切れたわけなのだけど。
 どうしてここでお姉さまではなく、自分の名前が出てくるのだろう――と、瞳子は首を傾げた。
「私が、何?」
「あ、いえ、それは……」
 慌てて口をつぐむ清香に、瞳子は再びプレッシャーを与えた。
「お言いなさい」
「そ、その……」
 瞳子の迫力に屈して、清香が恐る恐る口を開く。
「わ、私たちはただ――瞳子さまのことを『ひとめぼれ姫』と呼んでいただけです……」


「いえあの、瞳子さまが紅薔薇さまにひとめぼれという話題が出た時に、確かに紅薔薇さまの例のあだ名が思い浮かんで思わず『じゃあ、紅薔薇のつぼみはひとめぼれ姫ですね』とか言っちゃったのは認めますけど、私以外の子は別に紅薔薇さまのあだ名は知らないし、なんとなく『ひとめぼれ姫って可愛いですわね』みたいな風潮がすっかり定着した結果、瞳子さまの紅薔薇さまへの傾倒振りと我が侭っぷりがお姫さまっぽいし、じゃあそうお呼びしましょう、そういえばひとめぼれというお米もありましたわ、みたいな変な流れになって、だから、私たちは別に紅薔薇さまを侮辱するつもりはなくて、どちらかと言いますと瞳子さまと紅薔薇さまの仲が睦まじくて羨ましいな、みたいなそういう敬愛の意を込めて『お米姉妹』とお呼びしt」


「お黙りなさい!」
「はいぃ!」
 わたわたと早口で言い訳にならない言い訳を説明する清香を一発で黙らせて、瞳子は座った目で清香を睨みつけた。
「――誰がひとめぼれ姫ですか」
「そ、その……す、すいません……」
「勘違いも甚だしいですわ。ええ。私は即刻、その不名誉なあだ名の撤回を要求いたしますわ!」
「は、はい! そ、それはもちろん……」
「私が、ひとめぼれだなどと! 私とお姉さまの関係はそんな浅薄なものではありませんわ! じっくりと、時と共に育てた真の姉妹愛! それをひとめぼれだなんて、不愉快にも程がありますわっ!」
「は……えぇ?」


 お米姉妹、ひとめぼれ姫。
 そんな不名誉なあだ名は、瞳子がじっくりねっぷりたっぷりと、清香に瞳子とお姉さまの馴れ初めを説いたことによって、消え去った。
 瞳子としては、大満足である。


 だが一方で――
 最近、紅薔薇姉妹のことを古酒姉妹などと呼ぶ一年生がいるとかいないとか。
 瞳子は近い内に、清香にことの真意を問い詰めようと、思っている。


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