「由乃、いる〜?」
ある休日。会心の作と呼ぶに相応しいケーキを焼き上げることに成功した令は、上機嫌に由乃の部屋をノックしていた。
「由乃〜。由乃の好きなチョコレートケーキだよ〜。この間食べたいって言ってたよね? 今回は正直、かなりの自信作だよ〜」
ノックをしながら呼びかける。令のケーキが大好物のお寝坊さんは、きっと今頃布団の中で絶賛格闘中だろう。
お布団の温さが恋しい。けれどケーキも食べたい。
悶々と葛藤している由乃の姿を思い浮かべると、ついつい令の頬も緩くなる。
「由乃〜。美味しい紅茶の葉っぱも手に入ったんだ。一緒にお茶しようよ〜」
令のケーキ+美味しい紅茶。このコンボに勝てる眠気なんてそうそうあるはずがない。
そろそろ由乃が不機嫌面で(そのくせ、ケーキにわくわくしながら)出て来る頃だなって、長年の付き合いから判断して、令は一歩離れたところで由乃の登場を待った。
1分、2分、3分……。
じりじりと由乃の可愛い仏頂面を待っていた令は、さすがに様子がおかしいことに気付く。
「由乃? どうしたの、由乃?」
「あら、令ちゃん?」
令が焦り始めたところで、由乃のお母さんが令に気付いて声を掛けてきた。
「あ、おばさま。こんにちは」
「こんにちは、令ちゃん。由乃なら今朝、早くに出かけちゃったわよ?」
「えぇ?」
おばさまに由乃の不在を告げられて、令は目を丸くする。
「え、だって。昨日の夜、私、確か由乃に言っておいたはずなのに」
今日は久しぶりにケーキを焼くんだと、令は昨夜遊びに来た由乃に告げておいたのだ。それを聞いていたはずの由乃が出かけてしまうなんて――しかもお寝坊さんのくせに朝早くに――これまでになかったこと。俄かには信じられなかった。
「なんだか、昨日遅くに電話が掛かって来て――有馬さん、だったかしら? その子と駅前のケーキ屋さんに行くって言ってたわね」
「あ、有馬……!?」
おばさまが口にした名前に、そして由乃が令のケーキを捨てて駅前のケーキ屋――かつて由乃が『令ちゃんの足元にも及ばないわ!』と酷評したケーキ屋だ――に行ったという事実に、令はショックを受け。
思わず、手にしていたケーキを取り落とした。
「……有馬菜々……また、あの子なの!?」
一人で食べるには手に余る、形の崩れたケーキを頬張りながら、令は悔しげに呟いた。
最近、由乃の話に良く出て来る名前。由乃の妹候補、有馬菜々。
「憎い……憎いわ! 有馬菜々が憎い! 大体、最近私の出番少なすぎ! この間出たのいつよ! 黄薔薇ってキーワードで思い浮かべるのは、みんな由乃と有馬菜々のこと! 待ってよ、まだあの二人は黄薔薇姉妹じゃないのよ、私が天下の黄薔薇さまなのよ!」
がしがしとフォークをケーキに突き立てながら、令は意味不明の愚痴を零す。
最近、気付いてはいた。
黄薔薇、とか、黄薔薇姉妹、というタイトルの作品にすら、自分の出番がほとんどないことに。大抵は菜々に全てを持って行かれ、仮に出番があったとしても、祥子のオチに持っていくための前フリ程度。ちょっと待ってよ、私はミスターリリアン、リリアン女学園の人気ナンバーワンを争う黄薔薇さまなのよ、と、令はチョコレートケーキをめった刺しにしながら血の涙を流す。
「なんで……なんでよ! なんで私の扱いはこうなるのよ! 原作も含めて!」
ダンッ、と令がケーキを貫いてテーブルにフォークを突き立てた。
正に、その瞬間。
「かしらかしら」
「お悩みかしら」
「誰!?」
いきなり聞こえてきたふわふわな声に、令は弾かれたように背後を振り返った。
しかし、そこは令の自室。もちろん人影などどこにもない。
「……そ、そうよね。空耳、そらみ」
「かしらかしら」
「ご相談かしら」
「――ひぃ!」
背後を振り返った令の、その背後。
そこに突如として現れた気配が、令の左右の耳元で囁いた。
「だだだだだ、誰!?」
「かしらかしら」
「お悩み天使かしら」
慌てて床を転がるようにして逃げた令は見た。
リリアン女学園の制服を着た、どこかで見たことのあるような二人の少女を。
「あ、あなたたち、どうしてここに!?」
「かしらかしら」
「些細なことかしら」
こくん、と首を傾げる二人に、全然些細じゃないよと令は内心でツッこんだ。
「かしらかしら」
「それよりお聞きかしら」
「かしらかしら」
「令さまはお悩みかしら」
「かしらかしら」
「お悩み解決かしら」
「かしらかしら」
「私ばかり喋って不公平かしら」
令の眼前でちょっとコンビのあり方を考慮して左右入れ替わった正体不明の二人は、これでよしと頷きあうと、令に4つの瞳を向けてきた。
「出番の少なさは令さまが原因かしら」
「かしらかしら」
「ある意味仕方ないことかしら」
「かしらかしら」
全然不公平を解消してないコンビは、まぁ気付いてないから幸せそうにそう言った。
「わ、私が、原因……?」
「そうかしらそうかしら」
「かしらかしら」
「令さまはキャラが立っていないかしら」
「地味かしら」
「う……」
見るからにキャラが(間違った方向へ)立っている二人に指摘され、令は苦渋の面持ちになった。
それは令も密かに気にしていたことだ。
山百合会の他の面々や、新参者の有馬菜々に比べ、自分はちょっと影が薄くてキャラが弱いんじゃないかな〜、って。
「キャラを確立するかしら」
「脱皮をするかしら」
「新境地開拓かしら」
「へたれだけじゃ生きてけないかしら」
ふわふわと厳しい意見を口にする不審人物コンビに、令はごくりと喉を鳴らした。
挙動はとことん怪しい二人だけれど。
これは、令につかわされた天使たちなのかも知れない――と。
「ただいま〜」
上機嫌でスキップなどしながら帰宅した由乃は、元気良く帰宅の挨拶を居間に投げかけて、軽快なステップで階段を上がった。
「ふんふんふん〜♪」
今日の菜々とのデートを思い出し、調子っぱずれの鼻歌も出る。くるりと一回転しながら自室のドアを開け、由乃は暗くなった部屋の電気を点けた。
「由乃帰宅フォーーーーーーーー!」
瞬間、部屋がピンク色に染めあがり、なんか聞いたことある声が響き渡る。
「どーもー、ハードレイです! 由乃鼻歌可愛いよフォー! おかえりフォー!」
何事かと動きを止めた由乃の視界に、なんか見覚えある物体が映った。
剣道のお面を被り。
黄色いひらひらの衣装を着込み。
ちゃんちゃかちゃんちゃかとサンバのステップを踏むその物体――
「れ、令ちゃん……?」
「いえ〜〜〜す、ハードレイです! サンバのリズムフォー! カナリアでフォー!」
しゃかしゃかしゃかしゃかしゃか。
令ちゃんらしき物体が身動きする度に、衣装が擦れて耳障りな音が鼓膜を震わせる。
由乃は無言のまま、部屋の入り口付近に置いてあった5kgの鉄アレイを手にすると、思いっきり振りかぶった。
「だから天使が……天使たちがぁ……」
えぐえぐと泣きながら、勝手に電灯を外して付け替えたミラーボールの撤去作業に勤しむ令ちゃんは、なんかワケの分からない言い訳をしていた。
ベッドに腰を下ろし、憮然とした表情で令ちゃんの作業を監視しつつ、由乃はちょっとだけ反省する。
これからはもう少し、令ちゃんのこともかまってあげようかな、と――