『がちゃSレイニー』
† † †
「マリア祭の頃から、ずっと祐巳さまのことを見ていたんです……」
「そうなんだ。でも、私はそのときからずっと、瞳子ちゃんに嫉妬してたから」
「……」
「いいのよ。さっき瞳子ちゃんは謝ってくれた、その気持ちを持っていてくれただけでいいの。だって瞳子ちゃんは、いつも通り祥子さまに接していただけでしょ? 変に勘繰ったのは私」
「でも。私はもっと、祐巳さまのことを考えるべきだったんです。あの時、薔薇の館の一階で、祐巳さまの声が聞こえたんです。それなのに私は、祥子さまに問い掛けることしかしなかった。もしあの時、私が注意していれば――」
† † †
金曜日の放課後、薔薇の館。
彩子お祖母さまの容体が急変したと祖父の病院から知らせを受け、祥子さまに伝えた後のことだった。
『私より瞳子ちゃんの方を選ぶんですね!』
祐巳さまの声が聞こえる。祐巳さま、より? 私? 何故?
その帰り道、私は気になったので、さりげなく祥子さまに訊ねた。
「祥子お姉さま。祐巳さまのこと、よろしいのですか?」
「……瞳子ちゃんもわかっているでしょう? お祖母さまに『祐巳には言わないで』って頼まれたから。祐巳に心配をかけたくないって」
「そう、ですか……」
〜 〜 〜
日曜日、彩子お祖母さまのお見舞いの帰り道に、祥子さまが悪心(おしん)を訴えた。
いつもの車が使えず、仕方なく優お兄さまの運転する車を出してもらい、それで酔われたのだ。
まったく優お兄さまったら。もう少し丁寧に運転できないものでしょうか。私ですら気持ち悪くなったくらいです。
祥子さまは『もう二度と乗らない』と仰っていたけれど、同感ですわ。
祥子さまの様子もだいぶ落ち着き、お休みになられたので、瞳子はそっと部屋を出た。
居間でくつろいでいる優お兄さまのところに行くと、
「さっちゃんの様子はどうだい?」
「もう大丈夫ですわ。今はお休みになられています」
「そうか」
「心配するくらいなら、最初から――」
「ああ、今度からそうするよ」
(はぁ、“今度”はもう無いと思います)
「そう言えば、さっき祐巳ちゃんから電話があってね」
「祐巳、さま?」
「うん、さっちゃんの代わりに僕が出たんだけれど。今日、三人でドライブして、さっちゃんが車に酔ったから電話に出られないって話をしたら。急ぎの用じゃないから、さっちゃんには伝えなくて良いって言われてね。よく解からない電話だったな。ははは」
(優お兄さまには、一生わからないと思います)
おそらく祐巳さまは、祥子さまに本当のことを聞きたかったのではないのだろうか。
そして、何か誤解をなさっている?
〜 〜 〜
その予感は的中した。用事があるはずの祐巳さまは、薔薇の館に姿を現さなかったらしい。
「祥子お姉さま。やはり祐巳さまに、全てをお話された方が良いと思いますわ」
私は祥子さまに提案した。彩子お祖母さまが危篤だと聞かされたのだ。
祥子さまは、明日から学校をお休みして付き添うことになる。このまま放っておいて良い筈ありません。
「そう、ね。祐巳にこれ以上黙っていることは出来ないわ、逆に心配をかけているみたいだもの。でも、祐巳に会えないのよ。学校には来ているらしいのだけれど」
「それなら帰りに昇降口でお待ちになったらいかがでしょう。私も、そちらで待ち合わせいたしますわ」
「わかったわ。帰りに昇降口で」
その日の帰り道、あの事件が起こった。
「もう、いいんです」
「あっ、祐巳さま!?」
祐巳さまは、悲しそうな顔で祥子さまと瞳子の顔を見比べ、雨の中を傘も差さずに走っていかれた。
祥子さまは驚いていたが、そのまま後を追いかけるように無言で歩き出す。
正門前で、投げ出されて雨に濡れ、土で汚れた祐巳さまの傘と鞄を祥子さまが拾い、
「祐巳」
祥子さまが呼びかけても、こちらを向こうとはしない。
祐巳さまは聖さまの胸で泣いていた。
「お世話おかけします」
祥子さまは祐巳さまの傘と鞄を聖さまに託し、彩子お祖母さまの入院されている病院へ行くために、車の後部座席へと乗り込んだ。私もそれに倣う。
緩やかに走り出す車のミラーに、祐巳さまがチラリと写った気がした。
「祐巳さまのこと、よろしいのですか?」
以前にも使った問いかけ、再度祥子さまに問う。
だけど、祥子さまは何も答えなかった。窓の外をじっと見つめ、硬く握られた手は微かに震えていた。
昇降口で私を見た時の祐巳さまの表情が、頭から離れない。
(私の、所為?)
〜 〜 〜
翌日のお昼休み。ミルクホールからの帰り道に、祐巳さまの笑顔を見てどうにも我慢できなくなった。
「最低」
祥子さまが祐巳さまのことを、どれだけ大切に思っているかわからないのだろうか。
祥子さまが彩子お祖母さまのことで大変な時に、昨日あんなことをしておいて、今日はもうヘラヘラ笑っていられるなんて。
「見損ないました、祐巳さま」
「……あなたにそんなこと言われる筋合いはないわ」
落ち着いて、真っ直ぐ瞳子の目を見て、祐巳さまが言い返してきた。
確かに私は関係がない、むしろ事態を悪化させていたのだろう。
気持ちが揺らぐ。でも、昨日の祥子さまを思い出すと黙っていられません。
「筋合いなんてあってもなくても、私は言いたいことは言うんです」
双方、友人たちに腕を掴まれて引きずられる。でもここまできたら止まらない。
連れて行かれる前に言っておかなければならない。祐巳さまの本心を問い質したい。
「反論があるなら、おっしゃればいいんです。言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなんです」
「大事なことから目をそらして、どうしてヘラヘラ笑っていられるんですか」
私に言いたいことは無いのですか? 祥子さまのこと、大切ではないのですか?
だけど祐巳さまは何も言い返しては来なかった。
「やっぱり、祐巳さまは祥子お姉さまに相応しくありませんっ」
私のことは、どう責められようともかまいません。ですが、
(このままでは八方塞がりの祥子お姉さまが、あまりに不憫です)
〜 〜 〜
瞳子は、彩子お祖母さまが入院されている病院には行かなくなった。正しくは、行けなくなったと言うべきか。
もともと、お見舞いに行く祥子さまに我侭を言って、ついて行っていただけなのだから仕方が無い。
先週から祥子さまは学校を休み、学校から病院に通うことを止め、彩子お祖母さまに付き添っている。
祐巳さまも薔薇の館に戻ったようだ。祥子さまのことを待つ気になったのだろうか。
(それで良いですわ。もう私は、お邪魔いたしませんから……)
そんなある日、午前中にだらだらと降り続いた雨が、お昼休みに止んだ。その時を狙ってなのか、瞳子は祐巳さまに呼び出された。
(いったい何をされるのでしょうか。もしかして仕返し……)
あれから数日、瞳子はあの時の自分の行動を少しは反省していた。凄い噂も聞いた。
つい、かっとなって公衆の面前で祐巳さまに暴言を吐いたけれど、やはり悪いのは自分なのだ。
我ながら、はしたなかったと思いつつ、でも噂と同じようなことをされるのは不本意。
それに、今度は冷静に祐巳さまの本心を聞いてみたいとも考えた。
……つもりだったのに。祐巳さまが、わけのわからない暴走をはじめた。話についていくのがやっとだ。
「期間限定、一学期いっぱい。無報酬、お茶飲み放題。どう?」
どうやら私に山百合会の手伝いを頼みたいらしい。せっかく貴女の邪魔をしないと決めたのですよ?
なのになぜ私なんかに。私を嫌っていたんじゃないのですか? もう、全然わからない。
思いついた言い訳で、なんとか誤魔化そうとするのだけど、全部さらりと躱されていく。
(はぁ、まったくこの人は……)
「他の皆さんは承知しているんでしょうね」
「へ?」
「私が手伝いにいくという話です」
「え、じゃあ――」
屈託の無い笑顔。
このまま素直に認めてしまっては、なんだか一方的に負けたような気がする。それだけは気に入らない。
「ただし、紅薔薇さまがお休みの間だけです。黄薔薇さまや由乃さまの分まで、お手伝いをするつもりはありません」
「よし、その条件のんだ」
うやむやのうちに乗せられてしまった様な気が、しないでもないけれど。
それにしても、祐巳さまがわざわざ私を指名する理由がわからない。
「でも、何で祐巳さまが来たんですか」
「何か言った?」
目障りな筈の私を傍において、何かを企んでいる? でもこの笑顔に嘘偽りは無いだろう。何故?
ぼんやりと考え事をしていると、
(あれ? 腕に違和感が、って、うわっ!?)
「――何してるんですかっ!?」
「え? ああ、腕くらい組んだ方がいいかなって」
(ななな何を考えているんですか貴女はっ!? まったく……)
「だから、わざと仲よくみせる必要はないんです、ってば」
〜 〜 〜
私が山百合会のお手伝いをはじめて数日。
あのいじいじしていた祐巳さまは、もうどこにも居ない。今は元気で、天真爛漫に磨きがかかっている。
(いったい、何を考えていらっしゃるのでしょう)
その祐巳さまが、とうとう瞳子に絡んで来た。理由は祥子さまのことだ。
いつかは追求されるだろうと予想はしていたけれど、祥子さまとの約束を破るわけにはいかない。いや、私が伝えて良いことではないのです。
ですが。この状態の祐巳さまに絡まれて平静を保っていられるほど、私の意思は強くないらしい。それは先日の一件で証明済みです。令さまにも軽くあしらわれた今、残る手段は一つ、不本意ですが逃げ出すしかありません。
なのに、付かず離れず祐巳さまがついてくる。
「元気になっちゃって」
あんなことがあったのに、何一つ解決していないのに、どうして一人で元気になれるのですか?
私の……。私はどうすれば良いのですか?
「祥子さまを好きな人が、祥子さまがいない分がんばるべきじゃない?――」
もう、祐巳さまは大丈夫だろう。だから祥子さまも。
だから、私のことは……もういいですわ。