【912】 身を焦がす未練冬雷  (六月 2005-11-26 00:52:16)


乃梨子ちゃんに志摩子の兄貴のこと教えた時の顔は実に面白かった。
これがお祖母ちゃん気分ってやつかな。特に孫が一途な性格だと余計に楽しい。
こんな楽しいことを蓉子や江利子はやってたわけだ。ちと羨ましいぞ。
乃梨子ちゃんと別れた後、久しぶりに高等部の庭を散歩していると。
「佐藤聖さん?」
声をかけられたらまず立ち止まり、「はい」と答えながら体全体で振り返る。それがリリアンの乙女の嗜み。
「ごきげんよう学園長」

「ずいぶんとごきげんのようね。何か良いことがあったのかしら?」
ふむ、どうやら幸せオーラがだだ漏れだったようだ。
「えぇ、まあ。孫がこんなに可愛いとは知りませんでしたよ。
 高等部在学中に楽しめなかったのが残念です」
「あらあら、あなたの孫というと二条乃梨子さんね。あまり苛めてはだめよ」
苛めるなんて人聞きの悪い、可愛がると言うんです。
「いやぁ、志摩子LOVEって感じが可愛いんですよ。
 志摩子の一挙一動に振り回されてるんだろうなと思うと余計に」
「まぁ」
「私や志摩子はそういう感覚とは無縁でしたからね、乃梨子ちゃんが羨ましいですよ」
あの頃はお姉さまを慕ってどうこうなんて、恥ずかしいとか私は言ってたからなぁ。
志摩子もそういう感情を表に出す子じゃなかったし。
乃梨子ちゃんに感化されて感情を表わすようになった志摩子はいい顔してる。

「そう、でも良かったわ。あなたが元気になって」
「あの節は学園長にはご迷惑おかけしました」
今にして思えば栞との事では学園長にも迷惑かけてたっけ。
私や栞を護ってくれようとしていたんだと、今なら分かる。
「あなたが良いお友達を持って居ただけ。
 私は何もしていないわ・・・いえ、何も出来なかったと言った方が良いかもしれないわね。
 あなた達の気持ちが分かってしまったから」
「そういえば学園長は・・・」
学園長も同じ想いを経験していたんだって、後から聞かされた。「いばらの森」に心を閉じ込めてた一人だったんだと。
「あの時は大変だったわね、セイさん」
「春日さんとは今でも?」
「えぇ、二人で居るとね、長い時間を取り戻しているみたいで楽しいわ」
セイとカホリはいばらの森を抜け出して、幸せになれたのだろうか。

「佐藤さん、あなたは今でも久保さんに会いたいと思っていますか?」
思わず苦笑してしまう。昔の私なら感情的になっていたような話題だ。
「会いたいと思います。・・・ただ、まだ少し早いかなとも。
 栞と離れ離れになり身を裂かれるような、胸を焦すような想いに気が狂いそうだったあの頃。
 お姉さまや蓉子に守られ、いつもと変わりなく接してくれる江利子に救われました」
何も言わずにただ見守ってくれたお姉さま、手を出さずに見守ることがどれだけ難しいか、それをやってのけるんだからお姉さまには敵わない。
汚れ役まで買って出てくれる蓉子、余計なことは言わず変わりなく私をみてくれる江利子、親友というのはこういうものなんだろう。
「志摩子に出会い誰かに必要とされることの温もりに触れることが出来ました。
 そして祐巳ちゃん。彼女にあるがままを受け入れて生きる強さを分けてもらって、今の私になれたのだと思います」
ただ側にいるだけで分かってしまう存在、志摩子。自分で自分に罪を着せてしまう危うさは、まるで鏡のようだった。
しかし、そんな私や志摩子に生きる強さ。他人との関わりを恐れず、あるがままに受け入れて行く強さをくれた祐巳ちゃん。あの子にも敵わないな。本人は全く気が付いていないようだけど。
「今はまだ自分と周囲というものを受け入れて歩き始めたばかりではないかと。
 そんな自分が栞に会っても、また栞を苦しめるだけかも知れません。だからまだ早いんです、たぶん」

「そうね、あなた達はまだ若いんですもの、時間は沢山あるわね。
 久保さんも今のあなたの言葉を聞けば安心するでしょう。
 あなたがしっかりと前を見据えて生きていることが良く分かりました、と」
栞なら喜んでくれるだろう。自分の幸せより他人の幸せを喜ぶ子だったから。
「しかし、栞は大丈夫だったのでしょうか?私には仲間達が居てくれました。
 栞はたった一人で苦しんで居たのではないかと、それだけが気掛かりで・・・」
それは今でも気になってしまう。彼女からこのリリアンという楽園を奪ったのは私なのだから。
私さえもっと大人だったら、栞を苦しめることも無かったのだろうと。
「久保さんにもあちらでお友達が出来たそうよ。
 彼女にはあなたの様子をそれとなく知らせて、安心するように伝えてあるわ」
「え?学園長、栞の居場所を?」
学園長は知っているというの?栞がどこへ行ったのかを。
「忘れて居ませんか?私はこちらでの久保さんの親代わりでもあったんですよ。
 他の学園へと移ったからとその役まで降りたわけではありません。私が薦めたのですから。
 それとも私がそのような人に見えますか?」
「いえ、学園長がそのような事をなさるとは思いません。しかし、ご存じだったんですか・・・」
考えてみれば知らない方がおかしいか。学校に無断で転校なんて出来る訳が無い。
すべてを知った上で、敢えてなにも語らなかったのだろう。私がまた走りださないように。
「ゆっくりと考えなさい。そして久保さんと会う自信がついたら、いつでもいらっしゃい。
 その時にはすべてを話して上げましょう。では、ごきげんよう」
「ごきげんよう、学園長」
毅然とした立居振舞いは凛々しくも柔らかだ。まったく、この学園には私の敵わない人が多すぎる。
それがまた心地良いのだけれど。

晩秋の空を眺めると寒々とした薄い雲がどこまでも、どこまでも続いている。
また、冬が来る。あの辛い冬を忘れることは出来ないけれど、今は新しい希望が生まれた。
栞、いつか必ずあなたに会いに行ってみせるわ。
その時はきっと二人静かに話せるよ、そしてこんな穏やかな時間を過ごす術を教えてくれた仲間達のことを話そう。
私はそんな未来を夢にみることが出来るようになれたよ。



一つ戻る   一つ進む