「おーい、瞳子ちゃーん」
「あら、ごきげんよう祐巳さま」
廊下をしずしずと歩きながら、ド縦ロールをぽよんぽよんと上下に揺らす松平瞳子に声をかけたのは、紅薔薇のつぼみこと福沢祐巳だった。
「ごきげんよう。ちょっとミルクホールまで付き合ってくれないかな?」
「ええ、構いませんが」
「良かったー。あそこは一人では行き難いモンね。お礼に何かご馳走してあげる」
「いえ、そんなことで、祐巳さまに散財させられませんわ」
「いいからいいから。たまにはセンパイらしいことさせてよ」
「でも…」
「瞳子ちゃん?」
祐巳は、ギラリと目を光らせながら瞳子を睨みつけた。
「何度も言わせるなよ?」
「う…、は、はい」
「じゃー行こうねー♪」
頬を引き攣らせた瞳子の手を取って、歩きだした祐巳だった。
相変らず盛況のミルクホールに、足を踏み入れる二人。
「瞳子ちゃんは何が良い?」
「ご馳走していただく身分で、注文なんてできませんわ。お任せします」
「そう?じゃぁ私のお任せってことで」
「はい、それで」
「じゃ、席を取って待っててね。買って来るから」
笑顔のまま、人で溢れるカウンターに向かう祐巳。
「ゴメンねー、紅薔薇のつぼみがお通りだから、とっとと道を空けてくれるかなー?」
その一言に、まるでモーセの十戒のように人が左右に分かれた。
ほとんどは「まぁ祐巳さまがいらしゃったわ」という雰囲気だったが、ごく少数は「なんじゃコイツ」といった目で見ていた。
「ごきげんよう。調子はどう?」
顔は見たことはあるが、名前までは知らない同級生(多分)の売り子に声をかける祐巳。
ミルクホールは、学園長が委任したパートのおばちゃんが取り纏めているが、販売をしているのは高等部の生徒によるボランティアだった。
「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみ。ぼちぼちといったところですね」
「ふーん」
「何になさいます?」
「そうねー、きつねうどん二つ」
「…は?」
思わず、マヌケな顔で聞き返す売り子。
ここで売っているのは、パンの類だけで、学食のようなメニューは無いというのに。
「だから、きつねうどん二つだってば」
にこやかに、注文を繰り返す祐巳。
「あの祐巳さま?」
「何回言わせるつもり?」
「………」
半眼で目を覗き込まれた売り子は、泣きそうな顔になった。
「じゃぁ他のものでいいわよ。んーとね、カツカレー大盛り二つね」
「………」
身体を震わせながら、青い顔で目を潤ます売り子に、さらに畳み掛ける祐巳。
「あ、あの祐巳さま。ここにはうどんやカレーは置いてありません。申し訳ありませんが、他のものを…」
慌てて、隣にいた別の売り子がフォローに入った。
「あ、そうなんだ。ごめんね?私の間違いだったんだね」
祐巳は、泣きそうだった売り子の手をそっと両手で握り、優しい声で謝った。
「い…いえ、お気になさらず」
売り子は、先程とは打って変わって、頬を赤らめ、ほわんとした表情で祐巳を見詰め返していた。
「じゃぁ、餡ぱん二つ…どっちもつぶ餡ね。こし餡入れたら明日の朝日は拝めないよ。それとチョココロネ二つ、あと、その空のケースを一つ」
「あああああの祐巳さま?ケースはお売りできませんが」
「ちょっと借りるだけだよ。すぐ返すからね」
「はぁ、そうおっしゃるのなら」
代金を払い、袋に入った餡パンとコロネ、空のケースを手にして、瞳子がいる席に移動する。
「お待たせ。はい瞳子ちゃん」
言いながら祐巳は、空のケースを瞳子の前に置いた。
「な、なんですのこのケースは?」
「どうぞ召し上がれ?」
「なっ!?」
驚く瞳子。
「食べないの?ケース。美味しいかもしれないよ?」
「こんなもの、食べられるわけないじゃないですか!?」
「瞳子ちゃん?」
再び、嫌な光が灯る目で、瞳子を睨む祐巳。
「私に任せるって言ったよね…。ふ〜ん、瞳子ちゃんは私に嘘吐いたんだ」
「嘘もなにも、これは食べ物ではないではありませんか!」
「あはは、冗談だよじょーだん。本当はこっちね」
パンをテーブルの上に置いた祐巳、
「瞳子ちゃんのマネー♪」
そう言いながら、チョココロネを両手に持って、耳の横に掲げた。
それを見た瞳子、思わず噛み締めた奥歯が、ギリリと音を立てた。
しかし、祐巳の機嫌を損ねても困る。
「…ほほ、ソックリですわね」
瞳子は、引き攣った笑みで応じた。
「はい、餡パンとコロネね」
「…いただきます」
「どうぞどうぞ」
先程からの祐巳の言動に、不信感を拭えないながらも、下手に逆らうとコワイので、できるだけ下手に出ることにしようと判断した瞳子は、コロネから手を付けた。
「あははー、共食いだねー♪」
「………」
「あれ?」
「………」
カチンとくるものがあったが、あえて無視して、祐巳の顔を見ないようにしながら、黙々と食べ続ける瞳子。
「あ痛!」
「………」
「痛い!」
「………」
「痛!」
「………」
瞳子がコロネを一口噛むごとに、嫌な笑みを浮かべてちゃかしてくる祐巳。
しかし、瞳子が沈黙を守ったままなので、それ以上言わなくなった。
「祐巳さま、飲み物を買ってきますわ。何がよろしいですか?」
「え?いいよ、悪いよ」
「いえ、ご馳走になるお礼ですわ。遠慮なさらず」
「そう?じゃぁメッコールかサスケかドクターペッパーで。無ければマックスコーヒー」
「分かりました」
売っていないのは明らかなのに、あっさりと返事した瞳子に、拍子抜けする祐巳。
どうもさっきから空回りしているようだ。
「どうぞ」
「ありがとう瞳子ちゃん…てあれ?私が頼んだ…」
「残念ながら、祐巳さまが仰ったものはありませんでしたので、申し訳ありませんがこれでご勘弁くださいな」
目の前に置かれたのは、苺牛乳だった。
「…いただきます」
「どうぞどうぞ」
漸く、一矢報いた瞳子だった。
「付き合ってくれてありがとね。また一緒に行こうね」
ミルクホールを後にした祐巳は、瞳子に礼を言った。
「いえ、こちらこそ。瞳子でよろしければ、いつでもお声をかけて下さい常識の範囲内で」
「ちぇ、夜中の二時三時に呼びつけようと思ってたのに」
なんと言うか、近頃の祐巳は、妙に黒い。
「…祐巳さま、最近ちょっと目に余る言動が散見されますが」
「そうだ、今度妹のことで相談に乗ってくれるかな?」
瞳子に対するある種の切り札でもって、封じる祐巳。
「え?あ、はい…」
「ありがとー。妹にするなら、瞳子ちゃんのような素直で良い子がいいなぁ。それじゃーね♪」
「あ、はいごきげんよう祐巳さま」
もちろん祐巳の妹になりたくはあったが、考え直した方がいいかな、とも思う瞳子だった。
「困りましたわね…」