【980】 それは私にだけの志摩子のそっくりさん  (まつのめ 2005-12-20 01:22:20)


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 あのあと生徒会の人たちが通りかからなかったらどうなっていただろう。
 もしかしたらまだ意識の無い朝姫さんを支えながら、途方にくれてたかもしれない。
 大事には至らなかったのだけど、志摩子は会長の桜さんが呼んだ救急車に乗って朝姫さんと病院まで同行することになってしまった。
 なぜなら、やってきた救急隊員が顔を見て迷わず志摩子を救急車に乗せたからだ。
 急なことで説明している余裕なんてなかった。

 朝姫さんは病院に着く前に意識を取り戻していた。
 結局、熱は疲れから来るもので、倒れたのは貧血。 どちらも軽いものと聞いて志摩子はほっとした。
 そして血液検査までやって診断は『問題なし』。
 でも、それ以外にコレステロール値が低めだからちゃんと食事を取らせるようにだとか、あなたも姉妹なんだから気を遣ってあげなさいとか、無理なダイエットしているようならやめさせなさいとか、お医者様は志摩子にいろいろ朝姫さんの健康上の注意を語った。
 本当は違うのだけど、志摩子は多大な労力をかけてまでお医者様に一から説明する気になれなかった。
 注意事項は後で本人か親御さんに伝えれば良いことだし、黙っていれば、朝姫さんと志摩子は血縁者だと信じて疑わないであろうから。
 朝姫さんは診察室の隅のベッドに寝かされていた。
「志摩子さんごめーん」
 横になったまま朝姫さんはそう謝った。
「いえ、ダイエットなんてしているんですか?」
「んー、そういうわけでもないんだけど……」
 朝姫さんと話をしていたら「もう帰っていいから」とお医者様に診察室を追い出された。


「もうちょっと休みたかったのになぁ……」
 病院から最寄の駅までの道を歩きながら話をした。
「大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫、大丈夫。 寝不足くらいでやられたりしないわ」
「寝不足、ですか」
「うん昨日はちょっとね……」
 朝姫さんの家は親が遅くまで帰ってこないのだそうだ。
 それで昨日は特に遅かったとか。
「忘れてたんだよね、会社の付き合いがあるから遅くなるって。それで居間で居眠りしちゃって」
 忘れるわけにはいかない宿題があって母親に起こされてから取り掛かったから殆ど寝られなかったそうだ。
 朝姫さんの話を聞きながら志摩子は表情を曇らせた。
 具体的に聞かされた訳ではないけれど、話の中に父親が出てこないことに気付いたからだ。
 長期の出張等で居ないのか、別居なのか、あるいはお亡くなりになったのか……。
 そんな志摩子の様子を見て朝姫さんはあっけらかんと言った。
「あ、ごめん、うち父親居ないんだ。気遣っちゃった?」
「え?」
 あまりにあっさりと告白されて志摩子は戸惑った。
「物心ついたころっていうのかな、もう母親と二人だったから」
 だから気にしないでと。
 でも、朝姫さんの話は志摩子にとってちょっとしたカルチャーショックだった。
 物心ついたころからってことはそのころから母親は働いていたということだ。
 志摩子にとっては家に父親と母親がいるのはあたりまえのことだった。 特に父親などは自分が幼いころから強力にその存在をアピールしていたし。
 そして志摩子は逆にそこから抜け出したいと、いや言葉通りではないけれど、そのようなことで悩んでいたのだ。
 幼いころから片親しか居ない。
 しかも働きに出ていて一日のうち一緒にいられる時間も少ないなんて。
 朝姫さんの置かれている環境からしたら、志摩子は何不自由ない環境でわがままを言っている、そう思えてしまった。
 もちろんそういう家庭が世の中には少なからず存在していることはわかっていた。
 でも理屈で判っているのと、目の前の知り合いがそうだと言われるのとではインパクトが違いすぎるのだ。

「志摩子さん」
 むにっ。
「きゃっ」
 志摩子は突然の頬の感触に驚いて声をあげた。
 朝姫さんが志摩子の頬をつまんだのだ。
「なにを暗くなってるのかな?」
「あ、いいえ、その……」
「私のこと同情してるんだったら大きなお世話よ?」
「そういうわけでは……」
 むしろ逆だ。
 そんな環境なのにこんなにも明るくて、言いたいことはあまり親しくない筈の志摩子にだってはっきり言ってしまう。
 顔はそっくりなのにどうしてこんなにも違うのか。
 志摩子は朝姫さんが羨ましかったのだ。
「……ごめんなさい」
 志摩子は謝った。
 理由はどうあれ、朝姫さんのその話を聞いて自分が暗くなるのは確かに朝姫さんに失礼だった。
 朝姫さんは志摩子を暗くさせるために話したのではないのだから。

「しーまこちゃん」
「志摩子ちゃん!?」
 いきなりだった。
「うん、志摩子ちゃんは、もしかして言いたいこといえなくてうじうじ悩んじゃう子なのかな?」
「……」
 それは余りに心当たりのある言葉だった。
 黙りこむ志摩子を見て朝姫さんが言った。
「あのさ、これじゃ私が志摩子さんを責めてるみたいじゃない」
「え、あ、すみません」
「また謝った」
「ごめ……」
 もう一回謝ってしまいそうになって慌てて手で口を抑えた。
 結果、手で口を抑えた志摩子は朝姫さんと見つめあうことになってしまい……。
「……ぷっ」
「……!」
 志摩子が恥ずかしくて頬を赤くするのと、朝姫さんが噴出すのは同時だった。
「ご、ごめーん、でも志摩子ちゃん可愛い」
「か、可愛いだなんて……同じ歳なのに……」
 顔だって同じなのに……。
「そうか、その表情使えるわ」
「は?」
「俯き加減に上目遣いで……だっけ?」

 鏡を見せられている気分だった。

 朝姫さんは物まねがお上手のようで。
「あ、あの……恥ずかしいので真似しないでください」
 志摩子が困惑気味にそう言うと、朝姫さんは「あはっ」っと表情を変えて言った。
「似てた?」
「わかりません」
 志摩子はぷいと横を向き、そう言った。
「あ、怒った」
「怒ってませんよ」
「うそ、怒ってる」
「怒ってません」
「ほら怒ってるじゃない」
「怒ってませんってば! 怒りますよ!」
「もう十分怒ってるって……」
「あ……」
 志摩子は気がついた。
 下手なことを言って朝姫さんを傷つけてしまうのが怖い。
 そう思って志摩子は言葉が続かなくなってしまっていた。
 でも、それが意図してやったのか無意識なのかは判らないけれど、朝姫さんは話を聞いて萎縮していた志摩子を解きほぐしてくれたのだ。
 朝姫さんのお家の話を聞いてから、いやその前からだった。
 志摩子ははじめて話す人の前ではいつでもある意味緊張してしまうのだ。
「……私は」
「ん? なに?」
「私は言いたいことが言えないわけじゃありません。 ただ、いつもよく考えてから話すから」
 よく考えて話す、と聞けば『思慮深い』と良い印象をもつかもしれないけれど、志摩子の場合、誤解されるのが怖いから考えるのだ。
 そのことをどうやって伝えようかと考えていたら朝姫さんはズバッと言ってくれた。
「それで考えすぎて腐っちゃう?」
「え!?」
「あ、ごめん。私って考えないですぐ喋っちゃうタイプだわ」
「いえ、当たってますから……」
 志摩子はそう答えた。
 これまでいくつの言葉を腐らせてきただろう。
 言わなければいけなかったこと、言いたかったけどいえなかったこと。
 お姉さまや乃梨子に出会って変わってきてはいるけれど、志摩子が人とのコミュニケーションで後手に回ってしまうのは相変わらずだった。

 だからこそ。

「……さっきは朝姫さんが羨ましいって思ったんです」
「え? 羨ましい?」
「ええ、べつに同情とかそういう事ではなくて」
「あ、あの、どのへんが?」
 朝姫さんは「そんなこといわれたの初めてだ」って顔をした。
「こうしてお話するのは初めてなのにとても親しく話してくれます」
「それはー……」
「私には無理。 今だって朝姫さんが機転を利かせて緊張を解いてくださらなかったらきっと何も話せなかったわ」
 志摩子はそのことを感謝するようにやわらかく微笑んでみせた。
「いやいやいや、ちょっとまって、ちょっとまって志摩子さん、それ買いかぶりすぎよ。私そこまで考えてないし」
 なぜか顔を赤くしてちょっと早口になりながら朝姫さんは言った。
 というか先ほどとずいぶん様子が違って慌てているよう見えた。
「……無意識に出来るのならなおさら羨ましいわ」
「ち、違うのよ」
「違う?」
「そう、違うの」
 何が違うの?
 志摩子には朝姫さんの言わんとしていることが判りかねた。
「さっきの『言いたいこといえなくてうじうじ悩んじゃう子』って私のことなの」
「え? でも……」
 そんな風には見えない。
「今はそう見えないように努力してるだけ。 中学のころは私『根暗』なんて呼ばれるくらいだったの」
「努力して?」
「そう、それじゃいけないって、私って臆病だからさ、高校に入ってから嫌われないように必死になって」
「でも、努力して明るくなれるのならば、それは素晴らしいことだわ」
「素晴らしくなんか無いのよ。 だって本質的に私何にも変わってないんだから。 今だって嫌われたくないから必死でおちゃらけてるだけだし」
 志摩子は自分は八方美人であるとか色々理由を述べている朝姫さんの目をしっかりと見つめて言った。
「朝姫さん」
「な、なに?」
「あまり自分の事を卑下すると周りの人を傷つけることもあるのよ」
「え?」
 多分、朝姫さんは誉められることに慣れていないのだ。
 志摩子の眼から見たらこんなに光ってみえるのに、朝姫さんが自分自身を否定するのを聞くのはとても悲しかった。
「そのことを覚えておいてくれると嬉しいわ」
 その感情は表情にも出ていたのであろう。
「ご、ごめんなさい」
 朝姫さんは志摩子の顔を見てすぐに謝った。

「さっきはあなたの話をきいて私が沈んでしまったことを気にしてあんな事したのでしょう?」
「え? あんなこと?」
「私の真似をしたり」
「ああ、でもあれは……」
「違うのかしら?」
 そう問われて朝姫さんは志摩子から目を逸らしてから言った。
「私のせいで志摩子さんが暗くなるの嫌だったから、もあったかな?」
「ですよね」
 朝姫さんの明るさは決して上辺だけではないはずだ。


 駅前まで来たところで立ち止まり、朝姫さんは言った。
「ごめん、さっき私、志摩子さんに昔の自分を重ねてたんだ」
「朝姫さんを?」
 ということは、朝姫さんは内面的にも志摩子に似ていたということになる。
 何故なら、朝姫さんが志摩子を形容した言葉は怖いくらいよく当てはまっていたのだから。
「でも、そうじゃなかった。 さっき志摩子さんは『当たってる』って言ったけど、昔の私に重なる部分ってあるのかもしれないけど、ちゃんと乗り越えてる気がする」
 朝姫さんは、「今、目の前の志摩子さんしか知らないけどなんとなく」と付け加えた。
 『乗り越えてる』
 そう聞いて志摩子は思った。
 それはきっとお姉さまと乃梨子のおかげだ。
 だから言った。
「ありがとう」
 自分の中にいるお姉さまや乃梨子を誉めてくれたから。
「志摩子さんは私みたいに誤魔化さないでちゃんと……」
「朝姫さん」
 また卑下してるので嗜めるように言った。。
「あ、でも言わせて。 ちゃんと自分の長所にしちゃってるんだ。 だから、私、志摩子さんが羨ましい」
「朝姫さんもですよ。 その明るさは今もまだ演技なんですか?」
「え? んー、どうだろう?」
「私はそうは思いません」
「そうかな?」
「ええ。 私を気遣ってくれたのは演技ですか?」
「えっと……」
 朝姫さんはちょっと考えてからこう言った。
「私そんなに器用じゃないわ」
 明るい振りしてさらに気遣う振りなんて出来ないと。
 だからそれはもう朝姫さんのものなのだ。
 志摩子はただ待っていることしか出来なかったのに、朝姫さんは自分で世界を切り開いた。
 そんな朝姫さんが、彼女は卑下したつもりの話でさえ、志摩子にはまぶしかった。


 別れ際に朝姫さんは言った。
「ねえ、志摩子さん、また、今度は私から会いに行っていい?」
「ええ、もちろん、こんどはもっとゆっくりお話したいわ」

 朝姫さんとはこれから一緒にいる機会が増えるような気がした。
 でもそうなると、今日みたいに、いや今日みたいなこと(朝姫さんがいきなり倒れたりとか)はもう御免だけれど、姉妹と間違われてしまうことは多くなるに違いない。

 それでも。

 今の志摩子にはそんなハプニングが楽しみに思えてしまうのだ。





(→【No:1018】)


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